厳密に考え、定義したとき、リンは『父親の子供』ではなくなる。

とらろっく

前編

リンは神だ。双子のきょうだい神であるレンとともに、いずれゆくゆくは創生の全能神として、一族の長となるべく定められている。

そのことに、不満はない。それは考えを及ばせる範囲のことではないからだ。

自分の定めに、不満はない――神であれば、そうだ。

神とは定めによって生じるもの。

定めがあって、神は生じる。

神だ。

リンの『父親』は、人間だ。

人間の世界の、東方に位置する国に所属する剣士で、その腕前はイクサ神をも凌ぐ。

けれど、人間だ。

人間の父親は事情を抱え、神の最後の安息地にして棲息地たる北の森にやって来た。

そこで神のひと柱たる『母親』と出会い、恋に落ち――番って、そうしてリンとレンとが生まれた。

半神半人。

本来であればそう生まれるはずだったリンとレンだが、彼らには『人間』たる部分は欠片もない。

彼らは神だ。完全にして、無欠であり、瑕疵もなく、ひたすらに神だ。神でしかない。

創生の全能神という、定めゆえではない。

否――、ある意味、創生の全能神という定めゆえだ。

リンとレンとは過去、今の母神とは異なる母神から<世界>に生まれた。

生まれたが、そのときは酷いものだった。

いかにすべての神を産んだ大母神とはいえ、母神ひと柱の力では、創生の全能神たる定めを持つ神を負いきれなかったのだ。

リンという女ノ神と、レンという男ノ神。

双ツ一ツの創生の全能神にしても、体は別個たるふた柱の神として生まれるはずだった。

が、支えきれないばかりか暴走した力は、リンとレンとを一ツ体に双ツ心と双ツ性と双ツ頭を詰めこんだ異端として産み、異端がゆえに<世界>と折り合えず――

その異端を解消するため、新たな一族の長にして創生の全能神を喪わないため、画策のもとにリンとレンとは新たな『母』の胎を使い、一ツ体から双ツ体へと生まれ直した。

そう。

生まれ直したのだ。

「だからね、しょーがないと思うの。いっくら言ったって、やっぱりリンとレンにはぱぁぱぁの血なんか、一滴も流れていないわけなのよ」

膝を抱いて丸く小さくなる形で地べたに座りこんだリンは、高速で吐き出す。幼い少女の高い声は、吐き出す速さと機嫌とも相俟って、常よりさらにかん高く響いた。

『少女』の本気の『おしゃべり』というものは、相手が応えを返す間どころか、相槌を打つ間も与えないものだ。

そういった『少女』の生態に、神と人間でも大きな違いはない。

リンは聞き取ることもやっとというほどの高速で、舌を噛みもせず言葉を吐き続けた。

「それを言っちゃったら、まぁまぁの血だって流れてないけど、でもまぁまぁはもともと、リンとレンのおにぃちゃんだもの。おおもとの『まぁまぁ』がおんなじだもの。まったく全然、つながりがないってわけじゃないのよ。しかもまぁまぁは、はじめっからリンとレンにとっては、『まぁまぁ』とおんなじだったのね。ほらなにしろリンとレンったらチカラが強すぎて、初めのまぁまぁを粉微塵にして世界にぶん撒いて生まれてきちゃったわけだから、お世話してくれるまぁまぁがいなかったわけよ。まあ、もとから『まぁまぁ』は自分では見てなくって、他のきょうだいで分担してたらしいんだけど、だからリンとレンなのよ。創生の全能神でしょ。異端でしょ。ふっつーのきょうだいだと、手に余るどころじゃなくって、瞬殺なのよ。神の同族大量殺戮よ。笑いごとじゃないわ。まづいどころじゃないわけよ。悪気の有無って問題でもないのよ。で、なかなか面倒見られるきょうだいがいなかったわけなんだけど、その憐れなみどりごちゃんのリンとレンを引き受けて、お世話してくれたのが、おにぃちゃんだったわけね。リンとレンをだっこしてあやしてくれたのもおにぃちゃんだし、子守唄をうたってくれたのもおにぃちゃんだし、異端だからって<世界>にいぢめられてるときに、かばってくれたのもおにぃちゃんだし………」

かん高い声でまくし立てていたリンだが、そこで言葉は尻すぼみに消えた。

沈黙、ちんもく、――

ややしてリンは深いふかいため息を吐き出し、空を見上げた。

ことに生き物に厳しい、北の空だ。たとえ盛夏の折であっても油断はできないが、今はその、いちばんやさしい季節である夏が終わろうとしている。

夏が終われば秋もそこそこに、あっという間に冬へと突入するのが北の森だ。

冬となればもはや、油断がどうのという段階ではない。一瞬の気の緩みが、即行即時で命に関わる。

空を見上げたまま、リンはまた、口を開いた。今度の言葉はゆっくりと、静かだった。

「だから、ね。おにぃちゃんは、どうやったってリンとレンのまぁまぁだし、――おにぃちゃんが、リンとレンの新しい『まぁまぁ』になってくれるって……、新しい、いたくもない、くるしくもない、双ツ体に産み直してくれるって、それはとっても、うれしかったのよ。タイヘンだってわかってたけど、すっごくタイヘンだってわかってたけど………。どうしてもおにぃちゃんに、まぁまぁになってほしかった。『新しいまぁまぁ』なら、おにぃちゃんがいちばんだった。――で、おにぃちゃんはヤクソクを守ってくれて、リンとレンを生んでくれて、ほんとにまぁまぁになってくれたわけね。それで、――それで、ぱぁぱぁよね」

言って、リンは口を噤んだ。空を見つめる。

北の空だ。東方の出身である父親曰く、夏の盛りでもどこか白っぽく、今ひとつ晴天という気がしないという。

リンは北で生まれた。

北で育ち、もっとも多くのときを過ごした。空なら、まず真っ先にこの空が思い浮かぶ。

世界の各所をふらついたが、冬季の長く雪深く、生きものに厳しいこの地が、リンはもっとも居心地が良かった。もっとも好ましく、こここそが、世界でいちばんの場所だと、胸を張って言えた。

空もだ。

ここの空がいちばん好きだと、迷うことなく答えられる。

暑さ寒さに影響されない神であることが、大きいのかもしれない。生きものには過酷な気候も、神はさほどに影響を受けない。

だからリンは、ここが好きで、ここが世界でいちばんだと、思う。

リンにとっては。

けれど父親を見ていると、人間には無理な環境だと、酷薄にも過ぎる地だと、思わざるを得ない。

神である自分たち家族の助力なしに、父親だけで冬を越すことは、到底できないだろう。

リンの父親は、神に見初められ神を見初めるほどの剛のものであり、剣の腕前だけでなく、生きるために必要な諸々すべてにおいて優秀で、突出したものを持っているが――

それでも、人間だ。

神より多く優れる面を持つが、人間だ。

そしてリンとレンの体に、人間の血は流れていない。一滴も。ひとしずくも、ひとかけらとても――

「でなんだ、その続きは。俺がどうした?」

「びっひゃあっ?!」

――ゆくゆくは創生の全能神たる定めを負うとはいえ、今のリンは生まれたばかりの子供神だ。単に見た目の話だけでなく、力のすべてが未熟で、稚気に溢れ、悪戯こそが能力のすべてとすら言える状況だ。

ために、だれかを脅して悲鳴を上げさせることには、馴れている。非常に手馴れている。手練れだ。

が、自分が驚かされた挙句、飛び上がって悲鳴を轟かせることは、滅多にない。数えるほどだ。

その数えるほどのうち、ほとんどを占めるのがここ最近で、それも『父親』に因るものばかりだった。

補足しておくが、だからといって父親のほうが悪戯の業に優れているということではない。

東方の頑なな血も濃く、誇り高き剣士としての心得を脊髄にまで叩きこまれ、剣の主への狂的なまでの忠誠心を躊躇いなく掲げる彼はむしろ、岩をも砕く堅物だ。

ただどういうわけか、リンとレンの度肝を抜くことは得意だ。

娘神と息子神の度肝を抜く手腕とか手管とか、とにかくそういった感じのものに、とてもとても突出して優れていた。

「ぱぁぱぁ」

「そなたらは……そのふざけた呼び方をどうにかしろと言うに」

飛び上がって悲鳴をこぼし、次いでおそるおそると振り返った娘神を、父親――がくぽは、苦虫を噛み潰したような顔で見返した。

リンの父親であるがくぽが優れるのは剣の腕のみならず、容貌もだ。生涯のほとんどをイクサ場で過ごしていたという男だが、まるでむさ苦しさとは無縁だ。

おかげで今のような苦々しい表情をしても、香る色気があるから恐れ入る。

確か人間の世界ではこういった美丈夫をして、『水も滴るいい男』などと持て囃していたはずだが――

「ぱぁぱぁ。カラダ張ってるのカラダ張って冗句なのほんとに水とか滴らせるとか、『これがほんとの水も滴るなんちゃらだ、よく学べ』とか言って、リンのこと笑わせようと思ってるの?!」

「なんの話だ。まったくいつもいつも、そなたという娘は……」

がくぽはひたすら苦々しい表情まま、吐きこぼす言葉も苦々しい。けれどその動きは、娘を庇う親のものだ。

夏も終わりを迎えようとしている今日の北の森の天気は、荒れていた。

風はまだそこまでではないが、冷たい雨が降っている。おそらくあと半刻もすれば、これに氷の粒が混じり出すだろうという、冷たさだ。

しかも刻一刻と激しさを増し、今はもう、水滴が葉や地べたに当たる音で耳が痛くなるほどだ。

一応雨避けの外套を羽織っているがくぽだが、この激しさではすべての水滴を防げない。ましてや外套越しにも冷たい雨は体温を奪い、刻一刻と人間の命を啜っていく。

だというのにがくぽは外套を広げ、いつもの貫頭衣一枚で荒天の下に飛び出してしまった娘へ、雨避けにと覆いかける。

広げれば、そこから体温が逃げる。代わりとばかりに雫が入り、着物を濡らす。そうなればまた、体が冷え――

くちびるを隠しようもなく紫に、血色を悪くしながら、しかしがくぽは躊躇うこともなく、娘の雨避けとなる。

娘は、神だ。

冷たい雨に濡れたところで、大過のあるわけではない。

貫頭衣一枚しか着ていなかろうが、冷たい水が沁みようが、だからなんだという話だ。大雪の最中に防寒もまるでせず、このまま野原で寝こんだところで、リンはくしゃみひとつこぼさない。どころか、鳥肌を立てることすらない。

わかっているはずだ。わかっているはずなのだ。

「なにしてるのなんでこんな、ぱぁぱぁ、ばかなのアタマ悪いの?!そんなの今さらで、もちろんリンは知ってるけどでも、まぁまぁばかなだけならまだ、愛嬌で済むけど、こんな」

「莫迦はそなただろうが、リン!」

啜られていく命の気配に怯え震え、立ち上がれもしないリンを、がくぽは怒鳴りつける。

がくぽは歴戦のつわものであり、凄腕の剣士だ。こめられる気迫が常人とは違う。

だとしてもそれだけが理由でもなく竦んだ娘に、がくぽは小さく息を吐いた。それで募る怒気をやり過ごす。

息とともに気持ちも整えると、がくぽは広げていた外套を一度戻し、泥の中に座りこむ娘と目線を合わせるため、屈んだ。

のみならず、荒天の中にも怒鳴らずに声が届くよう、顔も寄せる。

「このような荒天に外に飛び出しては、案ずるなというのがどうかしておる。そなたが神で、雨に濡れた程度で風邪を引くようなことがないとしても、だ。いいか。そなたはまだ、幼い――見た目ではない。力のゆえでもない。そなたはまだ幼いのだ、リン。残念ながら俺は、幼い娘が無謀をして、案ずることなく居座れるほど、悟った父親ではない」

「………」

懇々と諭され、リンは父親を見つめた。

娘ときちんと見合うためだろう。外套の頭巾を外してしまったから、降りしきる雨の雫が頭から顎へ滂沱と伝い、まるで号泣しているかのようだ。

もちろん、がくぽは泣いていない。泣き落としをするような父親ではない。

頭から頬を伝い、顎へと落ちるのは、命の炎だ。

北の雨は冷たく、盛夏の折にも油断すれば命を啜る。

ましてや今は、夏の終わりだ。殊更に冬に傾く今日は、これから氷の粒も混じろうかという気温だ。

「まぁまぁ、は」

掠れる声を絞り出し、リンは訊いた。

剣士である父親は、生涯を共にする伴侶として以上に、リンの母たる神に剣を捧げ、守り役として、常に傍にあることを己に課している。

課しているとはいえ、剣の主にして最愛の伴侶という、己のすべてである相手だ。

傍を離れてはむしろ不安で仕様がなくなるというもので、父親にとってはそれがもっとも楽で、もっとも幸せな状態なのだ。

もっとも楽でもっとも幸せで、片時も離れようとしない、母親の傍を――

「レンに任せて来た。あれも幼いは幼いが、それなりに仕込んだゆえな。この距離で短時間なら、任せても問題ない」