B.Y.L.M.

ACT7-scene6

がくぽもがくぽで未だ騎士としての姿勢を保ち、そういった意味で、カイトに対して壁も溝もある。それは越え難く、埋め難い。

一概に悪い意味ではないとしても、やはり壁であり溝であり、二人の間をなかなか親しませず、隔てるものだ。

それでしばしば戸惑うということもあったが、言うならカイトの側からもがくぽに対し、壁もあったし溝もあった。否、カイトの場合、一線を引くと言ったほうが、正しいか。

どう振る舞えばいいのかが、わからないのだ。

カイトは生まれたときから西方、哥の国の王子であり、王太子として育てられ、修養を積み、いずれ王となるはずだった。

誰かの妻として娶られる将来は、欠片とて想定したことがない。

男たる自分が、同性相手に妻として望まれ、愛おしまれる、そんなことはお伽噺にも夢想したことはないのだ。

けれど今、現実はそうだ。

妻となったところで、カイトが成人した男であることに変わりはない。哥の国に在ったころさまざまな機会に見かけた、妻となった彼女たちの振る舞いに倣うことは、きっと違う。

きっと違うと思うし、倣うのかと思うと、いっそどこからか飛び降りたい気分にも陥る。

では、どうすればいいのか。どう振る舞えばいいのか、どう振る舞って欲しいのか――

半年が過ぎた今となっても、カイトは自分の振る舞い方を決めかね、戸惑って、馴染めずにいた。

結果、夫に対して一線を引き、『節度ある距離』を保って、未だ親しまない。

そのカイトが――カイトから、夫に馴れた。

花として求めるのでなく、自分の妻としての権利を、夫に強請ってみせた。

それはかわいらしい、他愛もないものではあったが、つまり、かわいらしく、他愛もなかった。

昼を相手には、口達者と喧々諤々のやり取りの挙句、勢い任せでやらかすことが多かったが、夜は違う。

夜の少年であれば、カイトは年長者としての自分も意識するし、口下手な相手でもあれば、言い合いが頻繁に起こって過ぎ越すこともない。

必然的に、壁も溝もあって一線を引く、夫婦の距離を縮めるきっかけも掴めない。

一種の膠着状態であり、緊張であり、――

「は、話を……っ、ま、がくっ、ふっ、っ」

慌てるカイトをやすやすと押さえこみ、がくぽは首筋に顔を埋めた。鼻が蠢いて香りを嗅がれる気配があり、次いで開いたくちびるが肌に触れる。

抵抗を封じようとしてか、かりりと牙が立ち、思惑通りにびくりと引きつって固まった筋を、がくぽは唾液をたっぷりと乗せた舌で、でろりと舐め上げた。

「んぅ、だめ……っ、っぅ」

カイトの懸命な制止の言葉は、少年の舌遣いにぶれて消える。

興奮に荒がる少年の鼻息が、首に当たった。たっぷりの唾液で濡らされた肌が、生温いはずのそれで冷やされて心地よいと感じるから、なおのこと始末が悪い。

思った以上に背筋を駆けのぼるものがあり、カイトの瞳はあえなく潤んだ。

とはいえほんのひと舐め、味見だけで、がくぽはすぐさま顔を上げた。ゆるゆると蕩けた顔だ。それでも美貌が健在だから――少なくともカイトにとっては健在なので、もう、どうしようもない。

震える吐息をこぼし、竦んで見入るカイトに、がくぽは唾液に濡れるくちびるをちろりと舐めた。肉食の獣がやるしぐさだ。

得たりと満ちて、紅を塗らずとも朱を刷くくちびるがこぼす。

「いつもより………味がする。においも濃い。んぐっ!!」

――その感想はほとんど予想の内だったので、カイトの行動も予定通りだった。

否、正直に言おう。ほんとうはもう少し優しくやわらかに、年長者らしい余裕とをもって、鷹揚に振る舞う予定だった。

しかしてそういった理想は彼方に、カイトは余計な感想ばかり饒舌に吐きこぼす少年の美貌を手のひらで無慈悲に掴んで、ぐいぐいと押しやった。

「だ、から……っ今日はっまだ、水を浴びて……っ、汗を、流していなぃ、から……っ!」

認めたくはないから認めないが、訴えるカイトはわずかに涙声だった。羞恥のあまりだ。

いつもの手順だ――夕刻となり、そろそろ日が沈むとなると、青年はカイトを寝室へ戻し、寝台へ乗せる。

その、寝台に置く前だ。青年は必ず、カイトの体から汗を落としてくれた。浴室にいようが、庭にいようが、あるいは寝室にそのままいた日であろうが、変わらない。

夜の前、寝台に移動する際には必ず、カイトを身ぎれいにしたうえで洗いたての寝衣に着替えさせと、気を配ってくれたのだ。

身ぎれいにするといっても、日によって方法はさまざまだ。浴室で水を浴びる日もあれば、浴室にいても水を浴びず、ただうたって――うたに聴こえる韻律の言葉をもって汚れを飛ばし、肌を乾かしてというだけの日もある。

日が沈んだところで気温がすぐに下がるわけではないから、どうせ夜の夫が現れるころには、カイトはあえかにでも汗を掻いている。

しかしとにかく夜の手前で一度は、体も気持ちもさっぱりとさせてくれるのだ。

それが、今日だ。

青年は時を読み誤り、カイトを寝台に移動させられなかった。ということは移動前の、身ぎれいにするための手当てのいっさいをやっていないということにもなる。

言っても、カイトは花だ。ひとの見た形まま、ひとのときと同じ汗を掻いているようで、実は違う。

――と、がくぽは言った。最前、昼の青年だ。

花となったというが、どうして未だ汗を掻くのかと、――あれは確か、例のごとく、青年のやりようにカイトが勝手に焦りを募らせ、無闇と汗を掻いたときだった。

八つ当たりも含めて訊いたカイトに、がくぽはむしろ、きょとんとして返した。

――どうしたって、花となったなら汗を掻かないんです?

いっそ無邪気な問い返しに愕然としたカイトだが、相手にしていたのは昼の青年だ。すぐに認識の齟齬を悟り、説明を足してくれた。

つまり、確かに成分や意味合いは、多少違う。ひとのそれと、花のそれと。

しかし花とても、『汗』は掻くと。

ひとの見た形まま変じたものだけの特性ではなく、もとより野辺で咲き開くそれらも含め、すべてが。

――あなたの瞳は涙を流し、口は唾液で濡れ、性器は未だ種を吐く。同じように、汗も掻きます。ひとのときと変わらずね。変わったことがあるなら、含まれる成分であり、効用、ないしは役割というものです。

言われてみれば確かにという話で、むしろこれで、汗だけを例外と考えた自らの浅はかさこそが、カイトには悔しい。

説明には納得したものの、忸怩たるものを抱えて表情を曇らせたカイトへ顔を寄せ、がくぽは微笑んだ。

――いずれにしても、花たるあなたの体液のすべてが、私にとってはまさに甘露。舌もこころも蕩かして止まぬ、蜜そのもの。神代に謳う、いのち与う水とはまさに、このことかと………

神話に出てくる『いのち与う水』なら、酒のことだ。

確かカイトは、そう返した。実のところ、ここ近辺から記憶は曖昧だ。思い返せば今でも、背筋に痺れが走る。

それこそ蕩けきった甘ったるい表情で、がくぽはカイトにささやいた。カイトはもはやどうしようもないほど羞恥に染まり、おかげでさらにと浮かんだその汗を、伸びてきた夫の舌が舐め辿り――

「今日は…今日、も暑かった、な?!私は汗も掻いたし、汚れもしたっだから一度、身ぎれいに、っ」

当然のことではあるが、がくぽはまず、顔面を容赦なく鷲掴みするカイトの手を振り払った。といっても、首を軽く振った程度だ。力づくで押しのけたわけではない。

それでも後ろめたさがあれば、カイトは容易く振りほどかれた――が、往生際は悪い。

油断なく夫の様子を窺って、なにかあらば再び手を伸ばす用意はしている。

少年も少年で、決してカイトの上から退くことなく、ただ、軽く首を傾げてみせた。

「どうせこれから、さらに汗を掻くと、お分かりですよね?」

「……っ」

「『汚れる』と言うなら、むしろこれからだと」

「ぅくっ……っ」

年上としての余裕もなく、威厳もなく、泣きそうな呻きをこぼして返しただけのカイトに、がくぽはほんのわずか、身を浮かせた。さすがに憐れが過ぎる主の様子に、容赦を思い出したかと――

期待し、つられるようにカイトの体もこころも綻んだ。

そこにがくぽはすかさず、割り入った。言っては難だが、手練れの騎士だ。刹那のものであれ、隙は見逃さない。

緩んだカイトの体を素早く反してうつぶせとし、容易く抵抗できないようにすると、がくぽは再び、上から伸し掛かった。

はっとして、なんとか首を回し、顔を向けたカイトへ、してやった少年は蕩けきって、どろりと笑う。

「ご褒美を、強請られたでしょう叶えて差し上げますとも。あなたの全身隈なく、余すところなくすべて、俺が舐めしゃぶって、身ぎれいにしてやります」

「ひ…っ」

これで未だ少年だと言うから、おそろしいのだ。先が思いやられる。大人と成ったらいったい、どうなることか――

幼い美貌が滴らせる凄艶なまでの色香に戦慄し、考えを走らせたカイトはそこでふと、止まった。

そういえば夫に関しては案じるまでもなく、どういう大人に成るものかがわかっているのだった。

今さらだ。なんなら、明日の朝、日が昇れば会える。

ああなる。

「は………」

知らず、カイトの目は遠くを見つめた。

こういうのをして、絶望的と言うのだ。否、これぞまさしく正しく、『希望がない』――つまり、絶望の極みだ。

大人になったところで夫には、『幼いころは』と懐かしむ余地がない。揶揄し、腐す隙もなく、成り遂げる。容貌のみならず体躯も堂々、まさに瑕疵もなく、立派に育ちきる。

そしてカイトは夜も昼も落ち着けず、意味不明な動悸をもっとも親しい友として過ごすこととなるのだ。

「ああ、容れてくださいましたか」

なにかしら疲れきり、寝台にがっくりと伏せったカイトの様子をいいように解釈し、がくぽが身を屈める。再び首元に顔の近づく気配があって、カイトは慌てて振り返った。

「ちが、……っ」

間に合わず、少年の顔が首に埋まる。すんと嗅がれる気配があって、カイトは身を竦ませた。

じゅくりと、下腹が疼く。きっと香りも立ったことだろう。花として、夫の劣情を煽るものだ。腹を満たすために。

違うと、カイトは思う。

ちがう――

「ぁ、く……っ、っ」

でろりと、唾液をたっぷり乗せた舌が首の筋を舐め、辿る。牙が立ち、やわらかな肌を食んで、きつく吸い上げた。ちりりとした痛みが走り、カイトはさらに身を竦ませる。

喰らわれている感覚がある。

味わいながら、じっくりと喰らわれている感覚が。

望外の『ごちそう』に止まらない涎がとろとろと伝い、カイトの肌を濡らす汗と混ざり、ぬめりながら広がる。

「ん、くふ……っ」

こみ上げるものに耐えきれず、カイトは呻いた。寝具を掴む手に、縋る力が入る。

こんなことがなににもならないということを、カイトは知っている。知っていても、縋らずにおれない。溺れ縋るというのは、そういうことだからだ。

下腹はもはや、疼くという程度に止まらない。あまりに激しすぎて、痛い。

触れられていないどころか、未だ首を食まれただけだというのに、カイトの男性器はゆるゆると膨れ上がり、先端を濡らしている。

期待感だけで、これだ。

がくぽに、幼い夫に全身を隈なく愛しまれ、味わわれ、喰われ尽くすのだと思っただけで、この有り様だ。恥ずかしいという言葉では、到底済まない。

「ぅ、ふ……っ」

「……カイトさま?」

首元に沈み、丹念に味わっていたがくぽが呻きに気づき、顔を上げる。訝しんで窺う間があり、ふと、伸し掛かる体が浮いた。

「ぁ、あ……だめ、ぁく、み……っ」

腰に手が掛けられ、体が開かれる。上半身はどうにか抵抗できても、下半身はカイトの自由にならない。否、今の場合、カイトに逆らって夫にこそ従順だ。

せめてと手を伸ばし、反応著しいそこを隠そうとしたカイトだが、当然、がくぽはがっしと掴んで止めた。

隠そうとしたからこそなおのこと、そこへ目が行く。

光の加減でしかない。

――とは、思う。思うが、がくぽの瞳にひらりと光が奔った。次の瞬間には、花色の瞳があからさまに爛と輝き、熱を帯びる。

すでに濡れそぼるくちびるを、無意識の舌が這った。ひどく野卑なしぐさだ。同時にまたしても、背筋が粟立つほど艶めかしい。

色を置かずともあでやかに染まるくちびるに、ぬろりとぬめる舌が這って、堪えきれない欲情を舐めとる。

これが未だ少年であるというから、末恐ろしいというのだ。このまま大人になるとわかっているから、なおのこと絶望は深く、底がない。

いずれ堕ちる――どうしたところで、抗しきれるものではない。

だがそもそも、すでに夫婦となっているのだ。いったいどうして今になっても抗さなければいけないのか――なににいったい、抗しているというのか。

惑乱極まって固まるカイトの体を、がくぽは労もなく完全に反し、仰向けに戻す。

陶然として、溺愛する妻の淫靡なさまに見入った。

「が、くぽ……っ」

「喰いでがありそうです」

「ぅくっ」

「俺に喰われたくて、待っているのでしょう全身隈なく、余さず平らげて欲しいと」

「ぅ、ひ……っ」

つまり、騎士だ――

がくぽは騎士であり、騎士たるもの、思うことがあっても、そうそう軽々しく口にするものではない。

とても堪えきれない羞恥にしゃくり上げたカイトは、手を伸ばす。がっしりと、幼い夫の首にかけて引き寄せると、自分からもくちびるを寄せた。

抵抗の余地なく口づけを与え、逆に差しこまれた舌を存分に味わって、カイトはあえかに体を離した。

口づけの当初こそ強張った夫の体だが、すぐに緩んだ。逆に舌を差しこんできたということもある。

どうやら無事、『口づけ』だけで終わらせて、力を渡すことはしないで済んだらしい。

これならと、カイトは揺らぐこころで思う。

これなら――

揺らぎ、羞恥に歪みながら、カイトはがくぽをちらりと、横目に睨んだ。

「残したな、ら、ゆるさ、ない……食べき、るまで………離してもらえ、ると、おもう、な?」

「…っ」

不器用に言いつけられたことに、がくぽはゆっくりと、花色の瞳を見開いた。

息を呑んでカイトを見つめ、やがてゆるゆると絶望に染まって、曇る。

動揺に瞳が浮き、がくぽは上げた手で口元を押さえると、狂おしく呻いた。

「どうしよう………どうしよう……あなたに赦されずともと、覚悟を固めたことは幾度とあれ………あなたに赦されたくないと思ったのは、これが初めてです。どう、どう…すれば………!」