「オラトリオ」
電脳図書館の司書のつぶやきが耳に入り、コードはのんびり眺めていた新聞から顔を上げた。
そんな気配はまったく感じなかったのだが、ひよっこ守護者が帰ってきたのだろうか。
My Lover is killed Me-02-
だが、いつまで経ってもオラトリオの気配はしない。
代わりに。
「にょにょーぉ」
マヌケな鳴き声が響き、猫とも狸ともつかない、微妙なキャラクタがゆったゆったと傾ぎながら、不安定な二足歩行で現れた。
「オラトリオ」
「にょ~ん」
オラクルの声が甘く弾む。応えるのは、キャラクタだ。
どうやら、この珍妙な生き物に付けた名前が、よりによって『オラトリオ』らしいと察して、コードは小さくため息をついた。
こんなあほ面に同じ名前を付けられたと知ったら、本体のほうが黙っていないだろうに。
「なんだ、それは」
こんなキャラクタを呼び出したということは、仕事がひと段落ついて暇なのだろうと見当をつけて、コードは新聞を畳むとカウンターへと向かった。
「『オラトリオ』だよ」
知の宝庫ではあるが、対話や会話といった方向でそれらを活用することがないオラクルの答えは、いつもどこかずれる。否、もしかすると活用しているのかもしれないが、だとしたらあまりに高尚過ぎて理解できない。
どちらにしても知識量が無駄だ。
「なるほど、確かに余程あのひよっこらしいな」
慣れているコードは呆れることも苛立つこともなく流す。
実際、オラクルの腕の中で、妙に威張りくさった顔をしているそれは、コードの目から見るオラトリオそっくりだ。
本人が聞いたら憤死しそうなそれに、だが相棒のほうは至極うれしそうな顔になった。
「わかるか?苦労したんだよ。パラメータ調整が大変で」
親ばかというのはこういうことを言うのだろうなと、きょうだいおばかさんとして鳴らすコードは他人事のように考えた。
オラクルの話は主語も内容も飛んでいるが、長年の付き合いから、どうやらゲームの話らしいと見当をつける。
いろいろなゲームの中でも、オラクルが好むのは細かいパラメータ調整を要する育成ゲームだ。
恋愛シミュレーションもパラメータ調整を要するが、どうやらそっち方面はあまり興がそそられないらしい。
最初の頃二、三本プレイしたきりで、それ以後やっている様子はない。
まあ、女の子ハーレムに埋もれたがるオラクルというのも、想像がつかないのだが。
そういうのはどちらかというと、相棒のひよっこ守護者のほうだろう。
考えて、コードの口がわずかに歪んだ。
今も外で、仕事はしているのだろうが、圧倒的多数の時間を女の子に声をかけることに費やしているだろう彼のことを考えると、苛立ちが募る。
そんな時間があるなら、少しでもこの片割れのところに来てやれと思う。
「ちょっとうっかりすると、おすもうさんとか巨大メカとかになっちゃうんだよ。あ、でも、大型わんわんとか旦那さまとかはちょっと捨てがたかったなあ」
「…待てまて。なにを育てるゲームじゃい、それは」
出てくる単語の統一性のなさに、さすがにコードも頭を抱えた。
ゲームをしない自分にはよくわからないが、それにしても方向性がわからな過ぎる。ナマモノが普通に進化して、そんなに多方向に行くだろうか。
「なにって、えーと?」
訊かれて、オラクルは首を捻った。検索能力の高い彼にしては珍しいことだ。
目の前にウィンドウが展開され、パッケージを洗う。
何度かのサーチののち、
「ご立派に育てるゲーム…………?」
「…要するに、なんだかわからんということだな…」
ほややんと出された結論に、コードは笑った。
まあ、オラクルが愉しいのならそれでいいのだ。
言葉こそ腐しているものの、やわらかなコードの態度に悪意がないことがわかったのだろう。オラクルは無邪気な笑顔で、小さな『オラトリオ』を抱きしめた。
「すごいんだよ、オラトリオ。モンスターなんか全部やっつけちゃうんだから。無敵なんだよ」
「そうかそうか?」
流れ的にゲームの話なのだろうとは思うのだが、本体にも掛かっている気がする。
なにより、オラクルの声が至極甘い。
本体のほうのオラトリオがいるときのような、腰がもぞもぞする甘さに満ちている。
こんな声で語っているなどと知ったら、あのひよっこは大人げなくこれを捻り潰すかもしれない。
あり得そうな危惧に、コードは苦笑いする。
そうやってオラクルのお気に入りを取り上げれば、盛大に泣かせることになるわけだが、あれが妬心に勝てるようにも見えない。
泣かせたら泣かせたで仕置くことにして、コードは幸せそうなオラクルを微笑ましく眺めた。
無邪気な彼は、いつまで経っても手を掛けてやりたいかわいい弟だ。オラトリオのような毒の塊といるのに、その無垢さが翳る様子がまったくないところも、重畳だ。
「にょぁあ~」
「あ、オラトリオ」
ひと鳴きして、『オラトリオ』がオラクルの腕の中から抜け出す。
ぽこ、とカウンターの上に乗った彼の不恰好な手の中に、『お手紙』が握られていた。
「にょ~ん」
得意げに『お手紙』を振り、『オラトリオ』はオラクルの元へ戻る。
束の間痛ましく顔を歪めたオラクルは、すぐさま元の明るい顔に戻って、『オラトリオ』を抱きしめた。
「メールが来たんだね。ありがとう、オラトリオ。いい子、ご褒美あげるからね」
「にょぁ~、にょぉお~」
ラブラブ甘々だ。
コードはぽりぽりと頬を掻いた。
オラトリオとオラクルがいちゃついていると無性に腹が立ってしまうが、さすがに『オラトリオ』相手にはそこまでの感情は湧かない。名前が微妙に引っかかるものの、見た目はこれだ。
だが、『オラトリオ』が腕の中から抜け出した一瞬に見せた、オラクルの表情は気になる。
まるで本物のオラトリオに背を向けられたかのような、悲壮な顔。
単なるお気に入りのゲームのキャラクタに、そんな顔をする必要があるだろうか。
自分が考えているより、このキャラクタには深い意味がありそうな気がするのは、うがち過ぎか。
「オラトリオ、お手~」
「にょー!」
「…はは」
思わず、乾いた笑いがこぼれた。
ひよっこのなんのと貶していても、あれの能力には一目置くものがある。こんな扱いをされていると知ったときの衝撃を考えると、ちょっとばかり哀れにもなった。
オラクルにとってはなにかしら意味がありそうなこのキャラクタを、あれが短気で損なってしまって、深い溝でもできたら。
このふたりに限って、溝などというものは大した意味を持たないこともわかっていたが、一瞬、掠めるであろう弟のこころの傷を、コードは密かに憂慮した。
「いい子、オラトリオ!」
「むぁ~」
全開の笑顔で、オラクルが『オラトリオ』を抱きしめる。
口の中に『ご褒美』を頬張った『オラトリオ』は、くぐもった声で、しかししっかりとオラクルに応えた。