ARIANE-03

不自由ながら懸命にもがくカイトはあたふたと、伸し掛かったまま無為に懊悩しているがくぽを見上げる。

「カイト?」

覚えたくもない厭な予感に眉をひそめたがくぽに、カイトは困ったような顔で眉尻を下げた。

「料理長さんが、………僕の今度の誕生日に、三段にしたお菓子の塔を作ってくれるって………あの、その、三年だから、三段って。そういえば、去年は二段だったなって思い出して。でも今年は特別だから、焼き菓子だけでなくって、飴とか干し果とか、あと外ツ国の珍しいものいっぱい入れたり、飾ったりして………そんなの贅沢ですって、一応、言ったんですけど……」

「口説き中か!」

「え?」

おろおろと言い募るカイトに、がくぽは横を向いて吐き出した。意味がわからないカイトは、きょとんと目を丸くする。

もちろんがくぽの結論は妻への溺愛に目が眩んだ挙句で、料理長はおろか、溺愛されるカイトにとっても迷惑千万以外のなにものでもないが――

「今年は特別とは、どういうことだ本腰を入れるという、宣戦布告か?!」

「えあの、がく………。んと、その、ごめんなさ、んっ」

がくぽが威嚇しているのはここに不在の料理長だが、そもそもカイトは会話の端緒が掴めていない。

自分が怒られているのかと、委縮して謝りかけた。

そこでようやく我に返ったがくぽが、軽くくちびるを落として無為な謝罪の言葉を塞ぐ。

先に散々貪ったものの、未だ甘い感触のくちびるをとろりと舐め、引いた唾液の糸を啜った。唾液も甘いままの気がする。

それでも、胸やけを覚えることはない。どれだけ甘くとも、むしろもっとずっと、溺れこんでいたい。

「そなたが謝る義理のことではなかろう」

「んん……っ」

口周りを舐めて砂糖の滓をきれいにしてやりながら、がくぽは努めて穏やかに告げた。くすぐったさに震えるカイトは、相変わらず手を泳がせつつも、次第に距離が縮まっている。

おそらくあと一度口づければ、がくぽの衣装か長い髪かが、ちょっとばかり悲劇だ。

しかし笑劇的な悲劇が起こる前にがくぽは体を起こし、カイトは転がしたまま、椅子に座り直した。

力が抜けてすぐには起き上がれないカイトの伸びる足は、膝に乗せる。もぞりとあえかな抵抗を見せた腹を叩いて大人しくさせると、がくぽは泳ぐカイトの手を取った。

べたつく指先をくちびるに含むと、ちゅるりと音を立てて啜る。

「んぁっ、や、あ……っ」

「で、カイト今年は特別とは、なにが特別なんだと?」

「ぁ、えと、あ……っ」

自分でしゃぶる分にはそうでもないが、ひとにしゃぶられると指先もまた、性器だ。くすぐったいと、膝に乗せた足が悶えてばたつきかけて、遠慮を思い出して堪えたことで、掻痒感は愛撫への快感にすり替わる。

がくぽが一本一本の指を丁寧に舐めしゃぶってきれいにするのに耐えるカイトの表情は苦悶に似て、これ以上なく嗜虐心を刺激してくれた。

しかも今のカイトは、大人としての色香を纏い、普段からひどくひとを惑わせる。

甘い唾液をごくりと呑みこみながら、がくぽは過分なまでの欲を含んでカイトを見つめた。

夫が醸し出す空気の違いを察知し、カイトはぶるりと体を震わせる。

領主としての執務の合間に、カイトの我が儘で無理に挟んでもらっているおやつの時間だ。そうそうおねだりなどしてはいけないと思うし、夫を刺激してもいけないとも思う。

思うが、日々念を入れて仕込まれた体はどうしても疼く。

そしてまた、粘着さを増したがくぽの舌遣いに、ねちっこい視線に、体を走る快感はいや増しに増していく。

「カイト」

「ぁ、さ………さん、さいは………お祝いの、とし、だから、って………無事に、おっきくなれ、て………おめでとう、の………」

「なにぃっ?!」

思わず訊き返してから、がくぽは少しばかり頭を抱えたくなった。

生まれて三年――三歳の年に、盛大な祝いをする習俗が、確かにあった。

むしろ、生まれてすぐにはあまり盛大に祝わない。これから先に繋がる命か、まだ判明していないからだ。

懸命に策を凝らしても低くはない乳児死亡率の中、三歳まで生きられればひとつの区切りだと。

そこでようやく、ひととして祝いの席を設けるのだ。初めて、親戚などに披露目されることも多い。

領主であるがくぽとて、そうだった。生まれたらしいと一般に噂は流れていたが、名前が公にされ、存在が広く布告されたのは、三歳の誕生日のことだ。

三歳というのは、特別な意味を持つ年齢なのだ。

そして近々に迫ったカイトの誕生日は、確かに――こう、あまり現実味を持って数えたくないが、生まれて三年。

三歳だ。

忘れていた以上に、考えたくないというのもあったが、カイトだ。

誕生日の話題が持ち出される数か月前に急激に成長を始めて、周囲ともどもあたふたとして、そして今。

カイトの見た形は、現在、十代後半から二十代の前半に片足を突っこんだかというところにまで来た。

これで、ようやく走ることを覚え出したようなよちよち歩きの幼児を想起しろと言われても、無理がある。

がくぽはカイトのことを深く想っているし、常に気にかけてもいるが、無理は無理だ。妻と成しているからさらに無理だという話もあるが、おそらくカイト付きの家宰や女中だとて、そこに思い及ばせることは難しいはずだ。

さすがは料理長。単に、鉄鍋ひとつでくまを倒せるだけではない。領主の屋敷に長年仕えただけはある、気の利かせようと度量の据わりようだ。

「………だから尚更、勝てる気が………っ」

「がくぽさま?」

伸し掛かる体の上に倒れかかったがくぽに、カイトはおろおろとした声を上げる。相変わらず、がくぽとの会話が成り立ち難い。発想の端緒が不明だから、意思の疎通が図れるわけもない。

己の未熟さと不甲斐なさとを儚むがくぽは、これでいて他領には頭脳の冴えを恐れられる存在だ。

「あの………」

躊躇ったカイトだが、片手をがくぽの髪に伸ばした。そっと、撫でる。こちらの手は、先にがくぽが舐めしゃぶってきれいにしたものだ。

唾液まみれで微妙といえば微妙だが、砂糖や蜂蜜でべたついているより、ましなはずだ。

遠慮がちにやわやわと梳かれて、がくぽはしばし、あやされる心地よさに浸った。

そういえばカイトを娶ってからというもの、あやしたり甘やかしたりすることにばかり注力し、あやされたり甘やかされたりということに気を遣らなかった。

男であり、大人であり、領主だ。甘々されてどうすると、がくぽの矜持はひどく高いところにある。

しかし愛おしむ相手であれば、この年になったところで、あやされたり甘やかされたりということも、心地よいのだ。

たとえばそれは執務の合間、カイトとともに摂るようになった間食の時間が、自分を癒して活力を与えてくれるものだと、気がついたような。

領主としての仕事に心身ともに追い立てられ追い詰められ、妻を娶ることなど考える余裕すらなかったのだと、思い至ったときのような――

数か月前まで、カイトは子供と大人の端境にいて、体はもっと小さくいとけなく、閨に組み敷いても甘える対象とは違った。

けれど今は、がくぽより小柄であっても大人としての骨格を持ち、こうして甘えることを考えられるようになった。

それが望ましい変化かどうかはわからず、だとしてもこの妻を最後の最後まで愛おしみ尽くしたい。

そして成ることなら、すべての記念に立ち会い、ともに祝いたい。

「………そうだな。特別な年だ。大事な………」

「………はい。えと、そう、なんです、ね」

俗世の習俗に疎い魔女一族に育ち、嫁入りしてからも、それほど世間一般に染まったとは言い難いカイトだ。

胸の中でのがくぽのつぶやきに、どこか戸惑いがちに応えた。

もう少し撫でられていたい気はしたものの、がくぽは顔を上げると、よく見慣れて未だ馴れない、大人と成った妻をしっかりと見つめ、微笑んだ。

「そうだ。そなたの大事だ。共に迎えることが出来て、うれしい」

「……………はい」

年を経ても、がくぽの美貌は衰えを知らない。いや、逆に威力はいや増すばかりだ。

溺愛する妻を得ていろいろ充実してしまったせいか、ここ最近は正対するのが眩しいとまで言われる。これは皮肉でも嫌味でもない。はずだ。

カイトなどは日々、間近にしているはずだが、やはりこの美貌ぶりに馴れることがない。

がくぽがカイトの見目麗しさに懊悩するように、カイトも未だ、がくぽの美貌に見惚れて意識が飛ぶ。

誑かす笑顔に、うっとりと見つめながら吐きこぼされるカイトの返事は熱を含んで甘く、がくぽは投げ出した妻への愛撫を思い出した。

先とは逆の手を取ると、指先を口に含む。

「ぁっ、ふ………っぅ、んっ……っ」

熱い口内に含まれると、カイトの体だけでなく指もぴくりと震えて竦む。立った爪がやわらかに舌を掻き、与えられた掻痒感にがくぽもまた、わずかに体を震わせた。

甘く、旨く、愛おしい。

すべてを兼ね備えたのが、がくぽの妻である、カイトだ。

「なにか、欲しいものはないかそなたから強請るものだ。特別な祝いゆえな。なんでも聞いてやるぞ?」

「ぁんっ、んん………っ」

もちろんがくぽは自分でもすでに考えてはいたが、それとはまた別に、カイトが強請るものもやるつもりだった。

三歳だろうが何歳だろうが、カイトが生まれてここに在ることが奇跡であり、めでたいことに変わりはない。どちらにしても、当初から、祝いの品は二種類の予定だったのだ。

ちゅぷちゅぷと指をしゃぶりながら訊かれ、カイトは身を竦ませて首を振った。

欲しいものなどないという意思表示ではない。こんなふうにされて、まともな言葉など返せないという、嘆願だ。

「め、だめ、です………がくぽ、さま………っ、お時間………っ」

「今少しだ。あとは、そうだな。そなたの堪え次第か」

「むり……っぃ………っ」

指先を含まれ、骨を辿って節を絡め、股を舐められて手のひらをくすぐられる。

完全に遊ぶ気になった夫の悪戯に、カイトは熱を持つ下半身を浮かせ、擦りつかせて啼いた。がくぽは瞳を細め、身悶え喘ぐカイトの様子を愉しむ。

よく見慣れた、見慣れない表情だ。

声も多少低くなったが、相変わらず甘さを含んでやわらかい。

あとどれほど、先に進む気かは知れないが――

「カイト。強請れ――なんでもだ。欲しいというなら、なんでも呉れてやる」

「ぁ、がく、さま………っ」

ぷるぷると震えながら、カイトは涙目でがくぽを見つめる。膝が立ち、がくぽの腰を挟んで寄せた。応えて擦りつかせてやると、服地越しに硬さを察知したカイトが、大きく跳ねる。

「がく……」

「ただし今、これが欲しいというのは、なしだな。あくまでも、俺が訊いているのは誕生の祝いゆえ」

「んぅ……っ」

しらりと告げて笑うがくぽに、カイトはきゅっとくちびるを噛んだ。怒ったようにぷいと横を向くと、悪戯される手を取り戻し、がくぽの胸を押す。

がくぽは素直に体を起こし、カイトを解放してやった。カイトが本気で怒ったり拗ねたりしたなら別だが、今は違う。煽られる体をなんとかしようと、カイトが懸命に策を練って凝らしている最中だと、わかっているからだ。

だから素直に乗ってやったがくぽが退くと、カイトはよろよろと体を起こした。ぺたりと床に落ちると、椅子に座ったがくぽの膝の間に体を割り入らせる。

「ほし………ものは、決まって、るん、です………けど」

「ん?」

カイトは布地越しに、やわやわとがくぽの性器を掻き、撫でる。もどかしい刺激に眉をひそめつつも堪え、がくぽは悩むような怒ったような表情のカイトを眺めた。

煽られる体を持て余しているかと思ったが、それだけでもないらしい。元々、なにかの折には誕生祝いに強請りたいものがあったが、いざとなると躊躇う――

「なんでも言え。俺が約を違えたことがあるか」

「………」

「ん?」

背中を押してやるつもりで言ったがくぽに、カイトはちらりと視線を投げた。その視線が物語る諸々に、がくぽは領主として身に着けた技量を全力で尽くし、力いっぱい、満面の笑みで応える。愛する妻相手とはいえ、ここのところで容赦や呵責はない。

案の定で、カイトは美貌が尽くす全力にほけっと見惚れ、他ごとをすべて不問に処してしまった。

しかし指は未だ、もじもじもぞもぞとがくぽの性器を布地越しに弄ぶままで、これはこれでいい拷問だ。

執務の合間、ほんのわずかに時間を取っているだけだ。

これ以上、カイトを刺激してはやれないが、自分自身があまりに刺激されることもまずい。

それとなく伸ばした手で止めようとしたがくぽだが、カイトは自分できゅっと丸めて止めた。意を決したように、顔を上げる。たっぷりと媚びを含んだ、おねだりの顔だ。

「あの。………おやすみ、ほしい、です………がくぽさま、おしごと、いちにち、お休み、して………ぼくの、」

「なんだと?」

――がくぽが訊き返したのは、カイトの言うことが理解出来なかったからではない。

夫の甲斐性をなんだと思ってくれているのかと、不愉快さが立ったからだ。おねだり顔のカイトは誘われて仕方なかったが、それはそれのこれはこれだ。

がくぽは殊更に眉をひそめ、厳しくカイトを見下ろした。

「そんなことは当然だ。すでに予定は調整して、そなたの誕生日には………」

「あ、あっ、ちがっちがう、んですっ!」

年上の夫としての威を持って言うがくぽに、カイトは慌ててぷるぷると首を振った。膝を立てて伸び上がり、がくぽの胸に縋る。

「お休み、欲しいの………誕生日の、日じゃ、なくて………別の日に、いちにち………ずっと、僕と過ごす時間、作ってほしく、て………っ」

「……別の日、か?」

思ってもみなかったおねだりに、がくぽは切れ長の瞳を見開いた。

理解が及ばない顔でいるがくぽに、カイトはこくこくと頷く。目元がほわりと染まり、熱に潤む瞳が羞恥に歪んだ。もじもじもぞもぞと落ち着かず腰が蠢き、股を擦り合わせる。

堪えきれずにすっと横目となると、カイトは濡れるくちびるを開いた。

「はい。………あの、その……いちにち、おふとんのなか、で………がくぽさま、ぼくのおなかの、なか………ずっとずっと、いれっぱなし、で………いちにち。いちにち、ずっと、ずーーーーっと………そ、そしたら………っ、その、あの………っ」

「………」

凝然と瞳を見開いたまま、がくぽはカイトの告白を流れるに任せていた。

自分のおねだりがどういった種類のものか、さすがに理解しているのだろう。カイトはがくぽの胸元に顔を埋めると、ぐりぐりと擦りつく。

それでも、言葉は止まらない。

「で、できる………っから。ち、ちっちゃいまんまだったら、むり、だったけど………っできる、ように………ぼく、いっしょけんめー、からだ、おっきくした、し………っこ、これくらいに、なったら………っ」

「カイト」

なんだか衝撃の事実が明かされたような気がした。

まさかこの誕生日祝い欲しさに、あれほど執着していた膝だっこを投げ捨てて成長したと。

いやまさかそんなと思いつつ、がくぽはぐりぐり擦りつくカイトの肩を掴み、体を離した。きっと、真正面から目を合わせる。

「そなたが成長したのは、つまり、………できる、ようにするためか」

一日、閨に引き篭もり、夫に存分に愛で尽くされるようにするためなのか、と。

短く問うたがくぽに、カイトはこれ以上ないほど朱に染まり、こくりと頷いた。

「だって………ちっちゃかったら、むり………って」

幼いから出来ないと言った覚えはないがくぽだ。それでは日常の夜はどうなるという話だが、カイトは以前にも何度か、がくぽが何気なくこぼした言葉を極大解釈した挙句、明後日な方向に突っ走ったことがあった。

今回もおそらく、それなのだろう。

そして言うなら――

「今すぐ予定を調整する。今夜……っ否、今すぐからでもっ!!」

「え、あの、がく……っがくぽ、さまっ?!」

――ここ最近、妻に飢餓状態だったがくぽに、大人の都合や男の甲斐性や年上としての矜持というものは、皆無以上に絶無だった。

今すぐにでも妻を抱えて閨に駆け込もうとする領主を、妻と家宰とが総がかりで止める羽目となり、がくぽにはまたひとつ新たな汚点と歴史と伝説とが生まれたが、本人は一向に気にしなかった。