「ん、ふぁ………」
ふっと目を覚ましたカイトはベッドに転がったまま、小さく首を傾げた。
また、だ。
プシューケー、クピドー語りて曰く-01-
「きょぉも、かぁ………」
カイトは寝惚け半分の甘い鼻声をこぼしつつ、布団の中でもそもそと身じろぐ。とはいえほとんど動けないのが、実情だ。
それもそのはずで、カイトの体は背後から、がっちりと抱え込まれていた。寝ているとも思えないほどに相手の腕の力は強く、容易く振りほどけるものではない。
そうでなくとも、普段から力の差も大きい。
相手は、がくぽ。
カイトと同じ芸能特化型の男声ボーカロイドだが、一般に『旧型』と呼び習わされるKAITOシリーズとは違い、最新型のロイドだ。
正式には、芸能特化型ロイド/VOCALOID神威。もしくは神威がくぽ。
最新型なだけに、向上した情報処理能力や諸々のスペックの高さと、売りはたくさんある。
あるが中でも突出しているのは、女声ロイドと並んでもまったく遜色ない、突き抜けた美貌具合だ。
女声ロイドと見紛うような、長く艶やかな髪も一役買っているだろう。
しかしなによりも、凛と背筋を伸ばしてきりりと引き締めた表情で立つ、その纏う雰囲気からもう、がくぽは突き抜けて『美人』なのだ。
カイトなどは並ぶと地味になり過ぎて、完全に沈んでしまう。背丈が微妙に低いこともあるが、あのきらきらの雰囲気に呑まれてしまって、存在をきれいに掻き消されてしまうのだ。
そんなこんなでカイトにとっては、隣に並ぶことをちょっとだけ、遠慮したくなってしまう相手なのだ。
だからといって、見た目の問題だけでカイトが『がくぽ』を敬遠していたわけでもない。
がくぽシリーズはサムライをモチーフにされただけあって、性格的にも多少、お固く融通の利かないところが散見される。
カイト――KAITOシリーズが得意とする明るいおちゃらけが、水と油のように反発することが多いのだ。
「………まあ、『他の家のがくぽは』って、ことだけど………んへっ!」
堪え切れず、カイトはくふくふと笑った。
その、これまでこっそりと敬遠していた相手は、諸々あって最近、カイトの新しい家族となった。
そして家族となって、否応なく間近に暮らしてみれば――
遠巻きに見ていたのではまったく知りようのなかった、『がくぽ』の実態が判明した。
それがつまり、『今日も』だ。
がくぽは毎晩、カイトが寝入ったあとにカイトの布団に勝手に潜りこんでは、カイトと勝手に同衾しているという、ちょっとばかり困った癖を持っていたのだ。
初日はさすがに、違ったと思う。緊張もあったろうし、――数日はきちんと、カイトとは別々に一人きり、自分の部屋で寝ていたはずだ。
しかし他の家族をはじめ、カイトとも打ち解けて馴染んでいくに従い、気がつけばいつの間にか――
おやすみなさいと、挨拶して互いの部屋の前で別れ、ベッドに入る。このとき、確かにカイトは一人きりだ。しかし朝になって気がつけば、いつでもがくぽが背後に寝ている。
縋るようにきつく、カイトを抱きしめて。
今のように、クーラーをつけていても密着すれば暑い夏となっても、変わらない。痛いほどの力で、ぴったりと。
ついでに言うと、がくぽの手はカイトのパジャマの中に潜りこんでいて、素肌を直に抱いている。
「んー……ふぁん……」
カイトはのんびりと、仮性のあくびを漏らす。パジャマの中に手を突っこまれ、素肌に直に触れる形で抱かれていようが、慌てる様子は微塵もない。
寝る前にはきちんと、きれいに着ていたカイトのパジャマだ。掛け違えたボタンもなく、裾もきちんとおへそを隠していた。
しかし朝となると、パジャマは無残なまでに乱れているのが、カイトの最近だ。余程寝相の悪い子供でも、こうまでするのは至難の業だろうというほど。
がくぽが素肌を求め、ボタンを外し裾をからげとした挙句のことなのだが――
それでもカイトは、まったく慌てない。
毎日のことで、言っても男同士だ。
その手が胸に触れていようが、腹の際どいところを抱いていようが、貞操がどうの倫理がどうのと、騒ぐほどのこともない。
――とはいえさすがに、ズボンを半ば脱がされて下半身を剥き出しにされ、太ももに腕を絡められていたときには多少、抗議した。
驚いたのは初日と、その、下半身を剥き出しにされていた日くらいだ。
抗議したとなれば、下半身を剥き出しにされた、一度程度。
「ぇへへ………っ」
小さく笑うと、カイトは自分を抱くがくぽの腕にそっと、手を這わせた。遠慮しいしい触れた手は、がくぽが無反応だとわかったところできゅっと、抱きつく。
こんなふうに添い寝を欲しがったり、過剰なほどのべったりとしたスキンシップを求めてきたり――
がくぽと家族となって共に暮らしたことで、初めて判明した甘えん坊な一面だ。
きらきらに輝く、完璧な王子様像はあっさり崩れてしまって、あとから出てきたのはちょっぴり困ってしまうほどの、甘えん坊さん。
それもカイトに対してだけの、限定で秘密の甘えん坊さんだ。
――そう。
がくぽがこうして、甘えて無防備な姿を晒すのは、カイトに対してだけだった。カイトとがくぽと、二人きりのときだけ。
たとえ家族だろうと、一人でも誰かがいてカイトと二人きりではないと、がくぽは『がくぽ』だ。
人懐っこく、誰にでも鷹揚に対するカイトがこっそりと距離を置きたがってしまった、お固く融通の利かない、雰囲気から別格のきらきら美人な――
「ん………っ」
しあわせなねこの顔で笑って、カイトは自分を抱きしめるがくぽの腕に頬ずりする。
他の『がくぽ』のことは、未だに苦手だ。共演するときには、こっそり距離を置く。もしかして家に帰ったら、彼らも意外に――とは、思っても。
けれど『うちのがくぽ』なら、カイトは率先して隣に並ぶ。存在が消されることも、頭にない。
なにかあればすぐさま甘やかしてやれる距離にいることが、なにより大事なのだ。『外の顔』になったがくぽが、決して甘えて来ないことを理解していても。
それでも構わないから、傍にいるよと、なにかあっても大丈夫だからと、言葉に因らずに伝えてやりたい。
家に帰って二人きりになったとき、がくぽがぼそりと、助かったとつぶやいてくれることが、いちばんうれしい。
カイトと二人きりのときにだけ見せる、特別な甘ったれ顔でぼそりとつぶやいてくれる、その瞬間が。
――実際のところ、そうやって臆することなく振る舞っていれば、カイトの存在ががくぽに消されることはない。むしろ誰よりも生き生きと輝いて、歴史の浅い最新型などは完全に背景にしてしまう。
が、カイトには預かり知らぬことだった。知ろうとも思わない――
「ぁ。そろそろ………」
ふと気がついて顔を上げたカイトは、時計の針が差す時刻を確かめ、ほんのりと体を強張らせた。
ロイドの休眠時間というものは、ある程度定型がある。人間とは違って、体調や精神状態などによるばらつきは少ない。何時に寝ようが起きる時間だから起きるのではなく、きっちり何時間寝たから、目を覚ますといったふうだ。
カイトが寝てから布団に潜りこんでくるがくぽは、つまりはカイトよりも遅く寝ている。多少の差だが、起きる時間は当然、それだけ遅くなる。
そのがくぽの起床時刻が、そろそろだった。
ちなみに旧型のカイトはスペック諸々の関係で『寝起き』が悪く、いわば『寝惚け』る。
が、新型のがくぽは高スペックゆえに、すっきりと目覚め、本来的には『寝惚け』ない。
はず。
――だが。
「あ。起きた…って、ぁ、んぁっ、わ、んんっ!!」
つぶやいたカイトの声はすぐに裏返り、嬌声紛いの悲鳴に変わった。
「ん、んんっ、ひゃっ!めっ、ぁ、だめっ、がく、……っがくぽっ!くすぐ………っぁ、んんゎっ!」
布団の中、がくぽにがっちりと抱え込まれて自由にもならないまま、カイトは悶えて甘く啼く。
事前にいくら覚悟して用心していても、無駄だ。毎朝堪えられず、カイトはかん高い啼き声を上げる羽目に陥る。
――背後で顔が見えずとも、カイトにはがくぽが起きたことがいつでも、すぐにわかった。
くすぐられるからだ。素肌を直に。
そもそもがくぽは、カイトのパジャマのボタンを外して裾をからげとして、素肌に直に触れている。
その直に触れている肌を、こちょこちょこちょと、くすぐられるのだ。毎朝まいあさ、起きるやいなや。
正確にはくすぐっているわけではないと、カイトもわかっている。
つまり、『寝惚け』ているがくぽは現状把握の一環として、抱きしめているものの感触を確かめるべく、べたべたさわさわなでなでこちょこちょとするのだ。
くすぐったいと啼いて悶えてしまうのは、カイトの肌感覚が鋭敏に過ぎるからだ。実際には、がくぽは『確かめて』いるだけで、くすぐっているわけではない。
「んっ……ぁ、………っぁはっ………っぁ、も、もぉっ、がくぽっ!」
しばらくはくすぐったいと、悶えよがって啼いていただけのカイトだが、とうとう我慢の緒が切れて叫んだ。
「もっ、ねっ!だめっ、がくぽっ!」
新型で高スペックでありながら、信じがたいほどの寝惚け大王が、がくぽだ。放っておくといつまでもいつまでも、カイトをくすぐっている。
悶えながらもひたすら堪えて待っていても、終わることはない。どこかでカイトが線引きして、起こすしかないのだ。
甘さを含みながらも語気を強めて制止したカイトは、のみならず、自分をがっしりと抱き込むがくぽの腕も掴んで、引き離した。
いつもなら、力の差が歴然としている。カイトの力ではそうそう簡単に引き離せないがくぽだが、朝のこの時間だけは別だ。
寝惚けている証か、カイトの力でも易々と離すことが出来る。
「ねっ、起きて、がくぽ!おはよっ、ねっ?!」
引き離してぐるんと体を反したカイトは、勢いままにちゅっと、がくぽにキスした。おはようのキスだ。挨拶のキスは、KAITOシリーズデフォルトの設定として、広く知られている。
そう、挨拶のキスならば――
「っぁ、わ、ゎわっ!」
――勢い余ったカイトは、うっかり目測を誤った。がくぽの頬ではなく、くちびるにくちびるをぶつけてしまう。
口同士でするキスは、いくら軽く掠める程度でも『挨拶のキス』とは言わない。
「ご、ごめ、しっぱ………!」
「………」
真っ赤に染まってぱっと離れたカイトを眺めるがくぽに、表情はなかった。未だ寝惚けているようでもあるし、不機嫌の表明のようでもある。
「ぁの、がくぽ、あの、あのねっ」
「ん」
「んぷっ?!」
うるるんと瞳を潤ませ、重ねて謝ろうとしたカイトだったが、皆まで言うことは出来なかった。
無表情なままがぱっと口を開いたがくぽに、カイトのくちびるがばっくりと、『食べ』られてしまったからだ。
そのまままぐまぐもぐもぐと、がくぽはカイトのくちびるをやわらかく食む。
「んっ、ん………っんんっ?!」
「…………ん」
カイトが事態に追いつけず、目を白黒させている間に、がくぽはちゅっと音を立ててくちびるを吸い、離れた。
「ぁ………」
「………」
呆然とするカイトを置いて、がくぽは寝惚けのねの字も残らない、さっぱりした様子で起き上がった。ベッドから降りることはないまま、胡坐を掻いて座ると、濡れた自分のくちびるをてろりと舐める。
「………ん」
納得したように頷くと、がくぽは寝転がったままのカイトへ視線を流し、どこか得意然と笑った。
「お返し」