静かに扉が開き、暗い部屋に足を踏み入れたそのひとは、迷う様子もなくがくぽの寝る布団まで忍んできた。
あげく、布団の中へ潜りこもうとする。
And you shall be a...-03-
「カイト」
苛立ちはピークに達し、がくぽは体を起こすと尖った声を上げた。
「そなたが触るなと言ったのだぞ。なんのために部屋を分けたと思っている?!」
「でも俺、ひとりじゃ眠れません」
返ってきた答えのあまりといえばあまりなことに、がくぽは倒れ伏しそうになった。頭痛のせいだけでなく、眩暈がする。
追い打ちを掛けるように、カイトはつぶやく。
「ひとりで寝たことないんです。ずっとマスターといっしょに寝ていましたから」
つい最近まで、カイトとマスターが住んでいたのはワンルームマンションだった。
ベッドはもちろんひとつしかなく、シングルの狭いそこに、成人した男ふたりを詰め込んでいたのだ。
床にもうひとつ布団を延べて上げ下ろしするという発想は、マスターにはなかった。
起動したときからほとんどそういう状態だったから、カイトはそれが当たりまえで、むしろだれかとくっつき合っていないと眠れない。
だから、寄るな触るなと言いながら、朝になるとカイトは、がくぽにくっついて寝ていた。
そんな状態だから、がくぽもカイトの真意を図りかねるのだ。
立ち上がって照明を点けると、がくぽはカイトとの間に布団を挟み、胡坐を掻いて座った。
「そなたは俺にどうしろと言うのだ。無茶苦茶を言っている自覚はあるのか」
「…さわって、も――いい、です」
どもりながら言われて、がくぽは胡乱な眼差しで、相対して正座したカイトを見た。
だれが見ても、あからさまに項垂れている。
「厭なものを我慢せずとも良い。マスターに頼んで寝て貰え」
要はそれで済むのではないかと言い投げたがくぽに、カイトはますます項垂れた。
にじり寄ってきて膝を突き合わせると、縋るようにがくぽを見上げる。
青い瞳が風の吹く湖面のように揺らいでいるのが見て取れて、がくぽは顔をしかめた。
いっそ回路をすべて断ち切りたいほどに、頭が痛い。
「あなたと寝たいです」
「…無理はしなくて良い」
額を押さえてようやく吐き出したがくぽに、カイトは目を見張った。
「がくぽ?」
「マスターから、そなたに無体を強いるなと、きつく言われている」
「…そんな」
カイトの瞳が揺れた。涙が盛り上がる。
ここで泣かれたら、自分で切るまでもない。負荷に耐えかねて、勝手に回路が切れる。
「泣くな!」
つい声を荒げたがくぽの頭を、膝立ちになったカイトが抱きしめた。
「いいえ、泣きます。あなたが苦しんでいるなんて耐えられない。俺まで苦しくて泣きます」
「…無茶苦茶だぞ、そなた…」
頭を抱えこまれたまま、がくぽは肩を落としてつぶやいた。
痛みが引いていく。
赦す、と明確に言われたわけではないが、言動を迂遠に理解すれば同じことだ。
ようやく人心地がついて、がくぽはカイトの腰に手を回した。
がくぽの手を感じたとたん、カイトは大きく震えて強張る。
「…そなたが言ったのだぞ。マスターは、行動で示せば諦めると。そなたのこういう姿を見れば、マスターとて無体は言うまい」
「さわってほしいんです」
今までと真逆のことを言い出したカイトに、がくぽは顔を上げようとしてできなかった。
カイトが頭をきつく抱えこんで、放してくれないのだ。
「あのな」
「いっぱい、さわってほしいんです。でも」
引き剥がそうとした頭を、カイトはますます強く抱えこんだ。
「さわられると、変になるから、いやなんです」
消え入りそうな弱々しい声で言われ、がくぽは動きを止めた。
告白したカイトは力が抜けて滑り落ちていく。がくぽの肩口に顔を埋めると、背中に爪を立てた。
「ちょっとさわられただけでも、指先まで痺れて。撫でられたら、力が抜けてしまうし。全身があつくなって、ものが考えられなくなって…」
言い募るカイトの首に、がくぽはくちびるを押しつけた。歯を立て、舌で舐めあげる。
「ゃうぅ…っ」
か細い悲鳴が上がって、背中に爪が食いこんだ。
がくぽは震える体を今度こそもぎ離して、布団の上に転がした。
のぼせた顔は、困惑と怯えに歪んでいる。
その瞳が潤んでいるのは、嫌悪のあまりだと思っていた。ついさっきまで。
「がくぽ…」
「そなた、体が先に反応してしまったのだな」
確信に、がくぽは強気な笑みを浮かべて囁いた。
極限まで低められた声は、隠しきれない甘さに蕩けて耳を撫でる。
カイトは苦しさに仰け反った。
「その声、いやです…っ」
「厭?悦いの間違いだろう?そなた、俺のこの声が好きだろう」
「…っ」
断言されて応えられず、カイトは涙を張った瞳でがくぽを見つめた。
意地悪い囁きから一転、がくぽの浮かべる笑みが、不可思議な感情を宿して揺れる。
「こころが追いつかぬうちに、体が反応しているから怯えるのだ。案ずるな、そのうちこころと体が同期すれば、落ち着く」
「…?」
がくぽの言っていることを理解できない顔で、カイトは瞳を潤ませている。
恐る恐るといった風情で手を伸ばすと、がくぽの頬を撫でた。
「慣れるということですか?」
訊いておいて、がくぽの答えを待たずに、言葉を継ぐ。
「慣れたくないです。うまく言えませんが…あなたに触れられることに、慣れてしまいたくない」
がくぽは声を立てて笑った。
肝心のものはくれないくせに、まるでもう、ものにしたではないかとばかりに、甘い言葉だけはくれる。
これがカイトゆえなのか、KAITOシリーズに共通した特徴なのか。
なににしても、性質の悪いことこのうえない。
「そなたは嬉しがらせの天才だ。俺をもっと嬉しがらせてくれるだろう?」
とりあえずは散々に扱われた一週間を取り戻すべく、がくぽは殊更に甘く囁いた。
カイトが大きく震える。その震えの意味を、今はもう間違えない。
「どう、したら…?」
掠れる声で、カイトが弱々しく訊ねる。
がくぽは笑うと、熱っぽく潤む瞳にくちびるを落とし、舌を伸ばして舐めた。
「おとなしうしておけ。悪いようにはせん」