「思い出しました!!『時満花』ですわ!!」

ルカが叫んだのは、唐突だった。

寂しいとくすむ彼女をそのまま放ってもおけず、カイトともども、しばらく話し相手となり――

話の流れでたまごを抱かせてもらったルカは、唐突に叫んだのだ。

時満花――ときみちるはな、と。

しょちぴるり

第4部-第4話

「ときみちる……はな?」

訝しげなカイトとがくぽにたまごを返したルカは、興奮に頬を染めて身を乗り出した。

「ほら、カイトのおなかに咲いていた、あの花――ああ、蕾でしたっけ、あのときはまだ。あれです。『時満花』ですわ!」

「――思い出したのですか?」

「そう、思い出しました!」

訊き返したがくぽに、ルカは興奮ままに激しく頷いた。

がくぽは膝に抱いたカイトへと目をやり、流れて腹に抱かれているたまごを見る。

たまごが生まれる前、カイトの腹には赤い花の痣があった。花とはいっても、咲いていない。蕾状のものだ。

しかしはっきりと『花』だとわかるうえ、元からあった痣ではなかった。

がくぽと体を繋ぎ、その体液を腹に入れてから浮かび上がったものだ。

しかもこの花、最初は花弁一枚だったものが、日を追うごとに花びらの数を増やし、大きく膨らんできたという。

カイトは神で、がくぽは人間だ。

神と人間が断絶して、久しい。昔話の異種婚姻譚を好んで読むような性格でもなかったがくぽは、神と人間が交わることで、双方にどんな影響が出るかを知らなかった。

カイトの体液を啜ったがくぽは、それまで感じられなかった神の気配を読み取れるようになった。

だとすれば、カイトのほうにも変化が――いったい、どんな変化が。

やきもきしているときに現れたのが、交わるごとに花弁を増やしていく、蕾様の赤い痣だった。

なんの変化かと訊ねたがくぽに、カイトは知らない、と――カイトだけでなく、他の神も、心当たりがないと。

そのことで揉めに揉めたことがきっかけで、かえってがくぽとカイトは本当に、心から想いを通じ合わせた――が。

済んだこととして忘れたかというと、そうでもない。

たまごを生んだあと、痣はきれいさっぱりと消えたが、その意味もわからない。

カイト曰く、花が咲き開いたかと思ったら、たまごとなって消えたらしいが――

「名前の通り、時が満ちるまでを計る花ですわ想いを降り重ね、十分と成ったときに、花開く」

「………」

ルカは興奮しながら説明してくれたが、もともと剣士で、魔法や神力に関しての知識が十分ではないがくぽだ。さっぱり、意味が取れない。

困惑しながらカイトを見ると、ルカの興奮が移った様子もなく、こちらもきょとんと見返された。

つい反射で額に口づけを落とすと、カイトはこれ以上なくうれしそうに笑う。頬にお返しの口づけが与えられ――それでなにもかもすべて、いい。

わけがない。

「……すみません、ルカ殿。もう少し、詳しく……ええとその、出来れば噛み砕いて」

「あら」

霧散しかけたやる気を掻き集め、がくぽはルカへ頭を下げた。

言い方はともかく、カイトやメイコといった古き神の口癖、『むつかしくって、わかんない』と同じだ。

それなりに羞恥を覚えながら請うたがくぽに、ルカはきょとんと瞳を見張った。

「とは言われましても、………今のが、すべてですわ。時が満ちることを、計る花。だから時満花。時が満ちたら咲いて、消えます」

「………その、なんの時が満ちるのを、計る花ですなんでもですか?」

「ええ、ですから………」

がくぽの質問に、答えようとしたルカの表情が空白に落ちた。

ふっと表情が消え、宙を見据える。

「……………です、から………」

くちびるだけが、小さく動く。

「ルカ殿?」

「ルカ?」

言い出しも唐突だったが、この状態も唐突だ。

困惑し、がくぽはカイトを見た。カイトのほうも、困惑を隠せない。

「………お、たがい…………つうじた………花びら、を………っ」

「ルカ……?!」

切れ切れに言葉を発しながら、ルカの瞳が反る。

慌てて身を乗り出したカイトを、がくぽは強引に膝の上へ戻した。

「がくぽ!」

「この間のことを、お忘れですか」

「………っ」

この花はなにかと、神に訊ねて歩いたときだ。まだカイトの腹に咲いていた、そのとき。

誰ひとりとして答えられなかったが、見覚えはあると、言った。

見覚えはある、けれど思い出せない――

思い出せない記憶に、今のようにおかしくなったルカに、カイトがうたった。

いのちのうただ。癒しの。

本来は、歪ツに為されたものを、正に戻す。

正へと戻ったルカは『思い出し』、苦しみから逃れられるはずだったが――それがかえって、想像を絶する苦しみを彼女に与えることになった。

記憶は『忘れた』のではなく、なんらかの理由によって、『封じ』られた。

思い出すことそのものが、禁忌となるものだったのだ。

カイトがうたい、歪ツが正に戻って『思い出した』ルカは、自動的に禁忌に触れたこととなり、その罰として激しい苦痛を味わった。

「――おそらく、同じ状態です」

「………でも、そしたら…」

花が思い出せないと言って、状態がおかしくなったのが、ついこの間のこと。

そして今、花の名前を思い出した彼女に、もう少し詳しく思い出せとせっついて、この状態。

なんらかの原因で名前は思い出せたが、すべてを思い出すことは、未だ禁忌――

中途半端で、ゆえに厄介だ。

「がくぽ………」

「不躾とはなりますが……」

どうしたらいいのかと潤みながら見上げられて、がくぽはカイトを膝から下ろした。さりげなく背後に庇い、腰を浮かせると、どういう反応が返ってきても即応できる体勢を取る。

そのうえで、ルカの肩に手を伸ばした。

基本的な対応だが、呆然とする相手がいたらとりあえず、肩を掴んで揺さぶってみる。それで正気に返れば良し、返らなければ――

「ルカど………っ」

「………っ」

触れる、直前。

がくぽはふっと違和感を覚え、拳を返して額を押さえた。ルカのくちびるも、ぴたりと動きを止める。

――ちがう。

こころが、叫ぶ。痛みに引き裂かれながら。

ちがうちがうちがうちがうちがう………――

「………?!」

しかしわずかに一瞬のことで、がくぽは激し過ぎて頭痛を伴う『違和感』から解放された。

この『違和感』には、覚えがある。

<世界>が叫ぶ、違和感。

異端の存在を、異端だと叫ぶ、違うと否定する――

「相愛の仲を量るものですわ!」

「ルカ殿?」

またしてもルカが叫んだ。

叫んでから、額を押さえる。

「………記憶が、戻りましたわ。なんですの、今の?」

「………それは」

説明しろと言われても、し難い。

がくぽがこの『違和感』と出会ったのは、一度のこと。

それで忘れたり疑いを差し挟んだりするような感覚の曖昧さではないが、――違和感の正体である『彼ら』が近くにいたはずだというのに、その姿を見ていない。

近くを過り――一瞬で、また。

「………子供神です」

「え?」

ぽつりとこぼされたがくぽの言葉に、ルカは瞳を見張る。

がくぽは地面へと腰を戻し、不安そうにたまごを抱きしめ、見つめるカイトを膝に招いた。

素直に乗ったカイトの髪を梳き、案じるようにその顔を覗きこむ。

「大丈夫ですか?」

問うがくぽを見返すカイトは、かえって不思議そうな表情になった。どうして自分が案じられるのかと。

「えうん。へーき。がくぽとルカがおかしくなったから、やだったけど……」

「………」

答えは明瞭で、嘘を言っているようではない。

あれだけの『違和感』を感じて、カイトが平然としていられようはずもないから、そうだとすると――

「どういうことですの?」

わずかに厳しく問われて、がくぽは困惑の表情をルカに向けた。

「………その、禁忌の元と思われる、子供神です。一瞬、世界を過りました」

「………」

「姿は見ていませんが、気配が――」

告げたがくぽに、ルカは難しい顔で考えこんだ。かしりと、きれいに整っている爪をかじる。

躊躇いつつも、がくぽはカイトを抱く腕に力を込め、ルカを見据えた。

「気配が過り、消えた瞬間に、ルカ殿のご記憶が戻られました」