第17話-【あいうえおの『あ』は、】
情報量過多と判断した結果、『聞く』ことを放棄していたカイトである。
ここのところに相手に対する好悪の感情や情理判断というものは働かない。余程の事態であり、聞くべきであると思わない限り、カイトは聞かない。
で、いわば聞き流し状態だったカイトはつまり、がくぽがなにを言っているものか、その一言一句というものは理解していなかった。拾うとしたなら、『余程の事態に転換しそうだ』という、きっかけになりそうなワードであり、もしくは断片だ。さもなければほんとうに、なにか言ってるみたいという。
そのうえでカイトが大きな、無視し難い情報として拾ったのは、がくぽの口にした『好きでもない相手と』というところだった。
好きでもない――これはことの流れから察するに、がくぽのことを指しているのだろう。
がくぽはつまり、カイトががくぽを好きではないと。
束の間ショックを受けたカイトだ。『聞かない』どころか目の前が暗くなり、危うく『見ない』までやるところだった。
なぜなら好きでもない、好きではないということは、がくぽはカイトががくぽを嫌いだと考えているのかと、まるでそんなことなどないのに、まったく正反対だというのにそんなふうに思っていたのかと、当然しそうな誤解をしたからだ。
ただしこの誤解は、がくぽが言葉を連ねる必要もなく、すぐに解けた。
カイトには、がくぽ――『がくぽ』に対する信頼がある。
価値観の大幅なずれから頭を抱えることはあれ、この相手が誰かの情理を、向ける想いをそうそう勘違いするはずもない。それだけの機能を備えた、機微に敏い機種であると。
勘違いするはずもないから、ではがくぽの言った『好きでもない』というのは、イコールで『嫌いだ』とまで言っているものではないのだろう。
ではどこまでを指すのか。
どういった意味合いであるのか。
そこまで考えを進めたときに、カイトに唐突に降りて来たものがあった。閃いたとも言う。ようやく掴んだ。
なんだかこじれていたものが、すべてまるっとお見通せた。
こういうことだ。
「がくぽ、あのね!好きです、付き合ってください!」
「わーいやったあ?!」
――カイトが『わかった』と思って本当に『わかっていた』ことはあまり多くないのだが、今回は正しくお見通せていたらしい。
勢いよく放たれた『告白』に、がくぽは快哉を叫んだ。言葉だけだが。表情はぎょっと驚いていて、今ひとつ事態に追いつけていない感がありありだった。
これもこれで、あまり多くはない事例だ。
だからがくぽは情報処理に長けた、機微に敏い新型で、カイトからすれば、ほぼありとあらゆることをお見通しな相手だからだ。
けれど、そうだ。
お見通しだと思って油断していたら、肝心なことがまったくお見通せていなかった、この男。
どういう方向で器用なのか不器用なのか、カイトにはまったくもって判断のむつかしい、理解するに難い相手である。
だがそうだとしても、カイトにとってはつまり、そういうことだった。
「うん、俺からいえばいいっていうか、俺からいっても、全然、いかったんだよね……なんだ。なんだか、いうちゃんと話してても、これはがくぽがいわないといけないみたいな、そんなふうに考えちゃってた。でも別に、俺からいって、全ッ然、いかったんだあ。ああ、時間無駄にした」
「潔いッ!そして男らしい?!惚れるッ!」
愕然とした様子で評するがくぽに、カイトはふんにゃりと笑い蕩けた。ぇへへと笑って小首を傾げ、頷く。
「うん、ほれてほれてー」
――おそらく八桂月が見ていたなら、カイトのきらめく天使っぷりのこれまでになく突き抜けていることに、興奮のあまり脳の血管が切れていた可能性がある。
これからの家族様態を考えるに、今この場に八桂月がいないことは、ありとあらゆる意味でもって幸いなことだった。
もちろん、そういった意味で脳の血管を突き破る以前に、いわば言うところの『俺のかわいいカイト』が誰かさんのものになってしまいそうだというところで、衝撃のあまりに卒倒しそうではあるのだが。
がくぽは八桂月ではないし、ロイドでもあるので、かわいいと思いはしてもさすがに脳の血管を突き破るといったようなことにはならない。
ならないが束の間見惚れ、それこそ惚れる、惚れ直し、ちょっとばかりなにかに感慨深くなったところで、気がついた。
「ところでカイト、さっき、マスターがどうこう言っていたような」
「ん?うん。いうちゃん?相談してた。なんでか、がくぽがキスしかしてくれないよって」
「筒抜けッ?!」
なんだか衝撃を受けたようながくぽに、カイトは不思議そうに首を傾げた。
確かにカイトも、自分のマスター、八桂月に相談するのは、控える。理由といえば、八桂月がカイトに惚れこんでいて、溺愛しており、懸ける愛情が尋常ではないからだ。迂闊に相談したが最後、暴走の行方が読めない。
だが有為哉、がくぽのマスターであれば、別に構わないのではないかと思うのだ。なぜなら有為哉はそういったところで愛情の偏りがないし、鷹揚でもあるし、柔軟性も高い。
事実、カイトが相談すると親身に相談に乗ってくれたし、へこんだりしているときには応援してくれた。
最終的にはふたりの判断に委ねるべきという考えもあったから、自分のロイドであるがくぽを掴まえて、だらしのないことをしているんじゃないといったようなお説教めいたことは、いっさいしなかったが――
「否、あのな、カイト。つまり自分の親にこう、アレコレ一切合切が筒抜けだったのかとわかったときの衝撃というかそういうめいた」
「がくぽ、俺ロイド。親いないの。いるのマスター」
「良かったカイト!俺も同じだ。親はいない、いるのはマスターだ!!」
「うん。えと、なんか、ごめん?」
価値観のずれが大幅な相手なので、がくぽにとってなにがそうまで衝撃だったのかが、カイトには図りかねた。
が、与り知らぬところで別の相手と結託されていたというのは、あまり気持ちのいいものではないだろう。
その程度は推し量れたので、カイトはねこ耳をしゅんと垂らして謝った。もちろんこれは幻視であって現実ではないが、がくぽもといな大型わんこにはよく効いた。
なによりがくぽであった。『がくぽ』だ。
晒された隙には髪の毛一筋ほどのものであっても付けこみ割り広げるが、それが隙どころか完全なる据え膳であると判明した。
付けこむもとい、召しあがらずに如何しろという。
「うんまあ、マスターだ。どうせマスターで、マスターだからいいやそれ」
あっさり切り替えると、にっこり、笑みを浮かべた。しゅんしゅんとねこ耳を垂らして反省中もとい、少しばかりしょげてしまったカイトへ、手を伸べる。
「こっちこそ、悩ませてごめんな?俺がはっきりしないままだったから、カイトも困っていたんだよな?うん、本当にごめん」
「ん」
顎を撫で、そこから伝って耳をくすぐり、さらさらと頭を撫でられる。
しょげたねこにゃんこをうまくあやす撫で方に、カイトはあっさり宥められた。
がくぽだとてこのひと月半、無為かつ無闇とくちびるだけを強請っていたわけではない。八桂月に負けるものかと、ねこにゃんこの上手な撫で方あやし方を勉強し、研究も重ねていたのだ。
優秀に過ぎる情報処理能力を全力で注ぎこんだ結果、がくぽの手の動きに、揺らぐ湖面の瞳は気持ちよさそうに細められ、かすかに潤む。
「えろい」
「ほえ?」
うっかりした感じの本音をだだ漏らしたがくぽだが、撫でられることに集中していたカイトはうまく聞き取れなかった。
しかしてなにかしらの雰囲気の変化は感じるもので、一応はきょとんと瞳を開く。
まっすぐと見つめる純粋無垢の瞳に、がくぽはにっこり笑い返した。
「好きだよ、カイト。だから、誘って?」