珍しくもきりっとした顔で、へきるはリビングの床に正座した。

さらに珍しくもマスターらしい威厳に満ちた態度で、その前のソファに座るがくぽをきっと見る。

「がっくん、ちょっとそこにお座んなさい」

トッカータフーガクリアンスセール-01-

――くり返す。

がくぽはすでに座っている。ソファに。

もう少し詳細に描写するなら、板間に直接正座したマスターの目の前のソファに、ふんぞり返るように身を預け、腰を下ろしている。

「…ふむ」

わかりきっているはずであるというのにわざわざそう指示され、がくぽも少し考えた。

この場合、選択肢は結構、多岐に渡る。この一瞬で思い浮かべただけでも、ざっと十を超えた。

しかしそのすべてを実行することは不可能だし、なによりいくら思い浮かんだとはいえ、がくぽの基本は『面白いか面白くないか』だ。

その『面白い』というのはもちろん、がくぽがということもあるが、最大のポイントは、『マスターの反応が』いかにか面白いかという。

そういった条件付きで、十いくつもの選択肢を比較し、取捨選択。

結論。

「ぬしはまったく、仕様のないど変態オタマスぢゃの!」

「ちょっと待て、がっくんこの一瞬でなにをどう結論した?!って、がっく…」

己のマスターの変態ぶりを嘆いたがくぽは、すでに座っていたソファから『指示に反して』立ち上がった。即座に姿勢を転じると、へきるが勘づくより先にためらいもなく、その膝に腰を落とし直す。

板間に直接正座したへきるの膝の上に、だ。

「ぎゃぁああああっっ!!がっくんがっくんツブれる!!がっくんっっ!!」

いくら美麗な顔をしていてもがくぽは成人男性であり、さらに言うなら結構な長身だ。

力も体格もすべてが平均的などオタクであるへきるに、がくぽを膝抱っこできる漢気はない。

耳元で叫ばれたがくぽといえば、やれやれと眉をひそめた。

「やかましいのう、己で座れと言うておいて。これだから、己の力量を把握できぬオタクは発言に責任がのうて、困るのぢゃ」

「なんかすっごい勝手な罵倒してるけど、がっくん!!まずおりてぇええええっっ!!」

正座した膝に乗られているのだ。板間に座布団もクッションもなにもなく、直接正座した膝の上に。

下手に身悶えることもできないまま、へきるはひたすら叫んだ。

「やれやれ、我が儘なマスターぢゃ。我の苦労は天井知らずぢゃのう」

反論したいことが、山ほどある。

しかしもはやへきるは叫ぶこともままならない。

そのへきるを救うがごとく、ソファから無邪気な声が上がった。

「がくぽさん、がくぽさん俺ががくぽさん、ひざだっこしますぅ!!俺のおひざに来てください!!」

「ん?」

「…………………………カイト………」

別の意味で、へきるはほとほとと涙がこぼれた。

そもそも、がくぽはソファに座っていた。カイトを膝抱っこして。

いちゃいちゃしていたところにへきるがやって来て、がくぽにそこへ座れとやったのだ。

いくらマスターの命令とはいえ、『大好きながくぽさん』の膝から下ろされたのは、恨みがましい。

というわけで→至る:このご主張となる。救い手であるようで、微妙に救い手とも言い切れない。

ソファの上から手をふりふりして招くカイトに、がくぽはうっそりと笑った。

「ふ…………っ」

「どっせぇええいっっ!!」

へきるはばたんと倒れると、人間としての限界まで体を伸ばし、床に落ちているティッシュ箱を爪に引っ掛けた。

それをもはや超常能力としか言えないほどの速さで自分へと引き寄せ、中身を取り出してがくぽに突き出す――

この間、およそ1秒。

「愛いのう、カイト…………っっ!!」

「ま、間にあっ………っ」

「ふぁゃわゎわっ」

しおおせたへきるはぐったりと床に懐いた。

間一髪のところで、がくぽの鼻を抑えたティッシュはみるみるうちに赤く染まっていく――

ソファからじたじたと伸ばされていたカイトの手も、びくびくびくっと怯えて引いた。がくぽのことがどれほど好きでも、苦手なものは苦手なのだ。

そういった周囲の反応に構うことなく、がくぽは悠然と鼻血を垂らし、適当なところで止めた。

最近判明してきたが、がくぽの鼻血はやはり、制御可能なものらしい。

しかしてある程度は流さないと興奮が治まり難く、興奮が治まらなければすぐに緩んで出てきてしまうため、やはりそう簡単に止めることもし難いとかなんとか。

赤く染まったティッシュを捨て、共に常備してあるウェットティッシュで血のりを拭ったがくぽは、そこでようやくへきるの膝から降りた。

四つん這いで、ぺたぺたとソファに戻る。だからといってすんなり座ることはなく、四つん這いまま、ソファに座るカイトを見上げた。

「ぬしの膝抱っこも捨てがたいが、我を乗せてはそれこそ、ぬしがツブれてしまおう?」

「そんなことありません俺、おとこのこですからっ好きな人くらい、ひざだっこできますぅっ!」

「………」

「………」

拳を握ってのカイトの力説に、がくぽはへきるへと横目をくれた。へきるは床に倒れたまま無言で、微動だにもせず、懸命に死んだフリをしている。

しばらく見つめたものの、オタクの死んだフリは根性の入り方が違う。

さすがのがくぽも諦めて、カイトへと顔を向け直した。

「そうぢゃな、カイト。やってみればもしかしたら、出来ないこともないかもしれんの。――しかし我は、ぬしに抱っこされるより、ぬしを抱っこするほうが好きなのぢゃ」

「っでも、がくぽさんっ」

ソファの上から身を乗り出して言葉を重ねようとするカイトに、がくぽは誑かす笑みを浮かべた。

「カイト、ぬしは我のかわいいかわいいコイビトぢゃぞ替えもない、類もない、かけがえのない存在ぢゃ。ど変態オタクのマスターなんぞと張り合わず、我に抱っこさせておくれ?」

「ぁあうぅっ、がくぽさぁん………っ」

熱烈な愛の告白に、カイトは胸の前で手を組むオトメポーズとなった。きらきらと輝いて、がくぽを見つめる。

――わざと詳細を省いたままここまで進んでいるが、現在、その態度はあまりしゃれにならない。

ではいったいなにがどう、しゃれにならないかといえばだ。

「ってちょっと待て、がっくん、カイトも!!なんか誤解があるけど、それを先に解かせてもらえませんか!!」

なぜ敬語か。

たとえロイド相手に敬語であろうと、蹴る馬を恐れることだけはないへきるは再び正座に戻り、きっとして己のロイドたちを見た。

「そもそも俺はがっくんを膝抱っこしたいなんて、ひとっことも言ってないはずなんだけど!!なにが悲しくて男なんか膝に抱えなきゃいけないんだよ?!」

「……………」

「……………」

憤然と主張したへきるを、がくぽはじっとりした横目で、カイトはきょとんと見開いた無垢な瞳で見つめた。

いつもいつも、がくぽには常にスカートを穿かせ、さもなければドレスを着せ、そうでないなら女物の着物を羽織らせているのが、へきるだ。

がくぽよりはまだ、デフォルトの服やパンツルックのときも多いカイトだが、もれなく女装経験豊富。

それというのもこれというのも、すべてはマスターであるへきるの趣味だ。

そして現状。

建築物分類としては、ごく一般的な日本家屋である杉崎家のリビングには、家でも外でもオタクを隠しきれないへきると――

メイドさんがふたりいた。

言うまでもない、がくぽとカイトだ。

へきるのロイドたちの今日のお召し物は、迷いなくスカート、それもメイド服だった。

がくぽはいつものごとくロングスカートであり、足のほとんどが隠れている。派手な装飾もなく、最近流行の二次元メイドというよりは、伝統的な英国式ハウスメイドに近い。

しかし所詮、メイド服に変わりはない。どんなに地味でも女性もののエプロンであり、どのみちスカートだ。

対してカイトといえば、こちらは完全に昨今流行の二次元メイド衣装だった。

スカートが短い。

そしてエプロンのふりふりびらびら度が、まったく実用度外視のふりふりびらびらぶりという。

ミニスカであるときのお約束でニーソックスを履いてはいるが、メイド衣装とニーソックスの組み合わせはある意味、犯罪的なまでにアレがアレだ。あまりに犯罪的過ぎるので明記は避けるが、とにかくアレがアレだ。

頭にはちょこんとボンネットも被っていて、完璧に二次元から這い出して来たメイドさんである。

重ねて言うが、へきるが母親に注文し、出来たから着ろと、件の母親が二人に。

というわけで現在、杉崎家リビングには『マスター』と美人メイド二人の、全オタクが夢見るシチュエーションが完成していた。

いるのはすべて男という、非常にカオティックな。

――杉崎家のカオスを深めている原因は、がくぽが混ぜっ返すからだけではない。間違いなく、八割方はへきるが自身で掘りこんでいる。

しかして元凶とは、得てして無自覚なものだ。

がくぽは肩を竦め、原因にも思い当たることなく憤然と鼻息を荒くするへきるを見た。

「変態どオタクのサラブレッドなマスターのことぢゃ。メイドコスをした我の美しさに、思わずオトコに目覚めたのかと思うたが――」

「んなわけないだろ?!なにがあっても男はノーサンキュー!!たとえ生涯童貞を貫こ………ごふぅっ」

「んきゃっ!」

せっかく復活したというのに、へきるは魂を吹き出して床にうずくまった。

生涯童貞の四文字熟語は、それだけで地獄に叩き込まれたような気分に陥らせる。

「………いや、おにっ娘かわいい、かわいいから、だいじょうぶ………っだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ、俺はだいじょぉおおおおぶっっ!!」

「節操のないことぢゃのう。鬼男から想像するに、おにっ娘は大阪のおかんのようなものぢゃろうが」

がくぽが差し挟んだ冷静な言葉に、へきるはくわっと目を剥いて体を起こした。

「つのつのとらとら、まじびきにだっちゃぁああああっ!!」

――どうやらどこかへとイってしまわれたようだ。

がくぽは呆れながら、いつまでたっても馴れることなく固まるカイトの膝に頭を凭せ掛けた。

「つうわけで、男はなにがあろうとものーs」

「カイトならどうぢゃ」

フリスビー的に秒速でいずこからか舞い戻り、オトコマエ度三割くらい増しで再び言い切ろうとしたへきるへ、がくぽはしらりと提案した。

「ふげっ?!」

「えお、俺ですかっ?!」

へきるが仰け反り、カイトは慌てて居住まいを正す。

そのカイトの膝に懐いたままのがくぽは、頭の下に敷いた短いスカートをつまみ、ひらひらと振った。大事ななにかが見えそうで見えなさそうで見えそうで以下延々えんえん、微妙な範囲でひらひらふりふりと。

目が離せなくなるだけでなく微妙に姿勢も崩したへきるへ、がくぽは淡々とくり返した。

メイドカイトぢゃ。おひざだっこで『ご奉仕』」

「ぅ、ええっ、あ………っ」

がくぽに対するときとはまったく違って、へきるは本気で悩んだ。

男を膝抱っこするなど、もってのほかだ。

しかしカイト。

それも『メイド』カイトだ――

「え、あ、あっごほーし?!ですか?!」

「ん?」

そこでカイトがなぜか反応し、がばっと立ち上がった。立ち上がってもソファの上だが、そこからわたわたとあたりを見渡す。それで、目的のものを見つけたらしい。ソファの背後にぴょこんと飛び降りた。

一度屈んで再び立ち上がったカイトの手には、ほうきがあった。

そのほうきをびゅおんびゅおんと振り回し、カイトはにっこり笑ってポージング――

「ごしゅじんさまにごほーしするためメイドの国からばんのー⇔ゆーのーメイド:カイトっ、ただいまさんっじょうっごしゅじんさまの夢を叶えるため、朝から夜まで、上から下から、メイドカイトが全身全霊全力ごほーしっごしゅじんさまぁっ(↑)、メイドカイトになんでもごめーれーくださいねっ♪」

「………………」

「………………」

――擬音とするなら、『がたんぼすがっしゃんどかん』となるだろうか。

平均的日本家屋の、杉崎家だ。リビングと言っても、欧米で考える広さはない。

そこに、くつろぐために必要なもの必要ないもの、さまざまな家具家電調度品が詰めに詰めこまれている。へきるだけでなく、父母からオタクの家だ。詰め方は平均的家庭の比ではない。

ほうきを振り回す余地はいっさいない。

決め台詞とともにほうきを振り回しきってメイドカイトが参上したあとには、もちろん惨状が。

「んあ、あれ?」

びしっと最後のポーズを決め、五秒。

はたと我に返ったカイトは、沈黙とともに凝視するがくぽとへきるにきょとんとし、それから自分が巻き起こした惨状に気がついた。

とはいえほんとうにまずいもの、つまりオタクな物品にはいっさい掠りもさせなかったという奇跡ぶりなのだが、惨状は惨状だ。

かわいらしい顔が、壮絶に歪んだ。

「ひ、ひゃぁああんっど、どうしようっ?!やっちゃったぁあっ!!」

ほうきを抱きしめ、へたへたとへたりこむ涙目のカイトに、図らずもがくぽとへきるの感想が揃った。

「「ドジっ娘メイド……………ッ!」」

――メイドといえば、有能であることが第一条件、持て囃されるもの。

しかしこと、オタク業界において第一人気を誇るのは『ドジっ娘メイド』だった。

小さなものから大きなものまでひたすら失敗をくり返し、金銭的にも時間的にも主人に損害を与えまくるという、なにか『メイド』というカテゴリのすべてを否定している気しかしないメイドだ。

ちなみに次点人気はメガネっ娘メイドだが、メガネっ娘の場合、同時にドジっ娘であることが多い。

ドジっ娘メガネっ娘となればもはや、最強メイドの名をほしいままに――

珍しくも呆然としていたがくぽが、はたと気がついた顔となった。未だ呆然冷めやらぬままの覚束ない手で、自分のメイド服の胸元から探り出したのがメガネだ。

それも黒縁の、いや、黒太縁の。

「そういえば母御殿から、あとで落ち着いたらカイトくんに渡してと預かっt」

「がっくがっくんがががっくんもうやめてぇえええっっ!!もぉゆるひてぇえええええっっ!!」

――へきるががくぽに取り縋りながら上げた悲鳴は、男性用成人向け冊子などで男性ではない側が佳境に入って上げる声に少し似ていた。