がりくった道

2-4

「なあ、カイト――」

「ん」

カイトがほとんど先の衝撃を忘れて蕩けきった頃、がくぽはようやくついばむキスを止めた。ソファに深く体を預けることで殊更に下から目線となり、小首を傾げてみせる。

『おにぃちゃん』であるカイトの庇護欲をくすぐるようにかわいこぶりながら、くちびるを開いた。

「キスは、好きだろう?」

「んっ!」

「俺のことも、好きだな?」

「すきっ!!」

迷う余地もない問いに、カイトは大きく頷いた。それこそ、力強く。

キスは好きだ――キスが、好きだ。言葉にも依らず、言葉に為す必要もなく、これ以上ない愛情を相手に伝えられる。相手から伝えられる。

発話に難を抱える今はことに、しかしそれ以前にもやはり、キスが好きだった。

好きだったが、キスが好きなのはがくぽが相手だからだ。

とてもとても大事で、大好きな恋人。

大好きな恋人とする、大好きなキス――

キス。だけ。

キスまで。

だ。

「っ、ん………」

強さも明るさも続くことはなく、カイトの表情は翳って沈んだ。

――腹の中が気持ち悪い。

もっとも適した表現を取るなら、そうだ。

腹の中が、気持ち悪い。蠢くなにかがあり、それは熱く、同時に芯から凍えるほど冷たい。せり上がってくるなにかがあり、『なにか』が『なにか』はわからないが、それはわるいものだとだけ、わかっている。

わかっているから、懸命に飲みこもうとする。押し戻そうと。

するけれど、気持ち悪い。なぜといって、だから『わるいもの』だからだ。わるいものは、外に出してもわるいものでいけないが、自分の中にあったって、わるいものでいけないのだ。

わるいものでいけないから自分の中にあってはいけないけれど、わるいものでいけないから、外に出すこともできない――

焦りがある。

カイトは知っている。

カイトはキスが好きだが、カイトにキスを教えた相手にとって――『コイビトノキス』を教えた相手にとって、それは戯れでしかない。

さらにその先、もっと相手を貪るための、奥深くにまで踏みこむための、いわば扉を開く程度のことだと。

カイトもまた、知っている。

くちびるとくちびるを触れ合わせ、重ねて貪る以上に、恋人と触れ合い、重なり、貪る行為があるのだと――カイトに恋人のキスを教えた相手は、そのすべてについても教えた。

すべてについても教えた恋人にとって、キスは戯れでしかなく、真に欲するのはその先だ。

『彼』が旺盛な性質であったことを、カイトは覚えている。

一度開かれると、終わりは遠かった。未練がましくいつまでもカイトの体を弄り、貪り、処理限界を超えたカイトが意識を飛ばすまで――もしかしたら、飛ばしても、なお。

思い出して、疼く腹がある。

カイトだとて、恋人にそうまで熱心に求められることが好きだった。夢中で貪られ、理性も堪えもなく、だらしないまでに溺れこまれることが、誇らしかったしうれしかった。

恋人がたまさか慮って身を引こうものなら、カイトから煽り立てるようなしぐさをしたこともある。

――挑発するな堪えるよすがなぞ、これ以上ないのだぞ?!

嘆き喚きながら、煽られるままに戻って来る恋人が――引く前よりいっそうに激しく、求めてくる。

苦しいほどの質量に掻き混ぜられて快感を得ることを知った腹が、記憶だけで疼いて熱を持つ。

疼いて熱を募らせると同時に、鉛でも飲みこんだかのような、重く冷たいものが蠢く。

旺盛な男だった。旺盛で、貪欲で、――

早く体を上げなければ――開いて、飲みこんで、腹に――あげなければ。

「嘘つきめ」

「っ?!」

意識を呑みこむ焦慮に視界まで黒く染まりかけた瞬間、カイトを現実に引き戻したのは男からの罵倒だった。

否――おそらく、罵倒だ。少なくとも『ウソツキ』というのは褒め言葉ではないし、睦言でもない。

けれど言ったがくぽの顔は笑っていて、それは先と同じ類の笑みだった。心の底からうれしげで、満足そうな。

なぜ笑う。

なにをそうまで笑うのか、得たりと満ち足りて、この男は――

「っく、っ」

咽喉が閊えて、言葉が出ない。恋人の名前、ただそのひと言すら、声に乗せられない。

泣く寸前にまで顔を歪め、見つめるのが精いっぱいのカイトに、がくぽの笑みが緩んだ。慰撫する笑みだ。傷ついた恋人を慈しみ、いたわりなだめる。

腕が伸び、強張るカイトの体を抱き寄せた。抱き寄せても、硬く凍った体は容易には招かれなかったが、がくぽは器用に、自分の胸の中にカイトを収めた。

くるんで、あやすようにやわらかに、背を叩く。

そうされてもすぐには解けないが、カイトは目尻に熱がこもるのを感じた。

あふれそうだ。

拒みたくない、受け入れて存分に愛し合いたい恋人を、どうしてかいつも、いつまで経っても拒絶してしまう自分に――

しかしカイトが身も世もなく泣き喚くには至らなかった。むしろ涙は恐ろしい勢いで枯れた。

「だから、な……大丈夫。大丈夫、ゆえにな、カイト。俺は、知っておるゆえ。お主が、嘘つきだとな」

――カイトをひたすらにやさしくやわらかくあやし、なだめて慰めるしぐさを見せながら、がくぽが吐き出した言葉だ。

声は甘く、責める響きもなかった。せめて責められていると誤解したかったが、誤解することもできないほど、がくぽの声はただ甘く、思いやりに満ちて、酷かった。

「お主の口は、嘘ばかり吐く。お主の言葉は信用ならん。ゆえにな、言葉は要らぬ。より素直な体に、物言わせておけ。体が物言うに任せておけ、カイト。それが今もっとも素直なお主の『言葉』であるとわかっておるし、――それだけのことを、俺はした」