アリスと白ウサギ、結論はソクラテス
雑貨店の軒先、客寄せパンダ――ならぬ、くまのぬいぐるみが載ったワゴンの前で、がくぽは足を止めた。
ワゴンにずらりと並べられたぬいぐるみは、赤に始まり黄色に緑にピンクにと色とりどり、まさに目を引く鮮やかさだ。
がくぽはその中から、青色のくまを手に取った。
――途端だ。
「あ、推し色ベアだあっ。へえ、ここも扱うようになったんだー」
「っっ」
まるで見計らったかのようなタイミングで上がった無邪気な声に、がくぽはびくりと震えた。
ぱっと、反射で目をやったがくぽだが、声を上げた主、末の妹であるリンの目は、次兄を見ていなかった。きらきらと無邪気に輝く表情で、カラフルなくまの大群を見ている。
その様子からしてどうやら、声を上げたタイミングは『見計らった』ものではなく、ただの偶然らしいと知れるが――
「この前まで、専門店とか行かないとなかったのに。けっこー、流行ってきてるのかなあ」
「あー…リンはわ・ざ・わ・ざ、都内まで行って、買ったよな」
リンの横からさらにレンが顔を出し、腐すとも茶化すとも取れる口調で応える。そんなレンを、リンはぷくっと頬を膨らませて睨んだ。
「ちがうもんっ。仕事で行って、近くにお店があったから、ついでだもんっ」
「ついでに二駅な」
「そーよっ、『ついで』よっ!」
リンはなにか異論でもあるのかと、ない胸を張る。それにレンが反論するか、頭を抱えるかするか――
という、いつもの流れとはならず、次の瞬間、双子は揃ってがくぽへ顔を向けた。
青色のくまを手に持ったままのがくぽへ、だ。
「「買うの?」」
――声までぴったり揃っていた双子だが、浮かべる表情は対照的だ。レンはひどくいやそうに、リンはわくわくと、とても楽しげに。
「………あー………」
がくぽは弟妹からわずかに視線をずらし、疚しく口をもごつかせた。
「その、カイトが……カイトの部屋にも、あったなあ、…と」
「兄ちゃんの?」
「あ、そうっ!リン知ってるっ!紫のね、棚のとこにっ」
訝しげなレンに対し、リンのほうはぱんと手を打って頷いた。
それでにっこりと――すでに笑顔であったものを、さらに力強く満ち満ちてにっこりと、がくぽへ笑いかける。
「ねっ!紫のっ!推し色ベアっ!おにぃちゃんの本棚にっ!!」
――つまりは、念押しだ。大事なことであるので二回くり返し、がくぽへと。
なにがそうまで大事かといって、だから長兄たるカイトの部屋の本棚――飾り棚とされているそこに、紫色のものがすでに、大事に飾られているということだ。
紫だ。
そして『推し色』ベアだ――今さらその色が飾られている理由を、くどくどしく言うまでもないだろう。
カイトがいつものおっとりさんを発揮し、わけもわからず飾ったわけではない。きちんと理由を知ったうえで、あえてその色を選び、飾ったのだ。
いつまで経っても仲のよろしい兄たちであると――
が、妹のその、きらきらしい念押しにがくぽが返したものといえば、ワゴンにくまを見つけてから変わらずの、冴えない様子だった。
「ああ、紫の、な。紫の、『だけ』――な?」
「はぇ?」
がくぽの様子は冴えないのだが、いつもと理由は違うようだった。つまり、いつまで経っても冷めることを知らない恋人ぶりを、ここぞとばかり、妹にからかわれ、弄られるのが厭だとか、鬱陶しいだとかいった。
常とは違う次兄の反応にきょとんとしたリンの横で、レンが呆れたように吐きだす。
「紫の『だけ』だから、なんだってんだよ?くままで青とセット置きじゃないとイヤだとか言うのか?どんなロマンチストだっつの。言っとくけどな、兄ちゃんだってオトコなんだから、そうそう…」
「あっ、そっかあ!」
腐すレンの言葉を明るく遮り、リンは再びぱんと、手を打った。
「そういえば、セットじゃないわ!リンは、リンとレンと、ふたつセットで買ったけど!ああうん、そっか、それで?じゃあ、買うんだ、がっくがくっ!」
――なぜか自分が買ってもらえるかのようなはしゃぎぶりで、リンはきゃわきゃわと言う。
続きで、自らの片割れへと微妙に得意げな表情を向けた。
「ね、レン!リンも、リンとレンと、セットで買ったもんね、推し色ベア!」
「ああ?そりゃ、俺とリンはセットで…」
「ねっ!!レーンーっ!!」
「………」
「あー………」
――そんな、きゅっとくちびるを引き結んだ表情で、懸命に助けを求められてもという話なのだ。
長兄とは違い、がくぽもレンも、女きょうだいの扱いがうまくない同士だ。
がくぽはせめてもと、末弟の頭をくしゃりとひとつ、掻き混ぜて慰めてやった。少なくともこの件に関しておまえはひとりではないぞと、その程度のものだが。
壮絶に厭そうな顔となった末弟だったがしかし、さすがに助けを求めただけはある。今回、次兄の慰撫を弾くことはしなかった。
ともあれ、リンだ。
男きょうだいの悲哀などどこ吹く風の末の妹は、相変わらずのはしゃいだ様子でがくぽの後ろに回り、ぎゅいぎゅいと背中を押した。あるかないかは知らないが、あってもなくても決心が鈍らぬうちにとか、そういうあれだ。
「だったらほら、早くレジに…」
「否、マフラーが…っ」
「ほぇ?」
押されて多少は動いてやったものの、がくぽは未だはっきりしない様子で、リンを振り返った。
口の中で、もごつかせるような言いだ。よく聞き取れなかったのだろう、仔リスのように無邪気な表情で瞳を瞬かせるリンと、がくぽとが見合うこと、数瞬――
がくぽはきゅっと眉をひそめ、小さく首を傾げてみせた。
冴えず、はっきりとしない態度であっても、強固に持ったままである青色のくまを掲げ、もう片手でその首元を示す。
「『マフラー』が…」
「っ、ああ!」
今度はリンも、閃いた顔で頷いてくれた。だけでなく、がくぽの背に手を当てたまま、周辺の関連グッズにさっと視線を走らせる。
それらしいものはない。代用できそうなものも、とりあえずこの店での取り扱いはなさそうだ。
だが確かに、マフラーだ――マフラーは必須だ。
これがカイトであると言うためには、色だけではまったく足らない。マフラーも必ずなければ。
カイト――KAITOといえば、マフラーなのだ。諸説あれ、マフラーがKAITOだとすら言われる。
真偽はともかく、とにかくマフラーあってのKAITOであることに違いはない。
どうしたものかと思案する顔となったリンに、がくぽは傾げた首をさらに傾げ、もごもごと不明瞭に続けた。
「着せ替え人形の、な――衣装で、な?………ないか」
「きせ…」
きょとんと見上げる妹を、ことさら小難しい表情で見返し、がくぽはこくりと頷いた。
「なにか、いろいろあるだろう、名前も種類も?この程度の大きさのもので、合いそうなものはないか」
「ん、あー……ああ!」
多少は明瞭な声で補足したがくぽに、ようやく意図を悟ったリンが納得したように頷く。
そうやって一瞬は表情を明るくしたリンだったが、すぐにじっとりとした目つきになった。はるか頭上で、微妙に無邪気な風情を醸す次兄へ、頬を膨らませてみせる。
「たぶん、マフラー単品じゃなくて、衣装一式とセットになっちゃうかもだけど、あることはあると思う。思うけど、ねっ、がっくがくっ!」
「ん?」
なにやら叱責される気配に、がくぽは軽く、目を見張る。
そのがくぽから、リンはつんとして顔を逸らした。
「言っておくけど、いっくらリンがロリっ娘でも、ねっ!そぉいうお人形はもう、『対象外』なお年頃なんだからっ!当然知ってるよなって顔、しないでよね!」
ぷんすかぷんと不明を詰られ、がくぽはさらに目を見張った。
意想外を隠しきれもしないまま、レンへ目をやる。
「そうなのか?」
「なんで俺に訊くんだよ?!知るかっ!でも『そう』だけどなっ?!」
「然もあらんな………」
やれやれと天を仰いだがくぽだが、長くはなかった。すぐまた、リンに背中を押されたからだ。
それも先とは比較にもならないほど強く、ぐいぐいぐいと。
「そーと決まったら、とりあえずくまのお会計しちゃって、がっくがく!ここら辺の近くで、いっちばん『お着替え』が充実してるお店に行くからっ!あのねあのね、駅前のデパートだと、魔法少女系がほーふでねっ、商店街のおもちゃ屋さんだと……」
リンはがくぽの背中をぐいぐいと押しつつ、口早に候補を上げていく。
がくぽは抵抗もできずに押され、レジへ向かってのたのたと歩を進めつつ、もう一度、レンを振り返った。
「『そう』、なのだなっ?!」
どこか必死な風情で念を押してくる次兄に、レンは頭を抱えた。
「『そう』だよっ!!」
叫び返し、レンは抱えた頭をわしゃわしゃと掻き毟った。
「だからなんで俺に訊く?!訊くな、この軟弱兄っっ!!」