「いくらなんでも、自分があまりにもいい加減過ぎると反省したくなりませんか、神威」
「………………っ」
冷たい声音で吐き出され、がくぽはきりりと奥歯を鳴らした。膝の上では、カイトがたまごを抱いて竦んでいる。
そう、膝の上には、カイトがいる――まだ、抱いたままだ。
わずかでも腕の力を緩め、相手が突き出した剣に負ければ、カイトが傷つく。
しょちぴるり
第4部-第10話
元からの忌々しさもあって、いつになく怒気を噴出させるがくぽにも構わず、いきなり斬りかかったほうのキヨテルは変わらない。いつもの通りだ。
野辺に座った相手へと振り下ろした剣に体重をかけ、力で押し切ろうとしながら、飄々と振る舞う中にも冷やかさを隠さない。
「私は完全に、あなたの不意を突いたつもりだったんですがね。まさか、防がれるとは。そのうえ、麗しき花の神を膝に抱いたまま!ひとのことをバカにするのも、ほどがあると言うものです!」
「やかましいわ、この疫病神がっ!」
「ふっゎわっ!」
がくぽは呼気鋭く叫ぶと、鞘に入ったままの剣を持つ手を強引に捻った。合わせた相手の剣を絡め、崩れた均衡に付け入って、カイトごと己の体を捻る。
キヨテルから盾となるように体を滑らせると、がくぽはカイトとたまごを野辺に下ろした。そのうえで、自由になった足をキヨテルめがけて飛ばす。
剣が絡められた時点で、キヨテルは退避姿勢を取っていた。足は届かないが、これはいわば、距離を空けさせるための追い風のようなものだ。
思惑通り、キヨテルは当初の目算よりも遠くへと飛び退り、十分な距離が空く。
それでも油断することなく、がくぽはすぐさま姿勢を整え、鍔を返すと剣を抜いた。
がくぽはいつものように、カイトとたまごとともに野辺へと出たところだった。そこでカイトはうたい踊り、ひと段落つくと、がくぽの元へとやって来た。
おくるみにくるんだたまごを大事に抱いているカイトを、がくぽもまた、胡坐を掻いた膝の上に、大事にだいじに乗せて――
和やかに過ごしていたところに、招かれざる客の急襲だ。正しく、急襲だった。
剣こそ手の届くすぐ傍に置いてあったものの、カイトとたまご、二つを抱いたがくぽは、ほとんど体の自由が利かない。出来ることはせいぜい、転がって己の背を盾と為し、キヨテル――隠密衆の毒刃を受けること。
だけの、はずだった。
しかしがくぽはカイトとたまごを抱いたまま、鞘から抜かない剣を器用に繰ってキヨテルの剣を受け、片手で止めてみせた。
確かに、最強を謳われた剣士だ。
常人よりは多少、仕出かす。
だとしても、ここまで常識外れではなかったはずだ。下っ端の隠密衆ともかく、頭目格を務めるキヨテル相手で、この業はない。
キヨテルが驚き呆れるのも、無理からぬことだった。
「まったく………元から常識がなかったというのに!あなたこの森に来てからどんどん、常識外れになっていきますよ、神威!人間に戻りなさい!」
「戯言は公主の前で吐け!幼い公主ならば、無邪気に笑って赦してくれようから!」
「そうやって、ひとの郷愁を突く!鬼ですか、鬼ですね、神威!あなたのせいで、私がどれほどの期間、ユキさまのご成長をこの目で見られていないことか!」
「だから、帰れ!勝手に!!」
まったくいつものごとくに剣突くし合いながら、二人はお互いの隙を窺う。
ある意味で、もっともやりやすく、もっともやり辛い相手だ。
幼い頃から、なにかと言えばぶつかり合ってきた。新しく手に入れた力や業があれば、まず互いに試した――友情ゆえではない。その反対によってだ。
今度こそ、この業こそは、相手を倒すのではないかと。
ために、本来は秘匿のはずの隠密衆、キヨテルの手の内もある程度はがくぽには読めたし、逆も同じだ。
本来は相性の悪い剣士だが、キヨテルはがくぽの癖も傾向も熟知している。
だとしても、今日のキヨテルは微妙に冴えが悪かった。
感情を隠すことに長けた挙句、己ですら本来の感情がわからなくなるほどに抑圧し、制御できるはずのキヨテルが、堪え切れずに苛々とした表情を晒している。
油断なく構えつつも、がくぽはそういった相手のこともよく観察していた。
なにかに、気を取られている。
なにかに――
「たまごをお産みになったんですね、麗しき花の神………男ノ神であられるはずが、どういうカラクリか気になりますが。まさにこの間、私が言った通り、あなたは一種の『孕み女』だったわけだ」
「っ!」
「?!」
吐き出されたキヨテルの言葉に、カイトもがくぽも瞳を見張った。しかし、意味は違う。
カイトは、まさか己に話しかけられるとは思っていなかった、意外さの。
がくぽは、いったいいつ、カイトとキヨテルがそんな会話を交わしたのかという――
「お顔つきが変わりましたよ、麗しき花の神。以前は私を見ると、視線だけで殺せそうなほどに鋭くきつく、睨んできたものですが――そのたまご、『母親』はあなたとして、父親は、この神威で間違いないでしょうね?」
「カイト殿、答えないでください」
「………がくぽ」
「情報を与えてはいけません」
「………」
瞳を揺らがせるカイトをちらりと見やり、がくぽはくちびるを引き結んだ。
カイトが、がくぽとの間にたまごを生んだことは、森にいれば誰でも知っている。隠しもしないし、あちこちで祝福も貰った。
だから、森の何処かに潜むキヨテルがたまごを知っていること自体は、不思議でもなんでもない。
問題なのは、キヨテルがそもそも森に留まる理由だ。
新しい神を狩って、自国へと連れ帰るため――
生まれたてどころか、生まれる前のたまごなら、持ち帰るも容易い。その後の、洗脳も。
兆す能力がわからないことだけが問題だが、『母親』はカイトだ。癒しか滅び、いずれかの力は持っていると見当がつく。そしてそのどちらであっても、便利至極に使える。
キヨテルが今回来たのは、これまでとは違ってカイト狙いではなく、たまご狙いだろう。
ならばカイトを傷つけることにも、躊躇わない可能性が高い。
それになにより、気になるのは――自分が与り知らない、会話を交わした可能性。
がくぽは常に、カイトの傍にいた。キヨテルと対するときなら、なおのことだ。
二人きり、がくぽの知らない会話を交わす余地もないはずなのに――
「麗しき花の神。あなたが余裕を得たのは、子を生したことゆえですか?これで、神威は完全にあなたと繋がったと?まさかそんな、夢見がちな深窓の姫君のごとき妄想を抱いているわけでは、ないでしょうね!」
「貴様っ!」
「なにいってるか、わかんないのっ!!」
「っ!」
完全な嘲る調子に、がくぽは怒りに駆られて飛び出そうとした。が、わずかに早く腰を浮かせたカイトに着物の裾をつままれて、振り払うことが出来ずに急停止をかける。
馴染みの言葉を堂々と言い切ったカイトは、構える様子もなくだらりと立つキヨテルをきっと見据えた。
「でも、わかったこともある………がくぽが、キヨテル好きでも、いいんだって。だって、がくぽがキヨテル好きなことは、おれをキライってことと、いっしょじゃないんだから。キヨテルのこと好きだからって、おれのことキライっていうことじゃないんだって、おれのことちゃんと好きなんだって、わかったから、だから、いいの!」
「カイト殿っ!!」
怖気を振るって叫んだのは、がくぽだった。
誤解が――果てしなく、解かれる先も見晴るかせない彼方にまで。
何度も何度も否定し、言葉を尽くしたはずなのに、どうしてがくぽとキヨテルの仲がいいという結論が、揺るがないのだろう。
そのうえ、そんなにがくぽがキヨテルを好きだというと――がくぽがキヨテルとカイトを、天秤に掛けているように聞こえるではないか。
天秤になど、掛けようもない。
がくぽにとってカイトとキヨテルはまったく、住まう場所が違うのだから。
「ふっ」
どう言えばわかってくれるのかと頭を抱えるがくぽに対し、キヨテルのほうは小さく笑った。
「ふふふふふっ」
小刻みに震えながら、楽しそうな笑い声をこぼす。
イクサ場を勝ち抜いてきた剣士らしく危機の予感を察知し、がくぽが反射的に剣を構え直した、その瞬間。
「ゆるさなぁああああああいっっっ!!」
「っっ」
「んゎ……っ?!」
キヨテルは、轟と叫んだ。
一介のひとの身でありながら、森が震えるような大絶叫だった。
笑みを残したまま表情は歪ツになり、キヨテルは剣を握る手に力を込める。
「この間まではまだ、少しつつけば揺らぐ隙があったというものを――だからこそ、塩を送る真似までしたというのに!それというのもこれというのも、油断したところをばっさり行く愉しみを高めるため!!」
性格が悪いにも程がある。
叫ぶキヨテルに、カイトはがくぽの背後で身を竦ませ、ぎゅうっとたまごを抱き締める。
がくぽは怒るより先に、呆れていた。わかっていたが――ここまでくるともう、ばかだ。
呆れる犬猿の幼馴染みに構わず、キヨテルはかちりと鐔を回した。睨みつけているが、微妙に涙目だ。隠密衆の涙など空涙と相場は決まっているが、それにしても恨みがましい。
「神威のしあわせなど、神威がしあわせになるなど、ぜったいにぜったいにぜったいにぜったいに赦しませんよ………!もう決めました今決めました、全力で行きますぶち壊します、神威っ!!」
「面倒臭いな、貴様という奴は、本当に……!!」
げっそりとしてつぶやきながら、がくぽも剣を構える。
相手は『ばか』だが、油断ならないばかだ。ついでに言うと、凶器と狂気を持ったばかだ。厄介過ぎてもはや、言葉もない。
まったく油断することなく構えたがくぽと、キヨテルの力は五分――しかし平たい野辺で正面切ってぶつかるとなれば、がくぽの勝率が大きく上がる。
キヨテルは、あくまでも隠密衆。闇に紛れ、影になって相手を弑することをもっとも得意とするのだ。
地の利は、剣士であるがくぽに。
あとは、利を過信し、油断しなければ――
「………っくっ?!」
ぎりぎりで堪えたものの、がくぽは危うく剣を取り落すところだった。そんなことになれば、剣士の名折れ。その場で、反射的に舌を咬み切っていただろう。
――ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう…………………
「っっ、な、ときに………っ!」
<世界>が叫ぶ、違和感。
上げる悲鳴。
頭を擦り潰されるようなそれに、がくぽの体はまっすぐ立つこともできなかった。
咄嗟に地面に立てた剣に縋るようにして、どうにか膝をつくことを堪える。
しかし現状、この隙は致命的だった。逃すキヨテルではないし、容赦を考えることもない。
なぜいきなりがくぽが揺らいだかは脇に置き、体が飛び出し向かってきた。
「がくぽっ?!」
「っくそっ!!」
滅多に吐かない罵りをこぼし、がくぽは懸命に剣を取って振るう。
――ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう………
「やかましいわっっ!!」
世界にか、なににか――叫んで振るった剣は、無様に空を切った。