がりくった道

2-3

「ぇ」

なにが起こったのかわからず、カイトは呆然とした。蕩けていた瞳を驚愕に見開き、高く離れた場所に行ったがくぽの顔を見つめる。

離れたとはいえ、未だがくぽはカイトの上だ。表現としては『突き飛ばした』だが、そうそう軽く飛んでくれるかわいげのある男ではない。未だ伸し掛かって、けれど突き放した腕の分、距離が開いた――

軽く飛んでくれるかわいげは、持ち合わせがない男だ。

それでもさすがに切れ長の瞳が、同じく驚愕に丸くなってカイトを見下ろしていた。先までは甘い蜜を浮かべていた花色は、凍りついたように動かない。言葉もなくただ、カイトを見つめている。

腕を突っ張り、自分を拒絶した恋人を。

「え」

呆然と、カイトは視線を辿らせた。

がくぽを引き離したもの。自分から、恋人を遠ざけたもの――

は、紛いようもない、自分の腕。自分の手。がくぽの胸に当て、押しのけた。突き飛ばし、遠ざけ、拒んだ。力いっぱい、力の限り。

「なんっ……」

事実を認識すれば、それはさらなる混乱と恐慌の兆しだった。

これ以上はないほど見開かれていたカイトの瞳が、大きく揺らぐ。瞼が痙攣し、眦が引きつった。愛撫に蕩けていたくちびるが甘さを忘れ、潰れた咽喉から押し出される悲鳴――

「ふっはっ!」

――が、空気を裂くより先に、がくぽが吹き出した。

「…………………え?」

くり返そう。

吹き出した、笑ったのだ、この男。恋人から理由もなく力いっぱいに拒絶され、甘く蕩ける時間を台無しにされて、笑った。愛情が揺らぎ、不愉快を極めたはずだというのに、――

笑った。

なぜ笑う。

それも、悔し紛れや虚勢ではなく、心の底からうれしそうに、むしろ満足げに。

「え……」

「大丈夫、大丈夫だ、カイト!」

「っわ、ぅっ?!」

驚愕と恐慌が引っこみ、不審に取って替わったカイトを、がくぽは笑いながら抱きしめた。一度は突っぱねた腕は力が抜けていたから、がくぽが体を戻すに苦労はない。

そのうえこの男、器用だ。

なにがというか、とにかくすべてにおいて器用だが、こと恋人をいいようにする体技という面で、突出したものがある。

それをして好きこそもののというのだと――

「ぁ、ちが」

「違わん。大丈夫だ、カイト」

「えぅ、ゎっ!」

逸れた思考を戻すためのつぶやきを、がくぽは自分への反証だと思ったらしい。否定を重ね、力強い保証をくり返し刷りこみながら、素早く体を起こす。

起こすのは自分のみならずカイトもで、だからこの器用な男の能力の高さは、時にカイトの処理限界を超える。

「ぁく…」

気がつけばカイトは、ソファに腰かけるがくぽの膝上に跨った状態だった。

身長はがくぽの方が、少しだけ高い。通常であれば大体、カイトはがくぽを見上げる形になる。

しかしさすがにこうなると、カイトの目線のほうが上だ。

追いつけない処理が言葉以上にわかる空白の表情を晒すカイトを、がくぽはやわらかな笑みで見上げた。

「大丈夫だ」

「ぁく……」

上だろうが下だろうが、大差はない――少なくともカイトの恋人にとって、大差はない。

がくぽは上から伸し掛かっていたときより、さらに力を強めてカイトを抱きこみながら、腕と同じく力強い声で保証する。

今をもってもカイトには、がくぽになにを保証されているのかが、まるでわからない。

けれど、心地よい。

多少痛むほどの力で抱きくるまれるのも、まるで小さな子供か犬ねこのように頭を撫で回されるのも、疑いを差し挟みようもない、確信に満ちた声で保証されるのも――

恐慌寸前にまで陥った心が慰められ、なだめられ、静かに凪いでいくのがわかる。

それは心地いい。快く、気持ちがいいことだ。

これは好きだ。

「ん」

溺れるように足掻いていたカイトの動きが鎮まる。甘えるときのねこのしぐさで、カイトはがくぽの肩口に頭をすり寄せた。

「カイト」

「ん。ぁ……」

呼ばれて顔を上げると、がくぽが笑っていた。いたわりと慈愛に満ちた、保護者の笑みだ。

やさしい笑みに綻ぶくちびるが再びカイトのくちびるに近づき、薄く開いたそれを軽くついばむ。

あえかな水音を立てながら、しかしがくぽはあくまでも軽くついばむに止め、深入りしない。

それにもまた慰められ、カイトの手はようやく再び、恋人の体を抱きしめた。