がくぽの手が、縋る力をこめてがっしりと握られる。
胸の前でがくぽの手を抱きこんだミクは、真剣な眼差しで告げた。
「がっくん!花火見てね?!」
& new year has come
「……」
わずかに身を引いたがくぽの手に、さらに小さな手が重なった。リンだ。
「お外で、お屋根だからね、がっくがく!いい、お外で、お屋根!!」
「…………」
大事なことだからと二度重ねで言われ、がくぽはふっと視線を逸らす。
そのがくぽの肩を、小さな手がぽんと叩いた。そのまま滑った手は、がくぽの腕に絡んで体を押しつけてくる。
嫌がりながらも、「俺はしょたっ子アイドルだぜ☆」と主張する弟――レンは、そのショタっ子としての魅力十分な上目遣いで、がくぽを見つめた。
「マスターもめーこもいねえんだ、ばか兄。てめえで自重しろ」
「……………………」
――見た目こそショタっ子でかわいいが、言葉使いの荒っぽさとドスの利いた声で、台無しにしている。
がくぽはさらに目を逸らし、明後日の方向を気持ちまで斜めに見た。
弟妹に恨みはない。常々、おもちゃかなにかのように扱われているが、一応はかわいいとも思っている。
こうやって取り縋って上目遣いに――がくぽの背が、お子様の彼らより遥かに高いせいだが――見つめられて、懸命に嘆願されると、それなりにときめいたり。
しないこともないが、それはそれとして。
「………………………努力義務ということで」
「がぁあああっっくんっっっ!!!」
「がっくがくぅうううううっっ!!!!」
「こんっの最ばか兄ぃいいいっっっ!!!!」
確約してくれない、情けない兄のお答えに、弟妹は絶叫した。
がくぽは目だけでなく顔ごと逸らし、体に取り縋り、揺さぶって嘆願を叫ぶ彼らの声に心の耳を塞ぐ。
逸らした顔の先には、困ったように笑うカイトがいる。がくぽと目が合うと、その笑顔は恥じらいを持って、さらにふんわりと綻んだ。
――無理だな。
口には出さないまま、がくぽは心の中で力強く頷いた。
この家には、年越しの恒例行事というものがある。
屋根に上り、年越しのカウントダウン――そして年明けと共に上がる花火を、鑑賞するのだ。
去年ももちろんだが、今年もその予定だった。天気はどうにかこうにか、寒くても荒れることはなさそうで、だとしたら年少組は屋根に上る。
そして、そういったお遊びを好むカイトも。
となれば、がくぽもついて行く。去年だとて、がくぽはカイトと共に屋根で年を越したのだ。
しかし今年に関しては、去年とはまったく事情の違う問題があった。
がくぽとカイトは、恋人同士なのだ。それも、仕事的には大いに人目を憚る必要があるというのに、頻繁に人目を忘れる、溺愛気味の。
家族として頭が痛いのは、人目を忘れて溺愛に走りがちなのが、常識人と思い込んでいたがくぽのほうだということだ。
天真爛漫で人目を気にしないカイトのほうがむしろ慎ましくて、いちゃいちゃするのは、どこかに隠れて二人きりで、と決めている。
――決めているが、恋人に迫られると、この甘やかしたがりさんは抵抗しきれない。
よしんば抵抗できても、こと恋愛に関しては起動年数と関係なくスキルの高いがくぽに、いいように押し切られてしまう日々。
その結果として、外でも家の中でも、――カイトの意識が完全に、コイビトモードから切り替わる仕事のとき以外、あれよと流れ流されどんぶらこっこ。
夏の花火鑑賞で、何度か屋根に上ったときの大変さといったらなかった。
我慢しろ、堪えろ、ていうか花火見ろや!!
と、絶叫するほどに、がくぽは傍らに座るカイトがかわいいと、以下略。
しかし、夏はまだ良かったのだ。
この家でがくぽに抗せる二大勢力である、マスターとメイコが常にいた。
今日はいない。
直前まで盛り上がっていた家族忘年会で、二人ともしこたま酒を飲み、とてもではないが屋根になど上れる状態ではないからだ。
ということは、がくぽからは悪魔認定されていても、所詮小娘の(註:自称)ミクとリン、そしてへたれ具合折り紙つきの、レン。
この三人が、カイトに溺れて時も場所も忘れるがくぽ大魔王と、戦わなければならない。
無理だ!!
――と、悪魔認定された妹たちも、へたれショタっ子の弟も叫んだ。
「がっくんがっくんがっくん、がっくんに情けはないの?!ボクたちかっっわいいいもーとおとーとのおねがいも聞いてくれないの?!!」
「がっくがくがそんなに、血も涙もないオニだとは思わなかったわ!!だいたいにして、リンたち、そんなにむつかしいことおねがいしてないでしょ?!!」
妹たちが金切り声で叫び、がくぽに取り縋る――場所は、すでに屋根の上だ。
深夜の屋外であっても、多少の騒ぎは赦されるのが大晦日。
とはいえ。
「ああ、その……」
言葉を探すがくぽの腕に絡みついたままのレンが、その華奢な体にショタっ子として最大限の力をこめ、しがみついてきた。
思わず見下ろしたがくぽを、据わりきった瞳で見上げる。
「魔女っ娘少年新衣装で、はいぱぁ☆ばにゃにゃあちゃっくを食らいたいか」
「……………………」
「それだけじゃねえぞ。その衣装まんまで布団の中に潜りこんで、添い寝してやる」
「……………………………………」
なにもそんな、捨て身な。
しがみつかれたまま、それでも軽く身を引いたがくぽに、弟は根暗く続けた。
「にぃちゃんとばか兄にサンドで、川の字寝だ…………」
「………………!!」
しかもカイトもいること前提らしい。
がくぽは完全に肩を落とし、哀れさを通り越して怨念交じりになってきている弟妹を見下ろした。
「………………………………………………………………………………努力義務で」
「ぐぁあああああああああっっっっっくぅうううううううっっんんんん!!!」
格別の絶叫が轟いたが、どうしても確約できない。
がくぽだとて、外でいちゃつきたくていちゃついているわけではない。
ふたりきりのときにまで慎ましくある必要はないと思うが、他人がいるなら相応の礼儀を守るべきだと思っている。
思っているが、カイトのふとしたしぐさを見て、何気ない言葉を聞いて、仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐって――
そう思っていた、理性や常識がすっぽんとお空の彼方に飛ばされてしまうのだから、どうしようもない。
努力していないわけではないし、諦めているわけでもない。
しかし、絶対に大丈夫、と確約することができない現状。
「そろそろですよー」
屋根の下から、マスターの声が上がる。年越しまで、カウントダウンに入ったということだ。
追い込まれて、取り縋っていた弟妹はほとんど狂乱状態に陥った。
「ぅわぁあああああんっ、がっくんのオニ兄ぃいいいっ!!」
「びぇえええっ、がっくがくのレイケツ兄ぃいいいいっ!!」
「すかぽんたんの堪え性なしのインケツ兄ぃっ!!」
「いやなにか、すまんな、ほんと…………」
本気で泣きが入りつつある年少組に申し訳なげに謝りつつ、がくぽの手はどさくさに紛れてアレな罵倒をくり出したレンの頭だけは鷲掴みにして、「お仕置き」している。
「ええっと、あのね………」
そこに至ってようやく、苦笑しながらきょうだいのじゃれ合いを見ていたカイトが、口を挟んだ。
腕にした時計は、年越しまであと一分に入ろうとしていると言っている。
時間がないので、カイトは言いながらきょうだいの間に割って入った。
がくぽに取り縋るリンとレンの手を取り、自分の両手とそれぞれ握り合う。
「おにぃちゃん?」
「にぃちゃん?」
がくぽに鷲掴みされて、ぼさぼさ頭になったレンのつむじにちょこんと顎を乗っけてつついてから、カイトはにっこり笑った。
訝しげな彼らに、繋いだ手を掲げてみせる。
「ミクはがくぽと手を繋いで………、がくぽ、もう片方を、リンちゃんかレンくんと繋いでね」
「あ」
「ああ!」
敏い妹たちはぱくんと口を開いて、「かしこい」上の兄を見た。
カイトは暗闇にも輝いて見える笑顔で、微妙な表情をしているがくぽへ繋いだ手を振る。
「みんなで年越し。ね?」
「「きゃぁあああああ!!」」
妹たちは、すでに年が明けたかのような歓声を上げ、びょん、とひとつ飛び跳ねた。屋根だ。傾斜がある。
しかしものともせず、揺らぎもせずに着地したリンとミクは、がくぽの手をそれぞれ取った。
悪魔だと、常日頃から信じて疑わない妹たちに両手を取られ、がくぽは軽く天を仰ぐ。
――致し方ない。
諦め笑顔でカイトを見ると、にっこりと花のように笑い返されて、ときめいたが両手に悪魔ならぬ妹。
「天才だ」
「まかせて!」
思わずつぶやいたら、かわいく請け負われた。
どこまでも果てしなく項垂れたがくぽだが、時間が時間だ。
「まぁあすたぁああ!!カウントダウンいっくよぉおお!!」
がくぽと手を繋いだまま、ミクが屋根の下へと叫び、きょうだいは屋根の上で器用に円陣を組んだ。
ミクは隣に来たレンと手を繋ぐことはなく、その空いた腕に嵌まっている時計を円陣の中央に差し出す。
「うっわわ、じゅうご!!」
「じゅうよん!」
「じゅうさーんっ!!」
きょうだいは時計を見つめ、円陣の順番でカウントダウンしていく。
こういうところでノることを覚えたのも、今年のがくぽの収穫だ。
きちんとトーンを合わせて、元気いっぱい数える。
向かい合ったカイトが楽しそうに笑っていて、時計を覗きこむために顔を付き合わせたきょうだいたちすべても、笑っている。
――この、円陣に。
「ろぉおっく!!」
足りない二人を思って、しかしがくぽは明るく声を張り上げた。
そんなことはここで、暗闇にも負けない、輝くような笑顔を向け合っているきょうだいすべて、残らずが思っているはずだからだ。
がくぽが来る前、屋根に上るのは小さな弟妹たち、三人だけだった。
去年はそこに、がくぽが加わり、そしてみんなのおにぃちゃんが加わった。
家族は少しずつ、ほんの少しずつでも、確実に歩みを進めている。
間違いなく、きっと――
「さん!!」
「にぃい!!」
「いっち!!」
声はほとんど咽喉と鼓膜を破ろうとしているレベルで、きょうだいは弾けるような笑顔だった。
「「「「「ぜぇえええろっっっ!!!」」」」」
五人、声を合わせての絶叫とともに、恐れ知らずの弟妹が兄たちと手を繋いだまま飛び上がる。
同時に遠くで花火が上がり、新年の幕開けを華やかに告げた。
「……!!」
がくぽは瞳を見開き、あまりに間近にあって見えない顔を、それでも呆然と凝視した。
なんのために、弟妹と手を繋いだのだったか。
そもそも、だれが提案したことだったか――
くちびるに、くちびるの感触。
外の冷気にいつも以上にひんやりとして、けれど確かにやわらかく、なめらかな。
「…………あけましておめでと、がくぽ。今年も、よろしくね」
束の間触れて、さっと離れたカイトは、ひどく蠱惑的な笑みでささやいた。
ささやきだが、がくぽの耳にはこれ以上なく、はっきりと。
「ぉにぃちゃんっ?!」
見咎めたミクが叫んだが、そのときにはすでにカイトは体を反していた。
まずは手を繋いでいたリンとレンを、二人まとめて抱きこむ。
「おめでと、リンちゃん、レンくん!!」
言って、二人の額にちゅっちゅと音を立ててキスを落とした。
「おめでと、おにぃちゃん!」
「今年もめでたくしてやんぜ、にぃちゃん!!」
甘えっ子な双子は笑って兄に抱きつき、背伸びして、それぞれ顎へとキスを贈る。
「ちょ、おにぃ……」
「ミク、ミクも!今年もよろしくね!!」
リンとレンから離れたカイトは、ツッコミを入れようとするミクも抱き締める。
頬にちゅっと音を立ててキスされて、ミクは反射で兄に抱きつき返した。
「もち、よろしくしてね、おにぃちゃん!」
「…………………………敵わん…………」
弟妹とキス合戦をしているカイトを眺め、がくぽは小さくつぶやいた。
去年も敵わないと思っていたが、どうやら今年も。
「…………」
ぬくもりも残らないくちびるを撫で、がくぽはうっすらと笑みを刷いた。