「…………す、まない」
潰れた声で謝りながら、がくぽは出来る限りそっと、体を起こした。ぷるぷると震えながら縋りつくカイトは力を緩めないので、そのまま抱き起こして再び、膝に乗せる。
謀略マンチ・キャットと栄光の夜明け-02-
「せん、せ………?」
涙が掛かって鼻声で呼ぶカイトに、がくぽは小さく笑った。出来ればあまり、裏のない笑みに見えていればいいと、願いながら。
「ごめんね、カイト。………目的を、忘れていた。初日の出を見に来たのだったよね。………こんなことをしていては、見逃す」
「………」
笑って告げるがくぽに、カイトはすんすんと洟を啜った。震えて力の抜けなかった腕が緩み、顔を起こす。
真正面から無垢な瞳に見つめられて、がくぽは束の間瞳を泳がせた。
見返せない。後ろめたさのあまりに。
なにより、カイトの瞳に映る己が、欲望にひどく醜く歪んでいるような気がして、怖い。
堪え切れず、小さく嘆息したがくぽに、カイトが再びきゅうっとしがみついた。
「んへっ!」
「………カイト?」
――どうしてか、非常に得意そうに笑われて、がくぽは横目にカイトを見た。見えるのは、しがみつくカイトの後頭部だけだ。ソファに押し倒されたせいで、きれいに撫でつけていた髪はくしゃりと乱れている。
反射的に手が上がって、がくぽは乱れるカイトの髪を梳いてやった。
撫でられるねこの顔を上げたカイトは、上機嫌ままにがくぽと額を合わせる。
「ね、せんせ……せんせ、こーふん、した?こーふん、したんだよね、俺に?」
「………」
カイトが言いたいのはつまり、性的な衝動に駆られたのかということだろう。
もちろん、駆られた。カイトの年や経験値も忘れ、だだ流れに流される寸前にまで、強い衝動を感じた。
が、答えにくい質問というものは、ある。
がくぽは目を泳がせたが、すぐに諦めた。
今泣いたカラスがとはよく言うが、お子は打って変わってあっという間に、上機嫌だ。
「ああ。興奮したよ。君が愛しくて――触れたくて、したくて」
「んっへ!」
――やはりなぜか、勝ち鬨に似ているカイトの笑い声だった。
降参してようやく目を合わせ、欲望を吐露した大人のコイビトに、きらきらに輝いてちゅっと口づける。
ぴくりと揺れたがくぽに、カイトは一転、とろりと蕩けた笑みを向けた。
「せんせ、前もそーだった………おばーちゃんから貰った、かしみや着てたら………触り心地いいねって言いながら………いつもなら、してくれないこと、いっぱい………っぁはっ」
「そう、………だった?」
せっかく合わせた目を再び泳がせ、がくぽは苦しい記憶を漁った。
カイトはあくまでも陶然として楽しそうだが、言われていることが微妙だ。どうにも、イケナイオトナがイタイケナコドモにイタズラいたしてしまったように、響く。
あまり気持ちよくない汗にまみれる心地のがくぽに対し、カイトはきらきらに輝いて無邪気に頷いた。
「うん、そう。俺がこれ、あんまりオトコっぽくなくて悲しいって言ったら、せんせ、そんなことないって。すっごく上品だから、カイトがどうやってもコドモに見えなくなるよって」
「ぅ………っ」
はきはきと言われて逃げ場を失い、がくぽは力を失ってがっくりとソファに凭れた。
カイトの祖母が、稚気溢れる孫のために選んだのは、上質のカシミヤだ。しかもデザインが非常に洗練されて落ち着いた、上品なものだった。
いつものカイトのテイストとはまったく違うし、そのせいで、ひどく大人びた色香を纏って見える。それこそ、おそらくは祖母が意図した通りに。
カイト本人はよく理解していないものの、周囲から『いいものだ』と言い聞かせられたせいもあるだろう。いつもより、少しばかり動きに気を遣っておすまし――否、大人しくしているさまがまた、どうしても醸し出しがちな稚気を潜めさせる。
がくぽは普段、カイトを殊更に子供と思うことで己の欲望を誤魔化し、堪えている。そしてまた、特段の努力もいらず、子供だとすんなり思えるのが、カイトの常態だ。
逆に言うなら、カイトが子供に見えなくなると、欲望を堪えるための大柱がなくなる。
今がいい例だ。そして先般、初めてカイトがこれを着ていたときにも、また――
「だからね、俺、今日、ぜったいこれ着てくって、決めてたの。去年の誕生日より、俺ぜったいオトナになってるけど………これ着てたら、もっとコドモに見えないってことでしょ?だからせんせが、………してくれるかもって」
「ん?」
きらきらにはしゃいで続いた言葉だが、がくぽは眉を跳ね上げ、ついでにソファに沈んでいた頭も起こした。
膝の上で、相変わらずきらきらに輝きながらも羞恥を纏い、色めくカイトを見つめる。だからそう、うっかり色香を纏われると――
「………嵌めたのか、私を?色仕掛けされて、まんまと嵌まったのか、私は?」
「んっへっ!」
カイトへというより、自分にも向いていた問いかけに、答えは本日最大級に得意そうな笑い声だった。
目元を仄かに染めたカイトは、多少の悪びれた色を宿しつつも、喜色に染まってがくぽと額を合わせる。
「ね、せんせ?がくぽせんせ………せんせは、俺のことすぐ、コドモ扱いして、まだだめとか、まだ早いとか言って、ちょっとしか、してくれないけど。………俺、せんせにイロジカケして、せんせが嵌まっちゃうくらい、オトナになったんだよ?去年よりずっとずっと、オトナになったんだから……」
「カイト」
「だから、今年は、去年よりもっといっぱい、して?いっぱい、教えて。べんきょーだけじゃなくて………えっちな、こと。せんせが、いっぱいいっぱい、俺にして、俺に教えて……」
「………っ」
「ぁ、ふぁ………っ」
堪え切れず、がくぽは体を跳ね起こすとカイトを抱きしめた。のみならず、未だ艶めきを残すくちびるに貪りつく。
手加減も忘れてたっぷりとカイトのくちびるを堪能し、不慣れで覚束ない反応に溺れこみ、びくびくと震えて逃げるような体をソファに転がした。
「ぁ、せん……っぁ、ん………っ」
いつになく激しいがくぽに、カイトは震えながらきゅっとしがみつく。上がる声は、仄かな怯えを含んでいる。
だとしても今度は引かず、がくぽは陶然と微笑んだ。
「知らないことは、怖いね、カイト?」
キスに眩んでくったりと力の抜けた体を見下ろし、がくぽはちろりとくちびるを舐める。
組み敷いた体は相変わらず小さく見えるが、確かに去年の同じ日より成長しているし、初めて会ったときから比べれば、格段に大きくなった。
――俺もう、そこまで子供じゃないのに!
時としてカイトが憤然と吐きこぼす言葉は、それこそがまだ、カイトが子供である最大の証だ。だが同時に、子供から抜け出て大人となろうと、足掻きもがく自覚の顕れでもある。
「知らないことには、怯えるのも当然だ。怖かったり、………泣いてしまったりも、するだろうね」
つぶやき、がくぽは体を沈めた。互いの唾液にとろりと汚れるカイトの口周りを、獣が毛づくろいするようにやさしく、舐めてきれいにしてやる。
「ぁ、………んんっ、ふ……っぁっ」
ぴくりと揺れたカイトは、くすぐったさに身を捩り、蕩けた瞳で年上の情人を見つめた。
きちんと見返して、がくぽは笑う。
「教えて上げるよ、カイト。私という男を………私に愛されるということを」
「せんせ………」
『コドモ』相手には滅多に見せない、男臭い表情で笑うがくぽに、カイトは陶然と頬を染める。頬のみならず、首筋から全身の肌が、期待と羞恥に染まっていく。
目に毒もいい光景を見つつ、がくぽは体を引いた。力を失くしたカイトの手も引いてやって起こし、笑みを悪戯っぽく変える。
「とはいえ、カイト。少しずつだけどね、あくまでも」
「っせんせ」
「とりあえず、これは脱ごうか」
「せん、せ?」
瞬間、また子供扱いで『取りやめ』なのかと抗議しかけたカイトだが、続くがくぽの言葉と行為にきょとんとして口を噤んだ。
カイトの体を起こしたがくぽは淀みなく、パーカのボタンを外し、丁寧なしぐさで脱がせる。脱がせただけでなく、軽く叩いて皺を伸ばした。
一度ソファから立ち上がると、形を整え、コート用の多少厚みがあるハンガーに掛けて、戻って来る。
「せんせ……」
ゆらゆらと揺らぐ瞳で見つめる恋人に、がくぽは笑って肩を竦める。
「大好きなおばあさまから頂いた、大事なものだろう?汚してしまっては、申し訳ないからね。避難してもらおう?」
「せんせ……!」
悪戯っぽく言うがくぽに、カイトの表情がぱっと明るくなった。手が伸びて腰が浮き、がくぽにきゅうっとしがみつく。
「だいすき、がくぽせんせ……!」
「………まあ、おいおいでいいけれど」
受け止めて、ついでに腕に抱え上げつつ、がくぽは赤く染まるカイトの耳朶にくちびるを寄せた。
「そのうち、それもやめようね。せめて、こういうときだけでも」
「『それ』?」
きょとんと見開く、無邪気にして無垢な瞳を向けるカイトに、がくぽは軽く首を傾げて笑う。
「『先生』。………まるで、イケナイオトナがイタズラしているみたいな気分になる」
「あ」
ぱかんと口を開いたカイトに、がくぽはさらに上機嫌な笑いをこぼした。間抜けな形のくちびるにちゅっと音を立ててキスを贈り、抱き上げた体をとんとんとあやすように叩く。
「そのうち、おいおいでいいよ、カイト。………どうせここしばらくの、短い間のことだからね。期間限定のプレイだと思えば、むしろ貴重で、十分に堪能しておかないと損かもしれない」
「ぷ、………っっぷれ、い………って、せんせ………っぅあぅっ」
がくぽがこぼした言葉にツッコミを入れようとしたものの、自分が反射で呼びかけてしまっていることに気がつき、カイトは言葉を失った。呻くことしか出来なくなる。
がっくりと項垂れて重みを増した体を、がくぽはベッドに転がした。
シャツのボタンを外し、パンツのジッパーを下ろしと、その手は淀みもなく動く。手早いが、同時に落ち着いていて、優美なしぐさでもある。
抵抗や恐怖も思いつかない動きだが、カイトは晒された肌にひんやりとした空気を感じ、小さく震えた。
暖房は入っているが、それでも瞬間的に冷える心地がするのが、冬の空気だ。
反射で粟立つ肌に目を細め、がくぽは鎖骨にちゅくりと吸いついた。冷えた空気と期待とに、ぷくんと勃ち上がっている胸の突起をつまみ、転がす。
まだ咲き初めの、初心な色味だ。これから自分が吸ってしゃぶってと、存分に愛撫を咥えてやって、熟した色に染め変える。
ここだけの話ではない。カイトの全身、心までも、――すべて隈なく愛を注いで、淫らに染め変える。
染め変えられるのが、がくぽの恋人だ。
「せ、………」
「だからいいよ、今日は、カイト。無理をせずとも………どちらにしても、私はこれから君に『教える』わけだしね。『先生』には違いない」
「………っ」
呼びかけようとするものの、自分の反射と羞恥とで言葉が詰まってしまうカイトに、がくぽは笑いながら言う。
それでもカイトはしばらく、陸に揚げられた魚のように喘いでいた。しかし愉しげに観察しているがくぽに、こっくりと唾液を飲みこんで意を決すると、羞恥に顔を歪めて吐き出す。
「せんせ、えっちっ………せんせの、えっちっ」
かわいらしい罵倒に、がくぽはわずかに目を丸くした。
ややして、したり顔で頷く。
「そうだね。これから私は、君にえっちなことをしようとしているけれど――君、もしかして、私にえっちなことをされるの、厭かな?」