ぴか、と一瞬。
閃いた光に続いて、家を揺るがす轟音。
冬明け雷音
「ひぁうっ」
「近いわねぇ」
小さく悲鳴を上げて縋りついたメイコを抱きしめ、マスターはのんびりとつぶやく。
窓の外を見やれば、激しい雨とともに、ぴかりぴかりと稲妻が閃いている。
マスターの部屋で、次の新譜について打ち合わせをしていたところだった。ベッドに楽譜を広げ、それを間に挟んで、これの意味は、ここの調子は、などと、喧々諤々やっていたところに、突然の春の嵐。
かたかたと小刻みに震える体を軽く叩き、マスターは胸に埋まる頭に顔を寄せた。
「大丈夫よ、メイコさん……」
「ひぁっ!!」
皆まで言う前に再び轟音が家を揺るがし、メイコはますますきつくマスターに縋りついた。
痛いほどにしがみつかれて、マスターはうっとり笑って天を仰ぐ。
「A-HA、役得☆これを役得と言わずして、なんと言う」
「こ、この………っ」
愉しげに吐き出された言葉に、メイコは顔を上げ、潤んだ瞳で睨みつけた。
「お、おかしいんでしょ………っ。あ、あたしが、か、雷なんかに、こんな、びくびくして………っひぁっ!!」
「よしよし!」
轟音によって威勢を挫かれたメイコに、マスターはやはり楽しそうに笑う。
擦りつく頭を撫でてやって、窓の外を見た。
舞い踊る光と、地を揺るがす轟音。
冬を追い払い、春が来たと叫ぶ、季節の主張。
「ぅうう………っぐすっっ」
「………ほんとに、大丈夫なのよ」
怖いのと情けないのとで、とうとう愚図り出したメイコを撫で、マスターは胸に埋まる頭に顔を寄せる。
「メイコさんは、すぐに平気になるから。いつでもそうよ。次のつぎくらいには、全然平気になって、私なんか頼りにしなくなる」
「……ぐす」
やさしくやわらかなささやきは、ともすれば、雷の轟音に掻き消されそうだ。
メイコはマスターにしがみつく指に力を込め、耳をそばだてた。
声と同じくらいにやさしく、マスターはメイコの背を撫でる。
「そうやって、メイコさんが平気になったら――今度は、私が怖がるわ」
「……?」
きょとんとした顔を上げたメイコに、マスターは瞳を細める。窓の外を眺め、笑った。
「私、雷ってダメなのよ。というか、大きい音がダメなの。ほんとうは、ライブの花火も苦手よ。音に携わる仕事をしていて、なんだけど――」
「……でも」
今は平気だ。メイコを抱く腕に、震えはない。
訝しげな視線に、マスターは愉しそうに首を縮めた。
「平気なのはね、こうしてメイコさんが怖がっているときだけ。メイコさんが怖いって言って、」
ぴかりと窓の外から光が差しこみ、雷鳴が轟き渡る。
「ひぅっ!」
上げた首を戻してマスターの胸に埋まったメイコの背が、あやすように叩かれた。
吐息のような笑い声が、耳に吹きこまれる。
「こうやって、しがみついてくれる間だけは、平気なの。そのときだけは、怖くない」
「…っ」
吐息に耳をくすぐられて、メイコはふるりと震えた。マスターにしがみつく指に、ますます力が篭もる。
「でも、メイコさんが平気になっちゃうと、途端に怖くなるから――」
笑うくちびるが、吐息とともにメイコの耳をくすぐる。
「そしたら、あなたに抱きしめてもらうのよ」
「っんく」
雷鳴が轟いて、メイコは身を竦ませた。
けれど、自分が雷鳴に怯えたのか、はたまた別の感情によって竦んだのか、わからない。
そっと顔を上げて潤む瞳で見つめると、笑みの形のくちびるが近づいてきた。
「ね」
軽く触れて離れたそれは、わずかに冷えている。
「………マスターなんだから、ロイドに甘えないで」
強張った笑みを浮かべて言ったメイコに、マスターは抱く腕に力を込めた。
「あなたにだけよ」
「…」
ささやかれる言葉は、騙すようだ。気の多い男が、だれも彼もにささやくそれに似ている。
「…………騙されてやっても、いいわ」
「え?なに?」
小さ過ぎて届かないメイコの言葉に、マスターは訝しげな顔を寄せる。
実際のところ、マスターが気の多い女かどうかはわからない。こうやって直截な好意を示してくれるのは、自分にだけのようだけれど――
信用ならない。
――ただしそれは、マスターの態度ゆえというより、好意を受け入れたあとに訪れるかもしれない、仮定の裏切りに怯える自分のこころゆえに。
「メイコさん?」
次のつぎに雷が来て、そのときは怖くなくなっているのなら。
平気になって、笑うことが出来るのなら。
この怯懦な思いも、なくなっていると、いい。
そして、雷が怖いと怯えるマスターを抱きしめるこの腕が、受け入れるこのこころが――
「…………でも、まだ………もう少し、だけ。………もう少しだけ、甘えさせて」
「…」
寄せられた耳に吹きこむと、マスターの腕に力が篭もった。
痛い、と顔をしかめて、ふと思いつく。
さっきからずっと、煽られている自分の熱。そこにある、マスターの耳。
「ぅわっ?!」
くちびると同じくらいに冷えた耳に咬みつくと、マスターは色気のない悲鳴を上げた。
一瞬強張った体が、ややして力無く解け、メイコに埋まる。
「……………もう少し、だけよ………」
ため息とともに吐き出された恨めしげな声に、メイコは小さく笑った。