He Sang A Song
少女はうたう。それはマボロシだと知っている。
在りし日の街の姿。そこに在ったしあわせ。
失われた――喪われた。
少女はうたう。それはマヤカシだと知っている。
そんなことをしても、何ひとつとして取り戻せはしない。
少女は無力で、少女のうたもまた、無力だった。
在りし日、神のうたううたはすべてを創った。すべてを起こし、成した。
そして、すべてを壊した。
神のうたに対し、少女のうたは無力で、ただそこにかそけき虚像を生み出すものでしかなかった。
だがそんなものでも、少女はうたった。
うたうしかなかった。
たとえそれがマボロシでマヤカシで虚像でしかなくても、縋る縁はそれしかないのだ。
在りし日の街、愛するひとびと、そこに在ったしあわせ。
失われた――喪われたすべてを取り戻すことは出来ずとも、その欠片でいい。
欠片さえ残っているなら、そのすべてに埋もれて。
「――」
ふいに。
少女のうたに唱和する声があって、少女は小さく震えた。
少女のうたは喪われたうただ。街とともに、神が去ると同時に、そのうたはだれも理解出来ない、だれにも意味のない、喪われたうたになった。
うたえるのは、もはや少女だけだ。街のうたうたいであった少女だけが――
「――」
小さくちいさく、しかし確かにうたは唱和される。幽かに、けれどはっきりと。
――嗚呼。
少女のこころが、よろこびに震え立つ。
うたえるもののないうたを、うたうもの――それはもう、神しかいない。
神が戻ってきたのだ。見捨て、破壊して去った、この街に。
何故戻ったのか――理由など、ひとつしか思い浮かばない。
再生。
街をまた、生むために――創り上げ、そこでしあわせを奏でるために。
歓喜に震えてうたう少女の前に、瓦礫を踏んで立つものがいた。喪われたうたを唱和しながら。
「神よ」
少女はうたう。
「お戻りを歓迎いたします――貴方様のお帰りを、ずっとずっとお待ちしておりました」
うたいながら、少女は霞む目を凝らした。
うまく像を結ばない少女の目に、旅人の長いマントが映った。裾の擦り切れて、ぼろぼろとなった。
あの日、出て行く背が纏うマントは白く美しく、あまりに悲しかった。
「神よ――どうか、街をお創りください。再びあの日々を、しあわせを」
乞いながら、少女は手を伸べる。ずっと竪琴をつま弾いていた、凝り固まった手を。
「神よ」
「あなたの願いは叶えられるだろう」
『神』がうたう。
「あなたの願いは、残らず叶えられるだろう。その清きこころと、行いに因って。叶えられぬ願いは無いだろう」
――嗚呼。
少女は声にならず、滂沱と涙を流した。
戻ってくる。
還ってくる。
すべてが、失われた――喪われた、なにもかもが。
――わたしの役目は終わった。
歓喜に包まれ、安堵のなかで、少女の意識は薄れて消えた。
***
掻き消えた少女の幻影の下には、ほとんど形の残らない竪琴と、服であったろうぼろ切れ、そして、洗われたように白い骨が在った。
埋葬してやるべきだろうか、と考え、止めた。
どこかもわからなくなった骨の、小さな欠片をひとつ拾う。
火の傍に戻って座り、ナイフを取り出して加工を始める。
「聴いたことのないうただ。なんのうただね」
茶の鍋を掻き混ぜながら、相変わらず顔も上げない男に、私は小さく首を振った。
「知らない。代々伝わってはいるが、意味も言葉も失われたうただ。私にうたえるのは、音だけ」
ふと、男が顔を上げる。
不思議そうに、暗闇に沈む辺りを見回した。
「うたが止んだな」