「寂しくないか?」
シグナルが訊いたとき、自分は寂しくないと答えた。
それは真実で、寂しいと思ったことはないのだ。
My Lover is killed Me-05-
「オラトリオがつくられる前は、こんなふうに電脳の中ですら動けなかったし…それに比べれば、今はずっと愉しい」
笑って言った自分に、なぜなぜなあにのお年頃のシグナルも納得して帰っていった。
しかしシグナルは、その意味をきちんと理解したわけではない。
シグナルたちロボットプログラムが、その設定された感情プログラムに従って感じる感情と、スーパーコンピュータの管理脳としてつくられたオラクルが感じる感情は、同じようで異なるものだ。
オラクルは彼らほどに激しく感情を感じることはないし、揺さぶられることもない。
人の機微に疎いのも道理で、オラクルにとって感情はほとんど、意味を持たない飾りだ。
それでも感情を育てるのは、ただひとり、感情持つ存在としてつくられた片割れ、スペア・プログラムのオラトリオのため。
彼の受けるストレスを軽減するためだけに、オラクルは微々たる感情を保ち続け、育て続ける。
実際、シグナルが言うほどに感度の高くないオラクルの感情は、『寂しい』を認識できないのだ。
だから、寂しくないと答えた。
それに嘘はない。
認識できない感情はないも同じだから。
でも。
「オラトリオ」
ひとりきりのとき、口の端に乗せる名前を。
「オラトリオ」
呼ぶ相手を。
「どうした、ハッカーか?ひよっこが来るまで持ちそうにないか?」
ぶっきらぼうだけれど、面倒見の良いロボットプログラムが、心配する。
「オラトリオ様のお仕事が終わったら、すぐさまエルが迎えに行って差し上げますからね。それまでは、エルと遊んでおりましょうね?」
あたたかい、母としての本能を強く持つロボットプログラムが、こころを痛める。
ただ、名前を呼びたいだけなのに。
その名前を呼ぶと、拙いこころが育まれる気がするから。
「…オラトリオ」
呼ぶ、のは。
「オラトリオ」
ひとりきり、電脳図書館で謳う、名前。
謳う<ORATORIO>。
「それって、寂しくないか、オラクル?」
生まれたての無邪気な子供が訊いた、その一言。
無邪気な子供だからこそ口に出した、禁断の言葉。
寂しい、なんて、意識の端にも上ったことがないから、笑って。
「寂しくなんてないよ」
答えた。嘘はない。
認識もできていなかった、感情。
認識できないものは、存在しないのだから。
けれど。
「オラトリオ」
ひとりきりで、謳う。
このうたに名前をつけるとしたら、それは。
「オラトリオ」
応えてほしい声は応えない。
頼もしい姿は現れない。
<ORACLE>を守護する力強い影の、その欠片すら見えない。
仕事だとわかっている。
遊んでいるわけではないとわかっている。
ひとりきり、過酷な戦いに身を投じているのだ。
助けもなく、身を、こころを、削られているのだ。
リンクを通じて、彼が戦っていることは伝わってくる。
苦しいと泣きながら、怖いと震えながら、辛いと叫びながら、なにひとつとして面に表せずに、静かに壊されていく片割れ。
その彼に、これ以上甘えることなど出来ない。
もっと傍にいてほしいと強請ることなど出来ない。
寂しい、と。
思ってしまったら、伝わってしまったら、あの脆いこころは揺らいで傾ぐから。
「…オラトリオ」
呼ぶ、名前。
暗闇の中で、ひとりきり、虚空に向かって謳う<ORATORIO>。
いつかは届いてしまうだろう、この声。
遮るものがないから、いずれ届いてしまう、この想い。
届いた瞬間に、だれより大切な彼を傷つけてしまう、この感情。
「オラトリオ」
「にょ」
思いついたのは、キャラクタの育成も十匹目に入ったころ。
見た目は、さっぱり似ていない。
でも、キャラクタに刺激を与えたときの反応が、パラメータの具合が。
なんだか、オラトリオに似ていると思った。
いつも強気で、だけどたまに、すごく甘えん坊になったり、反対に甘やかされると怒ったり。ちょっとえばりんぼうな振る舞いとか、――たぶん、ほんとうにはまったく似ていないのだけれど。
ゲームをプレイするときには、とりあえず『オラトリオ』の名前を付けていることが功を奏した。
途中で名前を変えたら不審にも思われたかもしれないが、初めからこうだったら、ただの怠慢だと判断されるだろう。
「オラトリオ」
「にょにょ」
名前を呼ぶ。
応えるものがいる。
「オラトリオ」
「にょ~」
謳われる<ORATORIO>。
紛いものでも、応える声がある。
ひとりきりでも、抱きしめるものがいる。
紛いものだけど、全然似ていないけれど、傍にいてくれる、彼の虚像。
「オラトリオ」
「にょ」
届く前に、遮ってくれる、彼を自分から守ってくれる――…無敵の、守護者。
彼のための。
――自分のための。
寂しいを知ってしまった子供の、寂しいと言えない子供の、寂しいひとり遊び。
「…オラトリオ」
うずくまって呼ぶ背中に、大きな手が触れた。
「オラクル」