「トオル、だいすき」
吐息のようなつぶやき。幼く舌足らずな口調。不明瞭な声音。
He said...-02-
トオルは忍び笑い、自分の胸に顔を埋める一樹の、長い髪をひと房掬う。
本人とは関係なく冷ややかなそれにキスを落とすと、覗く耳にくちびるをつけた。
「愛している」
吐息とともに吹きこんだ言葉に、一樹の顔がほんわり蕩けた。すぐさま健やかな寝息が聞こえてきて、しがみついていた手から力が抜ける。
「…仕方ないやつだな」
これだけ情熱的にささやいてやったというのに、その直後に爆睡するとは。これだから、いつまで経ってもお子さま扱いなのだ。
そこまで考えて、トオルは微妙な表情になった。
そのお子さまに、心底やられてしまっている、この状況。
初めはただ、憐れだっただけだ。
幼い顔が虚ろに歪むのが、見ていられなかった。
ひと時でも、安らぐならいい。
そう思って、ベッドに連れこんだ。
自分でもどうかしていると思うほどの甘やかしぶりだが、そうしてもだれも咎められないほどに、あのときの一樹は消耗していたのだ。
ベッドに連れこんで、隣でぬくもりを分け合って。
解けた体が、さらなるぬくもりを求めてすがりついてきた。
一瞬の戸惑いに、ささやかれた告白。
『トオル、だいすき』
――なんのつもりもない、幼いこころの吐露に。
心臓を鷲掴みにされたとか。
笑い話に、できたのだ。一回だけなら。
次の日も、また次の日も、トオルは一樹をベッドに引きずりこんだ。
事態が落ち着くまでは、できるかぎり一樹を甘やかしてやろうと決めたのが、そもそも苦しい建前。
ベッドに引きずりこんでやると、ほっと安堵した顔でくつろぐ一樹の姿が、免罪符。
それもこれも、事件にケリがつくまでの話だ。
最近、大きな瞳は戸惑いに揺れて自分を見つめる。
言いたい言葉は口に出すより雄弁に表情に書かれている。逃げを打つ体はなかなか強張りが解けない。
それでも、放せない。
建前も免罪符もなくなって、それでも、一樹を手放せない。
隣で安らぐあどけない顔を、すがりついてくる体を、つぶやかれる睦言を。
狂おしいほどに求めて、止まないから。
「俺がこんなふうにしてやるのは、おまえだけなんだぞ?」
わかっているのか?と笑いながら耳に吹きこむ。
眠りこむ一樹は、くすぐったそうに眉をしかめて布団に潜りこんだ。
頭をヨシヨシと撫でてやって、悦ぶような女とは付き合ったことがない。
撫でてやるのは、一樹だからだ。こちらの忍耐を極限まで試すような顔で悦ぶ一樹だから。
枕に散った長い髪を取ると、冷ややかなそれに口づける。
「愛している」
ささやくと、布団に潜りなおした。
健やかな寝息が傍らで、穏やかな夢の中にいる。
それは望ましい条件ではあるが、少しばかり。
「危機感を持てよ」
俺が狙ってるんだから。
つぶやくと、目を閉じた。
夢の中では、あの大きな瞳がゆらゆら揺れて、赤く熟れたくちびるが甘く、睦言をこぼしていた。