夏だ。

花火だ。

「いざぁっ尋常に勝負ぅっ、おにぃちゃんっ!!」

線香花火の束を突きつけて叫んだミクに、カイトもまた、拳を突き出し返した。

「受けて立つよ、ミク!!」

――非常に地味な勝負が、展開される予感。

すぷらっしゅらっしゅ

「線香花火、甘く見ちゃだめだよ、がくぽ」

「そうか…………?」

庭にしゃがみこんだがくぽは、向かい合って座るカイトの言葉に眉をひそめる。

夏の夜の楽しみといえば、花火だ。

打ち上げ花火も、もちろんいい。しかし家族で庭に出て、手持ち花火でひととき、はしゃぎ回るのも楽しいものだ。

そこでまあ、はしゃいだ『子供』が『勝負』し出すことはよくある――と、しても。

花火で派手派手しい勝負を営まれては困るが、線香花火でというのは、いくらなんでも絵的に地味だ。

現に今、庭の静けさといったらない。

庭にはがくぽとカイトのみならず、マスターに始まりメイコにミク、リンとレンの家族全員が揃っている。そのうえに今日は特別ゲストとして、最近ミクと仲の良いルカが来ているのだ。

だが、勝負につきものの歓声や怒号、悲鳴や雄叫びが轟くこともなく、庭はひっそり密やか。

それもそのはずで、全員が全員、線香花火中。

庭に円陣を組んでしゃがみこみ、ひたすらじーっと手先を眺めている。ちょっとしたおしゃべりや、顔の動きでも線香花火は簡単に反応するので、だれ一人として動かない。たまにしゃべるが、長続きはしない。

じーっと、じーっと手先を眺めて、――

「甘く見るというか……………こう」

「細かいこと気にするね、がっくん。囲碁とか将棋だって『勝負』だけど、座ったまんまやるでしょ」

「…………それはなにか違う……」

いつもとは違い、ミクの反論も静かだ。さらにぼやいたがくぽは隣にいるにも関わらず、力技でねじ伏せられることもない。

線香花火中なのだ。すべてはその一言に集約される。

最近は線香花火の持ちも良くなったとは言われるが、やはりその他の手筒花火ほどではない。

「……………拷問だ」

「おや。珍しいことを、がくぽさん」

「珍しくもないわよ、たぶん」

ぼそっとつやぶいたがくぽに、マスターは軽く目を上げてつぶやく。

反論したのは、目も上げずに火花を見つめているメイコだ。

「そのいち:カイトが目の前にいる。そのに:ゲストが隣にいる。そのさん:じっと我慢の子。………むしろなにが珍しいんだか、逆に訊きたいわね」

メイコは散る火花を見つめたまま、いつもとは違う張りのない声で、ぼそぼそと数え上げる。

マスターは指を微動だにさせずに顔を動かし、がくぽと、向かいに座るカイト、そしてがくぽの隣に座るゲストのルカを見た。

ちなみに、カイトの両隣はリンとレンが占め、がくぽの両隣はミクとルカが埋めている。ルカの隣にはマスターが座り、そのさらに隣にメイコという形だ。

配置はある意味自然と決まったが、――確かに、珍しいことなどなにもない気がする。

これでいるのが家族だけなら、がくぽはいつものごとくに――

「まあ、そう言われれば」

「あたくしがなんだってのよっあっ!!」

納得して頷いたマスターに、訳もわからないままに『名前』を挙げられたルカが勢いよく立ち上がって叫んだ――再三再四言うが、線香花火中だ。だれ一人として例外なく。

勢いよく立ち上がったために、当然、ルカの花火から火薬が落ちた。

「はーい、るかちんだつらくー」

「あーい、マグロ女いちばん抜けー」

リンとレンは、抑揚もない声でつぶやく。

動かさなければいいのは指だけだが、この無邪気な少年少女は表情までもを微動だにさせまいとしていた。

しかしもちろん、自分では動かなくても他人に動かされれば終わりだ。

「だれがマグロ女よっ!!」

「あだっ!!」

口は災いの元を素直に体現したレンは、容赦なく飛ばされたルカの張り手で体を揺るがせ、あえなく火薬を落とした。

一瞬は呆然としたレンだが、すぐに憤然と立ち上がり、ルカを睨みつける。

「卑怯だな、この高級魚女っ!!これからますます漁獲量が減るからって、同情してもらえると思うなよ?!」

「なんの言いがかりなの、貴方っ?!」

「ちょっと、余所でやってよ二人ともっっあっ!!」

「げっ!」

円陣の中でやいのやいのとやり出したレンとルカに思わず叫んだリンの花火から、ぽとりと火薬が落ちる。

レンは引きつって仰け反り、逃げの態勢に入った。

間違いなく――

「るぇええ~~~~~ん~~~~~っっ……………るぅううくぁああああちぃいいいいいん~~~~~っっ」

暗闇にも関わらず、燃え盛る怒りの炎が見えそうなリンの声であり、空気だった。

「な、なによっ?!あ、貴女が勝手にっ」

そんなリンに完全に及び腰となりながらも、ルカは一応、自分に非がないことを主張する。無意味なのだが、ゲストだ。家族に馴染みがないので、そんなことはわからない。

「いいから黙って逃げろ、バカマグロっ!」

「だれがばかまぐ」

「ていうかさ、ルカちゃん」

再びレンへと向き直ったルカだったが、その言葉は最後まで続けられなかった。

これだけやいのやいのとやっていても、さっぱり動じることなく花火を見つめ続けているトップアイドルが、口を開いたのだ。

「ボクに負けた以上は約束通り、今日は泊まってってもらうからねボクの部屋で、ボクとふたりっきり、らぶらぶ同衾で」

「ひぎぃっ!!」

リンの怒りにも上げなかった悲鳴を簡単にこぼし、ルカは美麗な顔を壮絶に引きつらせた。仰け反って、体が完全に逃げの態勢に入っている。

「なんだ。そのような約束をしていたのか、ミク殿?」

がくぽはひょいと片眉を上げて、呆然と立ち尽くすルカと、微動だにせずに火薬を保ち続けるミクとを見比べた。

ミクのほうがずいぶんと懐いている印象だったが、家に――それも自分の部屋に泊めたがるほどだとは、思わなかった。

「うん。今日はうしちち枕なの」

「うし……………………」

「だれがうしちちよっ、このぺっちゃんこ!!」

なんだそれはと問おうとしたがくぽより先に、我に返ったルカが叫ぶ。

意味がわかって、がくぽはそっと視線を外した。

これで『ふたり』を見比べるともれなく、がくぽの胸が『うしちち』に魔改造される。ひとのことを改造している暇があるなら自分を弄ればいいと思うのだが、ことはそう簡単ではないらしい。

「…………」

「…………」

ルカとミクは、がくぽを挟んで座っている。視線を逃がすとなるとどうしても、前になる。

向かいにいるのは、リンにお仕置きされ中のレンと、その二人に挟まれていても器用に火薬を保持しているカイトだ。

微妙な偶然の産物で、ちょうどカイトと目が合った。

ふたりしてしばし、きょとんと見つめ合って――カイトが、へにゃんと笑い崩れる。

「揉めば大きくなるとは言うけれど、貴女くらいぺちゃんこだと、まず揉むための最低限の肉もないわよねっいえもうそれ、ぺちゃんこレベルじゃないわ。ヘコんでる、ぺこりーのだわね、貴女ぺこりーのあら可愛いこと!」

「ああそうか、揉むとおっきくなるんだっけ?!じゃあルカちゃんのおぱーいを、ボクがさらに気合を入れて揉んで、着られる服がなくなるくらいの、はづかしーほるすたいんちちにしてやるぁっ!!」

「っっ」

――物凄い罠ぶりだった。

なにごとも余裕綽々で流す上の妹が、唯一絶対に流せないのがバスト問題だ。

興奮したミクが立ち上がらなければ、がくぽはゲストの存在も忘れて魅入られたまま、カイトに襲い掛かっていただろう。

そもそもルカは、夕飯からご相伴の身だ。我慢の時間もかなりになる。

家にいて、存分にいちゃいちゃできるはずなのに、なんの因果か我慢の子。

いい加減、存在しない理性がシャボン玉より儚く弾け飛ぶ。存在していないにも関わらずだ。

「まあ、うしちちでもほるすたいんでも、なんでもいいですが………ミクさん抜けですね」

マスターの指摘に、ミクははっとして自分の手元を見た。

興奮して立ち上がった以上は当然の結果として、火薬は地面に落ちて黒くなっていた。

「っあああっ?!っこの、ルカちゃん!!もぉカンベンならんっ!!ちち揉ませぇっ!!」

「いっ、ぃやぁあああっちょ、外い、いやぁっ、来ないで、来ないでぇえっ!!」

女子というものは――

いきり立ちながらも、勝負続行中のがくぽを巻き込むことなくルカに肉薄していくミクの手は、容赦なくわきわきしている。

そんな上の妹と、襲われる女子友を漫然と眺め、がくぽは軽い頭痛を覚えた。

ここに『男』が存在していることを、もう少し気にしてくれないものか。

男同士で同じことをしたなら、容赦なく変態だの気持ち悪いだのと罵詈雑言を浴びせられるというのに、それが女同士というだけですべてが許容される社会。

ある意味で男尊女卑であり、女尊男卑だ。男女平等社会の実現を激しく希求したい。

「というわけで、残りは私に、メイコさん、カイトさん、がくぽさんなわけですが」

「そうね」

騒がしい外野に心の耳を完全に閉ざして、マスターが数え上げる。応えるメイコは、双子の弟妹を見習ったかのごとくに声にも表情にも抑揚がない。

ひたすらに、じっと火花を見つめている。

その隣に陣取っているマスターは、器用としか言いようのない動きで、自分が持つ線香花火をメイコのものに近づけた。

「そろそろ勝負時だと思うのよー」

「えって、ああっ!!」

つぶやいたマスターは、メイコの火薬と自分の火薬をくっつけた。

くっついてひとつとなり、大きくなった火薬は一瞬、殊更に激しい火花を上げて、――重さに耐え切れず、ぽとりと落ちた。

「あっちゃー………賭けごとって、やっぱりだめねえ。負けたかぁ」

「んなにをしらしら言ってんのよぉあたしを巻き込むんじゃないわよ、おばかぁっ!」

悲鳴を上げたメイコが、ようやくいつもの生気を取り戻してマスターへと掴みかかっていく。暗闇で詳細な表情は見えないが、微妙に涙声だ。

「だから、勝負に出たんだってうまくすれば、メイコさんのだけ落として」

「あたしに挑もうったぁ、いい度胸だわね、あんたっ!!」

「まったく反省してないけど、口先だけはごめんなさぁあいっ!」

「反省してないうえ、口先だけで謝るなぁあっ!」

――ようやく、『勝負』らしくなってきた。

悲鳴と怒号、罵詈雑言が飛び交い、騒がしいことこのうえない。全員が全員、敗者だが。

夜だ。

それもそれでどうなのかと思いつつ、がくぽは残る己の花火と、カイトを見比べた。

「…………?」

瞳を見開き、がくぽはカイトに見入る。

がくぽは己の気を逸らすために、極力カイトを見ないよう、視線を外してきた。

しかしカイトは、ずっとがくぽを見つめていたらしい。

目が合って――

「っっ」

「ぁ」

小さく声を上げ、カイトは地面を見た。

火薬がふたつ、がくぽとカイトの足元に落ちている。ふたりの隙間、ほんのわずかな地面に。

「おちちゃった」

がくぽの目の前、ごく間近にいるカイトは、ひどく幼い口調でつぶやく。

目が合った。

ほんの少しの間だけ見合い、次の瞬間、カイトはとん、と地面を蹴っていた。

一瞬で肉薄すると、呆然と見入っていたがくぽのくちびるに、ぶつかるようにキス――

「カイト」

呆然としたまま、名前だけをつぶやくがくぽに、地面で黒くなって消えた火薬を見届けたカイトが顔を上げる。

へにゃんと、笑った。

「ごめ……………ガマン、できなかった…………ぁは」

「……………」

言葉を継がないがくぽの傍にしゃがみこんだまま、カイトは庭を見渡す。

リンは未だにレンにお仕置き中で、ミクとルカは胸を巡る攻防中だ。そしてマスターとメイコもまた――

「これ、結局、だれが勝者になるんだろうね?」

――非常に地味かつ、ぐだぐだに終わった感のある勝負に、カイトは無邪気に首を傾げる。

キスした勢いで落ちたため、がくぽとカイト、二人の火薬のどちらが先で後かが、わからない。判定者もいない。

カイトのほうが移動した分、先かもしれないが、意外に持った可能性も否定はできないし――

「カイト。まさかお主が、斯様な卑怯技を使うとは思わなかった」

「え?」

表情もなく淡々とこぼしたがくぽに、カイトは瞳を見開く。

ぎょっとした顔を向けるカイトを、がくぽは静かに見返した。

「勝負の最中でありながら、斯様な卑怯技を仕掛けてくるなど」

「えあ、えと、その、がく……………えとえと、ごめ」

わずかに腰を引き、あたふたとしだしたカイトに、がくぽはきっぱりと言い切った。

「お仕置きだな!」

「え?」

生き生きるんるん、なにかが突っキレた表情のがくぽに、カイトは完全に身を引いた。

構わず、がくぽは立ち上がる。座ったまま、身を引き気味にして見上げてくるカイトに手を伸ばすと、その体をあっさりと肩に担ぎ上げた。

「ふっわ、がくぽっ?!」

「イケナイ子には、お灸を据えてやらねばならんな部屋に帰って、たっぷりじっくり、心から反省するまで仕置いてやるからな、カイト!」

「えっ、えっ、えっ?!や、え、あ、ごめ、ごめなさ、がくぽっ、が、がくぽっ!!」

一本どころか二本三本、大事なナニかが切れた様子のがくぽに、カイトは担ぎ上げられたままあたふたともがく。

気にすることなくやすやすと抱え、がくぽは大股で家へと歩き出す。飛び散るハートマークと音符マーク、そしてきらきらちかちかぴかぴかした、いろいろなアレが目に見えるようだ。

「口先だけの謝罪など受け取れんぞ、カイト!」

「く、口先だけじゃないったら、ほんとにほんとに………」

「そうか、口先だけではないのか。ならば大人しう………」

「がくぽぉっほんとにほんとにごめんなさぁあいっっ!!」

――年長男子二人が家の中に消えると、庭に残ったのは静寂だった。

「まさか、おにぃちゃんが先にキレるとは思わなかった………」

「リン、あとで五百円」

「……………」

「…………を、まけてやるから、お仕置き終わりにしてください…………」

ぼそぼそとした双子の会話を聞き取り、家の中から漏れ聞こえる悲鳴らしきものにもう一度耳を澄ませ、ルカは微妙な表情で自分の胸を見下ろした。

そこには、ツインテ頭の少女が埋まっている。最終的に、これで落ち着いたところだ。

しかし肝心のときにミクとの攻防中だったルカは、『瞬間』を見ていなかった。空気が今ひとつ、掴めない。

「………………なんですの、あれ?」

わざわざ自分で、ぎゅううっと肉を寄せてやって耳を塞ぎながら訊いたルカに、胸の中からしあわせにうっとり蕩けた声が、もごもがとつぶやいた。

「馴れだよ、馴れ……………」

答えの意味不明さが、しあわせにうっとり蕩けているせいなのか、それとも真実なのか――

家族に馴染みのないゲストのルカには、判別がつかなかった。