しょちぴるり
第3部-第19話
幼子のように膝を抱えて座ったミクは、壮絶に瞳を眇めてつぶやいた。
「ボクたちはぁ~……実はっ。鳥かトカゲかと、ご同類の、生き物でしたっ!どっと払いやがれ、ど畜生っ」
「み、ミクっ!」
「おやめなさい、ミクっ!!悪想念なんか送らないで頂戴、貴女ってひとはっ!」
目の前に座られたカイトは引きつって仰け反り、ルカのほうはミクの首根っこを掴んで、カイトから引き離す。
カイトを膝に抱いたがくぽのほうは、微妙な表情で視線を落とした。
膝の上に乗せたカイト。
その腕に抱かれる、かわいいおくるみに包まれた――たまご、を。
「………まあ、そうですね………」
「くっ、他人事だと思ってっ、この男!!なんか上手いこと言えないと、刑期をんぐぐっ?!」
上手く宥める言葉が見つからなかったがくぽだが、自棄になった冥府の女王のくちびるは、首根っこを掴んだ愛欲の女ノ神のくちびるによって強引に塞がれた。
ミクはじたばたと全力でもがいているように見えるが、ルカはびくともしない。押さえこみ方がツボを突いていて、慣れきっている。
ただやさしく慈愛深い女ノ神かと思えば、やはり神。
一筋縄ではいかないものを隠している。
「…………たまご、ですからね……」
「ん。だねっ」
がくぽの膝の上で、カイトは腹に置いたたまごをきゅっと抱きしめる。
子供を産む、と言い出したカイトに、度肝を抜かれたがくぽはしかし、ある意味歴戦の強者だった。
追いこまれれば追いこまれるほど、窮地を抜け出す策を思いつきやすいのだ。それだからこその、ここまでの存命でもある。
もちろん、本来的には追いこまれない策を考えられるのがいちばんだろうが、イクサは生き物だ。それもひどく気まぐれな。
いつもいつも、そうそうなにもかもうまくいく手合いなど、見たことがない。
だからいちばんは、窮地に追い込まれても策を思いつける頭。
イクサに生きてきた剣士たるがくぽに、助産の経験は皆無だった。
自分が出来ることと出来ないことを瞬時に見分け、出来ないことには固執しない。
これも生き残る鉄則だ。
そのうえで、誰ならばなにが出来るのか、どう割り振ればいいのか、そもそも割り振って完遂出来るものなのか――
動転しながらも一瞬で計算を押し進めたがくぽが取った選択肢は、メイコを呼ぶことだった。
女ノ神だ。女性。
どのくらい生きてどういう経験を積んだかは知らないが、カイトの姉だ。
少なくとも人を殺すことしか知らないがくぽより、この場では有用なはずだ。
――メイコ殿っっっ!!!
絶叫したがくぽに、メイコは即座に扉を蹴り破った――元々は扉のなかった室内にも、寒さ対策のため、使う場所にはいちいち扉を作ったのだ。
それはそれは苦労した。
しかし一瞬で、木端微塵。恐ろしい脚力だった。道理で人を踏むのが愉しくて仕方ないはずだ。
――あんたはあたしをなんだと思ってんのっっ!!あたしに産婆ができるってのっっ?!
――出来ないのですか?!
――神ってのはセンモン職よ!!あたしは助産の神じゃないのっっ!!
口論している一瞬に、カイトの苦鳴が止んでいた。
慌てて振り返ったがくぽと、駆け寄ったメイコに、今までの狂騒はなんだったのかというほどあっさりした顔で、カイトはにっこり笑った。
――うまれたー。
で、見せられたのが、たまごだ。
室内はほとんど暗闇で、がくぽの目にはもう、輪郭程度しか掴めない時間に入っていた。それでもそれが、たまごだとわかった。
胞衣に包まれたままの赤子でもなく、殻に包まれた、たまご。
子供――を、産んだカイトに変わったことはといえば、腹に咲いていた花が無くなっていたことだ。
――うん、なんかねー、ここでたまご、育ててたみたい!
カイト曰く、たまごが出てきた場所も、あの花だという。
そもそも女性ではないから、子を産むための器官などないカイトだ。どこからどうやって産んだのかと思えば――
あまりにあっけらかんと言われて、がくぽはひたすらに項垂れた。
知らなかったとはいえ、しかもカイトは男だが、そして生まれたものはたまごだが、図らずも『妊婦』にあれやこれや、それやどれやを。いくら両想いとはいえ、いくら――
項垂れる『父親』には構わず、カイトはメイコと相談を進め、たまごを人間の子供のようなおくるみに包んで抱いて、『温める』ことになった。
カイトが生んだたまごは、大きさはひとの頭ほどもあったが、殻は真っ白で、仄かに真珠のような光沢を放っていた。
慣れて来ると、暗闇の中では微妙に青白く浮かび上がっているとわかる。
気がつけば陽射しは初夏に変わっていて、それでも北の森は涼しいのだが、緑の萌え色が違う。
たまごちゃんもきっと、おそとたのしいよ!と、数日の間、住処の中で静養していたカイトが言って、久しぶりに野辺に出てきたところだ。
がくぽとしても、カイトの外出に異論はなかった。たまごが楽しいかどうかはともかくとして、カイトは野辺に生きる神だ。
薄暗い石の部屋に閉じ込めておくより、外に放したほうがいい。
カイトの足はますます弾むように踊り、がくぽは道中、たまごを落とさないか、揺らし過ぎて『中身』がぐちゃぐちゃにならないかと、ひどく案じて疲れた。
なぜか、出産した『母親』よりも父親のほうが疲れているという状態で野辺に辿りつき、一休みしていたところに現れたのが、ミクとルカだ。
そしてミクは、非常にやさぐれていた。
カイトが生んだのが、たまごだからだ。カイトが生んだ以上、いくら男ノ神産とはいえ、それは神。
神のたまご。
たまご。
自分たちは鳥かトカゲとご同類なのか、――というのは、顛末の通りだ。
「わるいものではない、けれどいいものでもない。――わけですわよね」
ミクを完全に草原に倒したルカは、しらっとした顔でカイトとがくぽの前に戻ってきた。にこにこ笑う顔はいつものように慈愛深くやさしいが、後ろにはひくついて起き上がれない、冥府の女王の姿がある。
「………どういう意味ですか?」
とりあえずそこを突っ込むと要らないことになるだろうとはわかったので、がくぽはルカの言葉だけを拾った。
カイトが腹に抱いて『温めている』たまごを指差すと、ルカはやはり、やさしく笑う。
「空っぽなんですわ」
「え?」
ぎょっと瞳を見開いたがくぽに、ルカは宥めるように指を回した。
「ええと、なんと言えばよろしいかしら?この中身は――ええ、確かに、『中身』があるんですの。でもそれはまだ、まっさらで、『なんでもない』ものなんです」
「………」
がくぽは困惑しながら、カイトが抱くたまごを見る。
カイトはルカの言葉も気にした様子はなく、ひたすらに愛しげに、やわらかな表情でたまごを撫でていた。
「これから、なにが生まれてくるにせよ――ええ、つまり、『なに』が生まれるのかは、カイト次第、というところですかしら」
「カイト殿、次第……」
「ああいえ、お父様のご尽力も必要でしてよ?」
「………」
がくぽのつぶやきに、ルカは慌てて付け加えた。
もちろん『お父様』というのはがくぽのことで、その響きに、『お父様』は多少、打ちのめされた。
「んだからさぁ………っ」
妙に舌足らずになったミクが、よたよたと起き上がり、這いずってくる。冥府の女王だ。這い寄られると、微妙に仰け反りたくなる。
逃げるなら死ねという、東の剣士の脊髄反射だけでその場に留まったがくぽを気にすることなく、ミクはわだかまりのある瞳でたまごを見つめた。
「これから、カイトが『温める』でしょ?それって別に、鳥とかみたいに、だっこして体温を分けるっていうんじゃないんだよ。『想い』を、注ぎこむの」
「想い」
「ええ。愛してるわよとか、早く出て来てね、赤ちゃんとか」
「重いんだよこのクソたまごがとかっんっぐぐぐっ!!」
にっこり継いだルカの言葉の後をさらに継いだミクは、再び押し倒され、くちびるを塞がれた。
女ノ神たちの熾烈な争いからは礼儀正しく目を逸らし、がくぽは途方に暮れた視線をたまごに落とした。
「想い、ですか………」
「うん。だいすきって。おそとはたのしーから、はやく出ておいでーって」
無邪気に言ってから、カイトはたまごを撫でた。
「………『からっぽ』だから。たとえばおれが、だいすきっていっぱいいって、しあわせな想いをいっぱい上げたら、この子はとっても『いいもの』として、生まれてくる」
がくぽはカイトの腰を抱く腕に、わずかに力を込めた。
カイトはたまごを撫でながら、がくぽへ身を凭せ掛ける。
「でも反対に、おれがこの子に、だいきらいっていって、ふしあわせな想いをいっぱい上げたら、この子はとっても『わるいもの』として、生まれてくる」
「…………なるほど。だから、悪いものではないが、いいものとも言い切れない――」
「うん」
悪くはない。
しかし、いいとも言い切れない。
いいとも言い切れないが、悪いものではない――今はまだ。
メイコが禁忌に触れながら懸命に吐き出した言葉の意味がわかって、がくぽは軽く天を仰いだ。
青い。
それはどこか白さを伴って、夏になってもまだ、寒さを失わない。
北の空の色。
膝に抱くカイトが宿す、永遠のいのちの源、南の海とは、まるで違う青――
がくぽの手は無意識にさらりとカイトの髪を梳き、指に絡めて弄んだ。撫でられているカイトのほうは、気持ちよさそうに瞳を細めて、がくぽに凭れている。
「………私に、なにが出来るでしょうか」
まさか、親になるとは思っていなかったがくぽだ。
国を出る前から、自分が親になれる素養を持っている気がしなかったし、国を出てからはなおのこと、親になりたいと思ったことがない。
ましてや北の森に来て、カイトと出会ってからはさらに――
男ノ神であるカイトと想いが通じたとしても、子供など到底望めないはずだった。
神を侮っていたといえばそうかもしれないが、微妙に問題が違う気もする。
数日したところで、がくぽの動揺が治まったとは言い切れず、覚悟らしい覚悟も固まらない。
愛情を、注げる気がしないのだ。
カイトにこそ真摯な愛を捧げたがくぽだが、それまで他者に、格別の情を抱いたことがなかった。
幼馴染みも常々腐すように、わずか齢三つの公主が懸命に役目を果たしていたのにすら、憐れみを抱いて愛想笑いのひとつを向けることも、出来なかった。
すべては、他者への愛情が欠けていればこそだと、がくぽは分析している。
カイトに出会って初めて、自分にも人並みに誰かを愛せるとわかったが――
カイト以外に対しては、未だ、自信がない。
「ん、がくぽ?」
問いに、カイトが顔を上げる。
きらきらしい笑顔だ。しあわせだと、全身で主張している。
がくぽはそこまで、全力で言い切れない。
自分の想いひとつで、良くも悪くもなってしまう神のたまごなど、荷が勝ち過ぎる。
逃げ出さないのはひとえに、自分の子供だからではなく、カイトの子供だからだ。
「がくぽはね、いつもどーりでいいよっ」
「………いつも通り、ですか」
実のところ、それがいちばん難しい。意識し過ぎると、なにが『いつも通り』だったのか、わからなくなる。
冴えない表情のがくぽに、カイトは笑ってくちびるを寄せ、顎にちゅっと口づけた。
「うん、いつもどーり。いつもどーり、おれのこといちばんあいしてて、おれのことずっと考えてて、おれのことだけみてたら、それでいーよ」
「………」
自分のいつも通りってなんだろうと、さらに激しくがくぽは考えこんだ。
そのがくぽの前に、ルカが再び、ちょこなんと座る。
「大丈夫ですわ、あなたなら。自信がないようですけれど、あなたが善きものだと、あたくしはきちんと言い切れます。なんでしたら、名に懸けてみましょうか?」
「………それは」
信頼を寄せてくれるのは、ありがたいことだ。けれど彼女が、がくぽのなにを知るだろう――犯してきた罪、血を吸った剣の重さ。
疑うことは不敬だとわかっていても、冴えないままのがくぽに、ルカはにっこり笑って、再び草原に倒れてひくついている冥府の女王を指差した。
「だってあなた、ミクに触られても、手を振り払ったり、罵倒したりしなかったじゃありませんの」
「それは、っっ」
「ふきゃっ!!」
がくぽは折れよとばかりに歯を食いしばり、腹に力を込めて、どうにか姿勢を保った。
それでもわずかに傾いだ体に、カイトが小さく悲鳴を上げて竦み、たまごを抱きしめる。
怯えた体を即座に抱いて宥めてやりつつ、がくぽは歯を食いしばったまま、後ろを振り向いた。
「そんでもってあんたは、あたしが何回ふんでも、おこんないわね」
「………いえ、そろそろ、一度くらいはなにか、言おうかと、っっ」
唐突に背後に現れたメイコは、がくぽが避ける隙もなく、背中を足蹴にしていた。
扉を木端微塵にする脚力だ。
せっかくなにひとつ怪我のない状態だというのに、またしても骨が折れそうだった。