リビングを静寂が支配し、次いで嵐が襲った。

「「みきぃいいいいいいいいいいいいい?!!!!」」

Peter Piper Picked a...-02-

リンとレンが揃って、破壊的な声を上げる。

ミキというのは、若さまの弟、深月のことだ。かわいい呼び名に似合わない大柄な男で、体だけでなく、態度も尊大かつ不遜、そしてなにより。

「マスター、貴様、正気か………っっ!!」

がくぽが頭を抱えて呻く。

性格に問題の多い深月だったが、ことロイドに関しては、致命的な問題があった。

前述した、ロイドを新種の奴隷かなにかと思っている人種なのだ。

敬愛する兄のロイドであるカイトやがくぽへの態度もいけ好かないなら、弟のようにかわいがっている奏のロイドである、リンとレンに対する態度も悪い。

すべてのロイドと敵対し、応戦する深月に、よりによって虐待による傷を抱えたがちゃぽを預けた。

「このバカ様………っっ」

「だから結果を見ろって」

周囲からの非難の嵐に叩きこまれても、若さまはへこたれなかった。

突如騒然とした周囲を、不安げに見回すがちゃぽを指差す。

確かに、結果は出ている。

普通の子供のように見える、ということが、どれだけの労力を伴うことか。

ロイド保護官として、多くの被虐待ロイドと接し、自身もまた、そういったひとりを預かる熊には、痛いほどにわかる。

たかが一か月で――

「………まさかミキ坊、勝手に初期化掛けたりとか」

顔をしかめて可能性を上げた熊に、若さまはわざとらしいまでに驚いたような表情をつくってみせた。

「俺がやるなって言ったことをやるのかミキが?」

「おまえらの兄弟愛は気持ち悪い」

「本音が駄々漏れだぞ」

冷静に指摘し、若さまはがちゃぽへと手を振った。

「不安なら近づいてみろ。はっきりするから」

「……」

熊はまずいものを突っ込まれた顔になって、黙った。そうでなくても厳つく恐い顔を、痛みに歪めてがちゃぽから目を逸らす。

「どういうこと、若さま?」

「ん?」

がちゃぽを抱きしめて睨みつけてくるリンに、若さまは口を開いた。

「お取込み中、申し訳ありません。おやつです」

そこへ、おやつの乗ったお盆を抱えた奏が割って入った。

今日のおやつは、チョコレートアイスの上にシロップ漬けした果物を散らし、ホイップクリームを山盛りに添えた、見た目にも鮮やかでおいしそうなアイスサンデーだ。

「すみません、今日のおやつはアイスサンデーですので…」

断りを入れた奏に、主は気を悪くした様子もなく頷いた。

「溶けるな」

「はい」

きまじめに頭を下げる奏だ。

まずは主である若さまにグラスを渡し、それから主の客である熊に渡す。

そこで、己のマスターの振る舞いに脱力しているリンとレンを振り返り、手招いた。

「リン、レン。がくぽさんとカイトさん、それにがちゃぽさんにお配りして」

「もう、マスター………そんな場合………?!」

「ほんっと、仕事絡むと空気読まなくなるよな、マスターって………」

腐す己のロイドたちに、奏は眉をひそめた。

「読んでたら、アイスが溶ける」

「それは重大事ですね」

「カイト……」

堂々と言い切る奏の言葉をまともに受け止めるカイトに、がくぽも肩を落とした。

確かに重大事だろう、カイトにとっては。そして空気を読まないことにかけては、カイトの右に出るものはない。

「もー、そこまで来たんだから、持って来てくれればいいのに……」

「…」

こぼすリンに、奏は微妙な表情になった。主である若さまを見やり、再びリンへと視線を戻す。

「いいから運ぶ」

「奏」

「…」

若さまに短く呼ばれて、奏はまずいものを突っこまれた顔になった。

しばし躊躇ってから、がちゃぽへと視線を投げ、微笑む。盆を持つと、わずかに近づいた。

「…………がちゃぽさん、おひとりでお食事は出来ますか?」

「っっ」

「え?」

奏が傍に来ようとした途端、がちゃぽはびくりと震えあがって、リンとレンの腕にしがみついた。凍りついた表情で、大きな瞳を極限まで見開いて、奏を見返す。

奏は笑みを崩すことなく、しかしそれ以上近づこうともせず、やわらかく言葉を続けた。

「………もしお食べになれないようなら、リンとレンに手伝ってもらってください。リン、レン、面倒見て差し上げるんだよ」

「え、あの、マスター………」

「おい、がちゃぽ……」

さっきまで、新聞紙の兜を被って得意満面でいたがちゃぽだ。突然の豹変ぶりに納得がいかず、レンは小さな肩を揺さぶった。

「ひぎっ」

「おい……っ」

小さな悲鳴をこぼされて、レンはますます困った顔になって、相方を見た。

だがリンのほうも、どうすればいいかわからない。

怯える、という言葉では生温いほどの恐怖を浮かべる幼い顔と、あくまで穏やかでやさしい笑顔のマスターを見比べるしかない。

「人間恐怖症か」

つぶやいたのは、がくぽだ。

「な納得したろ。初期化してない」

「得意そうに言うな、得意そうに………」

胸を張って言う友人に熊は頭を抱え、さっきまで魔法のように見えたがちゃぽの豹変に顔をしかめた。

がちゃぽにはいくつか傷があったが、なにより深刻なのが、『人間』に対する恐怖心だった。

彼を守り、癒そうとするロイド保護官にまで怯えて、恐慌状態に陥る。

だが小さな彼は、なにくれとなく面倒を見てやる必要がある。

保護官の周りにいるのは、同じく虐待を受けて問題を抱えたロイドで、彼らに面倒を見てくれと頼むことは出来ない。どうしても、人間が近づかなければならない。

しかし近づけば、がちゃぽは恐慌状態に陥る――

八方ふさがりとなって、熊は友人に頼ったのだ。

「そんな…」

「リン、レン。アイスが溶ける」

「…………マスター………っ」

涙の滲んだリンに、奏のいつもと変わらない声が飛ぶ。

瞬間的に脱力してから、リンは表情を引き締めて顔を上げた。

がちゃぽに声を掛ける前、奏が晒した表情。

あれが彼の本音だ。がちゃぽのことを憐れみ、痛ましく思っている。

だが、思っても表には出さずに日常をこなすのも、奏の職分だ。主家のやることなすことに、いちいち心を揺り動かし、動揺のままに行動していては、家を支えることなど出来ない。

「俺が行く」

「がくぽさん……」

震える足で立ち上がろうとしたリンを押さえ、がくぽが優雅に立ち上がる。

奏から五人分のサンデーが乗った盆を受け取るとロイドの輪に戻り、がちゃぽの前に座った。

人間が目に入らなくなるように、己の体を盾にして。

まずは己の妻にグラスとスプーンを渡してから、未だに凍りついたままのがちゃぽを覗きこむ。

「がちゃぽ、座れ。おやつだ。貴様はまだ幼いようだが、ひとりで食えるか?」

「…」

凝然としたまま応えないがちゃぽを、がくぽは辛抱強く見つめる。

「受け取れ。貴様の分だ。食えないなら食わせてやるゆえ。そこな鏡音のふたりが」

「俺たちかよっ!!」

ツッコんだことで我を取り戻したレンは、舌を打った。

立ち尽くすがちゃぽを強引に抱き寄せて膝に乗せると、気弱に瞳を揺らすリンに向けて顎をしゃくる。

「グラス取って」

「あ、うんっ」

慌てて頷き、リンはがくぽからがちゃぽの分のグラスとスプーンを受け取る。

中を覗きこんで、レンはあやすように、がちゃぽの腹を叩いた。

「今日はチョコアイスか。おまえ、チョコアイス好き?」

「バナナとみかんもついてるよ。がちゃちゃん、バナナとみかん、どっちが好き?」

「……」

アイスを掬ったスプーンを微笑んで差し出すリンに、がちゃぽは恐怖を覚えるほどに緩やかに口を開いた。

その口の中に、アイスが落としこまれる。

すぐにも溶ける甘いそれを飲みこみ、幼子ははにかんだ笑みを浮かべた。

「………ちょこも、にゃにゃばも、みかも、しゅき」

「バナナだっつの」

「いいじゃない、レン!」

いつものようにやり合いだしたリンとレンを眺め、がくぽは自分用のグラスを取った。軽くひと匙掬って口に運び、それから妻に差し出す。

アイスを目の前にしながら、茫洋とがちゃぽを見つめるカイトに。

「溶けるぞ。ふたつ食う暇があるのか」

「………どうでしょう。努力します」

「してくれ。甘い」

「おいしいのに………」

いつもながらの旦那様の態度に首を傾げながら、カイトはサンデーを口に運ぶ。

がちゃぽはレンの膝から下りて正座し、自分でスプーンを持って食べだした。見る間に口の周りが汚れていくが、幾許かは口の中に入っている。

その顔が浮かべる表情は、すでに無邪気な子供のものだった。

「バランスが危ういな」

「さすがに一か月だぞ。無茶言うな」

「そうじゃなくてよ…………あんなんで、ミキ坊とうまくやれてんのか?」

和気藹々とやっているロイドを眺めながら、熊が顔をしかめる。

幼いころからの付き合いの深月は、熊にとっても弟のような存在だが、もっと踏み込むなら、問題の多い弟だ。

ロイド保護官の自分と、ことごとく意見が合わない。

そしてそんな深月の性格を知れば知るほど、今のがちゃぽの様子がわからない。

「あいつのことだから、世話を誰かに任せて……」

「マスター登録済んでるぞ」

「…………俺は涙目だ」

ため息とともに洟を啜る友人に、若さまはスプーンを咥えて手を振った。

「奏。ティッシュ用意してやれ」

主の命令に、使用人は眉をひそめた。

「勿体ないですから、タオルでよろしいですか」

「資源問題に踏み込むか……」

深刻そうにつぶやきながら、若さまは軽快にサンデーを口に運ぶ。

見ていることを意識されないようにがちゃぽを見つめる熊に、スプーンでグラスを叩いた。

「食え。溶ける。奏のつくったものを無駄にするな」

「………おまえは相変わらず過ぎてほんと腹立つ。早くこの健気な元ヤン坊や、嫁に貰ってやれよ」

「熊さん!!」

顔を赤くして叫んだのは奏だけだ。

若さまのほうは、顔色ひとつ変えない。

「いい加減素直に結果を認めろ」

「ってもなあ…」

ぼやきながら、熊がスプーンを口に運んだところで、インターフォンが鳴り響いた。

訝しい顔を向けた熊とロイドたちに構わず、落ち着いている若さまは奏へと顎をしゃくる。

心得ている奏のほうは、身軽な動きで玄関へと向かった。

「ちゃんと安心させてやるから」

若さまはいたって気楽に言って、サンデーを口に運んだ。

ほどなくして現れたのは、話題の人物、深月だった。

ロイドたちの警戒レベルが目に見えて引き上がるのに対し、ひとりだけ、表情を明るく弾ませたものがいた。

「ぬししゃま!!」

叫んで駆け寄ったのは、人間恐怖症のはずのがちゃぽだった。