シューケー、クドー語りて曰く-02-

「ぇへへっ。おうちの中ではとってもとっても、甘えんぼさんだったり………実は朝が弱くって、寝起きが悪いとか……。がくぽって頭もよくってしっかり者だし、ちょっと近寄りがたいかもって、思ってたんだけどねなんかすっごく、親近感――でしょそれでそれで、ほんとはとってもお茶目さんで、すっごくすっごく心が広くってやさしくって………ほんと、カンペキかっこいいっ!」

――蜜のように蕩ける笑みで話を締めたカイトに、ダイニングテーブルの対面に座っていたミクは、隣のメイコの袖を引っ張った。

空白の表情でカイトを見つめたまま、ぼそりとつぶやく。

「めーこちゃん。初めカイトくん、ネラわれてるのかと思ったけど、――実はすでに食われ済で、もしかしてデキてないデキてないかな、このひとたち……ねえミクたち今、ノロケられてないまさかノロケられてない?!」

小さな声ながらもまくし立てるように問われたメイコは、疲れたように俯いた。深い皺の刻まれた眉間に人差し指を当てると、重々しくつぶやく。

「否定する根拠が見当たらないわ………」

「やっぱり!」

「めーこミク?」

カイトのバックには、しやわせなお花さんが飛んでいるように見える。

対して、テーブルを挟んで向かいに座る姉妹たちの背後には、暗雲が垂れ込めていた。今にも雷とともに、土砂降りとなりそうな重さ具合の雲だ。

折よく夏だ。

スコールや雷が突然に襲っても、なんの不思議もない。それが家の中だというのが、多少はネックだが。

夏は夏でも現在は七月の末、梅雨明け直後だ。つまり季節の初め。

炎帝の張り切り具合たるや凡人に抗せるものではなく、クーラーをつけていてすら、暑さが拭いきれない気がする。

姉妹たちはその拭いきれない暑さが、さらに不快さを増して上がったように感じていた。

雰囲気はそれとなく察しているが、明確には読めていないカイトだ。姉妹がなにをそう、項垂れているのかがわからない。

無邪気にして蕩ける笑みのまま、ちょこりと首を傾げた。

「なんか………えっと、だいじょうぶ?」

「それはこっちのセリフです、カイトくんっ!」

「敬語?!」

空白の表情一転、身を乗り出すと勢いよく叫んだミクに、カイトは目を丸くして仰け反った。

「ひとのこと心配してる場合かっていうか、もしかして心配できるのは余裕の顕れ?!おれたちらぶらぶなんだぜいえー的な、爆破され待ちリア充的余裕の顕れなの?!」

「え、えと、ミクミク?」

「落ち着きなさい、ミク。あんたって子は、もう」

まくし立てられたカイトは、ミクの言葉を追うことが精いっぱいで意味まで取れず、目を白黒させている。

なにしろ、低スペックで情報処理能力に劣る旧型というだけにも因らず、おっとりさ加減が売りのKAITO――カイトだ。

早口でまくし立てられると、ほぼほぼ頭が追いつかない。

同じく旧型とはいえ、メイコは口達者な『女声』だ。早口でまくし立てられても、きっちり言い返せる。

が、相手が混乱しているとなれば、また別だ。それは旧型新型に因らず、誰でもそうだが。

「めーこ、あの………」

「だからね……」

救いを求めるカイトの視線を受け、未だにぐりぐりと眉間の皺を揉んでいたメイコは、面倒ながらも口を開いた。

しかし説明は続かず、ふいっと片眉が跳ね上がる。顔も上げると、眉間から手を離した。

「……めーこ?」

きょとんとしたカイトは、次の瞬間、椅子から小さく飛び上がった。

「愉しそうだな、三人で」

カイトの背後から響いた、微妙に不機嫌な声は誰あろう、今話題にしていた――

「がくぽ!」

椅子に座ったまま、ぱっと振り返ったカイトの元に、デフォルトの着物姿のがくぽがつかつかと歩いて来た。

デフォルトとはいえ、さすがに夏仕様だ。素材が薄物なだけでなく、いつもなら着物の下に着る、首まで覆うぴったりしたボディスーツも脱いでいる。

あれは見た目が暑苦しいと、サラリーマンやアナウンサーのスーツと同じかそれ以上に、人受けが悪いのだ。

ロイドの肌はどんなに炎天下で過ごそうが、焼けることはない。おかげでスーツを脱ぐと、覗くのはやわな白い肌だが、それがかえって涼しげで良いと、非常に好評を博している。

ついでに、普段隠されているものが露わにされて、異常なほど艶っぽいとも。

ちなみにメイコやミクはともかく、カイトも夏服だが、がくぽほど話題にはなっていない。

半袖で、首が開きめのコートに変わっただけだからだ。なんといっても、軽く透ける素材にはしたものの、首にはきちんとストールも巻いている。

つまりぱっと見の変化に乏しい。

なぜかカイト――KAITOに関しては、『マフラーも含めてKAITO』という、微妙な認知があった。

デフォルトから別の衣装に変わっていても、特になにも言われない。

しかしそこに『マフラー』が付随していないと、なぜ今日はないのかと問われる。真夏の盛りでもだ。

さすがに素材には文句をつけられるが、していることそれ自体には、ひどいブーイングは起きない。

とはいえ家族は訊かないし、どころか見た目が暑いから外せと、非常に常識的なことを言ってくれる。

なので今のようにプライヴェートとなれば、カイトも首を晒しているが――

そもそもはカイトやメイコ、ミクと同じく、今日は休みの予定だったがくぽだ。しかし突発の仕事が来たとかで出かけ、今の今まで不在だった。

堅物で真面目なせいなのか、責任感が強いと言えばいいのか――がくぽはとにかく、勤勉に真面目に働いた。

仕事を選ばないのはロイドとして当然かもしれないが、突発の仕事が入ってもほとんど断らない。

結果、売れっ子いちばんのミクよりもよほど、仕事量が多いことがある。

「ただいま」

「ぁ、おかえり……」

ダイニングテーブルの、座るカイトのすぐそばに立ったがくぽは、非常に不機嫌そうだった。疲れたのか、仕事で嫌なことでもあったのか――

ぶすっとして吐き出された挨拶に、カイトはそわそわしながら応えた。今にも椅子から立ち上がりそうな、落ち着かない風情だ。

しかしがくぽの視線はすでに移って、そんなカイトを映していなかった。代わりに、向かい側に座る姉妹と対している。

「ただいま帰りました。でカイトとなにをそう愉しげに話していた?」

「ほとんどひと息で言ったけどこのひと!」

「あんたもね」

立っているのと座っているのと、目線の違いを差し引いても、がくぽの態度は姉妹に対して威圧たっぷりだった。

椅子の上で仰け反り、大きな瞳をさらに大きく見張って驚愕を口にするミクに、メイコは肩を落としてつぶやく。

しかしメイコはすぐに立ち直ると、瞳を細めてくちびるを歪め、ちょっぴり意地悪な表情となった。

カイトのすぐ後ろに立って威圧的に見下ろしてくるがくぽへ、にっこりと笑いかける。

「大したことじゃないわ。カイトの好きなひとの話、聞いてたの」

「めーこ!」

「好きなひと?」

にっこり笑って吐き出された言葉に、カイトは慌てて腰を浮かせた。がくぽの表情も胡乱を浮かべ、テーブル越しに身を乗り出すカイトと、にこにこ笑うメイコとを見比べる。

「だ、だめっないしょっ!!」

「あら、ナイショなのそうなの?」

抗議するカイトに、作っているだけでもなく上機嫌な笑顔のメイコは、鈍ったらしく首を傾げて問う。

しぐさは愛らしかったが、笑みの胡散臭さがこのうえない。

しかしもともと空気や機微といったものを読まないカイトは、メイコの様子を不審がることもなく、こくこくと頷いた。

「そ、そういうんじゃ、ないし………ぜんぜんっ、ないしっヘンなこと、言わないでっ!」

「あらまあ」

メイコに咬みつきながら、カイトはぼわわわんと、音が聞こえるような勢いで肌を赤く染めていく。

先までも赤かったことは赤かったが、あくまでもほんのりと、色を差す程度のものだった。

今は違う。限界いっぱいまで、赤い。

こうまで過剰に反応することなど、滅多にないカイトだ。

軽く瞳を見張ったメイコは、がくぽへちらりと視線を流した。

苦虫を噛み潰したようなという表現があるが、その教科書見本だ。がくぽは持てる美貌を嘆きたくなるほど険しい、しかめっ面となっている。

歪む花色の瞳は、抗議に中腰となったカイトを――カイトだけを、映して離れない。

「カイト?」

「ぅっ、がくぽっ………」

滴るなにかのように非常に静かに呼ばれ、カイトの背中はぎっくんと強張った。

恐る恐ると振り返れば、先よりさらに不機嫌全開となった美貌がある。

――メイコは美貌が無駄になっていると思ったが、カイトは違う。険しくてもやはり、美貌は美貌で、がくぽはきらきらに輝いて見えた。

「どういうことだどうして俺には内緒なんだ?」

「ぅ、あ、がくぽ………がく、あのっ」

「メイコとミクには話して、俺には内緒なのか俺だけ仲間外れだと俺に言えないような相手?」

「あ、あの、あ………ぁ、ぁぅあ………っ」

静かに抑えた声ながらも口早に問い詰められ、カイトは思考が追いつかずに呻き声だけを返した。

がくぽといえば、容赦する様子もない。

「カイト?」

――姉妹との会話の中身を教えろと、言えと、不機嫌たっぷりにカイトを威圧する。

が、カイトは言葉にならない。

思考が追いつけないこともあるが、話していたことがことだ。

しっかり者の堅物で、外ではキラキラ王子様のがくぽが、――実はカイトにだけは甘えん坊の、困ったちゃんなのだと。

カイトとしては、そういうがくぽがうれしくてかわいくて、限定で甘えてもらえる自分が誇らしくて、ちょっとした自慢だ。図らずもミクが言ったとおりに、ある種の『ノロケ』なのだ。

しかし矜持が高く、二人きりのとき以外には弱みを見せないがくぽが――自慢だと、受け取ってくれるだろうか。

悪口か、それ以上に性質の悪い『情報の横流し』と思われる可能性のほうが、高くないだろうか。

さらに言えば、メイコの話の振り方だ。

カイトの好きなひと――というのは、否定しない。がくぽのことは、大好きだ。大好きでかわいくて、たくさん甘やかしてやりたい。

けれど、『そう』ではない。

メイコが言外に含ませたような、『そういう』相手ではないのだ。

が、そこもまた、上手く説明できる気がしない。

馬鹿正直に『がくぽの話してたよー☆』と告げて、なにか盛大な誤解を生んでしまったら。

同じ男なのに、家族なのに、――

軽蔑されたり嫌悪されたら、悲しくてかなしくて、泣く。誤解だからと、言葉を尽くしても信じて貰えなかったらと思うと、気が狂いそうなほど怖い。

ひとつ屋根の下に暮らす家族で、毎日顔を突き合わせるのにという、気まずさだけではない。

もうがくぽが甘えてくれなくなるかもしれないと思うと、カイトは想像だけでぎゅうぎゅうと胸が痛い。すでに泣きそうだ。

「あ………の、…………………」

「………」

「………………」

思考が高速でぐるぐると空回りして、結局カイトはなにも言えずに俯いた。きゅっと拳を握り、くちびるを咬んで小さく洟を啜る。

「……………言えないのか。俺には。そう……………」

「……………」

ぽつりと小さなつぶやきが落とされて、カイトは再びぐすりと洟を啜った。

目だけ上げて、恨みがましくメイコを見る。メイコは完全に明後日の方角を向いて、目を合わせてくれなかった。

対してミクは、多少気忙しげにがくぽとカイトを見比べている。

メイコにとって、カイトは『弟』と同等だ。しかしミクにとっては、『兄』だ。『兄』が頼りなく揺れていれば、『妹』は不安になるだろう。

「ん……っ」

しっかりしなきゃと、カイトは自分に喝を入れた。握っていた拳をさらに握って、きっと顔を上げる――少なくともカイトの主観に則ると、きっとして顔を上げた。

「ちっ」

「ふぇ?!」

顔を合わせた瞬間にがくぽが舌打ちをこぼして、決意も虚しく、カイトのくちびるからは寸前の嗚咽がこぼれた。

カイトの主観に則れば、『きっとして』がくぽと顔を合わせた。

しかし傍から見れば、飼い主に怒られたねこがへちゃんと耳を寝かせ、腰も落ちた状態でぷるぷる震えながら、ご機嫌を窺っているような――

少なくとも、がくぽの主観だけではない。ミクにもそう見えた。

が、カイトには預かり知らぬことだ。

「かわいいは正義だ。そうだろう、カイト?」

「え?」

苦々しい顔で吐き出され、カイトは揺らぐ瞳を瞬かせた。

言われたことはわかるが、どこのどの話から繋がって出てきた言葉なのかがわからない。

「かわいいは正義だ。言って、カイト」

「ええ………かわいい、は、正義?」

威圧に押され、意味がわからないまま、カイトは首を傾げて言う。

瞬間、がくぽの顔がこれ以上なくしかめられ、それからすとんと表情が消えた。

「行くよ、カイト」

「あ、がくぽ………っ」

放り投げるように言ったがくぽはさっさと背を向けると、ダイニングの扉口へ向かう。

カイトは慌てて腰を浮かせ、怒りのせいか常より大きく見える背中と、座ったままの姉妹とを見比べた。

「カイトくん……」

「うん。ごめんね、なんか………じゃあ、ね」

気忙しげなミクにへにゃんと情けなく笑うと、カイトはがくぽを追った。扉口で待っていたがくぽは、カイトが駆け寄って来るのが見えるとまた、無言で背を向けて歩き出す。

カイトは健気なしぐさでぱたぱたと、そんながくぽの後についていった。

「………めーこちゃん、あのね」

二人の背中を見送り、足音も完全に聞こえなくなったところで、ミクはぽつりと口を開いた。

相変わらず明後日を向いたままのメイコは、手を伸ばすとクーラーのリモコンを取った。設定温度を二度ほど下げる。

威力を増した冷風に煽られても、メイコの愁眉が晴れることはなかった。ふんと、不機嫌に鼻を鳴らす。

「デキ上がったばかっぷるより、くっつくかどうか瀬戸際の、自覚なしおばかっぷるのほうがよっぽど迷惑で、うざったいのよ!」

きっぱりと言いのけたメイコに、ミクは生温い笑みとなった。

「そんなはっきり………めーこちゃん。めーこちゃんは厳しいよ。――ほんとのことだけど」

つぶやくと、疲れ切ってテーブルに頭を預ける。

木製のテーブルはひんやりとして気持ちよく、うっかりと癒されたミクは陶然と目を細めた。