第15話-【ミリ単位の猜疑】
「さ……き、って」
がくぽがくるくるとよく口を回したのに対し、カイトは重いそれをようやく繰って、なんとか言葉を、断片ながらも問いをこぼした。
がくぽ――『がくぽ』シリーズは情報処理能力の高さ、優れることを謳われる、機微に敏いロイドだ。曖昧な問いからもカイトの言いたいこと、訊きたいことを察して、こくりと咽喉を鳴らした。
がくぽは努めてにこにこ笑顔を保ち、未だ抵抗の兆しも見せない体に手を伸ばす。服地越しにそっと体をなぞり、辿るに見せかけてホックやボタンを外していった。シャツが捲られ肌蹴られとして――
「え?」
気がつけば、朱を刷く上半身を曝け出す格好に、カイトは事態に追いつけずきょとんとしていた。このときの認識など、『なんだか胸が、すうすうするかも?』の程度だ。
その『すうすうするかも』しれない胸に、がくぽはひたりと手を添わせた。
「っぁ、っふ?」
「……」
冷たい指が触れた瞬間、びくりと震えたカイトをがくぽは用心深く窺いつつ、添わせたそれでゆっくりと肌を撫で、馴染ませる。カイトの、いわば男らしくぺったりとした肉づきの胸の、徐々に触れる面積を増やしながら、がくぽはそっと顔を伏せた。
「……は…む、んー………」
ちゅぷりと、吸いつく。
のは、馴染ませる中でさりげなく狙いを定め、指でなぞってしこらせておいた場所だ。肉づきの慎ましさに相応しく、主張は控えめに、けれどとてもではないが無視できない存在感を持つ。
「ふぁ、あ…?!ぁく、……っんっ」
じゅるりと啜り上げられ、ちゅるちゅると音を立てながら吸われる。カイトはもちろん、妊婦でもなければ乳飲み子を抱えた経産婦でもなく、ましてや男声型だ。
乳首を吸われたところで、なにかが出ることなど決してない。
ないはずなのだが、がくぽはまるで、なにかがそこから吸うに合わせて迸っているとでもいうように、じゅぷじゅぷと音を立てながら啜り上げる。
夢中になって吸い上げ、あるいは舌先で丹念に転がし、こそげるように薄い肉を舐め回す。
「ぁ、んっ、ぁめっ、ぁ……ぁく、ぁくぽ……っ!」
思考が弾けて白くなるような気がして、カイトは首を振り、懸命に募る感覚を散らした。散らしてもちらしても、がくぽがちゅうちゅうと音を立てて乳首を吸い上げるたび、ちゅぷじゅぶと、ねこか犬かが水を飲むときのような音とともに肉をこそげるように舌を這わせるたび、それは大きく、散らし難いものとなっていく。
「んっ、んん………っ」
散らしきれず、ひどく募っていく感覚にカイトはぎゅっと瞼を閉じ、拳を口に当てた。
どうしようもなく、下腹が熱い。
なにをされているわけでもないのだが、下半身がどろりと蕩けるようで、同時に鈍く、鋭く訴えるものがあり、辛く苦しいことこのうえない。
「ぁ、く……っ」
「ん」
ぷるぷると震えていたカイトがひと際大きくぶるりと震えた、その瞬間。
がくぽはこくりと咽喉を鳴らして唾液を呑みこみ、顔を上げた。口周りを濡らして汚す自身の唾液を、舌を這わせてずるりと舐め拭う。
見下ろす花色の瞳は、ひどく歪んで嗜虐に満ち、弱々しく震えるだけのねこにゃんこにも容赦する気配がなかった。
ねこにゃんこはねこにゃんこでも、こと『こちら』方面に関して、このねこにゃんこはさらに、仔ねこにゃんこである可能性が非常に高かったが、もちろんにゃんこかわいさにトチ狂った大型わんこは構わない。
むしろそんなものは、思うつぼと言う。
体格差や力の差、もしくは経験の差にものを言わせることをまるで躊躇わず、がくぽは調理待ち、否、調理済みであとは食べられることを待つだけの、ご馳走なカイトをご満悦の瞳で観察した。
ご馳走だ。
まさしく正しく、これほどおいしそうな、そして味見の感触でもやはりとてもおいしいご馳走など、そう滅多にありつけるものではない。
――どちらかといえばがくぽは、品行方正で躾の行き届いた大型わんこの態だったのだが、今の様子にはどこか野犬の雰囲気、はっきり言うなら、八桂月の影響が窺えた。
やはり自分のマスターの伴侶として、さらには『想う相手』のマスターとして、日々過剰なほどに意識しながら暮らしてきたせいなのか、もしくはもともと持っていた性質と相性が良かったということか――
がくぽは毛を逆立てて吠えつきそうだが、おそらくは意外にも実のところで後者、陰ながらの好相性ぶりによるところが大きいだろう。
とはいえ正真正銘の野犬でしかない――一応『元』の冠はあるが――八桂月に対し、がくぽはあくまで野犬『ふう』だ。
桁外れの美貌は桁外れのままで、逆に加えられ増す色香や諸々で、危なっかしいことこのうえない。
「ぁ……っ」
ぷるぷる震えるだけのカイトが言葉も継げずに睫毛を濡らし、伸し掛かるがくぽをそっと窺う。
目が合って、がくぽはくちびるを歪めた。堪えきれずにといった感で、笑う。
「えっろ……」
「んくっ」
こぼされた感想に、カイトはびくりと竦んだ。束の間だ。びくりと竦んだものの、逃げようとするでなく、逃げられないからせめてと泣き出すでもない。晒された肌はさらにふんわりと朱を刷き、煽情さを増した。
そのうえで、ぐすりと洟を啜りながら横を向いたカイトは、正対するでは恐ろしすぎるとばかり、横目にがくぽをちら見する。
ちらちら、ちらちらと投げられる視線は、熱とともに期待を含んで投げられているような気がするものだ。
期待――なにへの期待かといって、それはもちろん、言うまでもない。
がくぽはカイトをベッドに転がし、服を肌蹴させて半裸にした。朱を刷いて色めく素肌に指を這わせ、くちびるを当て、舌で舐め辿り――
募る興奮に、募ってどうしても暴走しそうになる欲望に、がくぽはこくりと咽喉を鳴らして唾液を呑みこんだ。
落ち着けと、自分に言い聞かせる。
ここが正念場だ。雰囲気と思いつき、もしくは惰性や流れだけでうっかりことに至ってしまったせいで、まるで覚悟も筋道もでき上がっていないわけだが、来てしまったものは仕様がない。
来てしまった以上は仕様がないと諦めて、ここが正念場だと見極めたなら、あとは腹をくくるだけだ。できる限り、可能な限りすぐさま、即行で、大至急。
突貫も甚だしいが正念場は正念場であるので、ここで対応を間違えるわけにはいかない。ここでこそ、不慣れなあまりに一瞬は忘れかけた慎重さを思い出し、石橋を叩き壊すつもりで――
もちろんいかに慎重さを発揮しても、石橋は叩き壊してはいけない。壊すまで叩くのは病的と言うし、それで本当に壊すのは慎重さではなく、単に迷惑行為だ。
が、とにもかくにも慎重さが求められる。
ただしひとつ疑義を呈するなら、こういった完全なる疑いようもないほどの据え膳を前にし、事前に重々に興奮を煽り立てられているような雄が、さて慎重さを発揮できるものかという。
募りつき上げる欲望を限界まで高めておきながら、それを置いて冷静に行動ができるものかという。
がくぽはこくりと頷いた。
「まあ無理だ」
その通りだ。
その通りだが、結論が早い。諦めるのが、見切りをつけるのが、そこは男の甲斐性とかそういったものの見せ所のはずなのだが、だからがくぽだった。
『がくぽ』だ、他家の『がくぽ』ともあれ、コンセプトモチーフよりもマスター、有為哉の成育結果がよほどに強い。
というわけで、不慣れな慎重さもなにも捨て、見つけた隙には髪一筋ほどであろうとも割り入る。
その本領発揮である。ようやくだ。
と、本人も思考の片鱗のごく片隅で快哉を叫んだ。
ほんの一瞬の、束の間――
にっこりと、やり過ぎの美貌がひと際輝いて、笑みを放った。
「ぁく、?」
「カイト、えろい。えろ過ぎ……なあ?俺のこと、誘ってる?」
訊きながら、がくぽは欲を湛えて熱に潤む瞳でことさらに、上目となってカイトを見た。おねだり目だ。やり過ぎの美貌で、さらにおねだりである。
もはや悪魔的ですらあるそれに、カイトはこくんと咽喉を鳴らした。くすんと、洟を啜る。きゅむっと眉をひそめ、くちびるが尖り、先とは別の意図を持って、顔が背けられる。
ぽそりと、吐き出された。
「すきに、して、いーよ」
――その瞬間、起こったことといえば、カイトの予想も超えていたが、がくぽの予想も超えていたのである、実のところ。
いわば『はい召し上がれ』と据え膳自身に薦められたも同然で、もはや遠慮の『え』の字すら必要のないはずのがくぽ、欲に浮かされて正気を失いかけのこの雄、大好物のねこにゃんこを構い倒す権利を堂々手に入れたはずの大型わんこは。
ここで、正気に返った。
愕然として、がくぽは叫んだのだ。
「いや、それはだめだよな、カイト?!」