「しばらく、留守にする」
「………え?」
でぃおにそしぁ・あめしすてぃ-11-
泣き疲れて眠ったカイトを抱えたまま夜を過ごし、起きればもう二人とも、なにごともなかったかのような顔で、振る舞う。
そこには無視出来ない緊張が孕まれているが、がくぽもカイトも気がつかないふりで、あの朝以前と変わったところがないように振る舞っていた――もちろん、なにひとつとして変わらなかったことなど、ない。
がくぽは以前は、もう齢十四にもなったカイトでも、平然と膝に乗せて食事をさせていた。つまんだ食べ物を口に入れてやることもしょっちゅうで、カイトが面白がって、がくぽの口に食べ物を運ぶこともあった。
しかし怒りに駆られてカイトの体を仕込み始めてからは、滅多には膝に乗せない。
カイトは触れ合うほどの傍に座るが、がくぽの手が触れると、どうしてもびくりと竦む。
その竦まれる感触がいやだということもあるし、たまさか膝に乗せて甘い香を嗅いだりすると、どうしてもこの体を暴きたい情動に駆られて、結局カイトを泣かせる羽目に陥る。
なにもなかった顔で相対しながら、がくぽとカイトとの間には、堅牢にして強固な壁が立ちはだかっていた。
「……イクサだ。少しばかり、遠方へと出る」
「………がくぽさま」
朝餉の膳を前に、静かに食事を口に運んでいたがくぽとカイトだ。そこに投げこまれた話題に、カイトは表情を強張らせた。
汁を啜って椀を置いたがくぽは、箸を持ったまま固まっているカイトへと、珍しくも笑いかける。
「………大したことない。下らぬ相手だ。すぐにも終わる」
「油断召されてはなりません」
カイトは固い表情のまま、震える声で、しかしきっぱりと言った。
わずかに瞳を見張ってから、がくぽは笑みを湛えたまま、頷く。
「………ああ。油断なぞせぬ。完膚なきまでに叩き潰さねば、気が済まぬしな」
「………」
返された答えも、多少微妙だ。どちらにしても死人が出て、悲しむ者が現れる。
戦国の世の習いとはいえ、少しでも平穏が続けばいいと、イクサなどなくなればいいと、願う心は止まない。
だからといって、売られた喧嘩を買うな、とも言えない――それこそ、戦国の世の習いだ。
買わなければこちらが叩き潰され、泣く羽目に陥る。
カイトは複雑な表情で、俯いた。箸を動かすと、漬物をつまむ。口に運んで、ぱり、と噛んだ。
一連の動きを見つめ、がくぽは自分の太ももにわずかに爪を立てた。
膝に乗せて、食べさせてやりたい。
自分の考えがどうかしている自覚はあるので、がくぽはもやつく腹を抱えたまま、カイトを見つめる。
「………そなた、もう、十七だったか」
「………はい」
自分の気を逸らすために問いを放って、それからがくぽは、わずかに息を呑んだ。
そうだ、十七だ。
すでにもう、立派な大人として扱われていい年なのだった。
「此度のそなたへの土産は、酒にしようか」
つぶやいたがくぽに、カイトはきょとんとした顔を向けた。
「お酒、……ですか?」
不思議そうに見られて、がくぽは頷く。
「ああ。………此度、向かう先は、酒の名産地として知られておる。滅多には味わえぬような美酒も、豊富に揃うだろう」
「はぁ………」
がくぽの説明にも、カイトは気のない相槌を返すだけだ。
齢十四となって元服したと同時に、がくぽは酒を飲み始めた。息子相手の晩酌を父親が歓んだということもあるし、一人前の武将たるもの、酒程度嗜めずにどうする、という周囲の空気があったこともある。
カイトとともに摂る夕餉にしても、幼いカイトにはきちんと食事をさせたが、がくぽは晩酌ついでに肴をつまんでいることが大体だった。
幼い頃からそんながくぽに付き合って来たから、カイトの酌はなかなか上手い。
しかし、カイト自身が酒を嗜むということはなかった。
飲みたいと強請らなかったからだが、がくぽからしても、なにをしていようが、カイトがいつまで経っても幼い子供に見えていたせいもある。
酒を嗜める年になっていたことに、なかなか思い至らないのだ。
「………そなたが初めて飲む酒だ。とっておきの美酒を仕入れて来よう」
「………そんなの…」
カイトは戸惑う顔で、箸を彷徨わせる。
がくぽは苦く笑って顔を逸らすと、開かれた障子から庭を眺めた。
「まあ、な………そなたは、酒に良い思い出もなかろうからな。飲みたいとも、思わぬかもしれぬが」
「え?」
見なくても、カイトが首を傾げただろうことがわかった。
がくぽは苦い笑いを残したまま、わずかにカイトへと顔を向ける。
とん、と自分の鎖骨を指で叩いた。
「……?」
がくぽのしぐさを不思議そうに見ていたカイトは、何気なく自分の鎖骨へと目を遣る。着物に隠れて見えない。
さらに首を傾げてから、はっとした顔で固まった。
みるみるうちに、耳からうなじから、真っ赤に染まり上がっていく。
今は隠れて見えなくても、覚えている。
そこには昨夜がくぽが、吸いついた痣がはっきりと――
「………」
がくぽは目を逸らし、朝らしい爽やかな空気の流れる庭を眺めた。
たまに思い余って手を出す以外、カイトの体を仕込むのは、必ず晩酌をしてからだ。酒も飲まず、素面で押し倒すことは少ない。
多少飲んで理性を軽くして、そのうえでカイトの体を開いている。
開く体からはいつも酒が香るはずで、だとすればカイトには、酒に関していい思い出がないはずだ――
「………べ、べつに………っカイトは、お酒が、きらいじゃありません………っ」
「………ふぅん?」
羞恥に潤んで震える声で言ったカイトに、がくぽは横目を流した。
真っ赤に染まり上がり、目の毒も甚だしい。
カイトはちらりと上目遣いでがくぽを見てから、茶碗を取った。自棄になったように、がつがつと飯を流し込む。
『姫』の所作ではない――めのとが嘆きそうだ。
呆れながら、がくぽは手を伸ばした。
空になった茶碗を置いたカイトのくちびるに触れ、かり、と引っ掻く。
「っ?!」
「飯粒だ。………子供か」
「………っっっ」
カイトはさらに赤く染まり上がり、仰け反った。慌てて、自分の口を覆う。
思わず笑って、がくぽはつまんだ飯粒を自分の口に入れた。
「斯様な振る舞いばかり見ていると、子供としか思えぬ。酒など止めて菓子でも探したほうが、余程歓びそうだ」
「………っこ、どもじゃ………ないですもん………っ」
口を覆ったまま、カイトは恨みがましそうに言う。
がくぽは笑って、頷いてみせた。
「そうだな、子供ではない。…………ならばやはり、土産は酒が良いな。そなたのために、一等の美酒を求めて来てやる」
「がくぽさま」
からかうようながくぽの言葉に、カイトは膳を越えて身を乗り出した。
真剣な顔で、がくぽを上目遣いに見る。
「………カイトは、子供では、ありません」
「………」
区切られたうえで、ゆっくりはっきりと、言い切られる。
意図が読めずに、がくぽはカイトを見つめた。
愛らしいと思う。
幼い頃から変わることなく、まっすぐと澄んだ瞳。
すっと通った鼻梁も、少し薄めで、小さなくちびるも――
誘われる心地がして、がくぽは陶然とカイトに見入った。
愛しい、愛らしい、カイト。がくぽの『姫』。
がくぽに求められるまま、『姫』と成り、『姫』として――
「…………他に、欲しい土産はあるか」
「………」
見入ったまま訊いたがくぽに、カイトはわずかに眉をひそめた。
考える間を挟んでから、がくぽの胸に頭を凭せ掛ける。
「………どうぞ、ご無事にお帰りください。カイトにとって、なによりで、いちばんのお土産は、がくぽさまがお怪我もなく、ご無事にお帰りになることです」
「………」
真剣に言い切る声を聞きながら、がくぽはそっと顔を俯かせた。カイトの頭に鼻を寄せ、においを嗅ぐ。
甘い香。
甘い声。
そして、甘い言葉。
なにかを錯覚しそうになる、と自嘲しながら、がくぽはカイトの頭に鼻面を押しつけた。
「っ」
カイトの体が、びくりと跳ねる。構うことなく、がくぽはカイトの頭に顔を埋めた。
擦りつけながら、つぶやく。
「そなたこそだ。………俺がおらぬ間、大人にしておれよ………?」