にんまり、性質の悪い笑みにくちびるが裂けた。
「欲求不満の塊ですね、神威!雄の臭い芬々で、思わずよろめきそうですよ!!」
「よろめかれて堪るか!!」
出会い頭に叫び合い、がくぽとキヨテルは剣を交わした。
しょちぴるり
第2部-第4話
春待ちの野辺を渡り歩く、森の中の小道だった。
名残りの雪がしつこく積もり、空気は冷涼で澄んでいる。そこで唐突に、彼らは出くわした――唐突とはいえ、おそらくキヨテルのほうは狙って待ち伏せている。
私人として現れたのではない証左で、キヨテルは隠密衆としての衣装、頭から爪先まで一連で覆う、ぴったりとした黒装束だ。
とはいえこの自由な男は、相変わらず顔を隠すことなく晒しているのだが、所詮対するのは幼馴染み同士だ。隠すだけ無為という話もある。
「がくぽ………!」
耳をつんざく、不快な金属音に顔をしかめたカイトを、がくぽは背後に庇う。
「よくものうのうと姿を現したものだな、貴様」
腰を落とし、剣を構えたままの警戒態勢で吐き捨てるがくぽに対し、キヨテルは一見、隙だらけでぼんやりと立っているように見えた。
しかし油断はならない。剣士と隠密衆の体技は違う。
誰からも油断なく構えるのが剣士の態なら、誰が見ても油断するように構えるのが、隠密衆の態だ。
誘われて油断すれば、その瞬間に喉笛を突き破られる。
「がくぽ………」
「大丈夫ですから」
「………っ」
気忙しげな声を上げるカイトに、がくぽは振り返らないまま、声だけ穏やかに泥ませて宥める。
「先の失態は…………この間のような、失敗は、くり返しません」
「っ」
宥めるつもりのがくぽの言葉に、カイトは逆に体を硬くした。
この間の失敗とがくぽが言うのは、終わった冬の初めに、やはりキヨテルと戦ったときのことだ。
がくぽは己の失態だと言うが、カイトはメイコに言われた。
あんたがわるいのよ、と。
剣士は自由に戦わせておいたほうが、かえって安全なのだと。
逃げることを考えながら戦うより、正面突破させたほうが、かえって無事なこともある。
それを、カイトが邪魔して――結果としての、がくぽの怪我であり、敗北だと。
「おや、怖い………いい目で睨みますね、神威の愛らしい男ノ神。そういう目をすると、さすがにあなたも男らしく見えますよ」
茶化すように言ったキヨテルに向かって行ったのは、言われた当の本人であるカイトではなく、がくぽの方だった。
空気を切り裂く音すら聞こえるような鋭い剣の振りで、キヨテルの体を薙ぎ払う。
とはいえもちろん、簡単に倒されてくれる相手でもない。
陽炎のように揺らいだキヨテルは、次の瞬間にはがくぽを越えて、カイトの目の前に立っていた。
「………っ」
瞳を見開くカイトに、キヨテルは笑って手を伸ばす。
「間近で見ると、さらに愛らしいですね、神よ………ますますもって縄で縛り上げ、ユキさまの御前で、その顔を地面に擦りつけてやりたい」
「触れるな、変態がっ!!」
踏み込みの力を回転に変え、素早く身を反して、がくぽは背後に立ったキヨテルへと足蹴を放つ。
カイトに触れる寸前でキヨテルは凶器と化した足を躱し、再び離れたところに立った。
「そもそもあの幼き公主が、斯様な仕業を望むものか!」
剣を構えて叫んだがくぽに、キヨテルは肩を竦めた。
「いかにユキさまが幼いとはいえ、女ですよ、神威。贔屓のあなたを奪った相手と思えば、頭を踏むくらいのこと、悦んでなさっても不思議はない」
「下衆が」
微塵の共感もなく、がくぽは吐き捨てる。
「………がくぽ」
「大丈夫です」
小さな声で呼ばれて、がくぽは振り返らないままに、声音だけやわらげた。やわらかいが、その中には力強さが含まれている。
「あなたには、指一本たりとて触れさせません」
「………」
カイトは瞳を揺らし、自分の前に立つがくぽの背を見る。
その手が伸びかけて、途中で止まって胸に戻った。ぎゅっと握りしめ、俯いてくちびるを噛む。
背後に庇うがくぽには見えないカイトの懊悩を見て、キヨテルは性悪に笑った。
「下衆とは、言ってくれるものです、裏切者風情が」
嘲る言葉を、吐き出す声は明るく弾んでいる。
がくぽは鐔を反し、キヨテルへ剣を突きつけた。
「そもそも貴様、なにをしに来た」
「愚も過ぎれば死ぬと、再三言っているはずですがね、神威!」
笑って言ったキヨテルの姿が、陽炎のように揺らぐ。
「神を狩りに来たに、決まっているでしょう?…………その神、大地の神かと思えば、イクサ神ではないですか。それも見たこともないほどに、強力な。大地を富ませることも出来て、イクサにも使える――便利至極、狩らずに済ませられるとでも?」
がくぽは即座に懐を固め、予想の通り、そこにキヨテルが肉薄した。
「シっ」
近過ぎて、剣が振るえない。
こだわることなく、がくぽは足蹴をくり出した。身軽に避けて、空いた距離にキヨテルは剣を突き出す。耳の痛む交合の音が響き、二人は剣を合わせたまま睨み合った。
「一寸は手加減したらどうです、神威?昔は同じ卓で飯を食らい、共に風呂に入って背中を流し合い、ひとつ布団で寝た仲でしょう?!」
剣士と、隠密衆だ。
ともに体技に優れていても、単純な力比べとなると、隠密衆は分が悪い。
押され気味のキヨテルは、震えて踏み止まりながら、懸命にくちびるを笑ませて戯言を飛ばす。
力を緩めることなく押しながら、がくぽは壮絶に眉をひそめた。
「いやな言い方をするな!単に家が近所で年も同じの、選びようもない強制の幼馴染みだったというだけだろうが!」
「身も蓋もない。その通りなんですがね!」
押されて膝を曲げつつ、それでもキヨテルは笑う。
「家が近所で、親同士に親交がなく、仲良くしろと強制されなければ、誰があなたみたいなひとと付き合ったりするものですかね!」
「こちらの台詞だ!」
叫び合う二人は、どう見ても険悪な仲だった。
しかしがくぽの背後に立つカイトは、剣を合わせる二人へ至極複雑そうに瞳を揺らがせた。
「ごはん。………おふろ………………せなか…………。………………いっしょの、おふとん…………」
ぽつんぽつんと、キヨテルの言葉をくり返す。
がくぽは総毛立って、力任せにキヨテルを跳ね飛ばすとカイトに向き直った。
「意味深にくり返さないでください!!」
「………」
「っ」
絶叫での嘆願に、カイトは恨めしげな視線で応えた。
息を呑んだがくぽに、カイトはそっと瞳を伏せる。
「…………そのひとと、なかよし、………なんだね、がくぽ………………」
「っっ」
吐き出された結論に、がくぽは久しぶりに激しい眩暈に襲われた。思わず、体が揺らぐ。
「ケガ、させられたのに……………」
「あなたはなにを見て、聞いていたんですか?!」
珍しくも本気で、がくぽは悲鳴を上げた。
今の一幕のなにをどう切り取って、そう結論したのだろう。
衝撃の強さに言葉も探せないがくぽへ、カイトは恨めしげな上目遣いを向ける。
「…………ケンカするほど、なかがいー…………」
「っっ!!」
「ぉぶぁっはははははは!!」
がくぽの背後で事態を見守っていたキヨテルが、堪えきれずに爆笑した。身を折って肩で息をし、木の幹をばしばしと叩く。
「可愛いですね!まさに神威の、有り得ない高嶺の理想そのもの!道理で手を出しあぐねるわけです!」
「ほざけ!!」
叫び、がくぽは笑い転げるキヨテルに剣を放つ。
とはいえ、怒りに眩んだ剣だ。笑い転げるキヨテルですら簡単に避けて、がくぽから十分な距離を取って立った。
その背中が無造作に蹴り飛ばされ、地面に転がされて踏みつけられる。
「な……っ?!」
「………っ」
再会してから初めて、キヨテルが本気で動揺した顔を晒した。
いや、再会してからではない。隠密衆としての修業を始めてから、キヨテルは自分の感情を冷徹に制御してきた。
笑っていても、本心とは限らない。
怒っているように見えても、本心はわからない。
それが、隠密衆――キヨテルだった。
その幼馴染みが、長年隠し馴れた感情を素直に表して心底から驚愕し、自分を踏みつける相手を見上げる。
「なにやってんのよ、人間…………よくもまあ、のこのこ入りこんだもんだわ」
「メイコ殿………………」
キヨテルの背を踏みつけにするメイコは、忌々しげに眉をひそめて吐き出す。
がくぽは小さくため息をつき、剣を下ろした。向けたいのはキヨテルだが、そこにはメイコも共にいる。
敵しているわけでもない神に剣を向けているなど、不敬に過ぎる。
すぐにでも応戦できるだけの構えは取りつつも、がくぽはわずかに体から力を抜いた。
「ちょ………っっ?!かむ、神威?!このひと、なんですか?!私の背後を取りましたよ?!わ、私の背後を?!」
「だからなによ、人間!!」
「っ」
喚くキヨテルの背を、メイコはさらに力いっぱい踏む。
好きな相手ではないし、これからも好きになることはない。
それでもがくぽはキヨテルに対して、そこはかとない同情心と同類意識を覚えて、複雑極まりない心境に陥った。
「その御方は、神だ。いくら貴様が隠密衆の頭目格を任せられる腕でも、神の気配を探ることなど、出来ようはずもなかろう。………付け加えて言うなら、その御方の趣味は、人間を踏むことだ」
「いい趣味ですね、皮肉でなく本心から!!」
隠密衆の本心など話半分ものだが、ある程度は本気だろうと、がくぽは踏んだ――幼馴染みは、そういう男だ。
メイコはきりきりと眉をひそめると、キヨテルを踏んだままがくぽを睨みつけた。
「なんか、むつかしい言葉でしゃべってて、ぜんぜんまったくわかんないけど、ワルクチいってるわね?!ばかにしてると、踏みツブすわよ!!」
凄まれて、がくぽは両手を掲げて恭順の意を示した。
メイコと戦う気はない。
勝てる勝てないとはまったく別の話で、彼女はカイトの姉だ。きょうだいの仲に不和を撒きたいわけではないから、ひたすらに耐える。
それはある意味、変態的な忍従姿勢で知られる東の剣士にとって、あまりに自然な結論だった。