第14話-【キスの終わりと先と次】
とはいえどれだけどう望んでも、邪魔がまるでいっさい入らずとも、キスの時間には終わりが来る。
もっともっとと願う欲はあれ、ロイドとしての処理限界や機能限界だ。つまりさすがにもはや、舌もくちびるも痺れ過ぎて動かない。
「は、ぅ……」
「は、……」
くったりと力が抜けたカイトは、がくぽの肩口に凭れる。くしゃりと額を擦りつけると、瞼を落とした。
視線を流してその表情を窺い見たがくぽと言えば、堪えきれずに咽喉を鳴らした。
無防備だ。無邪気とも言い換えられる。
いわば肉体的な快楽に蕩けた表情で、そういった意味では無邪気ではないのだが、がくぽを信じて身を任せているさまが、あまりに無防備で無邪気だ。
どうしたって信じられるよすがが自分にあるものか、言っては難だが、がくぽ自身にはまるでわからない。
がくぽは晒された隙に、カイト――『KAITO』という、ある種特異なまでの鷹揚さに付けこんで好き放題しているわけで、それ以上ではない。
そう、それ以上ではないのだ。
それ以上ではないまま、ひと月半を過ごしてしまった。
快楽に負けて――変化や変革を起こせば、このなけなしの快楽すら失うのではないかと、そんな怯懦に負けて、ひと月半。
もはやどう考えても、いいはずだ。
『いい』としか思えない。カイトのこのさま。むしろがくぽ以上に、蕩ける濃厚なキスに溺れこんだ。
考えなくともわかる。考えればなおのことだ。
これを『いい』と言わずして、なんだというのか。これが『いい』でなければ世界の難解さときたら、絶望的だ。価値観のずれだのといった言葉では、到底説明がつかない。
ので、きっとこれは『いい』のだ。
が。
「……えろ」
つい、ぽつりと言葉がこぼれる。
無防備に無邪気に、カイトは快楽に蕩けきった、淫靡な様子を見せる。見せつける。据え膳もいいところだ。がくぽはやり過ぎの美貌を謳われるが紛うことなき男声型であるので、食わぬは恥に分類される。
なにより、なぜ晒された隙に付けこんだのかという話だ。わざわざ、髪の一筋ほどもあるかどうかという、その隙を目敏く見つけて付けこみ、割り広げた。なんのためか。
少なくとも、自分が肉体的に感じる、あるいは抱える欲を、手近に処理するためではない。
否、手近に処理するためだけなら、とうの昔にさらに先へと押し進んでいたはずだ。
肉の欲だけが理由なら、相手の都合など構う必要はない。どう思われようと、さらに隙を探して付けこみ付け入り、手前勝手に――
できないのは、肉体が二次的欲求であくまでも付随欲求に過ぎず、第一に欲するもの、求めるものがあるからだ。
いくら欲望に忠実で、隙を見つけたら付けこむに長けるとはいえ、ここは慎重に運ばなければならない。
いや、欲望に忠実で隙に付けこむに長けるからこそ、さらに慎重にならざるを得ないのだ。いつも以上に、常以上に、他のもの以上に。
とはいえそろそろどう考えても、いいはずだ。『いい』としか思えない。
むしろもう、ここまで隙を晒されて付けこまず、放置しておくのは失礼であるか、さもなければ興味がないと取られてもまるで致し方ない。
が。
今さら、どうしろと。
今となっては、なにをどうしろと。
ひと月半。
濃厚な、あまりに濃厚に過ぎるキスに溺れこんできた。
単なる友人同士ではやらないのはもちろん、こうまで濃厚となると、セフレ、セックスフレンドであれば、なおのことやらない。情理があまりに強すぎるからだ。
事実婚にも近いが、そうではない。だからといって今さらどう、取り繕う言葉があるものか。
目先の快楽を優先させた、そのツケがいい感じに回ってきていて、なにをきっかけとすればこれから先に進めるものか、逆説的にわからなくなるという、ちょっとした喜劇的な悲劇に、がくぽは見舞われていた。
ただしこれは、滅多にやらない慎重さ、不慣れであるそれに迂闊に手を出した結果、つまりは不慣れであるために、その慎重さの納め時、引っ込めて、いざや機は熟したりと動くべきタイミングを、すっかり計りかねてしまったという、そういう側面は否めなかった。
人間、否、ロイドもだが、不慣れなことに手を出すタイミングというのは、よくよく考えるべきなのである。
が、がくぽは未だ自分が、どうしてしまってこう、うまく押しきれなくなり、だらしのないとしか言いようのないこの関係をずるずると続けてしまっているものか、原因や理由に思い至れていなかった。
思い至っていれば、振りきって行動していただろう。
得てしてそういうもので、だからがくぽは思い至れていなかった。が、焦れるものはあるし、焦りはむしろ、どちらかといえば最高潮の、瀬戸際のところにまで来ていた。
慣れないことをすると、そうでなくとも思考が空回りしがちだ。
空回りも期間が延びれば思考が摩耗し、消耗して、――
「ふ、ぁ?」
がくぽの膝上に跨る形から、ころんとベッドに転がされ、カイトはきょとりと瞳を瞬かせた。
いくら体から力が抜けていたにしても、あまりにも素早く、鮮やかな所業だ。これでもカイトは成人として設定されており、がくぽより多少は劣るとはいえ、けれどだから、成人体型なのだ。
それをまあ、この男――そろそろ傾きかけとはいえ、まだ陽の光の明るい中で、その際立つ美貌を余すところなく輝かせる、粋を凝らしてやり過ぎたと言われる美貌の、一見優男ふうの、つまりは力技などとてもやれそうにないその風貌で、成人男性体型のカイトを痛みも与えず、非常に器用に転がした。
「ぁく……」
未だ痺れるくちびるで、重い舌を繰って、カイトは意味を、理由を問う。
転がしたカイトの上に伸し掛かったがくぽは、にっこりと笑った。難であっても喩えるなら、とても無邪気に。
がくぽとて、未だくちびるも舌も痺れて覚束ない。それでも募るものに急かされ、駆り立てられて、ずろりと舌なめずりした。無邪気さに翳が差し、雄の欲が顔を出す。
「ぁ……」
「キス。もう少しだけ、先に進もうか。いい?いいよな?だって口だけだとこうやって、わりに早く限界迎えて『1回』が短いし、カイトだって不満だろう?いっつも足らないって顔して、でも疲れてどうにもならないから、諦めてるよなそうだよなだからキスの種類をちょっとだけ変えて先に進もうそうしよう?」
「ぅえ……?え………???」
謀る意図が見え見えのありありで畳みかけられ、カイトは目を白黒させた。
そもそもカイトのほうは未だ満足にしゃべれる気もしないというのに、がくぽの口のよく回ること――
といった感じに、今気にするべきはそこじゃないというところに気がいってしまい、これはカイトの悪癖に近い思考の癖なのだが、結果として、もとからなきに等しいと評判の警戒心が今日もすっかり、お留守になってしまったカイトだ。
そしてなによりカイト――KAITOだ。
ロイド草創期に生まれた低スペックという個性のゆえに、一時大量の情報処理を苦手とし、すぐに放り出す。
もちろん、余程のことであれば放り出しはしない。
しかしカイトは今の状況を、ベッドに無防備に転がされた挙句、欲を隠しもせずに香らせ滴らせる男に組み敷かれているというこの状況でも、余程のことだとは判断していなかった。
なぜか。
相手ががくぽだからである。