願われれば、叶える。
望まれれば、立ち上がる。
願え、望め、我にわれに。
しょちぴるり
第3部-第16話
がくぽの耳朶に冷たいくちびるが触れ、息吹とともにささやく。
「あいしてるの、がくぽ………ひとりじめしたくて、ワガママいっぱい、いっちゃうの。がくぽはおれのものだって、みんなにいいたくて、だれもさわらないでって、さけびたくなる」
――叫べばいいと思う。
そうだ、自分は、あなたのもの。
あなただけの剣。
いくらでも、所有を主張してくれて構わないのだ。
触らせるなと請われるなら、叶えることは歓びだ。
「あいしてるの、がくぽ…………がくぽがおれのこと、みてるっておもうと、ほかはなんにも、いらなくなるくらい。がくぽがおれのこと、みてないっておもうと、ほかはなんにも、みえなくなるくらい」
――責めていいと思う。
剣を捧げた相手から目を逸らすなど、責められて当然だ。
それは責めて、怒って、詰っていい。
自分だけ見ていろと、命じてくれ。
「あいしてるの、がくぽ……………がくぽがいたくてくるしくても、どんなにいやがっても、どうしてもどうしても、さわるのガマンできないの………」
――自分の痛みも苦しみも、どうでもいい。
嫌がることなど、あろうはずがない。
なによりそれが、あなたが与えるものならば。
あなたが重ねる我慢や忍耐こそ、無為のもの。
堪える痛みも苦しみも、すべて自分が飲み干し受け入れ、背負い立つ――
「あいしてるの、がくぽ………」
冷たいくちびるが、耳朶に吹き込む。
息吹とともに、言葉を。
崩れた心の形をつくり、固め、再構成し直す、神の詔。
ゆっくりと顔を上げたがくぽの瞳に映ったのは、青。
南の海を映しとったような、永遠のいのちの色。
鮮やかに美しく、すべてのいのちを生み出す源の、力溢れる色。
青いあおい、輝き――
「………カイト、殿」
「あいしてるの、がくぽ」
名をつぶやいたくちびるに、カイトはそっとくちびるを寄せた。やわらかに、ゆっくりと重なり合い、穏やかに触れ合う。
こんなにやさしい触れ方をしたことがあっただろうかと、がくぽは考える。
くちびるは、冷たい。
開いた口の中に、落とされる舌も、冷たい。
吹きこまれる息吹も――
「………っは………っ」
「がくぽ………」
胸が透くのに、甘いあまい薄荷水。
とろりと口の中を辿る舌は冷たく、伝う唾液もまた、冷たい。
吹きこまれる息吹とともに、それは甘い薄荷の香りを宿して、がくぽの体に沁みこんでいく。
心身に、活力が満ちる。
「あいしてるの」
落とされる、ささやき。
やわらかに、穏やかに。
くちびるが離れて、がくぽの瞳に映るのは、青。
暗闇でも光を失わない、永遠のいのちの色。
青をこれ以上なく映えさせる、抜けるように白い肌。
白い肌を汚す、いくつも散った情交痕。
一際鮮やかに刻まれた、大輪の花を予感させる、赤い蕾。
見つめるがくぽの頬を撫でて自分へと向かせると、カイトは微笑む。
「どうか、おれががくぽをあいすることを、ゆるして。ともに、よりそい、いきたいと、ねがうことを」
「そんな、ことは」
赦す赦さないではない。
それこそ、自由だ。
愛してくれと望んでも、愛せない相手もいる。愛したいと思っても、どうしても愛せない相手も。
逆もしかり、愛してはいけないと思っても、愛してしまう相手がいる。愛することが禁忌だと自制しても、自制しきれない相手が。
いつの間にかカイトの体に伸し掛かっていたがくぽは、はたと我に返った。
カイトは微笑み、伸し掛かられるままにがくぽの答えを待っている。
きれいだと思った。
常々、愛らしい神だと思っていたが、そうではなく、綺麗だ、と――
束の間見惚れてから、がくぽはカイトから下り、寝台の傍らの床に膝をついた。
起き上がって見つめるカイトの手を取ると、自分の額に当てる。頭を下げ、その手をきつく握りしめた。
「あなたの望むがままに。その御心のまま、自由に。私がすべての軛から、あなたをお守りする。剣となり盾となり、手足となり、頭として、影として。望まれることは望まれるまま、すべて叶える」
「がくぽは、なにをのぞむの?」
落とされた問いに、がくぽは顔を上げた。
カイトは微笑んでいる。
穏やかに、やわらかに。
がくぽのくちびるは戦慄き、きれいな顔がくしゃりと歪んだ。
――あまい、はっかすい。いっかいだけ、おかわりが、ほしいの。
大したこともない、そんな小さな願いが、口に出せなかった。
甘いものが、滅多に口に出来なかった、幼い頃。
砂糖を入れた薄荷水は、胸が透くのに甘くてあまくて、子供心を蕩かした。
それでも、おかわりを強請る弟妹たちを見ながら、がくぽは親に縋れなかった。
強請ることが、出来なかった。
「…………そば、に」
戦慄くくちびるが、懸命に言葉を押し出す。
「どうか、傍に……………誰よりも、あなたの傍に。剣が折れようと、足が萎えようと、この身が果てようと――誰よりももっとも、お傍に」
痞える咽喉から声を絞り出し、がくぽは握りしめたままだったカイトの手を胸に掻き抱いた。
「………傍に寄り添い在って、愛することを、お赦しください……………」
吐き出して、がくぽは崩れた。
カイトの手を抱いたまま、寝台に頭を埋める。
手を取り戻すこともなく、カイトは身を屈めると、長い髪の隙間から覗く耳朶に口づけた。
「がくぽののぞみはすべて、おれがかなえる」
吹きこまれる、息吹と言葉。
冷たく、胸が透くのに甘く満たす。
「おれののぞみのすべては、がくぽがかなえて」
耳朶から辿り、くちびるは冷たさを残しながら、寝台に埋まるがくぽのくちびるを求める。
わずかに顔を上げたがくぽのくちびるに、カイトは冷たいくちびるを重ねた。
やわらかに、やさしく。
甘く、――人ならぬ身である証拠に、冷たく。
「あいしてる、がくぽ」
注がれる、甘いあまい――満たされる、冷たいのに、凍えることもなく。
「おれが、がくぽをあいすることを、ゆるして。このさきは、どこまでもがくぽとともに、いきたい」
請われる。
吹きこまれる、息吹。
与えられる。
求めたもの。
がくぽのくちびるは震え、戦慄き、熱い吐息を吐き出した。
その手がカイトへと伸び、腰が浮き上がって寝台に戻り、剣士である自分と比べると華奢な体を力いっぱいに抱きしめる。
「あなたが私を愛するというのなら――その愛を望むなら、私は身命を賭して、守りましょう。あなたが私を愛することを。私を愛し、望むことを。いきたいと願われるなら、共に。どこまでも、共に――息尽くときまで、あなたと生きて行きて逝く」
がくぽが冷えるから、と。
触れるときには、カイトはいつでも、体を暖めてくれた。
今、抱きしめる体は冷たい。
いくらぬくもりを分けても、決して暖まることはない。
それでもがくぽが震えることも、腕を緩めることも、突き放すこともなかった。
カイトが熱さに苦鳴を上げ、がくぽの体を突き放すことも。
カイトはただ微笑んで、抱きすくめられて不自由な腕を回し、がくぽの長い髪を梳いた。
「ならばおれは、がくぽののぞみをかなえよう。おれのことをあいし、そばにいたいという、がくぽのねがいを」
つぶやき、カイトは腕を落とした。
寝台に受け止められた腕に、がくぽが片手を伸ばす。
取り上げると、その甲にくちびるを当てる。冷たい肌を撫でたくちびるが、莞爾とした笑みを刷いた。
轟、と。
音を立てて、炎が盛り出す。
体を巻かれて熱さに蕩け、共に燃え上がりながら、カイトは握られた手を腹へと招いた。
指を反して自分の体を撫でさせるように動かしながら、がくぽを見つめる。
陶然と蕩ける瞳が、得られた剣の主に歓喜する剣士を映し、さらに熱に溶けて潤んだ。
疼くのは、腹だ。
欲しいと、願う。
どうして、欲しいのか。
願われるから。
望まれるから――
それ以上に、『欲しい』から、だ。
なによりも、自分自身の望みとして、願いとして。
欲しいから、欲しい。
手を携え生きる、伴侶として――伴侶だから。
誰より愛しい伴侶だから、誰よりも近しく在りたい。
思いのまま、カイトはがくぽの手を誘い、蠱惑的にくちびるを舐めた。
「ちょうだい、がくぽ?おれ、おなかすいちゃった………」