あのひ、きみとみたおまけ

「み、ミク姉ミク姉!!」

「んゃろーしたの、リンたん」

かき氷を掻きこんでいたミクは怪しい呂律で、浴衣の袖を引っ張る妹を振り返った。ちなみに今日のミクの浴衣は、黒地に濃い緑の蔦が全身を這い、ポイントポイントで真っ赤な牡丹が咲いている、徒っぽいものだ。

対して、少女らしいピンク地に、色とりどりの桔梗の花を散らした浴衣を着た妹は、興奮に頬を紅潮させ、大きな瞳を夏の太陽にも負けないほどにきらきらと輝かせている。

「あれっ!!あれっっ!!!」

「ありぇ?」

言われるままに指差す方向を見て、ミクは瞳を見開いた。

忘れていた。

今日の夏祭りは、前回の祭りで散々な思いをしたおにぃちゃんにご奉仕しようと決めていて――

リンとレンと頭を突き合わせて、あれやこれやと企画して、準備万端、出かけたのだ。

それが会場に着いた途端に、ぽんとネジが飛んで、おにぃちゃんを放り出して遊びに走ってしまった。

なんてことだ。

「忘れてよかった!!」

ミクはこころから叫んだ。

視線の先、人ごみに紛れながらも、彼女たちの溺愛する兄の姿がちらちらと見える。

人ごみが苦手で、いつもどこか情けない顔をしている兄が、楽しそうに笑っている。

笑う視線の先にいるのは――仲良く手を繋いだ、がくぽ。

まさかあのがくぽと、おんもで手つなぎ。

「りりりりり、リンちゃんリンちゃんっ、写メ写メ!!」

「あ、うんうんうんうん!」

ミクに肩を揺さぶられ、リンは慌ててポーチから携帯電話を取り出す。

その肩を掴んだまま、見失うことがないように目は兄たちを追いつつ、ミクは眉をひそめた。

「いや待って、リンちゃん。むしろムービーかも。動画!!」

「ぃやああっ!!」

「なに?!」

さっきまでの興奮を引きずったものではない、悲痛な声が上がる。

ぎょっとして見下ろしたミクに、リンは真っ黒な画面の携帯電話を差し出した。

「じゅーでんわすれてたぁあああ…………!」

「んなにをやってんのぉっ、リンちゃんっ!!」

思わずムンクになって非難の声を上げる姉を、リンは涙目で睨み上げる。

「み、ミク姉こそっ。そもそもケータイ忘れたひとに、言われたくないっ!!」

「それは至極もっともだけど、決して非は認めないっあんなベストしょt」

再び兄たちの姿を探して、ミクは仰け反った。おそらく一瞬、本気で回路が断ち切れた。

目を離した一瞬になにがあったのか、カイトを抱え上げていたがくぽは、その体を下ろすと、腰を抱いた。

そしてその、腰を抱いた姿勢のまま、歩き出す。戸惑うようだったカイトが笑って、身をすり寄せた。

「ANGYHAAAAAAAAAAAA!!!!」

表記し難い悲鳴を上げ、ミクは同じように悶絶し、今にも携帯電話をへし折りそうになっているリンの肩を掴んだ。

「こんびに!!リンちゃんコンビニ探して!!コンビニで充電器ぃっ!!」

「こんびにぃいいいいいいっっ!!」

「…………」

懸命に気配を殺し、レンは狂乱する姉妹からそっと離れた。

レンも携帯電話を持っている。充電したばかりで、バッテリー満タンのものを。

姉妹がレンの存在を思い出したなら――即座に携帯電話を供さなかった彼に、想像するも無残な「お仕置き」が下る。

だがレンとしては、兄たちのことは放っておきたいし、出来れば深くツッコんで考えたくないのだ。

どう考えても「兄弟」の枠を超えがちなふたりが、あからさまに道を踏み外しかけている瞬間とか――そんな場面を記録媒体に残したくないし、その残すものが、自分の持ち物というのは、最悪だ。

それは弟としての葛藤でもあるし――大好きな兄への、裏切りのような気もするのだ。

「……っ」

だから、気配を殺して、出来るだけ離れる。

はぐれていたから、仕方ない。

――とは考えてくれない姉妹だが、少なくとも、わかっていたのになにもしなかった、より、「お仕置き」が軽い。

身を眩ませるために辺りを見回したレンは、ふと、ひとつの屋台に目を奪われた。

いつもは皮肉に眇めがちな瞳を本来の魅力通りに大きく見開くと、ふらふらと近づく。

「ぃらっしゃいっ」

「いっこ」

「はいよっ」

普段のつんけんぶりが嘘のようなかん高く甘い声でさえずったレンは、金と引き換えに手に入れたそれに、ふにゃりと蕩けきった笑みを浮かべた。

「ちょこばにゃにゃぁvvv」

――怪しい呂律でさえずり、手に持ったチョコバナナにかぶりつく。

「ふぁあんっ」

無防備に蕩けきった顔で、上げる声が嬌声だ。

「ん、んん、んまっ」

かぶりつくのが、チョコバナナだ。

「ねえ君、チョコバナナ好きなの?」

「んく?」

ぽん、と肩を叩かれて振り仰いだレンは、口の端にチョコレートを付けたまま、小動物のように無防備に首を傾げた。

知らないひとだ。

にやにやと笑う若い男は、レンの肩を熱っぽく撫でる。

「俺さ、おいしい『チョコバナナ』持ってるんだけど、食べてみたくないそれよりずっと大きくて、太いぜ」

「おっきくて………ふとぃ…………」

つぶやいたレンの瞳が、無邪気な期待にきらきらと輝いた。

「たべたい!」

上がる甘い強請り声に、男はにんまりと笑って、レンの肩を抱き寄せた。

「じゃあちょっと、こっちk」

「ぅうるぁあっっ!!」

「ぎゃはっっ?!!」

皆まで言う前にドスの利いた掛け声が上がり、男は後ろから股間を蹴り上げられて、道にうずくまるとびくびくと震えて悶絶した。

その男の背後に立った仁王が、口からもうもうたる煙を吐き出す。比喩だが。

「あたしの相方にナニしてくれようとしてんのっ、このイカレ○○○○野郎がっっ!!」

少女が叫んではいけない言葉で躊躇いもなく罵ったのは、リンだ。凄絶な怒りに染まったその顔で、ぽかんとしているレンを抱き寄せる。

「もぉっ、レン!!いっつも言ってるでしょ、チョコバナナくれるって言われても、知らないひとにはついて行っちゃダメって!」

「……」

まだまだきょとんとしているレンの肩を、同じく傍に来ていたミクも、軽く叩く。

「そぉだよ、レンくん。チョコバナナはチョコバナナでも、生臭くてかったい『チョコバナナ』食べさせられちゃうからね?」

諄々と弟を諭す。

しかし彼女たちは「チョコバナナ」と連呼しているが、正確に言ってそれは、「チョコバナナ」ではない。おそらく。

まるきりいつものキレもなく、きょとんとしてお説教されていたレンだが、ややして瞳を潤ませた。

「ちょこばにゃにゃぁ…………っ」

洟を啜りながら上げた声は、あどけない。

姉妹は顔を見合わせて、首を振った。

「だめだこりゃ」

「すっかり飛んじゃってるね………」

いつもはレンに対して強権的に振る舞う姉妹だったが、今日に関してはこれ以上、どうこうする気はなかった。

チョコバナナを前にしたレンは、アイスを前にしたカイトと同じだ。理性も正気も存在しない。

「同じっていうかむしろ、普段とのギャップ分、それ以上……?」

「どっちでもいいわ、カワイイから!」

相棒甲斐のあることを言って、リンはレンと腕を組んだ。

「ほら、レンっ。もぉ泣かないっ。お祭り会場のチョコバナナ屋台、全制覇に付き合ってあげるから!」

「ちょこばにゃにゃ、いっぱい?」

「うんといっぱいよね、ほらっ」

「いくぅーっwww」

あどけなく笑い、レンは絡めた腕にしがみつくようにして歩き出した。

レンの今日の浴衣はリンとは色違いで、黒地に桔梗の花が咲き舞う華やかなものだ。ロイド、それも芸能特化型のボーカロイド用の浴衣には、あまり男女の別がない。

リンと仲良く腕を組んで歩いているのを見ると、非常に愛らしい――双子の、少女に見える。

「カップルって言ってあげられなくてごめんね…………っ」

ミクは架空の涙を拭い、後ろを振り返った。

対して、見るからにアレだった兄たちの姿は、すっかり見失ってしまった。

「…………………なんで、うちの男ってこう……………」

ぼやきながら、ミクは浴衣であることをものともしない軌跡を描いて、片足を振り上げた。

「ごぁっっ!!」

ようやく立ち直り、そろそろと逃げに入っていた男は、再びの激痛に泡を吹いた。