B.Y.L.M.
ACT4-scene6
「いえっ!あのっ!!」
きょとりとしたままつぶやいたカイトに、がくぽは慌てて首を振る。横だ。否定だ。
否定だが、あとが続かない。
「その……っ」
「いや、わかった。うん、がくぽ、わか………」
そこまで言って、カイトもまた、言葉を続けられなくなった。ただし、がくぽと理由は違う。
笑いの発作に襲われて、とても話すどころではなくなったのだ。
「カイト、さま……っ!」
「いや、うん、そう………ぅふっ、ぅっ、ちょっと、待て……っ」
「くっ……っ」
当然ながら恨めしい声を上げるがくぽに、カイトはまずいとは思いつつ、なかなか笑いを治めることができなかった。懸命に息を継ぎ、腹に力を入れるが、発作は激しい。
いっそ、昼の青年がよくやるように、屋敷を揺るがすほどの大笑でもすればさっさと治まる気もするが、あいにくあれは、カイトの流儀ではない。
そうでなくとも気難しい年頃である少年の機嫌が、とことんまでこじれそうだということもある。
けれど愉快だ。あれができる豪胆さが自分にあれば良かったのにと、カイトはつくづく思う。
思いながらくつくつと、咽喉奥から腹の底へ笑いの発作を押しこみつつ、カイトは逃げようと身を捩るがくぽの、首に回していた腕に力をこめた。
あえかなものだが、それでなんとか少年は腕のなかに留まってくれる。
これが本格的に逃げようと図らないうちに、あるいは、いっそもう暴挙に走ろうと自棄を極めないうちに、ほんとうに笑いを治めなければいけない。
わかっていても表情が緩むことだけはなんともしようがないまま、とにかくカイトは話せるまでの状態とした。
「そう、か、がくぽ……気に入って、くれたか。またしてほしいと、思う程度に、は」
「ぅっ、ぐ……っ」
まるで鳩尾でも抉られたかのように、少年はうるわしい面を歪める。懸命に否定の言葉を探す気配があり、けれど声として、言葉として、出てこない。
図星だからだ。
カイトを床に侍らせ、口でもって奉仕に尽くさせるなどとんでもないと、当初は思考が飛んだ。
しかしでは改めてと、思い返したときに――
素直でいいことだと、カイトは微笑ましく思う。同時にひどく、うれしくもあった。
初めての行為だった。とても巧みとは言えなかったし、途中からおかしなふうに思考も飛んだ。
最終的にはがくぽに助けてもらって、なんとか終わらせた次第だ。ずいぶんな醜態も晒したし、ほんとうは改めて思い返すのもつらいほど、恥ずかしい。
確かに言われた通り、『正気に返ったときがこわい』のだ。
だがその行為に、こういった反応が返ってきた場合――
馴れたとは、とても言えない。まるで抵抗がなくなった、とも。
いかに『花』という特殊な生態であったとはいえ、同性に『妻』として抱かれる自分というのは、カイトには未だ、受け入れ難い部分がある。
そもそも二月を経た今をもってしても、カイトには自らが花であるという自覚が薄い。
それはがくぽから聞いた、そもそもの『花』というものの様態と自分とが、ずいぶんかけ離れているからでもあるし、ただ、身体の一部には確かに、花たる特徴がはっきりと、顕れてはいるのだが――
馴れたとは言えない。抵抗もなく、受け入れきったとも。
当初の夫のやりように対して、物思うことも多い。
それでもうれしいと、思うのだ。こうやって、自分がしてやったことで、彼が悦んだのだとわかると。
それこそ、複雑極まる心理というものだ。あまり深く考えられる状況には、まだない。
ないが、腹の底からこみ上げるうれしいという気持ちを、頭から否定するほどでもない。
「どうする?もう一度、するか?」
「っっ!!」
笑いながら、ちろりと舌を出したカイトに、がくぽは戦慄して背を仰け反らせる。これ以上赤くなれるものかというほどに、その顔は赤い。
顔のみならず、生地も薄く、露出部の多い衣装から覗くうなじから胸元から、肌という肌が――
香る雄に、夜昼もなく、絶え間もなく、正気を失うほど煽られる飢餓は、埋められた。
空腹ではなかったはずだが、ことの流れのついでというもので、今日の昼にも存分に、与えられた。
――それほどまでに、飢えさせたつもりはないのですがね。
ぽつりとこぼされた言葉を覚えている。強い酩酊のなか、遠い正気の片隅に、あえかに聞いた。
困惑を含んで、複雑に、求められる歓びを滲ませ。
飢餓はない。
空腹もない。
未だ、体感覚の変化を掴めていないカイトは、ただがくぽが言うことを信じるだけだ。
だからこれは飢えではないし、だとすると『食欲』ではない。
では、なにか。
「そ、のっ!しな、くてっ……今、はっ、っ」
「……『今は』、な……?」
罪悪感が強いのだろう。首に回した腕をほどいて逃げるまではしないが、がくぽは懸命にカイトから顔を逸らし、決して目を合わせないようにして答える。
素直だ。
微笑ましい。
そう、素直で愛らしく、微笑ましいまでにいとけない。
罪悪感が強いのは、こちらだ。
カイトは年長者らしい微笑みとともに幼い夫を眺めながら、こみ上げるものを飲み下す。
――私の体液で、酔うのか。
観察していた。
青年期の夫は、懸命に奉仕に務めるカイトを、興奮しながらもひどく冷静に、冷徹に見て、分析していた。
いつもそうだ――青年期の夫は、カイトに対して距離がある。
間になにか、挟まれるものだ。一歩引き、薄絹に表情を隠すような。
記憶は継がれ、思考は共有される。
少年期の夫の、このひたすらな恋情を、青年期の夫も共有しているはずだ。嗜好もまた、大きくは変わらない。そのはずだ。事実、頻繁に口説かれる。
青年期の夫は余計なことにも口が達者だが、カイトを口説く言葉もまた、豊富だ。流れに関係あろうがなかろうが、会話の端々に差し挟んでくる。
もう妻としたのだ。そうも甘い口説き文句を立て続けなくても良いだろうにと、いっそ呆れるほどにだ。
そうやって、これ以上なく甘ったるい言葉でカイトを口説き、惑わせながら、同時に青年期の夫は距離を保ち、一歩引いた薄絹越しに、カイトという『花』を観察する。
観察し、分析する。
それは飢餓が埋められてから、顕著となっていっている。
そういう、気がする。危惧がある。日々日々に、強く、つよく――
気がついていて、危惧し、戦慄しながらも、気がつかないふりをするカイトの腹には、わだかまっていくものがある。もやつくものがあって、そして思う。
なにがこわいのか。
誰がこわいというのか――
「まあ、そうだな、………私も、一日に二度も三度も、あれほど『酔う』のは、少しこわい、な………おまえが容赦してくれるというなら、今日は……」
「………っ」
腕をほどいたカイトに、がくぽがはっと、顔を上げる。
落胆もあれ、安堵のほうが大きく出ていて、カイトは苦笑した。どうにも虐め過ぎたようだ。反省する。
反省しながら、目線が下に落ちる。
顔は上げたものの、未だ騎士としての礼節をもって、床に片膝をつく相手だ。そうやって視線を下にやったところで、つぶさには見えない。しかとは。
けれど、香るものがある。確かに、『花』であるカイトには無視しようもなく。
それで理性を失い、正気を手放す時期はとうに過ぎた。
そう、夫は言う。
カイトの視線は落ちたまま、再びがくぽへ手が伸びた。
「普通に、しようか、がくぽ?私の口を、使うのではなく、………」
言いながら、ちらりと目線を上げた。がくぽが食い入るようにして、自分を見つめているのを確認する。
カイトは意図して瞳を細め、笑った。伸ばした手が、がくぽの顎を撫で、辿って耳朶をつまむ。
軽く引かれ、がくぽの腰が浮いた。そのまま寝台へ、素直に乗り上がってくる。
「カイ……っ」
「……ぅん」
性懲りもなくその下半身を確認して、カイトの浮かべる笑みはますます深まった。同時に、抱える罪悪感もだ。
飢餓は埋められた。
空腹でもない。
それでも欲しいと願うのは、なにに由来してのことだろう。
与えて欲しいのではなく、求められたいと望むのは、伸ばす手を止められないのは――