人数が増えすぎて、カウンターにひとが収まらなくなった。そもそもカウンターには、椅子が二脚しかない。

さらに言うと、深月が来たことで、がちゃぽの傍に人間が寄っても大丈夫な状態になった。

そうなれば、ロイド好きのロイド保護官の熊が、大勢揃ったロイドから離れて座っていることを良しともしないし、床座生活に馴れている若さまのほうも、椅子より床を選ぶ。

結局おやつを持って、全員がリビングの真ん中に集まった。

Peter Piper Picked a...-04-

「ん、んん」

「慌てるな。だれもおまえの分を取らん。ちゃんと噛め」

「ん!」

慣れた手つきで、深月は膝に乗せたがちゃぽの口にサンデーを運ぶ。

自分に与えられた分を食べきった熊は、微妙な表情でそれを眺めた。

「本気で違和感なく、おまえら兄弟の日常まんまだな」

「違和感ないのか?!しかも日常なのか?!」

熊のぼやきに、がくぽが目を剥く。

たまに来た深月の、兄への世話焼きぶりは確かにかなりのものがあった。しかし、幼いがちゃぽでそれをやって違和感がないと比べられるとなると、自分の認識はまだ甘い。

熊は頭を掻き、友人を指差した。

「ミキ坊、これのこと溺愛してるから」

「そう。溺愛されてんの俺」

「しらっと言うな、気色悪い!」

年は三十を超えた男と、そろそろ三十の呼び声が掛かる男の兄弟だ。

幼児のがちゃぽとやるから違和感のない光景を日常的にくり広げるとなると、異常としか言いようがない。

それはカイトも平静に、今さら気がついたのかと首を傾げるだろう。

「膝抱っこはさすがに中学で止めさせたんだけどな」

「そのうえ筋金入りか………っ」

項垂れるがくぽの背を、カイトが撫でる。

空気を読めないうえに会話のテンポにも付いて来られないカイトには、現在展開されている話が、まるでわからない。

わからないが、なにかしら旦那様が打ちひしがれていることは感じるらしい。ある意味、奥さん甲斐はある。

「ぬししゃま、ぬししゃまもあーん」

満面の笑みを浮かべたがちゃぽが、深月の手を取って口に運ぶ。深月は素直に、スプーンを自分の口に運んだ。

「おいし、ぬししゃま?」

「ああ、美味い」

「ねね!!」

深月は膝の上で暴れるがちゃぽの体を器用に支えて、落ちないようにしてやる。暴れるなとも言わず、痛いとも言わない。

「…………なあ、いっこ気になってんだけど」

「一個か?」

「実は一個以上あるが、とりあえず一個」

ツッコミにめげることなく応えて、熊は愉しそうな友人を見た。

「『ぬしさま』って、誰が決めた呼称だ?」

デフォルトでは、ロイドは己の主を『マスター』と呼ぶように設定されている。しかしカスタムも可能で、名前で呼ばせることも出来るし、こうやって『ぬしさま』と呼ばせることも出来る。

とはいえカスタムする者は少ないし、さらに『ぬしさま』を呼称に選ぶとなると、稀少過ぎる例だ。

訊かれた若さまは、無邪気に微笑んだ。

「俺。ミキが人前でなんて呼ばれたらおもしろいかなって考えて」

「おもしろ………」

つぶやいて、熊は深月を見た。視線に気がついた深月は、眉をひそめる。

「ひとを憐れむな。今さら大したことないだろうが。何年、弟をやっていると思ってる」

「生まれたときからずっとだな」

「人生のすべてを棒に振ってるな、ミキ坊………!」

「余計な世話だ!!」

叫んでから、深月は新たな同情の視線に気がついた。

壮絶に眉をひそめ、振り向く。

ねこを思わせる碧の瞳が二対、花色の瞳が一対、深いふかい同情の念を込めて見つめている。

彼らは確か、深月と敵対していた。彼がどうなろうと、いや、地の底に落ちても笑っているはずの相手だ。

「貴様らな………!」

それ以上は言葉にならず、深月は奥歯を軋らせた。

敵対する相手を憐れむという優越感を堪能したリンは、うずくまって笑いの発作と闘っている若さまに顔を向けた。

「ミキがかわいそうなのはいいけど、若さま、がちゃちゃんだってロイドよこんなちっちゃくても、ロイドなんだから………ミキが虐めるかもとは、思わなかったの?」

「そりゃ大丈夫だ」

懸命に呼吸を整えながら、若さまはリンへと手を振る。

「こいつは女にも男にも厳しい。だが子供には甘いからな」

「え、だって」

リンはレンと顔を見合わせる。

子供だと主張したくはないが、大人だと言い張るのも違う。

微妙な年頃のリンとレンだが、少なくとも周囲から見れば、子供だろう。

しかし立派に深月との敵対関係を築いているし、甘くされた覚えもない。

「リン、レン。お家では普通、『子供』っていうのは五歳までを差すんだよ」

「ご………っ」

静かに口を挟んだのは、奏だ。

奏が『お家』というのはもちろん主家のことで、つまり若さまと深月にとって『子供』の定義は『五歳以下』。

目を剥くリンとレンに対し、がくぽは苦い顔で、深月の膝の上のがちゃぽを見やった。

「………ぎりぎりだな」

「だから引き取ったんだ」

軽く言われ、がくぽは眉間を押さえる。

マスターの言葉は、発し方が常に軽い。軽いが、含まれる意味が常に重い。

つまり彼には、確実な勝算があったのだ。『子供に甘い』という深月の甘さ加減は、おそらくこちらの想像を絶するものがある。

たとえばそれが、心底蔑んでいるロイド相手であったとしても。

それはきっと、普段の彼を知れば知るほど、絶句するしかなくなるほどに。

「おまえは子供じゃねえよな?」

「兄は敬うもんだろ」

友人の問いに当然とばかりに胸を張って返した若さまに、熊は深刻そうに頭を振った。

「ミキ坊にハイパーエクストラスペシャルハードミントをやればいいのかどうやったら目を覚ますんだ、このバカ弟は?」

「本音が駄々漏れだぞ、熊助」

平静につぶやいてから、深月は一応、兄へ渋面を向ける。

「兄貴も兄貴だ。なにかというと、俺に面倒を押しつけて」

「普段こき使われてやってるだろ。たまにつぶやく兄のわがままはすべて聞け」

「殊勝さの欠片もないな、兄貴!」

胸を張ったままの兄に、深月は簡単に引き下がった。

それこそ、三つ子の魂で、刷り込みだ。ここに手抜かりがないところに、兄の勝因がある。

「とはいえ面倒掛けたまんまも悪いからな。『それ』の新しい引き取り手なんだけどな」

爆弾は常に軽く放り投げられる。

若さまの言葉に引きつったのは、リンとレンだった。

そんな短期間に、何度も何度もマスターを変えられる。

人間には想像もつかない苦痛だ。

思わず己のマスターに取り縋ったリンとレンに、取り縋られたほうの奏は、小さくため息をついた。ロイドたちを、安心させるように抱きしめてやる。

主の考えはわからない。わからないが、信頼はある。

カイト以外に興味はないと言い切るが、友人からの預かり物を疎かに扱うひとでもない。

「ああ、それで熊助がいるのか」

「いや、俺?!」

平静なのは深月もで、落胆した様子もない。だからといって、重荷を手放せると喜ぶ様子もなく、ある意味、不気味なほどに感情が窺えない。

視線を向けられた熊のほうは、慌てて首を掻いた。

「いや、がちゃぽの様子を見て、新しい引き取り手を探そうったあ思ってたけどよ………」

「今のまんまで行けばなんとかなりそうだろ」

「ちょっと話を聞け、バカ様」

まじめな顔で向き直った友人に構わず、若さまは得体の知れない笑顔をがちゃぽへと向けた。

話の展開は見えていないものの、なにかしらの気配を察して強張っているがちゃぽに、やさしく声を掛ける。

「新しいマスターのとこに行くのどうだ。人間は怖いばかりじゃないってわかったろ。熊の見つけてくる人間なら信用していいぞ。伊達のロイドバカじゃない。鼻が利くから人柄は保証できる」

「……っ」

瞳を揺らし、がちゃぽは深月を見上げた。深月のほうは、特に感慨もなくがちゃぽを見下ろす。

「そうだな。俺のところだと不便も多い。子供向けの環境とは言えんし………」

「いや!!!!」

鼓膜を突き破るような金切り声が炸裂した。

膝の上で立ち上がったがちゃぽは、恐怖に極限まで瞳を見開き、震える手で深月のシャツの襟を掴んだ。

「いや!!いや!!ぬししゃまがいいのぬししゃまのとこいゆの!!がちゃはぬししゃまのものなの!!」

「おい」

「いいこすゆかや!!がちゃ、もぉわがまましないおぎょーぎもおべんきょすゆぬししゃまのおせわ、できゆようにすゆ!!がちゃ、がちゃ、いっぱい、なんでもすゆ、すゆかや………っっ」

金切り声で叫んでいたがちゃぽは、最後には涙に咽んで言葉にならなくなった。深月に縋りつきながら、へたり込んでいく。

「おねぁい…………ぬししゃま……おしょばにおいて……っ」

「ぅっ、ぐすっ」

懸命な幼子の様子に素直にもらい泣きしたのはリンで、レンは垂れる洟を奏の服の背中に押しつけた。

「………マスター、貴様、今日という今日は……」

奥歯を軋らせながらがくぽに呼ばれても、若さまはいつも通りに笑った。口を開く。

「納得したでしょう?」

「カイト?」

しかし若さまが言葉を発するより先に、それまで黙っていたカイトが口を挟んだ。

注目されても怯むことなく、カイトはがちゃぽと深月を指差す。

「いくらあなたたちが不信感を持っていても、がちゃぽにとっては彼こそがまたと得難きマスターなのだと。身に沁みて、わかったでしょう?」

「……」

それは、わからざるを得ない。

いくら『マスター』であっても、上位者として設定されても、ロイドからこころからの崇敬と思慕を得られるわけではない。

がくぽがいい例で、彼はあからさまに己のマスターと敵対している。

ましてや相手は、『マスター』による虐待で『人間恐怖症』とまでなったがちゃぽだ。

その彼が『マスター』に取り縋ることが、どれだけのことか――

ロイドともなれば、その重みは人間より遥かに、身に沁みる。

彼らにとってはいけ好かない、信用ならない相手である深月だが、がちゃぽにとっては。

――それがわかるのは、カイトもまた普段から、こういう態度を取られることに慣れているからだ。

カイトのマスターは、自分のロイドからすら「→頭がおかしい」と公言される人物だ。

それでもカイトにとっては、『またと得難きマスター』なのだ、と。

がくぽは瞳を揺らして、端然と座る妻を見つめた。

「…………あのな、常日頃から俺はおまえに、落ち着いて考えて行動しろと言っているな?」

「……ぬししゃま」

泣き濡れて見上げるがちゃぽに、深月は渋面を向けた。こぼれる涙を指で拭い、頽れた体を丁寧に抱き直す。

そうやってきちんと目を合わせ、殊更に眉をひそめて見せた。

「ひとの話は最後まで聞け。いいか、確かに俺のところは不便も多く、子供向けの環境でもない。だから、おまえにとって最良の環境とは言えん。それでも、おまえがそうと望むまでは俺のところに居ればいい。おまえが出て行きたいと言うまで、俺から追い出す気はない」

「………っ」

瞳を見開くがちゃぽの足を、深月はあやすように叩いた。

「選択権があるのはおまえだ。俺じゃない」

「………っ」

「だから兄貴だって、おまえに訊いただろうが。俺と誰かと、どちらがいいかと。おまえが決定したなら、俺はそれに従うだけだ」

「……っ」

ますます瞳を見張ったがちゃぽは、やにわに深月の首にしがみついた。

「ぬししゃまのとこいゆ!!がちゃ、ぬししゃまのとこいゆの!!ぬししゃまだけが、がちゃのぬししゃまなの!!」

「わかったから耳元で叫ぶな」

特にうれしそうでもなく、だからといって迷惑さの片鱗も窺わせず、深月は組みつくがちゃぽを受け止めて背を叩いた。

熊が呆れた目を遣る性格の悪い友人は、腹を抱えて爆笑していた。

リンは奏に縋り、泣き笑いの顔をねこのように擦りつける。

レンのほうは奏の背中に隠れて、盛大に洟を啜った。

「真性中の真性か、ミキ………!!むしろもう、輝いて見えるぜ………!!」

「……」

漏れ聞こえたつぶやきに、奏は軽く天を仰いだ。