B.Y.L.M.-ExtraEdition
Melody-scene4
楽しみにし過ぎて、がくぽはいつもよりずいぶん早く、目を覚ましたという。
そうまでこころ待ちとしてくれているのかと思えば、カイトとしても悪い気はしない。
とはいえ過ぎ越して、そこまで期待されてもという、気後れも大きい。
がくぽの強い要望ということもあるが、毎年まいとし変わり映えもせず、やっていることは同じなのだし――
なにより、そうまで大それたことをやっているのでもない。どう考えても、期待が過剰だ。
そもそもがくぽは日常から、日の出とともに――それより若干、早くには目を覚ましている。それでさらに、輪をかけて早く起きたとなるとだ。
「ええ、空が白むどころか未だ、真夜中でした。寝たにしても、ほんのひと眠りという程度でしょうね」
がくぽ――昼の青年は肩を竦め、軽くそう、答えた。美貌は健在であり、寝不足によって瞼が腫れるだとか、目の下にくまが浮くだとかいうこともない。
「それでも目が冴えて冴えてね。とてもではないが、再び眠りにつけるような状態ではない。どころか、じっと転がっているのすら苦痛で……だからと下手に動けば、あなたを起こしてしまうでしょう。まあ、ほとほと困り果てましてね」
すらすらさらさらと言い立てる青年の口調からは、残念ながら『ほとほと困り果てた』という、『ほとほと』感がまるで伝わってこなかった。ほんとうに困ったのだろうなと、思わず膝を詰めて問い糾したくなるような。
それで、どこまでどう、ほんとうに困ったか不明だが、とりあえず『困った』がくぽが取った手段だ。
カイトに眠りの術を掛けたうえで、庭に出た。
最愛の伴侶にして根づくべき『大地』と定めたがくぽが離れると、カイトは自らの状態がどうであれ、とりあえず目を覚ましてしまう。そして夫が傍らに戻るまでは、どれだけ眠くとも眠れない。
だがくり返すが、今日のがくぽが目を覚ましたのは真夜中であり、とてもじっとはしておれないからと、寝台を抜けた時点でも未だ、真夜中と言っていい時間帯だった。
夏季の日の出がいかに早いとはいえ、それでも空が白むにはまだまだ、刻限が余るというほどの――
それでカイトを起こすに忍びなかったと言うなら、ごく当然の配慮ではある。常識的な判断であるし、愛情の発露とも言えるだろう。
しかし結果としてカイトは、日の出からずいぶん経ってから、ようやく目覚めることとなった。
夜の夫の見送りと昼の夫の出迎えという、ことに重視する日課が行えなかったわけで、この大事な日にと、カイトは忸怩たる思いがどうしても拭いきれない。
「いっそ日常としてしまえば………ただこの日のみのという限定ではなく、毎日、常の習慣とすれば…」
楽しみにし過ぎた挙句、朝にもならない真夜中に起きだすようなことはなくなるのではないか。
拭いきれない恨みがましさと、どうしてそこまでという戸惑いと諸々が綯い交ぜとなり、カイトの物言いはぼそぼそと奥に篭もって、覇気がなかった。
何度でも主張するが、カイトが毎年、がくぽの生まれ日にしてやっている祝いは――祝いの贈り物とは、そう大それたものではない。
『ささやか』という言葉を、ほんとうに嘘偽りなく、誇張もせず体現したようなものだ。日常と化すことも、実に容易い。
南方の夏季の湿気具合にも劣らない、じっとりした目つきを向けるカイトへ、がくぽは勝っても劣らない爽やかな笑みを返した。
「しかしお断りします」
「『しかし』?!」
爽やかさに圧されて仰け反ったカイトへ、がくぽは軽く、肩を竦めた。
「もったいないですし」
「もった、ぃ……?」
「まあ、これを日常と化したなら化したで、あなたはまた思考をすっ飛ばして、とんでもないことを祝いとしてやろうと、あっさり思いつくんでしょうが」
「『とんでもない』?!って、どういうことだ?!」
言葉の選択だ。よりによって、言うに事欠いてという、がくぽの言葉遣いだ。
もったいないにしてもとんでもないにしても、だからカイトがやっているのは、そうまで大したものではない。
思考が『すっ飛んで』いるのはどちらだと叫ぶカイトへ、がくぽは笑った。軽く、肩を竦めて言う。
「なにより私は、それ自体が好きなわけではないのですよ。もちろん、嫌いではありませんがね?」
「…っ」
寝台に座りこみ、恨みがましい上目を向ける最愛の妻へ、がくぽは身を屈めて顔を寄せた。
「懸命に考え、頭を捻り過ぎた挙句、私にそれを贈ろうと思いつき、実行してくださったあなたが――あなたがそこまで私のために、時とこころとを費やしてくださったということが、私にはなにより尊い」
「ぁ…」
はっと、思い至った顔となったカイトへ、がくぽは頷いた。
「あなたがこの日、私の生まれたことを言祝ぎ、歓んで、こころと時とを費やしてくださる――すでに心の臓が止まりそうなほどの悦びであるというのに、これ以上なにをして、あなたはあなたの夫を脅かす気です?」
「ぉ、びや……っ」
だから――言葉の選択だ。
よりによって、言うに事欠いてという。そこまでのものではないというのに――
せっかく陶然としたのもすぐさま霧散し、カイトは言葉を失ってがくぽを見つめた。
そんなカイトの態度にも懲りた様子はなく、がくぽはこことぞとばかり、笑みを蕩かせる。
がくぽは身を屈めていた。間近だ。挙句、愕然としていたため、カイトはまともに目を合わせてしまった。突き抜けた美貌の蕩かす笑みに、至近距離で対してしまったのだ。
みるみるうちに染まっていく肌に笑みを深め、がくぽは朱を塗らずとも紅いくちびるをとろりと開いた。
「ねえ、カイト様?そういうわけですので…――私は起き抜けからまあ、楽しみにし過ぎた挙句とはいえ、いろいろやらかしましたが………あなたがもし、まだ、あなたの夫の生まれを歓び、祝いたいという気持ちを失わずいてくださるなら、どうぞ――いただけませんかね、いつものやつを」
がくぽの表情も声も、とろとろ以上にどろどろに蕩け、甘く、重い。でありながら、カイトを見つめる花色の瞳は、まるで子供のような無邪気さでもってきらきらと、期待に満ちて輝いている。
無為とカイトを思いやっているわけではなく、ただほんとうに楽しみであるから、そうなのだと――
「おまえというやつは」
夫婦となって、何年経ってこれなのか。こうなのか。
思いはあれ、想いが募り、ためらいもなにも掻き消されて、カイトは続く言葉を呑みこんだ。
呑みこんで、きゅっとくちびるを引き結ぶ。先とはまるで違う熱を湛えた上目で、潤みながら夫を見つめた。
「カイト様」
望みが叶う予感に、夫の笑みがますます煌く。
間近に眺めて息が詰まりそうなほど動悸が激しくなり、カイトは相手のことを言えない自らに笑った。
夫婦となって、何年経ってこれなのか。こうなのか。
いったいいつまでこう在れるものか、そんなものはわからないとしても――
ただ『今』、未だ、まだ、カイトは夫が愛おしく、その生まれがひたすら喜ばしい。
こうして在ってくれることが嬉しいから、気恥ずかしさも呑みこみ、夫が望むまま――
なにより、自らがもっとも望めばこそ、今年も贈る。
――あなたが生まれ、生きて、<私>を見つけ、愛し、こうして夫となってくれたことが、しあわせだと。
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