この手は誰かを抱いていた。
小さなもの。
弱きもの。
傷つくもの。
誰かを抱いて、その安穏たる眠りを守ろうと――
しょちぴるり
第4部-第9話
「……………?」
目を覚ましたものの、カイトはぼんやりと惚けた表情だった。布団の中に仕舞われていた手を出して眺めると、首を傾げる。
空手だ。
この手は、確かになにかを――誰かを、抱きしめていたはずなのに。
小さくて、守らなければいけない、そう誓っていた、誰か。
「ん………」
傍らに横たわる相手は、まったく小さくない。むしろカイトより逞しく、背も高い。
そしてどちらかといえば、カイトを抱きしめてくれている。守るように――まさに、守られて。
――ちがう。
寝惚けたまま、カイトは思う。
抱いていたのは、これじゃない――ちがうちがうちがうちがうちがうちがう…………
「んー………」
ころんと首を反して枕元を見ると、そこには人間の頭ほどの大きなたまごがひとつ、仄かな光を放ってあった。
――きれい。
ごく自然とそう思って、カイトは微笑んだ。
小さいもの――壊れやすいもの。
抱いていた、守ろうとしたものは、これ――
微笑んで手を伸ばしたところで、カイトの体は力ずくで反された。
「っんっ、がくぽっ?!」
「カイト殿……」
「ぁ、ん…………んんっ………ぅ、んぁ、ふ………っ」
反したのはもちろんがくぽで、当然のようにカイトのくちびるを塞ぐ。
たまごが生まれてから、体の交わりは絶えていた二人だ。
朝起きたときの口づけは、交わしていた。ほんの軽く、くちびるを触れ合わせるだけのものだが。
だが今日のそれは、久しぶりに深くしつこく、濃厚だった。朝からやるものではない、夜の秘め事を引きずった、熱を呼び覚ますもの。
「が、くぽっ!ん、た、たまごちゃ…………たまごちゃ、おき………っ」
「………」
「わぷっ!!」
貪られるくちびるを懸命に引き剥がして訴えたカイトに、がくぽが晒したのは珍しく、駄々っ子の顔だった。
ぎょっとして動きが止まった瞬間に、がくぽは体に掛けていた布団を引き上げ、自分ごと、カイトの頭までをすっぽりと覆う。
そしてまた、襲われて嬲られる、くちびる――
「ん、んん………っふ、んくっ………ん、んく……っ」
与えられるのは、唾液だ。たまごが生まれる前、カイトはがくぽとの口づけで、唾液を与えられるのが好きだった。
もちろん、今でも好きだ。溢れそうになるものを、咽喉を鳴らして夢中で飲んでしまう。
伸し掛かる体に縋りついて、けれど。
「んんんっ、ふっ!ぁ、がくぽっ!たまごちゃんっ!!」
「………っ」
大人しくなったカイトに、がくぽが力を抜いた一瞬。
カイトはがくぽの体をわずかに押して隙間を作り、被せられた布団を跳ね除けて叫んだ。嬲られた舌は、起き抜けということもあって壮絶に舌足らずになる。
それでも意味は通じて、がくぽの表情が歪んだ。
カイトは構うことなく、伸し掛かる体の下から這い出る。
枕元に置いたたまごへと手を伸ばすと、丁寧に、しかし素早く自分の胸元に引き寄せて、抱いた。
「………っ」
がくぽがこぼすため息が、カイトの耳に小さく届いた。
たまごが生まれてからこちら、こうまでカイトに執着を見せなかったがくぽだ。だからといって特に我慢し、抑圧しているふうでもなかった。
ごく自然と、軽い接触だけでも満足出来ていたのだ――カイトと同じく。
おそらく引き金となったのは、久しぶりだった昨夜の交わりだ。
他愛ないじゃれ合いから火が点いた二人は、たまごが生まれてから初めて、本格的に体を交わした。がくぽの触れ方は熱が入って執拗で、カイトもまた、乱れに乱れた。
どうしてああまで、触れずにいられた日があったのか不思議になるほど、互いに貪欲に相手を求め――
がくぽの体には、名残りの火がまだ、灯っているのだろう。
カイトだとて、煽られれば簡単に火が戻る。
そうだとしても――
「がくぽ」
「はい。……………っ」
微妙にしょげたように見えるがくぽの顎に、カイトはちゅっと口づけた。
起き上がって寝台に座ったがくぽへと、たまごを腹に抱いたままにじり寄る。
「ね、だっこ」
「はい。ぁ、の、カイト、殿」
「ぅん」
求められるままにカイトを膝に招いたがくぽは、戸惑う顔で抱かれたたまごと見比べる。
乗せられたカイトは構うことなく、ちゅっちゅと音を立てて、がくぽに口づけをくり返した。
「その、」
「ナカマハズレにしたら、たまごちゃん、スネちゃうでしょ?」
「……は?」
「たまごちゃんだって、なかよしのナカマに入れてあげなきゃ、さびしくってスネちゃうよ、がくぽ」
「…………」
瞳を細め、楽しそうに告げるカイトに、がくぽは黙りこんだ。
そうやってがくぽが沈黙に落ちても構うことなく、カイトはちゅっちゅと音を立てて何度も何度も、口づける。
「………カイト殿」
「ぅん」
ややして口を開いたがくぽは、戸惑うようにカイトを見つめた。カイトと、その腹に抱かれたたまご――未だ姿を見せない、自分の子供を。
「私の感覚としては子供を抱いたままで、あまり親がこう、接触を持つというのは、馴染みがないのですが」
「んっ」
しどろもどろと言ったがくぽに、カイトはにっこり笑った。
「むつかしくって、わかんない!!」
「はい……………」
然もありなん。しかもあまりに、今さら過ぎる。
言葉を失くして項垂れたがくぽに、カイトはまたも、ちゅっと音を立てて口づけた。
情けない顔を向けた相手に、腹に抱えたたまごを軽く持ち上げてみせる。
「たまごちゃんだって、おれたちがなかよくしてたら、うれしーよ。………その、あんまりはづかしいとこ、みせたら、だめだけど。これくらいだったら、ぜんぜんへーき」
「……………これくらい、ですか」
「うん」
微妙に不満の響きが混ざったがくぽの問いに、カイトは頷く。頼りがいのある胸に凭れると、くふふと笑った。
「いっぱい口づけして、べろなめたりするくらいなら、へーき。…………ね、がくぽ………」
「…………………」
東方の感覚からすればそれは完全に、子供に見せていい段階を超えている。
けれどカイトは神で、ここは北だ。
なによりも体の内にまだ、火が残って消えそうにない。
「がくぽ」
「…………はい」
強請る色で見つめられ、その艶めかしさに、がくぽは仕方がないと微笑んだ。
初めは無邪気にしか見えなかったカイトだが、想いに自覚的になってから、時折こうして、ひどく艶めかしい様子を見せるようになった。
子供を生むと女は変わるとはいうが、カイトは男で、生んだのはたまごだ。どこまでどう変化するものか、わからない。
悪いことではないと、がくぽは思う――悪いとするならそれは、あまりに艶めかしい表情に、がくぽが時と場合を忘れてしまうことくらいだ。どちらにしろ、カイトの罪科ではない。
なんだかんだと理由をつけては、我慢が利かない言い訳にしようとする己がもっとも悪いと、がくぽは思っている。
忍耐も忍従も、頭がおかしいとすら言われるほどに脊髄に沁みこんだ東方の人間、剣士であるのに――
カイトに触れたい欲だけは、どうにも我慢の利きが悪い。
「………『目』を閉じていろよ」
「っくふっ!」
カイトを片手に抱き寄せ、もう片手でたまごを撫でたがくぽは、くちびるが触れ合う寸前にそんなことをつぶやく。
思わず吹き出したカイトのくちびるはすぐに塞がれて、誘うままにがくぽの舌が伸ばされた。
とろりと伝わる唾液を飲みこみながら、カイトは腹の上のたまごをきゅうっと抱く。
離さない。
がくぽのくちびるに翻弄されながら、カイトは誰にともなく誓う。
離さない――今度こそ、離さない。
この手は、必ず、抱いていよう。
小さなもの。
弱きもの。
傷つくもの――
もう二度と、この手を離したりしない。
今度こそ、必ず、守る。
「ん、………っん………っ」
「カイト殿…」
「んん、ぁ、がく、ぽ…………」
たまごを抱くカイトの手に、がくぽの手が重ねられる。
ひとりで抱くよりずっと安定して、ずっと力強く。
もしこの手が滑っても、きっと相手が。
相手が手を滑らせても、きっと自分が。
一人以上の力強さと、依存になりかねないぎりぎりの境界の、相手への信頼。
確信があって、カイトは微笑んだ。
ひとりではない。
だから、こんどこそ、だいじょうぶ――
その言葉の意味にも、気がつかないまま。