「<精霊>ぇいぃ~…………おねがぁ~…………」
「………」
それはさすがにどうだろうとがくぽは思ったが、どうやら<精霊>というものは律義なのか、さもなければ細かいことにこだわらない性質らしい。
しょちぴるり
第3部-第18話
気怠く寝台に沈んだカイトの、あまりに怠惰な求めにすらいつも通りに応じて、これ以上なくべたべたに汚れた互いの体液やらもろもろを、すべて取り去って行った。
もちろん、横たわるカイトの傍らに座っている、がくぽの体からもだ。
姿形が見えないのでなんとも言い難いが、どういう表情で、こんなことをやっているのかと思う。
「んー………」
「………」
はしゃいだなあというのが、がくぽの感想だ。
一瞬前に、主に自分の勝手な思い込みと怯懦によってどん底に落ちこんだせいで、そのあとの展開にはしゃいだ。
思いきり。
がくぽはそもそも、それほど感情の浮き沈みの激しいほうでもなし、歓びに我を忘れた経験も少ない。我慢と忍従、忍耐とひたすらな忠誠。
そういったものを幼い頃から叩きこまれるせいで、東の人間は感情表現が苦手なものが多い。これに関しては、剣士に因らない。
剣士と対を成すと言われる隠密衆もそうだし、一般市民にだとて、そういう教育が行き渡っている。
赤裸々に感情を表現することは、人前で閨事に励むくらいに恥ずかしいことだと、社会全体が固く信じている。
赤裸々に表現しないためには、感覚を鈍麻させていくことだ。
そうやっているうちに、激しく動く感情を忘れる。
カイトと暮らしてからというもの、がくぽが感情に翻弄されることが多いのは、そういう偏った経験値ゆえだ。
カイトといると、どうしても感情が激しく動く。良きにであれ、悪しきにであれ。
鈍麻させたはずなのに、鋭敏に尖って多くのことを受け止めてしまう。
そのせいでカイトを泣かせることもあるし、戸惑わせたり、傷つけることもある。
年も考えると、もっと落ち着いていいはずだというのに。
「………がぁくぽ」
「はい」
無闇な反省の気配を感じ取ったのか、寝台に沈むカイトが気怠いままの声を上げる。
俯せで埋まったまま、横目で視線だけ投げてきたのだが、がくぽはこくりと唾液を飲みこんだ。
これまでカイトといえば、愛らしいというのが精いっぱいだった。薄絹姿は扇情的で煽られたが、いわばものの効果によって色香を演出しているようなものだ。本人を知れば知るほど、愛らしいというのが正当な評価だろうと思っていた。
しかしどういうわけか、さっきから妙に――大人の色香が、垣間見える。
いや、大人だ。これ以上なく。
稚気が失われたというふうでもないのに、たまに、言動の端々に無視出来ない色香が覗く。
綺麗だと、思う。
思うが、まずい。
はしゃいだと総括したはずの場所が、もうひとはしゃぎしようと、疼きだす。
「ねむい……」
「そうですね。疲れたでしょう」
「んー………」
笑うがくぽも、疲れたし、眠い。
それでもカイトは瞼を擦りながら、体を反した。
「でも、がくぽ………きょぉ、ちゃんとごはん、たべてないし………」
「いくら人間でも、一食二食で、すぐにどうこうはなりません」
「でも………」
つぶやきながら、カイトの手がここ最近の癖で、腹を撫でる。
空は暮れ時だ。
室内は薄暗いが、鎧戸を落としていないせいで、いつもよりは視界が利く。
なんの気なしにカイトの手の行方を追って、がくぽはわずかに眉をひそめた。
痣が大きくなっている。
いや――綻んでいると、いえばいいのか。
閉じていた蕾が、開こうとしているような。
「…………がくぽ」
「………はい」
表情から視線を追い、がくぽがなにを見つめているかわかったのだろう。
自分でも状態を確認したカイトは、笑って腹を撫でた。
少し、細すぎると思う。腰骨の浮き加減など、女性でもこうまではいかない。
見つめたままのがくぽに、カイトはさらりと蕾を辿り、示す。
「……………どうしたい?」
「………」
訊かれて、がくぽはようやくカイトの顔を見た。
笑っている。
楽しそうだ。
わるいものではないと、神は口々に言った。
いいものとも言い切れない、と。
カイトが言うには、がくぽと体を繋げだしてから生まれたものだという。
がくぽと体を繋げ、その精を腹に受け止めてから。
それは確かに、言い切れる。
体を繋げる前のカイトの腹は、ひたすらに白く滑らかに晒されていた。
その扇情的な動きに幾度も目のやり場に困り、それでいながら視線が外せなくなったことも多々あるから、記憶が定かでないなどとは言わない。確実に言い切れる。
カイトの体液を啜ったことでがくぽが変容したように、がくぽの体液を飲みこんだことで、カイトの体にも変容が起きている。
「……………守ります」
ふっと笑い、がくぽはつぶやいた。
「なにあろうとも、必ず。なにからも、誰からも。どのようなことからも、必ずあなたをお守りします」
誓いを落としながら、がくぽは花びらに触れた。カイトはぴくりと揺れたが、痛いわけではない。単に、敏感なだけだ。
そして、終わったばかりの行為にいつも以上に、神経が尖っているだけだ。
笑みを刷いたまま、がくぽは撫で辿った腹へとくちびるを寄せた。
「ぁ…………んんん………っ」
「守ります、必ず」
触れたくちびるに、カイトは堪えきれずに仰け反って呻く。
構うことなく誓いを落とし、がくぽは丁寧に花弁をなぞった。
「ゃぁあ………っ」
「………そう、かわいい声を出さないで貰えますか。せっかく<精霊>にきれいにしてもらったものを、また汚したくなるでしょうに」
「ぁ、ふ………っ」
くちびるを離したがくぽにやわらかに詰られて、カイトは涙を浮かべて息を継ぐ。
その手が伸びて、垂れるがくぽの髪を掴んだ。引き寄せられ、がくぽはカイトのくちびるへと招かれる。
「おれ、わるいの……っ?!」
「悪くなど………ただ、私があなたを愛しているだけです」
「ん………っ」
責められて、がくぽは笑って答えた。カイトの答えを待つことはなく、くちびるを重ねる。
「ん………っぁ、ふ………っぁあ…………っ」
はしゃいだと、総括した行為の後だ。
だというのにまったく飽きることなく、がくぽはカイトのくちびるを堪能し、存分に味わった。
行為の最中も、さんざんに舐め啜った。そこは紅を塗るまでもなく赤く腫れ、水を含んで艶っぽい。
せめてもう少し、明かりのあるところで見たかった。
殊更に扇情的で――おそらく、萎える隙もなくなるだろう。
結論が出て、がくぽはカイトから離れた。
やはりこれくらいの光源で良かったようだ。萎えることなく責められては、いくらカイトが神でも、付き合いきれない。
「ん、ね………がくぽ」
「………はい」
だめだったと、がくぽは即座に結論を翻した。
薄闇にぼんやりと浮かぶカイトは、いつもの稚気がさらに隠されて、ひたすらに艶っぽく徒っぽい。
そうでなくとも、事後で体勢も表情も気怠い。
やはり真っ暗闇に落とさなければ、煽られる一方だ。
暮れ時が近く、日が沈むのがもう間もなくということが、唯一の救いだろう。我慢しなければいけないのも、わずかな時間だ。
爛れたがくぽの考えなど知る由もないカイトは、ほんわりと笑う。
吸われ過ぎて痺れ、もたつく舌にわずかに眉をひそめてから、がくぽを見つめた。
「おれもね、あい…………っいっ?!」
「カイト殿っ?!」
つぶやかれようとしたのは、愛の言葉だ。
しかしその最後は、苦鳴に取って代わられた。
唐突にカイトは表情を歪め、堪えきれない苦痛をこぼす。反射で体が屈み、腹を押さえて丸くなった。
「ぅ………っい、ぃ………っひ……っ」
「カイト殿!!」
叫び、がくぽはカイトの肩を掴む。
ほとんど反射の動きで、その手が離れた。
熱い。
いつもいつも、がくぽと情を交わすときには体温を上げるカイトだ。冷えたままでは、がくぽがやり辛いだろうと。
今日に関しては、冷たいままだった。
思いやりを忘れたというより、それでもがくぽが萎えることなどないと、カイトが確信を持てたからだ。
共寝をするときにはさすがに暖めてもらう必要があるだろうが、もうカイトが必要以上に体温を弄ることはないだろう。
だから、カイトの体は今、冷たいはずなのだ。
だというのに、掴んだ肩は熱かった。
カイト以上の体温を持つ人間であるがくぽが掴んですら、驚くような熱さだった。
「カイト殿っ!!」
「ぅ………っう、ふ…………っく………っ」
カイトはきりきりと歯を食いしばり、懸命に声を押し殺す。それでも苦鳴は漏れて、肌は過剰な熱に濡れた。
「っ、誰か………っ」
「ん、ふ………っぁ、くぽ………っ」
うずくまって腹を抱えたカイトは、腰を浮かせたがくぽの腕を必死に掴む。
動揺しながら見下ろしたがくぽの腕に、容赦なく爪が食いこんで皮膚が破れ、血のにおいが漂った。
「が、くぽ………っ」
「はい」
華奢で力弱いのが、カイトだった。
いくら神であっても、剣士であるがくぽと対すれば、完全に力負けする。
それが今、掴まれたがくぽの腕は骨が軋り、少しでも油断すれば折れそうなほどだった。
「がく………っがく、ぽ………っ」
「ここに。お傍におります、カイト殿。私は、あなたのお傍に」
「………っぅ、は………っぁ………っ」
軋る歯の隙間から懸命に名前を呼ばれ、がくぽは寝台に座り直す。一度は離した手を、カイトの体に添わせた。
「ひっぎ………っぅ……っっ」
「傍に。カイト殿……どうぞ、ご案じ召されず」
神経が尖っているところに触れられて、痛みが増したのだろう。カイトの上げた悲鳴は、罪悪感に吐き気がこみ上げるほどだったが、がくぽは耐えた。
耐えて、濡れて額に張りつくカイトの前髪を梳き上げてやる。
「…………ぁ、……っくぽ」
「はい」
呼ばれれば、応じる。
愚直な姿勢はもしかすると、カイトの寿命を縮めている可能性があった。誰か、助けを呼んで。
対処すべきことも、出来ることも多くあるはずだったが、求められるまま傍に寄り添い、呼ばれたなら返事をすることしか思いつかなかった。
がくぽの腹が据わったところで、カイトのほうにもわずかな安定が戻ったらしい。
汗に塗れ、痛みに歪みながらも顔を上げ、笑みのようなものを浮かべてみせる。
「ぁ………っは、あいしてる、っからね…………っがくぽのこと、おれ、だれよりも、なによりも、いちばんいちばん………っあいしてる、……っからっ」
「はい」
己は莫迦じゃなかろうかと、がくぽも自分に疑念を持ち出した。
そんな愚直な返事が今、必要な場面だろうか。
苦痛に、カイトの手に有り得ないほどの力が込められる。掴まれたがくぽの腕がぎしりと軋み、骨が折れないまでも腱がやられたような気がした。
がくぽは表情を歪めることもなく、歪みながら笑うカイトへとくちびるを寄せた。
激しく息を継ぐ口ではなく、額にくちびるを落とす。
「愛しています、私のカイト」
「っぁっははぁっ!!」
傲然と神の所有を宣言する愛の告白に、カイトは大笑した。
宣言の傲慢さと釣り合わない、真摯な瞳で見つめるがくぽの腕を解放すると、その手を額へと突きつける。
「おれねっ…………うむ、みたいっ!!」
過ぎる痛みにおそらく、神経のどこかの軛が外れたのだろう。
いつになく放埓に明るく、それこそ身に宿した、南の海を有する国のひとびとのような快活さでもって、カイトは笑って言った。
「がくぽの、こ………っ、がくぽとの、こども、…っ………うまれるっみたいっ!!」
「っっ!!」
弾かれたように体を起こしたがくぽは、寝台からは下りないまま背後を振り返り、絶叫した。
「メイコ殿っっ!!!」