しょちぴるり
第2部-第11話
冷静さを取り戻して考えてみれば、がくぽに気遣われたのだろうと、カイトもすぐに気がついた。
がくぽはやたらとカイトのことをやさしいと、他人を思ってばかりだと言うが、カイトにしてみればがくぽこそが、そうだ。
いつでもカイトのことばかり優先して、カイトの要望ばかり聞こうとする。
おそらくあのとき、混乱して己を傷つけようとしていたカイトを思って、がくぽは自分へと矛先を変えさせたのだろうと――
数日して冷静さも取り戻せば、そう気がつく。
気がついたが、だからといって気を遣うなとも言い出せないのが、困った現状だった。
気を遣わなくていい。
がくぽの望むまま、寝台を分けて寝よう。
抱きしめてくれなくてもいい。
あまり、べたべたと触らない。
――おそらくはがくぽの望んでいることすべてがわかっていて、けれどそのどれひとつとして、カイトには叶えてやれないのだ。
望まれれば望まれるがまま、叶えるのが存在意義の神だというのに。
二律背反に苦しむカイトは微妙に顔色が冴えず、がくぽを心配させた。
心配していると、がくぽはカイトの言葉を聞いてくれやすくなる――カイトの我が儘を。
そこでカイトは思わず、言ってしまう。
「ぎゅってしてくれたら、よくなる」
――違う。
だから、がくぽはカイトを抱きしめることに抵抗を感じていて、べたべたと触れ合うことも、おそらく苦手で。
それなのに、カイトはがくぽが心配して、望みを聞いてくれると思うと、言ってしまう。
「がくぽがぎゅってしてくれたら、へーき」
眠りがひどく浅いだろうことも、気がついている。
寝場所を分けたいと、言っていた理由は、きっと嘘ではないのだ。
そうやって思い返せば、共寝をし出した頃から、がくぽは睡眠不足気味だった。それを今までは、カイトの神気で無理やり補っていたのだ。
初めは気にしなかった。
なによりも、共寝を言い出したのはがくぽからだし、その後は冬のあまりの寒さに、暖気を纏えるカイトと布団にくるまらないと、凍え死ぬ危険があった。
けれど、もう春も兆して、一人で眠れる季節となった。
睡眠を取らないと、人間は容易く死ぬ。
限界を覚えたがくぽが、ひとりで寝たいと言いだすのは至極もっともで、カイトは聞き入れるべきだ――
と、わかったうえで。
「もっと、ぎゅってして」
共に入った布団で、カイトはがくぽに擦りつきながらそう求める。
がくぽは大人しく、カイトを抱く腕に力を込めてくれる。
眠れない気配を感じながら、カイトは心を閉ざして、眠りに落ちる。
――こんなのは、いやだ。
思う。
心が引きちぎられそうなほどに、強く、激しく。
思うけれど、もう、自分が止まらない。止められない。
がくぽを喪うかもしれないと思えば震えるほど恐ろしいのに、今、このときの欲望が我慢出来ない。
どうしてしまったのだろうと、どうしてこうなったのだろうと、考えても答えが見える様子もなく――
「ほんっっっとに、あなたって見た目を裏切るがさつさで粗暴さで、もう、女性に成り代わって私は文句を連ねる口と舌が止まりませんよ!」
「放っておけ!!」
春もかなりの兆しを見せ、雪が降る日はほとんどなくなった。地面に緑も覗き、外の空気は未だ冷たくても、身を切るほどではない。
たまには気分を変えて、外で調理をしよう、と。
がくぽが言い出して、材料を持って外に出た。とはいえ食べるのはがくぽだけだが、カイトは常に調理に付き合う。
付き合うと言っても、眺めているだけだ。
野辺に出て、外に転がる石を集め、がくぽはあっという間に簡易竈を作り上げた。
そこに、住処から持ち出した鍋を掛け、適当に集めた食材を適当に切って放りこんでいく。味付けはいつものごとく岩塩のみで、味も香りもへったくれもない。
人間の料理かというと、微妙に反論がもたげる。
しかし野戦料理に抵抗のないがくぽにとっては特に感想を抱くものでもなく、これ以上に味や見た目に工夫する様子もない。
カイトはもともと人間との付き合いが浅く、料理にはまったく詳しくない。
だからなおのこと、がくぽが食べているものの異様さに気がつけない。
的確に指摘できるのは、人間の料理に精通し、味とは、見た目とは、いや、そもそも料理とはなんぞと、語れる者――現在で言うと、通いの刺客という、なにやら微妙な地位を確立しつつあるキヨテルだけだった。
「それだけ見た目がいいのに、これを平然と食べるその舌――いいですか、女性というものは、愛する殿方のため、それこそ血を吐くような思いで、料理の腕を磨くのですよ。少しでもおいしいと感じ、疲れを癒し、和んでもらおうと、必死の研鑽を積むのです。そして食べた殿方の笑顔を見て、おいしいというその言葉を聞いて、明日への活力を得るのです!」
「ああもう、四の五の煩い…っ!」
隙もなく、まさに立て板に水とばかりに述べ立てるキヨテルに、鍋を掻き回すがくぽは苛々とつぶやく。
不機嫌そのものの顔だ。
最初こそ、顔を突き合わせるたびに剣を抜いていたが、最近では単に話をして終わることも増えてきた。キヨテルが戦意を見せないからだ。
キヨテルの思惑はわからない。
わからないし、隠密衆相手に油断は禁物だ。完全に気を許したところで、話の続きでにっこり笑顔のまま心臓を貫くのは、彼らの常套手段だ。
理解しているから、剣は常に抜けるようにしている。
しているが、調理を放り出すこともない。
「あなたのその無駄を極める整った見た目に、女性が抱く幻想と、その幻想から積む研鑽の具合がどれほどのものか、わかりますか?!いいえ、きっと理解が及ばないに違いないですね、この体たらく!それこそ、剣士の修行など鼻で笑い飛ばせるほどの研鑽を積んで、女性はあなたに対するというのに!実際のところは、この奇ッ怪極まりない鍋を、皿に移すこともないまま直に掻きこむ………あ、すみません。涙が堪えきれません。たぶん、その悪臭が関係あると思いますけど」
「文句があるなら、帰れ!」
乱暴に吐き出し、がくぽはわざとらしく空涙を拭う幼馴染みを睨む。
「………」
傍らに座ったカイトは、黙然とがくぽとキヨテルを眺めていた。
仲がいい。
カイトの感想は、その一言に尽きる。
そもそもがくぽは、カイトに対して礼を崩すことがない。丁寧な口調で穏やかに話し、表情も常にやわらかい。
物腰も落ち着いていて、カイトには常に一歩引いた、慎ましい態度で接する。
カイトは再三再四『違う』と主張しているが、がくぽがカイトを『主』と仰いでいるなによりの証左が、その態度だ。
あるじじゃないと主張するたびに、そうですねと頷くが、がくぽの態度は未だに丁寧そのものだ。
はっきりと線引きされて、付き合われている。
――気がついたのは皮肉にも、キヨテルという存在が現れたせいだった。
がくぽは不承不承とばかりに説明してくれたが、キヨテルとは生家が隣で、親同士が非常に親しかったのだそうだ。
さらに二家族の中で、がくぽとキヨテルは年齢も性別も同じであったため、良き友人となるべく、生まれたときから言い諭されてきたのだという。
なにかの折には互いの家に泊まり合い、並んで食事をして共風呂に入り、同衾もした。
仲良くしなさい――助け合い、研鑽し高め合える、良き友人となりなさい、と。
常々、言い聞かされてきたのだという。
だが、いくら親同士の仲が良かろうとも、子供には子供で相性というものがある。
そういう意味で、がくぽとキヨテルの相性は最悪だった。
弟妹はあまり気にならないようだったが、とにかく、二人は二人共に、お互いの相性が最悪だと見極めていた。
積年の思いと関係というものがあって、がくぽの態度はキヨテルに対して、まったく遠慮がない。
キヨテルのほうはおどける余裕があるようだが、おそらくは性格的なもので、同じくらいに遠慮はないだろう。
結論的にカイトには、二人はとても仲が良いとしか、思えない。
春になって雪が治まり、森で遭難する危険がなくなると、キヨテルは気軽に遊びに来た。
そう、『遊びに来た』としか言えない。
剣を抜いたがくぽと仕合うが、どちらにも今ひとつ、最初のときのような真剣みが感じられないのだ。
ちょっとばかり乱暴な、幼馴染みの交流と言おうか。男の仲間が傍にいなかったカイトには馴染みがないが、おそらく気の置けない男同士というものは、こういったちょっと乱暴な交流が普通なのではないか。
そう言うと、がくぽは泡を食って反論してくるのだが、その態度がまた、カイトの疑念を深める。
がくぽは滅多なことでは激しい反応を見せないのに、キヨテルのことだけ――
「………がくぽ、りょーり、ヘタなの?」
疎外感に苛まれつつ、ぽつりとつぶやいたカイトへ、がくぽは曖昧な笑顔を向けた。
「――上手と思われると、胸が痛みます」
「謙遜にも程がありますよ、神威!」
言葉を選んで言ったがくぽに、キヨテルが即座に言葉を挟む。
微妙な表情のカイトを見つめ、ぴっと人差し指を立てた。
「いいですか、神威の麗しき花の神!これを料理と思うと、いざ本当に『料理』を出されたとき、あまりの違いに、神威に対する不信と疑念が募ること、請け合いです。食べられればいいなど、料理どころか食材に対する冒涜も甚だしい!」
「貴様は口を挟むなっ!」
おたまを振られて、キヨテルはさっと身を引く。
カイトはぷっくりと頬を膨らませ、笑って仰け反っているキヨテルを睨みつけた。平易な言葉ではなかったので意味がとりにくいが、要するに。
「おれ、そんなにカンタンにがくぽのこと、キライになったりしない!!」
「カイト殿………」
がくぽがなにやら気恥ずかしげに見つめていたが、むくれたカイトは気がつかなかった。
「がくぽはなんでもぜんぶ、ちゃんとムダにしないで食べるよ!りょーりって、どういうことかわかんないけど、『食べる』ってことで、なにがいちばん大事かは、わかってるもの。体に栄養がはいることも大事だけど、食べるために摘んだいのちを、ぜったいにムダにしないことも、大事なんだから!」
むきになって言い募るカイトに、キヨテルは楽しげに瞳を細める。
がくぽが作り上げた鍋の中を、ちらりと見た。
「…………根っこに皮に、骨に内腑。確かに、まったく隙もなく、無駄がない」
「………ちっ」
キヨテルの言葉の差す先は、人間であるがくぽには明らかだった。反論もなく顔を逸らし、舌打ちをこぼすに止める。
普通果実など、植物の実の皮は剥くものだし、根菜でもない植物の根っこまで煮込んで食べたりはしない。
獣の骨は出汁を取ったなら捨てられ、内腑料理もあることはあるが、もも肉や肩肉などといっしょくたには調理しない。
しかし知らないカイトには皮肉がわからず、憤然と頷いた。
「そーだよ!大事なの、そこだよ!!」
「………カイト殿」
がくぽはなんだか、泣きそうな心地になった。庇ってくれているのはわかるが、いたたまれない。
キヨテルは善良そのものに、にっこりと笑った。
「なるほど。神というものの食事に対する価値観と、人間の価値観を同義で語る私が、愚かでした。さすがは神威の、無駄にして無謀で無茶な、存在し得ない高嶺の理想を体現しただけのことはあります、麗しき花の神」
「むつかしいっ、わかんないっっ!!」
カイトは彼の姉とそっくりに、癇癪を起こしたように叫んだ。構うことなくキヨテルは、そっぽを向いているがくぽへ視線を流す。
「良かったですね、神威!あなたのその杜撰さに幻滅することもなく、どころか美徳を見出してくれる相手で」
「っええい、もう去れっ、貴様っっ!!」
とうとう剣を抜いたがくぽに、飛び退りながら、キヨテルは無邪気に首を傾げた。
「え、鍋の中身をご相伴させていただいても構わないですけど、私」
「ここまでぼろくそに言っておいて、食う気か貴様っ!!」
「いや、なんですか。そこまで行くともういっそ、好奇心が疼いて!死ぬ覚悟はまったく出来ていないんですけど、ええ、好奇心は身を滅ぼすともわかっているんですけど!」
「とっとと滅べっ!!」
叫びながら仕合うがくぽとキヨテルを眺めてから、カイトは出来上がったものの放り出されている鍋へと、視線を落とした。
わからない。
二人の言うことは、さっぱり理解が出来なくて――
だから結局、思う。
「……………なかよし…………」