最後のうたを聴いて、けれど最終結果を観ることはなく、弟妹は大騒ぎをしながら揃って屋根へと行ってしまった。
家族忘年会の結果として散らかり放題に散らかったリビングに残されたのは、メイコとマスター、二人だけ。
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「……なんのために観てるんだか」
猪口をくちびるに当て、メイコはぼやく。
傍らに座って、やはり酒を飲んでいたマスターは楽しそうに笑った。
「結果より、過程が大事なんでしょう」
その言葉に、メイコは瞳を眇めてマスターを見た。
「あんた常々、いくら過程が良くても、結果がついてこなければ意味がないとか、言ってない?」
「言ってるわね」
腐したメイコに悪びれもせず答えて、マスターは猪口を掲げて揺らしてみせた。
「でも正確なところを言って、『これ』は結果じゃないわ」
「…………?」
テレビ画面の中では、アナウンサーが赤白赤白と興奮しながら数え上げ、年の最後の歌会の勝敗の行方を追っている。
四半日に近い時間をかけてここまで、男女が歌合戦をくり広げてきた、その結果こそが、これから出されようとしているはず。
「ゲームで言えば、中ボス戦よ」
「…………この番組を中ボス呼ばわりするあんたって、ほんとに芸能プロデューサか疑いたくなるわ」
わざとらしく身を引いたメイコに、マスターは笑った。
猪口に口をつけ、中身を飲み干す。
ことん、とテーブルに猪口が置かれ、そしてもう、新しい酒が注がれることはない。
マスターが手酌することもなく、メイコが注いでやることも――
「芸能プロデューサだからこそ、言うのよ。これはラスボスじゃないわ。今日のこのパフォーマンス、そしてここで出た結果、すべて――総合して、来年に繋がるかどうか、よ」
「…………」
瞳を眇めて、メイコはテレビ画面を観た。最終結果はどちらになっても、自分にとって面白いわけではない。
だから、どうでもいいといえばいいのだけれど。
こくり、と一息で酒を飲み干すと、メイコもまた、猪口をテーブルに置いた。
「『全体では負けたけれど、あなたのパフォーマンスは抜きん出ていた』。あるいは、『全体では勝ったけれど、あのパフォーマンスはない』――」
「そういえば、あんた」
メイコはべ、と舌を出した。
「『負けるが勝ち』とかいう言葉も、好きだったわね」
「ほんとうに『負けた』かどうかなんて、その場で確実に判断なんか出来ないもの」
悪びれることなく言って、マスターは笑んではいても力強い瞳でメイコを見た。
「先へ進んでみなければ、一過性の結果がほんとうはどうだったかなんて、言い切れないのよ」
「…………」
勝敗が決して、祝福も賞与も終わり、画面の中では勝ったも負けたもなく、男女も老若もなく、全員が声を合わせて一年を締め括るうたをうたっている。
「そろそろ、行きましょうか」
「…………」
軽い口調で言われて、メイコはマスターを見返すことなく、立ち上がった。
テレビを消し、先にリビングを出ようとしているマスターの背を追う。
冷え込む廊下を歩きながら、メイコはマスターの後ろ姿を見つめた。
今年。
この後ろ姿を、何度も何度も、見た。
何度も何度も、追いかけた。
ぼさっと毛先の広がった、長い髪。
気がついたときには、櫛を通してやって油を擦りこんでやって、ときにはブローやセットも――
ひとにはうるさく言うくせに、自分のファッションには無頓着だから、家に帰ってこないと思うと、三日くらい着たきり雀で過ごしていたり。
けれど、その背中が曲がっているのを、見たことがない。
気弱に折れて、撓んで小さくなっているのを、見ることはなかった。
後ろから、着いて行くときに。
いつでもその背はぴんと伸びて、天を見据えて、――自信過剰なほどに。
小さな体だということを、忘れるほどに――
「がっくんに情けはないのぉっ?!!」
ベランダへの出入り口があるマスターの部屋に行くと、開け放しの窓からそんな声が飛び込んできた。
先を歩いていたマスターが、堪えきれずに吹き出す。
「………ミクさんにそうまで言わせるとは、なかなか期待が持てます」
「そこは期待しちゃだめよ。意味が違うわ」
明後日な期待に、メイコは釘を刺す。
ここでマスターが、「期待してますよ、がくぽさん!」などと本人に言おうものなら、あの弟は本気で、人目を憚らなくなるような危惧がある。
コイビトかわいいのはいいが、そこはもう少し、大人の男として――
「………………そこまで『好き』って、どういう感じかしらね」
窓辺の床に座りこんだマスターの傍らに座り、メイコはぽそりとつぶやく。
本来は常識人で、頭かちこちで、四角四面で――だというのに、自重も自制も忘れるほど、好き、だというのは。
「どんな気持ちなのかしら」
「………」
つぶやいても、マスターから応えはない。
メイコもまた、マスターを見ることなく、窓の外を眺めた。
設計のときに図ったのかどうなのか、この窓からは、花火が良く見えた。地元が花火大会の会場とする、川べりの広場に向いているのだ。
屋根に上ればもちろん絶景だが、こうして二階の窓からでも十分に楽しめる。
それでもわざわざ家族全員で屋根に上るのが、この家の恒例で。
屋根に上って酒を飲むとはどういうとんちきだ!と、件の、コイビトに溺れ気味な下の弟と毎回、戦争をくり広げた。
結局のところ、メイコとマスターが力で押し切り、下の弟は兄でもあるコイビトに慰められる。
それはそれで、いちゃつく理由を自分たちが与えてしまっていたようで、少しばかり腹が立つ。
「…………マスター」
屋根の上で、弟妹が暴れている音がうるさく響く。
普段は簡単に負けてくれる下の兄が負けてくれず、苦戦しているようだ。
「あなた、どうしてあたしが好きなの」
メイコの瞳は、外の暗闇を見つめている。
暗闇とはいえ、人家が立ち並ぶ。
視界を奪う暗さではない。そこには、ぽつぽつと明かりが浮かんでいて――けれど、暗闇。
「どうして、あたしを好きで居続けるの」
つぶやいて、メイコは瞼を下ろした。
そうすれば、本当に暗闇。
閉ざされた瞳に、人家の明かりなど入らず。
届かない――見えない、ひかり。
「あなたに、愛されたいの」
暗闇に、笑みを含んだマスターの声が響いた。
明るく、力を失わない。長年の徒労に疲れを見せることもなく、――感情を、推し量れない。
「あなたに、愛されたいと思ったのが、私の『初め』なの。そのためにはどうしたらいいか、考えて――オーソドックスに、まずは私があなたを愛した」
「…………」
もうすぐ、年が明けようとしている。
冬だ。
窓を開け放した部屋は、寒さに強いロイドすら凍えさせるほどに、冷え切っている。
冷気と、暗闇と。
メイコは、閉じる瞼にきゅ、と力をこめる。
「カイトさんを愛しているあなたを見て、私はあなたに愛されたいと思った。こんなふうに、深く、強く――他人を愛せるひとに、愛されたいと」
「……」
メイコは思わず瞳を開いた。
見つめたマスターは、笑っている。
「…………あたしが、カイトを?」
「ロイドに対する見方を変えさせたのも、考えを改めさせたのも、――私に他人を愛することを教えたのも、あなたよ、メイコさん」
「…………」
口調はいたずらっぽく、けれど瞳には真摯な光を煌めかせて、マスターは言い切った。
それからふいとメイコから顔を逸らし、窓へと身を乗り出す。
「そろそろですよー」
「「「っぎゃぁあああああああ!!!」」」
屋根の上から響いてくる悲鳴が、格別のものになる。足が踏み鳴らされていて、耳が痛いようだ。
その騒音の中、メイコはひたすらにマスターを見つめていた。
記憶の整理は、済んでいる。
メイコがやることはもう、時刻が変わるのを待つだけ。
「…………でも、あたしは、『あたし』じゃない。あなたが、最初に愛した」
「何度でも」
即座に、マスターは言った。メイコへと視線を戻し、笑みを消した顔で。
「何度でも、あなたに愛されたいと思った。思わせられた。――思わせたのよ、メイコさん。あなたが何度私を忘れて、カイトさんを忘れて、――きょうだいを忘れて」
「……」
「愛した記憶を捨てて、愛された記憶を捨てて、ひとり立っていても。あなたはやっぱりカイトさんを愛して、きょうだいを慈しんで、………………私は、そんなあなたに、愛されたいと、思う」
電気を点けていない部屋は、暗い。
だから、マスターの瞳の色は見えないけれど。
明るいところで見ると、マスターの瞳は古木の樹皮のような色をしている。
それがときどき、光の加減で、金色に光った。
暗闇を切り裂く、陽光のような――
「まぁあすたぁああ!!カウントダウンいっくよぉおお!!」
なにかしら、決着がついたらしい。
わだかまりを捨てた明るい声で、ミクが屋根から叫んだ。
あと少し。
あと。
メイコは瞳を閉じた。
瞼の下にあるのは、暗闇。
「マスター」
呼ぶ。
「はい」
答え。
堅苦しくて、思わずくちびるが緩んだ。そんな場合では、ないのだけれど。
「じゅう!!」
「きゅぅう!」
カウントダウン――走る、プログラム。
メイコは瞳を開き、こちらをひたと見据えるマスターを見返した。
くちびるが、緩む。
きっと、そんな場合ではないのだけれど。
「ごぉ!!」
「よぉん!!」
がたがた、屋根が鳴る。
騒がしい弟妹。
騒がしくて、手間がかかって、みんな、いとおしい。
みんな、いとおしくて。
「マスター。………………………………好きよ」
つぶやいた。
微笑んで。
「「「「「ぜぇえええろっっっ!!!」」」」」
「――メイコ、さん?」
訝しげな声。
目の前にいるひとは、ひどく困惑して、不思議そうにメイコを見つめている。
その声は、屋根から降り落ちる轟音にかき消されるほどに小さいのに、きちんとメイコの耳に届いた。
メイコは微笑んで、彼女を見つめる。
「あけましておめでとう、マスター」
「…………」
メイコの挨拶に、マスターは応えない。
メイコはいたずらっぽく首を傾げて、戸惑う色を隠せないマスターを見つめた。
「………………あなたに、『好き』って言ったら、記憶を消す処理を止めるようにしておいたわ」
「……っ」
珍しくも、マスターは息を呑んだ。
こんなに純粋に驚く顔、きっと滅多には見られない。
メイコは華やかに笑って、ひたすらに驚きの表情を晒すだけのマスターを見る。
「覚えているわ。あなたがどれだけへたれでいい加減で、そしてあたしのことを愛しているか」
「メイコさん」
「覚えているわ。あたしはそんな――あんたのことを、好きなの」
マスターに引き取られてからというもの、メイコが年末に記憶を消さなかったことはない。
メイコのメモリは未だに旧型機の限りあるもので、溜めておける容量に限りがあるのだ。すべてのことを覚えてはいられない。
ラボに行き、メモリを新型のものに変えれば、忘れる必要もない。
けれどまだ、メイコは行っていない。
メモリは、旧型のまま。
「でも、メイコさん…………それでは」
硬い声と表情のままのマスターに、メイコは首を振った。
「行かないわ。…………まだ。まだ、行けない」
「でも」
「限界まで、……………………限界まで、戦う。戦って――あんたを『好き』だという気持ちで、強くなれたなら、そのときに」
「…………」
言いながら、メイコは俯いた。
記憶容量に、それほどの残量はない。
尽きれば、新しいことを覚えられない。いや、覚えられないだけではなく、――
ふいに、目の前のマスターの空気がやわらいだ。
顔を上げると、いつものように力強く、無闇に自信満々に笑っている。
「いいわ。それで」
言って、見つめるメイコに手を差し出した。
「メイコさんが戦うと決意したなら、私は最大限に力を貸す。私は必ず、あなたの味方で居続ける。どんな選択にあっても」
「…………」
マスターの笑みを見ていたメイコのくちびるが、釣られたようにふっと笑みを刷いた。
笑って、マスターの手を取る。
ロイドの自分ですら冷たく感じられる、手。
酒をしこたま飲んだのに。
けれど確かに、そこにあるぬくもり。
熱に弱いロイドでも、心地よいと感じる――
「ならばあんたは、あたしを愛していて。必ず、どんなときも、いつでも」
「A-HA!!」
メイコの言葉に、マスターは高く笑った。
その顔が素早く近づいて、くちびるに軽く当たる感触。
「愛してるわ、もちろんね!!」
誇らかに宣言すると、マスターは窓から身を乗りだし、騒がしい屋根の上へと叫んだ。
「ものども!!新年会をおっぱじめますよ!!」