――雪ぃいいいっ?!
受話器からミクの上げる素っ頓狂な声が響いてきて、カイトはちらりと、電話を持つマスターを見た。
Snow, snow & snow
ちょっとだけ受話器を耳から離したマスターは、カイトへと苦笑を向けて、また電話へと戻る。
「ええ、そうです、雪ですよ。豪雪です。三十年か五十年に一度の大雪だそうです…………ああ、はは、そうでしょうね……そっちはぴーかんお天気ですか」
マスターの声を聞きながら、カイトは窓の外へと目をやった。
言うとおり、雪だ。いや、吹雪いている。
確かに雪の降る地方に来たけれど、クリスマスのこの時期に、これだけの雪が降るのは珍しいとか。
バスも電車も飛行機も止まって、どころかタクシーすらも走らない。帰るに帰れない状況だ。
これも異常気象の影響でしょうかね、と、足止めのために延泊の手続きをしに行ったホテルの従業員は、苦笑していた。
「ホワイトクリスマスが憧れとはいえ、これでは外出もままなりませんよね……」
雪や氷でつくった彫刻の広場がイルミネーションで飾られ、それはきれいなのだという。
しかしこの吹雪。
少しでも外に出ようものなら、自分が雪だるまさんになれる。
「……」
ぽつんと。
つぶやいた、名前があるような、ないような。
吹雪の影響で、そうでなくても繋がりの悪かった携帯電話の電波が完全に切れたために、マスターが家への連絡に使っているのは、ホテルの公衆電話だ。同じような目的のひとがちらほらいて、長話ができる環境ではない。
フロントに立って、ぼんやりと外を眺めるカイトの元に、電話を終えたマスターがやって来た。
「お待たせしました、カイトさん……今、テレビでやってましたけど、どうも最低でも明日の朝までは、この吹雪が続くそうです。完璧帰れませんね、クリスマス」
「だね」
傍らに立ったマスターに、カイトは笑顔を向けた。
マスターも笑顔を返したが、すぐにそこには、わずかな罪悪感が混ざった。
「……ホワイトクリスマスが庶民の夢とはいえ、相手というものがありますよね…」
「マスター」
驚いて、カイトはマスターを見る。マスターは気まずそうに笑った。
「……がくぽさんと、『初めて』のクリスマスでしょう?」
「…………」
クリスマスといえば、だれもがときめきを覚えるイベントだ。
しかしこと、芸能活動を生業にしているものにとっては、書き入れ時、という非常に現実的で殺伐とした事情があった。
カイトたちも、ご他聞にもれない。
毎年まいとし、クリスマスといえば明日死ねるほどに、仕事イベント仕事イベントエンドレス仕事イベント。
詰め込み放題に詰め込んで、25日も24時を過ぎるころになって、ようやくの家族でクリスマス、が常態。
そんなクリスマスに、カイトとしては特に否やはなかった。
必ず来年の仕事のつなぎになると、理解しているからだ。
仕事に関して、カイトに妥協はない――から、今年ももちろん、仕事三昧に過ごすつもりだった。
しかしなんと、カイトにそういう仕事の仕方を仕込んだマスターのほうが気を遣って、わずかに早く、まだ街中がぎりぎりクリスマスを楽しんでいる時間に仕事が終わるように、スケジュールを組んでくれたのだ。
――なんだかがくぽさんにね、視線で殺されそうな気がしたのですよ。
笑って言っていたマスターだが、同時にそれが、彼女からの最大のクリスマスプレゼントでもあった。
というわけで、今年は例年になくクリスマスムードを楽しめるはずだった。
の、だが。
最後の最後の仕事で、マスターとともに地方に来たカイトが、帰ろうとした、その時間。
街は吹雪に閉じ込められて、交通機関がすべて止まり、帰るに帰れなくなってしまった。
「一度しかないのに……」
「マスター……」
つぶやいて、カイトはマスターを見つめた。
カイトより、マスターのほうがよほど悔しそうに見える。
仕事を詰め込みはしても、基本的にはイベント好きのマスターだ。きっと、カイトとがくぽが恋人として迎える初めてのクリスマスにしても、本人たち以上に楽しみにしていてくれたのだろう。
「…………」
カイトはふっと笑い、窓の外を見た。
吹雪。
ホワイトクリスマス――にしても、ここまでだとロマンの欠片もない。
そして隣にいるのは、恋人ではなく、「マスター」。
「来年があるよ」
言ったカイトの声は心底から明るく弾んで、楽しそうだった。
見つめるマスターに、にっこりと偽りのない笑顔を向ける。
「来年も、再来年もあるよ、マスター。俺とがくぽは今年だけ、コイビトなんじゃない。来年も再来年も、そのずっとずっと後だって、コイビトなんだよ」
「…………」
「だから、今年だめでも、別にいい。それはそれで、そんなクリスマスもあったよねって、ずっとずっと後になって、ふたりで過ごすクリスマスのときに、笑って話せる材料になるだけだから。今年はいっしょにいられてうれしいねって、もっと仲良くするための材料になるだけだもん」
きっぱりと言うカイトを見つめていたマスターが、ふんわりと笑う。
吹雪く窓の外へと、視線を投げた。
「さらにいちゃいちゃべたべたするための、布石というわけですね」
「そう!」
「A-HA!!」
ようやく、マスターが明るい笑みを取り戻した。いつも通りの明るい笑顔で、カイトを見る。
「『吹雪の中に、あなたの姿を想っていたよ』?」
「うん!」
元気よく頷くカイトに、マスターはますます笑う。
そのマスターの腕を引っ張って、カイトは吹雪く外とホテルの中とをわくわくと見回した。
「ね、それにさ!こんな、吹雪に閉じこめられるなんて、めったにない経験なんだから!遭難ごっこしようよ!!」
「カイトさん」
きょとん、と瞳を見張るマスターの腕をさらに引っ張り、カイトはそわそわを隠せずに足を踏み鳴らした。
「古びた旅館。吹雪に閉じ込められた宿泊客。そこで起こる……」
「カイトさん」
ぴ、ぴ、と指を立てて数え上げるカイトの手を取り、マスターはまじめな顔で頷いた。
「このシチュで遊ばないのは、詐欺ですね!!」
「だよ!!」
まじめに頷き合ってから二人は笑い解けて、手を取り合うと「探検」へと繰り出した――補記すると、二人が泊まっているのは最新鋭のホテルで、「古びた旅館」ではない。
そのうえ吹雪に閉じこめられたとはいえ、クリスマスの華やかな空気で満ちて、雰囲気はどこまでも明るい。
しかし関係なく、二人はわくわくと「ミステリーツアー」を始めた。
「のが、つい三、四時間ほど前の話になるわけですよ、がくぽさん」
生真面目に話を締めくくり、マスターは瞳を眇めてがくぽを見た。
「今年がだめでも、来年、再来年がある――カイトさんの殊勝にして壮大な心がけを、どう思われますか?」
「………………」
「マスター、そんな場合じゃないったら!!」
問われてがくぽが答える前に、タオルを山ほど持ったカイトが慌てて飛んできた。
後ろからホテルの従業員がついて来ようとするのを、懸命に断りもする。
マスターは瞳を眇めたまま、ふるる、と首を振った。
「では、訊くひとを変えましょうか。メイコさんは、どのようにお考えですか?」
「だからマスター!!」
滅多になく、カイトは苛立ちを含んだ大声を上げた。
「そんな場合じゃないでしょったら!!ほら、がくぽ!それにめーちゃんも!!とにかく雪を払って、それから……」
「………………」
「………………」
「………………」
マスターは瞳を眇めたまま、がくぽとメイコを見やる――最低限の防寒着だけでこの猛吹雪の中を突っ切り、雪だるまのようになって辿り着いた、己のロイドたちを。
がくぽとメイコにしても、上機嫌とは言い難かった。
いくら寒さに強いロイドとはいえ、すでに「寒い」の域を超えている猛吹雪だ。視界はゼロ、ホテルまで辿り着いたのは、奇跡以外のなにものでもない。
そんな強行軍を、ようやく終えたところだ。
普段から甘く蕩けた瞳とは程遠い二人組だが、今の目つきの悪さは、それだけでひとを殺せそうだった。
「殊勝で壮大がなんだ………二日だぞ。すでに二日もカイトに触れていない…………!!」
「あたしは悪くないわよ!!このバカが飛び出して行ったから、姉として監督責任を取ったまででしょ!!」
カイトから渡されたタオルで雪を払い落としながら、がくぽとメイコは最悪の目つきで吐き出す。
滅多にないといえば、マスターの目つきも滅多にないほど悪かった。
仕事以外のときにはいつも、かわいいいとしいと緩んだ瞳で見るロイドたちを、極めつけに凶悪な瞳でねめつけている。
「マスター」
「……」
気忙しげにカイトに呼ばれて、マスターはため息をつき、ホテルのカウンターへ向かって歩き出した。軽く手を振る。
「たぶん、今日の吹雪でキャンセルが出ているでしょう。部屋をもうひとつ、取ってきます」
「…………」
その背を見送ったカイトは、フロントの床に雪溜まりをつくっている二人を、つくづくと見た。
そんなはずがないことはわかっているが、幽霊ではない。
本当に本物の、がくぽとメイコだ。
がくぽのほうはまだ、この無茶もわかる気もするが、まさかメイコまでもが、この危険な行路を――
確かにこの二日ほど、カイトとがくぽはすれ違いの日々を送っていた。
詰め込まれた仕事のせいだ。
イベント会場の近くのホテルで泊り込んだりして、ふたりともほとんど家に帰っていなかった。
また、こういうときに限って、ピンだったり、別の相手と組む仕事だったり。
そのうえ、忙しすぎてメールも電話もする暇がない。
完全なるすれ違いで、今、このときまで。
「だからっていって…………」
カイトは外を眺めた。吹雪だ。猛吹雪――よくぞまあ、無事にここまで辿りついたものだと思う。
「取れましたよ、カイトさん。階は変わってしまうんですけど、――私とメイコさんがそっちに行きます。カイトさんは今の部屋で、がくぽさんとどうぞ」
幾分声にやわらかさを取り戻したマスターが、新しい部屋の鍵を指に引っ掛けて回しながらやって来て言った。
それでもまだ、どこかわだかまりを持った瞳で、雪を払ったとはいっても、ぼろぼろながくぽとメイコを見る。
「――お風呂に入りなさい、ふたりとも。着替えなんてものを持っていそうには見えませんが、まあ、夜です。どうとでもなるでしょう」
***
パジャマに着替えてベッドに座っていたカイトは、扉が開く音に顔を向けた。
「…………」
長い髪からしつこく垂れる水滴を鬱陶しそうに拭きながら、シャワーを浴びてバスローブを羽織ったがくぽがやって来る。
「拭いてあげようか?」
一応声をかけたカイトだが、無駄だろうということもわかっていた。
シャワーを浴びて人心地がついたはずだが、がくぽの瞳は据わりきっている。そもそもが鋭い眼差しではあったが、これは尋常ではない。
そうでなくとも、ここまで数日間、忙しさは殺人的と言い換えても過言ではなかった。
そしてトドメの、吹雪の中の強行軍。
疲れはピークのはずで、そういうときのがくぽに理性もへったくれもない。
「…………」
「んわっ」
苛立たしげにタオルを放り出したがくぽは、ベッドに座るカイトに抱きついてきた。しっかりとしがみついたまま器用に膝に乗せて、さらに肩口に擦りつく。
「………………カイトだ………………」
「ん…………」
こぼれた声は掠れて力なく、けれど安堵に緩んで和んでいた。
カイトは締め上げられて不自由な体をどうにか動かし、がくぽを抱き返す。
自分もことんと首を傾げてがくぽに凭れ、濡れる髪に少しだけ笑った。
「がくぽだ」
「ああ」
「がくぽだ…………」
万感の思いをこめて、つぶやく。
――吹雪の中に、君を想っていたよ。
しゃれでもロマンでもなく、本当に吹雪の中から現れた。
無茶で無謀で、浅はかなひと。
そしてとてもとても、自分を愛してくれているひと。
「…………カイト」
「ん…………」
しがみつかれたまま、ベッドにころんと転がされて、カイトは微笑んで瞳を閉じた。
このあとのことなら、予想がつく。
予想はつくけれど、それでも。
「………………」
「…………ま、お約束だよね」
瞳を開いて、カイトはあっさりとつぶやいた。
カイトを安眠くまさんにして、がくぽは眠りに落ちていた。
眠っているのにしがみつく腕は強く、カイトを抱えこんで離さない。
「もー…………キスいっこくらい、してから寝てほしーなぁ……」
カイトは明るい声でぼやく。
再会してからこちら、吹雪の名残りを払うのに懸命で、抱擁らしい抱擁も今がようやくなら、挨拶程度の軽いキスすらもしていない。
それなのに、寝落ちてしまう恋人。
せっかく吹雪を制して聖夜に会うことが出来たのに、眠りの国へ行ってしまうなんて。
「…………しょーがないんだから」
笑って、カイトはがくぽを抱え直し、さらにきつく擦りついた。
がくぽの香りで、がくぽの感触。
抱きしめられて、同じベッドで眠れる聖夜。
「…………アリかも」
小さく笑い、カイトはわずかにくるんと、体を丸めて瞳を閉じた。