しょちぴるり
第2部-第14話
「っっ」
痛いところを突かれて、がくぽは息を呑んだ。
メイコが言っていた。
がくぽが喪われたと思って、過ぎる悲しみからカイトは『滅びのうた』をうたったのだと。
どうしてそこまで思ってくれるのかはわからないが、カイトががくぽを大切にしてくれているのは確かなことで、今だとて常に心を砕いてくれている。
怪我をしても懸命の看病をしてくれるのに、病気ともなれば――それも、原因が原因と知れば。
「………」
くちびるを噛みしめて、がくぽは立ち尽くした。
限界があるのは、わかっている。
体が全快し、健康な状態であればあるだけ、定期的な放出は欠かせない。
ましてや、そもそもが旺盛な性質の剣士だ。
人よりも頻度が多くて普通だというのに――
「…………」
「だからさ。春の陽気に誘われて」
「うかうか乗ると思うか、っ」
間近に顔を覗きこみに来た相手の胸座を掴もうとして、がくぽの手は宙を切った。
息を呑み、がくぽは目の前に立つ相手を見つめる。
避けられたわけではない。レンはそこに立っていた。
けれど、がくぽの拳はレンを捉えられず、体を突き抜けた――
「………っ」
「同情してくれて、まったく構わない!!」
偉そうに胸を張るレンに、しかし今度、がくぽは苛立ちを抱くことも出来なかった。
振るう剣を避けるし、ぶたれたら痛いの斬られたら痛いのと言うから、その『存在』を根底から疑わなかった。
今になってようやく、存在を禁じられたという意味すらも、本当には理解していなかったのだと、痛烈なまでに思い知らされた。
がくぽの拳は、彼らの体を掴むことが出来ない。
見えるだけ、話せるだけ――
「…………え、いや、本気で同情されると、それはそれでびみょーな気持ちになるわ!」
黙りこんでしまったがくぽに、反って少女となったリンが狼狽えたように叫んだ。
がくぽから飛び離れて立つと、おろおろと身をくねらせる。
「そりゃ、ちょっとは同情して、やさしくしてくれないかなーとか思うけど、本気の同情引く!!」
「うん、引く!!つか、なんだろう。こっちのほうが、怒られるより堪える!!はっ、まさかおまえ、わかっていて作戦を切り替えたのか?!」
少女も少年も、ひどく焦った調子で叫ぶ。
もしかしたら異端の生まれゆえに、誰かとまともに触れ合うことも、どころかやさしくされることもなかったのかもしれない。
それゆえに、かえって対応の方法を知らない。
思い至ったことに、がくぽは頭を掻きむしりたくなった。
彼らが言うように、無闇に同情などしたくない。
同情したところでがくぽにはどうしようもなく、彼らは時系から弾かれたまま、孤独に世界を彷徨うしかない。
こうして話せればいいだろうという、問題ではない――肌が触れ合い、時として撫でられ、抱きしめられ、ぶたれる痛み、その他もろもろの感覚が付随して初めて、誰かと交流を持ったと言えるのだ。
話しても、訴えても、相手が感覚を伴ってこちらの言葉を受け止めることはない。
がくぽが彼らの感覚を想像することも、出来ない。世界から隔絶されている、その本当の感覚など、人間であるがくぽには、想像を絶する。
想像したと言っても、彼らは嘲笑うだろう――想像が、なんだ、と。
永遠に、意思の疎通など図れない。
わかり合うことは、不可能。
がくぽは呼吸を整え、剣を握り直した。うっそりと顔を上げると、狼狽える異端の神を見据える。
「貴様ら、剣も通り抜けるな?」
「うん、もち」
なにかしらの端緒となるかと、ちょうど体を使っていた少年神が身を乗り出す。
がくぽは呼吸を意識し、気を鎮めた。
そのうえで、問いを放つ。
「なのになにゆえ、避ける?それもああも、大袈裟に騒ぎ立てながら」
双ツ神の両手が上がり、己の頬をつまんだ。くるりと顔が反って、半面が少女、半面が少年となる。
自分で自分の頬をつまんで引っ張り、無邪気な子供神は答えを放った。
「「オモシロいから」」
「っっ」
神経を掻き回され嬲られて、気を引き締めていても堪えきれず、がくぽはよろめいた。
反射で背後のカイトを窺えば、こちらを見ていない――傍らに、いつぞや会った、冥府の女王が立っていて、彼女と話していた。
安堵するような気掛かりのような微妙な心地を味わいつつ、がくぽは双ツ神に向き直る。
少女単体となった双ツ神は、悪びれる様子もなく、生き生きとして続けた。
「ぜっっったい斬れないのに、ああやってきゃーきゃー言うと、人間ってほんっといいカオするのよ!」
「そんで、いざ剣が潜った、さあやった!――って瞬間に、実は~ってわかると、さらにいいカオするんだよ!!」
反って少年となったが、言うことの悪びれなさは同じだった。
良かったと思いつつ、がくぽは剣を放つ。きちんと、腹が立った。
「この悪餓鬼どもがっっ!!」
「きゃーーーっっ」
放たれた剣を避けて、少女が華やかな悲鳴を上げる。
懲りることのないがくぽの手を、ばかにするでもない。どこかうれしげで、楽しそうですらある。
軽い足取りで地面を蹴って飛び、少女は身をくねらせ、少年へと反る。
「あっははぁ、無駄無駄っ!!」
うれしげにがくぽを嘲弄して、飛び跳ねる。
がくぽは呼吸を整えると、剣を構えた。
素人目には、今までとなにが違うかわからないだろう。
しかし双ツ神は瞳を見張って、くちびるに笑みさえ刷くがくぽを見つめた。
纏う気配が、あまりに違う。
これまでの怒りに任せたものでもなく、殺気を噴出させるでもなく――
「っシっっ」
「っっ」
低い気合いとともに放たれた剣を、反射で避けた双ツ神の前髪が数本、宙に散って消えた。
「………………」
呆然と見つめる子供神に、がくぽは笑って剣を下ろす。
殺気もなく、怒りもない。
静かなほどの、――いや、やさしささえ感じた、太刀筋。
けれど、前髪を斬った。
触れられない、世界から隔絶された体から。
「東方の剣士の剣を、舐めるな」
「………無茶苦茶だ」
笑って言ったがくぽに、少年がひび割れた声をこぼす。
がくぽはさらに機嫌良く笑って、再び剣を構えた。
少年の顔に怯えが浮かび、反って少女となる。こちらは強気に、剣を構えるがくぽを見据えた。
「リンたちを斬るの」
問いに、がくぽは首を横に振る。
「無辜の子供なぞ、斬らん」
「――ふうん?」
疑わしそうなリンに、それもそうかとがくぽは瞳を細めた。
子供を斬ったことがないなど、口が裂けても言えない。
イクサにおいて、無辜もなにもない――そこにいた。ただそれだけが、『罪』となることもある。
けれどそうとは言わず、がくぽは構えた剣を軽く揺らした。
「無辜ならな」
「あら」
軽く放たれた言葉に、リンの表情から険が取れた。
元の、明るく無邪気に邪気たっぷりな少女の顔に戻ると、わざとらしく身をくねらせる。
「リンたち、とぉおおってもかわいそうで、とぉおおってもイイコなのよ!盗みの回数は一万回、殺しの回数も一万回、焼け野原の数も、一万!」
「よし、灸を据えてやろう、悪餓鬼がっ!」
言って、がくぽは剣を放つ。甘さはない。それでも、リンは軽く避ける。
明るく笑って、とんぼを切った。
「でもでもでもでも、ほんっとにサイアクなことはしたことないわ!いやがるひとを無理やり犯して孕ませるような、至上サイアクのことだけは、いっかいもしたことないの!!」
「剣士と戦士がイクサ場で、恒常的にやって悪いとも思わない、ソレだけは一度もヤったことがない!!」
反って少年となり、こちらも高らかにうたい上げる。
「俺だとて、一度もしたことないわ!」
それだけはがくぽも言い切れて、高らかに主張すると剣を払った。
その剣の先に身軽に爪先立ち、双ツ神は頬に手を当てる。
表情が反って半面が少女、半面が少年となると、身を屈めてがくぽの瞳を覗きこんだ。
「「というわけで、ヤってみませんか?<しょちぴるり>に、おまえの楔を打ち立てる」」
「っ」
束の間眩暈に襲われたものの、がくぽは脊髄に叩きこまれた反射で剣を払い、双ツ神を振り落した。
地面に立った双ツ神の顔は反り、少年となる。
「大丈夫、いやがってないから、たぶん!」
「だめね、レン!こういうときは、絶対って言い切ってやるのよ、ウソでも!!」
叫ぶ少年と少女に、がくぽは遊びの剣を振るい続けた。