自分が泣いたことに驚きながら、カイトはがくぽを見送った。
合理的な判断だと思う。
確かに布団を分ければ、それどころか部屋を分ければ、どうやっても触りようがない。
And you shall be a...-02-
「…」
ベッドに座りこんだカイトは、音高く閉められた扉を見つめていた。向かいの客間の扉が開閉する音がして以降、物音はしない。
それでも、じっと待った。
「…?」
しかし、はたと気づく。
いったい、なにを待っているのか?
答えは見当たらなかった。
触るなと言ったのは自分で、やさしい旦那様はそのとおり、触らないと約束して部屋を分けたのに。
ベッドに入って寝る。
それだけの動きが取れなくて、カイトの瞳は揺らいだ。
しばらく葛藤して、ベッドから降りる。
どうしたらいいかわからない以上、カイトが取る行動はひとつだった。
「…マスター」
隣のマスターの部屋の扉をノックする。ノブを回して顔を覗かせると、ベッドに横になったマスターが手を振った。
「どうした」
まだ布団を被っていなかったマスターは、笑顔で訊く。
カイトは逍遥と歩いて部屋に入ると、ベッド脇の床に正座した。
「いっしょに寝てください」
生真面目にお願いする。
マスターはベッド上で胡坐を掻き、しょげ返っているカイトに手を伸ばした。
指が頬を撫で、こめかみをさすり、また頬に戻ってやわらかくつまむ。
「それはだめだろ。旦那様放り出してマスターと寝ましたなんて。おまえどう説明つけるの」
「…」
やわらかに、しかし厳然と言われて、カイトの瞳が潤む。マスターの指が目尻を掠り、涙に気づいて、瞼をなぞると目頭を押さえた。
「でも、がくぽといっしょには寝られないんです」
目頭を押さえられたことで必然的に目を閉じたカイトは、こころ細さがますます募って、涙声で訴えた。
マスターの指が頬へ戻り、軽く叩かれる。
「旦那様と寝られないんじゃ結婚生活は破綻だ。幾重にもな。なにが厭だ」
「…それ、は」
端的に訊かれて、カイトは口ごもった。
今まで秘密を持ったことがないマスターだが、こんなことを言うのは気が引けた。
「…さ、わられ、たく、ないです」
どもりながらようやく言うと、マスターはカイトの頬をつねり上げた。力はこもっていなから大して痛くはないが、驚いたことはわかる。
「寝られないだけならやばいで済むけどな。触られるのが厭だってなったら終わりだ。あれはそんなに不愉快な触り方をするのか?」
「…っ」
カイトの体が強張った。
触れたままのマスターの手にはカイトの緊張がそのまま伝わったはずで、隠しようも誤魔化しようもなかった。
わずかに沈黙が落ち。
「なるほどそうか。『触られたくない』か。それはすごいな」
「…っ」
マスターはベッドに仰のけに倒れると、腹を抱えて笑い転げた。
カイトは俯いて、マスターが笑い止むのを待つ。瞳は潤みっぱなしだ。涙の意味は違うが。
やがて笑い止んだマスターは起き上がると、肩で息をしながらカイトの額を小突いた。
「だめだ。旦那様と寝ろ」
「…マスター」
縋るように見上げたカイトに、マスターは笑顔で、だが厳然と扉を指差した。
「それでおまえが踏ん切れるってんなら命令してやる。マスター命令だ。旦那様と話し合って誤解を解いていっしょに寝ろ」
「…誤解なんて」
「してるさ。旦那様のほうはな」
抗いがたい『命令』の威力に震えながら、カイトはそれでもマスターを見つめた。
マスターは扉を指差したまま、その指を小さく振る。
「起動して十日だぞ。いくら知識量が豊富でも経験が追いつかなければ宝の持ち腐れだ。おまえが折れてやらないでどうする」
「…」
そうまで言われれば、カイトにはこれ以上抗う術がない。
渋々と立ち上がり、入って来たときより逍遥とした足取りで扉へ向かった。
扉を開きながら未練がましくマスターに目をやると、こちらに顔を向けていたマスターは微笑んだまま、容赦なく手を振った。
「おにぃちゃんてのは弟に折れてやってなんぼなんだ。おまえはおにぃちゃんじゃないが姉さん女房だからな。慣れるまでは折れてやれ」
「…はい」
力無く応えて、カイトは部屋を出た。
しばらく扉の前で立ち尽くし、しかし結局、マスター命令の求めるまま、がくぽのいるはずの客間へと向かった。