「おにぃちゃぁああんっvvv」
「ぅわっ?!」
ソファに座るカイトの背後から、浮かれうさぎならぬ、ハイテンション・リンが飛びつく。
大好きなおにぃちゃんにぎゅううっと抱きついて首を絞めてから(註:悪意はない)、短い髪から覗く耳朶に、ぴたっとくちびるをつけた。
「あのねあのねあのねっ………」
女妓初め-01-
部屋に戻ったら、すでに布団が敷かれていて、そこにちょこなんとカイトが正座していた。
据え膳過ぎる。
「………………っ」
がくぽは力なくがっくりと畳に頽れ、手をついて項垂れた。図らずも土下座状態だ。
「がくぽ?」
布団にちょこなんと座って待機状態のコイビトは、そんながくぽを不思議そうに見た。
――待機状態とは言ったが、きちんとパジャマを着ている。
チョコミントみたいだから!と言って、ミクが去年のクリスマスにプレゼントした、緑地に濃い茶の縞柄が入ったものだ。
色の絶妙さ加減が確かにチョコミントだと、カイトも含めて家族全員が同意した。
「……カイト、なにをして」
思考を逸らしつつ、がくぽは部屋に入ったところで項垂れたまま訊いた。
新年へのカウントダウンを済ませると同時に、リビングの家族忘年会の会場はすぐさま、家族新年会の会場へと早変わりを遂げた。
早変わりといっても、大したことはない。そのまま、飲みきっていなかった酒を飲み、残っていたつまみを食べるだけだからだ。騒ぐ名目が変わっただけのこと。
しかし今年の騒ぎは諸々あって、例年になくヒートアップした。
最後まで付き合うともれなく、新年早々にラボに運び込まれる予感大。
こういう騒ぎが大好きなはずのコイビトが、いつの間にか姿を消していたこともあり、がくぽはほどほどで逃げてきたのだ。
つまり、危険極まりない――あくまでも、がくぽの見解だが――新年会を抜けて、部屋に戻って、扉を開けたらコイビトが布団待機。
そう、現在、日付が変わって新年に突入して、数時間余――
この時間に、布団に待機しているコイビト。
こと色事について、年を考えると青褪めるほどに知識のないコイビト。
そしていつもなら、適当なところで引き上げるきょうだいたちが、未だにすべてリビングで騒いでいる現状。
確かにめでたいこともあったが、それを併せても、企まれている気配が芬々。
乗ったが最後、朝起きていったときに悲劇。
すでに予感の域を超えて、確信だ。
「んとね。がくぽに、訊きたいことあって」
「……訊きたいこと、か?」
「うん」
項垂れたまま近寄って来ないコイビトに、カイトもまた、布団に座ったまま動かない。
ひたすらにまじめな顔で、ずっと土下座しているがくぽを見つめる。
「……あのね」
少し待ったが、がくぽが復活する気配はない。
諦めて、カイトは口を開いた。
「『ひめはじめ』って、なぁに?」
「……っ」
ごん、と。
がくぽの部屋は、畳敷きだ。打ちつけても、板間ほどのいい音はしないし、痛さもさほどではない。
しかし思った通りの展開に、がくぽは力が抜けて、畳に額を打ちつけた。
土下座から、地に額を擦りつけるという、さらに最下位状態になったがくぽに、カイトはわずかに眉をひそめた。
「………えっちな、ことば?」
「っっ」
ぽつんと落とされた問いに、がくぽはびくりと肩を跳ねさせた。
カイトはくちびるを尖らせて、そんながくぽを見る。
「マスターに訊いたら、『ああそれは、博識ながくぽさんに訊いてください!』って言われて」
「ま、すたー……っ」
「マスターがそういうふうに言うのって、いっつも、えっちなことのときだから」
「ますたぁああ……………っっ」
読まれている。
完全に言動が読まれるようになっている。少なくとも、こと下世話な話題に関しては。
がくぽは、溺愛気味の恋人だ――そんな謙遜しなくていいよ、がっくん!と、上の妹には言われる。
『気味』じゃなくて、完全に溺愛、耽溺、溺死状態だから!――と。
謙遜は日本人の美徳だが、がくぽの、恋人に対する姿勢は謙遜すればするだけ、周囲に迷惑なのだという。
そんなこんなで溺死しているがくぽは、もちろん恋人が据え膳状態になっていれば、もれなく食べる。据えられていなくても食べる。
食べるが、今回の場合、据えた相手が問題だ。
先にも言ったが、食べたが最後。
「………えっちな、ことなんだ……」
「………」
カイトがぽつんとつぶやく声は、拗ねた響きを持っている。
畳に懐いてこのまま寝ようかと思ったがくぽだが、そんなコイビトを放っておけるわけもない。
仕方なく腹に力をこめて起き上がり、ようやくコイビトを正視した。
「………」
皓々とした明かりの下、パジャマ姿のカイトは、ちょこなんと布団に正座している。
拗ねたように眇めた瞳は、がくぽから逸れて、枕へ。
くちびるもわずかに尖らせて――
「毒を食らうためなら皿まで食らおうとも」
赤信号、みんなで渡れば怖くない、のトーンで、がくぽはこぼした。もちろん本来なら、みんなで渡っても赤信号は怖い。
怖いが、朝になって、家族に盛大にからかわれようとも構わない。
こんな『毒』を逃すくらいなら、『皿』を食らって破片で咽喉を切るのくらい、なんだというのだ。
拗ねたような表情の、カイト。
その目元はほんのりと染まって、マフラーをしていないために晒された首から、パジャマの襟からわずかに覗く鎖骨までが、赤く色づいている。
色事に疎く、無知なコイビトだ。
教えるたびに真っ赤になって恥じらい、戸惑いながら受け入れて、時として恥ずかしさのあまりに泣く。
拗ねたような顔をしているが、がくぽにはわかる。
知らない『えっち』なことをコイビトに教わろうとして、恥ずかしさに緊張しながら、少しだけ期待して、興奮もしている。
「………カイト」
「んわっ?!」
一瞬で目の前に迫ったがくぽに、カイトは色気のない声を上げて仰け反った。
瞳を見開いて、時折不可解な行動力を示す恋人を見上げる。
がくぽはカイトの腰を抱くと、負荷もかからない器用な動きで、ころんと布団に転がした。
「ぁ、の……がくぽっ」
「『姫初め』だろう?」
「………」
つい数瞬前まで、土下座状態だった。
それが今は男臭さ全開で、色香たっぷりの流し目までくれて、カイトに伸し掛かっている。
おそらく惚れた欲目だとは思いつつも、カイトは欲情を垂れ流すがくぽに見惚れた。
「教えてやろう?」
「………」
ちろりとくちびるを舐めて言うがくぽから、カイトはそっと瞳を逸らした。
与えられる感覚への期待と緊張からこくりと唾液を飲みこみ、つぶやく。
「やっぱり、えっちなことなんだ………」