で、案の定で付けこまれても気がつかず、タイヘンな状況に陥った、陥っているカイトであった。
第13話-【ただひたすらに、ねがうもの】
言ってももちろん、吐息に近いような形で落とされた忠告は、カイトの耳には届いていなかった。
から、カイトはあれとこれとに、なにかしら関係があるなどとは思っていない。ただ、うっかりしていたらタイヘンなことになっちゃったと、そうは思った。
なんのことはない、がくぽとのキスが『習慣』になっただけのことなのだが。
「ぁ、む……んー……んちゅ、は、んむ、ぅちゅ……っ」
ちゅぷちゅぷと水音とともに食まれ、時折舌を捻じ込まれ、歯列をなぞられ、唾液を交わす。
習慣になったキスの濃厚さに、カイトは理解した。つまり、初めに問題となった『1回とは何回のことであるのか』という、あれだ。
がくぽの『キス1回』とは、始めてから中断するまで、一連を言う。
始めてから、中断するまで、だ。
口と口を『ちゅっ』とくっつけたら『1回』で、『終わり』なのではない。カイトはもちろん、この意識だったが、価値観が大幅にずれる相手はやはり、ここの価値観も大幅にずれていた。
がくぽにとっての『キス1回』とはだから、口と口をちゅっとくっつけて始めたなら、なにかのきっかけで中断するまで、一連を持って『1回』とカウントするのだ。詐欺だ。
――まあ、概ね詐欺も甚だしい話ではあった。がくぽはそもそも、カイトへの交換条件として、『1回』なんだから『1回』くらいのことならいいだろうと、『1回』を条件に承諾を得たのだ。
これでは耳を好きなだけ、はぐはむちゅちゅちゅーと甘噛み愛撫されるのと、結局変わらない。否、むしろ事態はより一層、悪化しているとすら言える。
なにしろキスだ。
耳を手前勝手にはぐはむされるのと、キスはキスでも舌を絡めて口の中まで弄って、挙句時間が長いという、濃厚にも過ぎるキスと、それは交換条件として成立するのか。
否、しない――反語はカイトの中でもきちんときれいに極まった。
極まったが、カイトはがくぽとのキスが習慣になった。
習慣になったなら、さらになおのこと、『1回』と遠くなる。
毎日のことで、しかもがくぽが煙草を吸っていたような時間、暇を持て余した時間にはほぼ必ず強請られるのだ。
せめても『1日1回』ですらなく、日に何度もなんども――
がくぽもよくもまあ、飽きないなというのが、微妙に他人事なカイトの感想だ。
カイトもまた当事者であるのだが、ならばカイトはいい加減そろそろ抵抗しようとか、抗議しようとか、もしくは反抗したらどうなのかとか――
「ん、ぁく、ぁくぽ……っ、は、もっと………ん、んんっ………っ」
過ぎる快楽を鎮めるため、束の間舌が抜かれ、くちびるの表面をなぞるだけのやわらかなキスに変わった。それでもキスはキスなのだが堪えきれず、カイトは痺れる舌を突き出し、がくぽに濃厚なそれのほうを強請る。
強請るやすぐさま、がくぽは突き出されたカイトの舌を含み、ちゅぷりと啜って軽く牙を立ててくる。
背筋に走る快楽がもはや電撃を流されたにも似て、カイトは大きく震えた。目尻に溜まっていた涙が限界を超え、ほろりとこぼれる。
「ぁ、あ………んん、ん……っ」
「ん、かい……」
強請られるまま、ちゅぷちゅぷと舌を啜り、しゃぶって食みつつ、がくぽが合間につぶやく名前がなぜか淫靡だ。それでまた快楽が走り、ひたりひたひたと、腹の底、下腹へと溜まっていく。
カイトの体はすでに、とろとろに蕩けて原型がない。一応座る形は取っているが、そもそもベッドに座るがくぽの膝上に跨らせられ、腰を支えられていて、ようやくだ。がくぽが手を離せば、ぐずぐずぐに蕩け、座っていることすら覚束ない。きっとすぐさま、ベッドに転がってしまう。
今日も今日とてがくぽに『口寂しい!から、1回だけ。な?』と強請られ、暇つぶしの時間に始めたキスだった。
場所は自分たちの部屋だ。余程のことでもなければ邪魔が入らないから、なおのこと『1回』の時間が延び、挙句キスの濃厚さも増す。
初めのときにはうっかり流れで、リビングという、家族公共の場所でやらかした二人だったが、次のとき――なにかしらアレ的に目覚めた八桂月に、スタジオで『調整』と称して強要されたときは除く――からは、自分たちの部屋に篭もってするようになった。
確かにこうまで濃厚なアレコレなど、ひと目に晒すものではない。ましてや家族相手にはことに、あけすけにしたくはない部分だ。
ので、礼儀を弁えた態度と、言えないこともない。
が、本音としては、そんなところでやらかしては、いつなんどき、邪魔が入るかわからないという。
落ち着いて堪能できないから、とことんまで耽溺するために、わざわざ二人、なんとはなしに示し合わせ、自分たちの部屋に行くという。
実際、初めのときには八桂月が来たことで、目撃した彼がカミナリを落としたことで、キスは中断した。
そして今、あれからおよそひと月半ほども経った今は、妊婦であると判明した有為哉が産休以前の時短勤務となり、家にいる時間が増えた。彼女は見たところでカミナリを落とすようなことはしないが、まあ、やはり中断せざるを得ないことは確かだ。
やるからには、とことん、溺れきりたい。
価値観のずれることが多い二人だが、そこの利害は一致した。そう、一致した、一致しているのだ。合意だ。
がくぽ一人が、カイトを謀って嵌め、なし崩しに強要する行為ではない。
カイトもまた、がくぽとのこの行為に、完全に溺れきっていた。否、今やがくぽ以上にとすら言えるほど。
がくぽはそれでもカイトを思いやって、多少、加減を加えようとすることがある。が、カイトが堪らず、がくぽに縋りつき、今のように強請ってしまう。
「はぁ、カイト……えろ………んっ」
「んん……んくっ」
陶然とした顔で吐きこぼすがくぽのくちびるに、カイトが吸いつく。吸いつき、吐きこぼす言葉ごと、啜り飲む。
くちびるを迂闊に離せば『1回』は終わりで、『1回』が終わってしまえば一応それなりに、インターバルの時間を取る。すぐさま『もう1回』とは強請らないのががくぽの賢しさであり、カイトにとっては小憎らしいところだった。
この『1回』を終わらせてしまえば、またもうしばらく、次の『1回』までお預けで、待てで、ガマンの子だ。
堪え難い。
「は、ぁ………っ」
「ん……」
縋りつき、貪るカイトの背を、がくぽはなにかしら宥めるように、ゆっくりと撫でる。
肌がざわついている。そんなことをされればかえって煽られるものがあるが、がくぽは巧みに、興奮し過ぎるカイトを治める。
治められてしまう。
「ぁ、や、ぁく……ん、んちゅ……、ぁ、んぷ……っ」
ほろりと、涙がこぼれる。悲しいわけではない――と、思う。
カイトはそろそろ痺れて感覚がなくなってきた舌で、それでも懸命にがくぽに応え、先を強請る。
ひたりひたひたと、下腹に溜まるものがある。わだかまり、解消されず、堆く積まれていくなにか――
ほとんど意識もせず、カイトは足をもぞつかせる。
疼くなにかを晴らすすべを探して、下腹ががくぽに擦りつく。
「ふ、………っ」
カイト自身はあまり意味を理解していない、いわば本能的な動きだが、がくぽにとってその行為はあからさまだ。
吸いつかれ、舐めしゃぶられとしながら、赤みを増したくちびるが笑みに歪む。カイトの腰を抱き、背を支える腕に力が入り、ふわりと雄が香り立った。
「ふ、ぁあ……っ」
強くなった男の気配を察したカイトが震え、上げたのは、紛うことなく嬌声だ。
付けこむ隙があるどころではない。
まさに正しくこれは据え膳で、食べられることを今かいまかと待ち望んでいる、またと得難きご馳走だった。