第12話-【マジメナハナシ】
「ん?」
軽く首を振って立ち上がり、言ったがくぽに、カイトはちょこりと首を傾げた。
そんなカイトへ首だけ捻って顔を向け、がくぽはちろりと舌を出す。軽く襟をつまんで、言いたいことを強調してみせた。
「髪型。いいけど、逆に服が合わない。普段着だと変。なにか合う衣装探して、着替える」
「ぁ……」
言われた意味と、意味が示すことと、がくぽの行動と――
万事おっとりしたカイトが理解して、ぱっと表情を開くころには、がくぽは部屋から出ようとしていた。
普段着ならもちろん、自分の部屋に置いてあるが、だから普段着は合わないという話なのだ。
だとすると、なにかのときに作ったり使った、撮影用のそれやステージ衣装といったものになるが、そういったごくたまのものは、家族共用の、いわゆるファミリークローゼットの中だ。
「なんだろうな、こうだと…合うのがあるといいんだがな……」
ぶつくさとつぶやきつつ、がくぽは扉に手を掛ける。
遊びだ。
カイトは暇な時間の手慰みに、がくぽの髪を弄っていただけなのだ。
新曲だの次のライブだののために提案をしていたわけでもなく、けれど気がつくとがくぽというのは、その『お遊び』にとても真剣に向き合い、付き合う。
ことに髪型がしっくり嵌まって非常にお気に召すと、特にひとに見せびらかすためでもなく、撮影のためでもなく、しかしきっちり衣装まで着替えて合わせる。
趣味も好きこそものので、カイトのスタイリングスキルは、ちょっとしたプロ並みだ。
それでカイトが髪を弄らせてくれと言って、付き合ってくれる友人はこれまでにもいた。
けれどここまで、気に入ったなどと言葉で言うだけでなく、自分の全身を使ってまで、全力で付き合ってくれた相手は、覚えがない。
いいひとだ。
――否、ロイドが『ひと』と呼べるかどうかは未だ議論の最中だが、些少なことは置いておき、カイトは思う。
がくぽはやさしく、面倒見がよくて付き合いもいい、いいひとだ。
まあ、たまに話が通じないというか、価値観の違いやずれといったものから、意見が相違することはあるし、その相違がケンカに発展することもある。
が、仲直りできなかったことはない。仲直りできないほどに、こじれることは。
そうなる前に、がくぽは絶妙にカイトの感情や感覚を掬い上げ、転がして、溶かしてしまうからだ。
「うーーーん。いいようにヤられてる感………」
乗せられた手のひらから延々と下りられず、慰撫されているような気がする。
自分へと少しばかり呆れたようにつぶやき、カイトはへろりと、がくぽのベッドに体を転がした。ねこに似て、体を多少丸めた姿勢で転がり、瞼からとろりと力を抜く。
がくぽが先まで、煙草を吸っていた。だから布団から立ち昇るのは、名残りの煙が強い。
そもそもロイドであるために、正確な意味での体臭が非常に薄い、がくぽだ。いくら毎晩転がって、くるまって眠る布団であっても、強力に主張して香る煙草には、あっさり簡単に負けてしまう。
「………やめてくれたら、いーのに」
補記すると、カイト自身が煙草が嫌いだから、自分の好悪の情によって、カイトはがくぽに煙草を止めてくれと願うわけではない。
自分では吸わないが、カイトは別に煙草の、煙のにおいが嫌いではなかった。
その行方をぼんやり眺めていることも好きだし、点火部が呼吸に合わせて明滅しているさまを見ることも、次第に灰へと転じていく様子を観察していることも、すべてがおもしろくて、好きだった。
暇な時間、カイトはがくぽと過ごすときには、その長い髪で遊んでいることも多かったが、煙草を吸う彼の、その煙の行方や様子をぼんやりと見ていることも多かった。
そしてそうやってぼんやりと眺められていることに、ことに抵抗も覚えず、抗議もしないで見るままにしておいてくれるのが、がくぽだった。
長い髪を、これだけ好き勝手に弄らせてくれる相手も、そういない。
ただ漫然と、なにかをしている様子を眺めるまま、放っておいてくれる相手も――
「うーん。どつぼーー、どつぼーーーん、どっぼーーーーん」
少なくともカイトからしたときに、がくぽというのはこれ以上なく、相性のいい相手だった。くり返すが、価値観の相違はある。大きい。愕然とすることはたまに以上に、かなり頻繁だ。
それでも総合してすべてを考えたときに、がくぽは――『がくぽ』は、なぜか思考的なところと嗜好の方向性で、高スペックな新型と低スペックな旧型、高度情報処理機能を持つものと、情報処理を面倒がって概ね放り出すものと、さまざまに対照的であるのだが、しかして総合するなら、非常に相性がいいとしか言えなかった。
「つぼーん、つぼーーーん……考えればかんがえるほど、つぼにはまるーーーっ」
そこまで唸ってから、カイトははっとして顔を上げた。一度は閉じかけた瞳が、かっと開く。
イーウリカ、我発見せり、だ。
「そっ、か!じゃあ、考えなきゃいいんだ?!」
「いやカイト、頭は使うようにしような?常にフル回転でいろとは言わないけど、あんまりバカがクセになっても、うんまあかわいい?いやうんかわいいな。かわいい。それはすごくかわいい。ついでに俺の思うつぼで、すごくいい感じかもしれない」
「ぴきゃっ?!」
カイトの世紀の発見は、発見と同時に即座に、容赦もなく念入りに粉砕された。
がばりと跳ね起きたカイトに、その独り言へ親切めいて忠告を投げた相手は、一度は部屋を出たがくぽだ。未だ普段着だが、手にはいくつかの衣装を抱えてきている。
「着替え手伝え、カイト。スタイル崩さず着替えるの、意外に面倒だ。あとどれがいちばんいいのか、判断がつかない。和装系じゃないのだけはわかるんだが」
なにかしら聞き逃し難い、聞き流してはいけないことを忠言に混ぜられていたような気がするのだが、カイトに深く考える間はなかった。がくぽはすぐさま、着替えもせずに衣装を抱えるだけで戻って来た理由に話題を転じたからだ。
問答無用で図られる話題の転換だけでなく、目の前に実際に広げられる衣装がある。しかもカイトとしては、こちらのほうが聞き捨てならなかった。
「えっ、なんで……和装系、イケるったら。結構前になるかもしれないけど、和太鼓とか三味線とか入れて、和ロックやった、あのときの」
「あー。あれか。あれは完全借り物だったから、もう手元にないんだ」
「ぁあー、あるあるー……それあるあるー……」
ぁははと諦め顔で笑ったカイトを、がくぽはじっと覗きこんだ。花色の瞳が表現し難い色を含んで、湖面の瞳を窺う。
「……よく知っているな。あれ、ほんとに結構、前の曲だろう。ハチミツとも出会ってないくらいの」
「え?うん」
カイトといえば、がくぽがベッドに広げた衣装を吟味することに真剣で、窺われる自分にも、読み取ろうと深く沈む花色の瞳にも気がつかなかった。
気がつかないまま、ほとんど思考も介在させず、つまりは先に得た解の通りに考えることなく、続けた。
「俺、いうちゃんの曲、好きだから。がくぽがカッコイイ!!」
「ああ。………ぅん」
無邪気にして含むこともない、純粋で、まっすぐと。
カイトがにっこり笑って顔を向けたときには、がくぽは目元をほんのり染め、微妙に恥じらう様子で顔を背けていた。
直球の言葉に弱いのは、この『がくぽ』も同様だ。
たまさかなにかのきっかけで、うっかり晒されるこの表情が、カイトは堪らなく好きだった。愛おしいと言い換えても、まったく構わない。
かわいくてかわいくて、どうにかなりそうな気さえする。
「っと、じゃなくって……ええっと、…」
束の間陶然と見惚れたカイトだが、すぐに我に返ると頭を振り、衣装の選定に戻った。
先に掴んだ解、即座に粉砕され、忠言を重ねられ、そして聞き捨てならないところに落ち着きかけた、その解に従い、考えることを放棄して。
なぜといって、カイトはKAITO――低スペックで、複雑な情報処理はすぐさま放り投げる癖のあるロイドだったからだ。余程のことであればさすがに放り投げはしないが、カイトは今の状況が余程のことだとは認識していなかった。
真剣に衣装を選ぶカイトを、そのつむじを見下ろし、がくぽは口の端を歪めた。いや、綻ばせた。
がくぽはマスターである有為哉の育成の成果として、晒される隙に付けこむことに、まるで躊躇いを覚えない性質だった。
そして今、カイトはまな板の上の鯉どころか、すでに据え膳、調理済みで、あとはいただきますを唱え、口をつけるを待つだけも同じ状況だ。
「だからさカイト――頭はある程度やっぱり、使わないと。常時フル回転とは言わないけど、やっぱり、ね?ちょっとは使わないと」
つぶやきは、もとよりカイトに届くほどの声量ではなく、がくぽはますますくちびるを綻ばせると、身を屈め、ほとんど吐息のように続けた。
「付けこまれても気がつかなくって、タイヘンな目に遭うからな?」