ネムイメマイ-1/3-
時計の針が11時を過ぎたことを確認し、がくぽは眉をひそめた。視線は時計から、閉まったままぴくりともしない部屋の扉に流れる。
「………遅い」
堪えきれない言葉が、ぽつりとこぼれた。
11時――夜の11時だ。昼のではない。
家庭には因るが、ロイドは大体、この時間になると布団に入る。
ロイドの『睡眠』は、ひとのものと意味が違う。休眠したが最後、よほどのことでもない限り、規定の時間を超えないと再起動――『起き』ない。だから眠る時間は翌朝の、起床時間から逆算して決める。
概ね23時、夜の11時くらいが適当となるのが、一般的な生活での計算だ。ために、この時間になると布団に入るロイドが大半となる。
仕事にしろ趣味にしろ、特に夜更かしする予定もない今日だ。だからがくぽもとうに、結い上げている髪を解いて流し、寝間着である浴衣に着替え、布団も敷いて――
「どうして来ない………」
ぴくりともしない扉に、足音の響かない廊下。
準備万端に敷いた布団の傍らに座ったまま神経を尖らせ、がくぽは今朝の出来事を思い返した。
***
「まったくあんたって子は、カイト!」
家族を起こして回っていたメイコは、がくぽの部屋にやって来るや、がばりと布団をまくってそう叫んだ。
がくぽの部屋だ。しかし咎めて呼んだのは、カイト――がくぽの布団に潜りこみ、のみならずがくぽにしがみつくようにして、惰眠を貪っていた相手だった。
「毎日まいにちまいにちまいにちまいにち………!自分の部屋と自分の布団はどうしたの!なんであんた、いっつもがくぽといっしょに寝てんのよ!!」
「メイ………っ」
「むゃあ」
――朝の起き抜けから聞くには、多少堪える大音声だ。勝手に布団を取られたこともあり、がくぽは軽く眉をひそめた。
が、肝心要のカイトといえば、寝ぼけに寝ぼけた、マヌケも極まる声を上げただけだった。
「いい年こいた男が、毎日まいにちまいにちまいにちまいにち……!たまにはがくぽだって、ひとりで寝たいこともあるでしょうし、あんた以外の誰かと寝たいことだってあるでしょうに、カイト!」
「んーあー………あ。………あさぁ……?ぉはよぉ………?」
「ったく………!」
がくぽはスペックの高い新型なので、休眠から起動時にほとんどラグがなく、いわば『寝惚け』ることがない。
対してカイトは、スペックの低い旧型だ。現在は後付けで、多少スペックも上げられてはいる。が、やはり休眠から起動など、一部スムースにいかない機能もあり、つまり『寝惚け』る。
同じ旧型であるメイコは、ある意味でがくぽ以上にこの状態に理解があった。
怒涛のような叱責を、舌打ちひとつで一時的に止める。まくったまま持っていた布団を、未だ『仲良く』抱き合ったまま横たわるがくぽとカイトの足元に投げた。
「朝よ!おはよう!ごはんを食べ損ないたくなければ、とっとと起きていらっしゃい、寝坊助さん!」
「んー………」
またすぐに眠りこみそうなカイトの肩を軽く叩くと、メイコは尖ったままの瞳をがくぽに向けた。
「あんたもよ、がくぽ。この寝坊助を甘やかした挙句、遅れないのよ!」
「………善処する」
がくぽとしてはそう答える以外に、ない。
しかしおそらく、その答えもあまり、良くなかった。
個別に部屋を貰っていながら、カイトが夜になるとがくぽの部屋を訪れ、同衾するのは今に始まったことではない。
がくぽがマスターに購入され、この家にやって来た日から、ずっと続く習慣だ。
そう、ずっとだ。
毎朝まいあさ家族を起こして回るメイコは、カイトの部屋が空っぽなのを確かめ、がくぽの部屋にやって来て、いい年こいて『だっこだっこ』でひとつ布団に眠る男二人に頭を抱える。
がくぽが購入されてからというもの、ずっと――ずっとだ。
溜まり溜まったものも、限界だったのだろう。
そうでなくとも尖っていたメイコの目が、肌がちりつくような、苛烈な炎を宿した。寝惚けるカイトの背を『無意識に』撫でてあやしていたがくぽを、厳しく見据える。
「『善処する』って、なに、がくぽ?大体にしてあんたがそうやって、甘えられれば甘えられるだけ、甘やかしまくるから、この甘ったれがつけあがって、どんどんどんどん甘ったれになっていくんでしょう?あんただっていつかは困るでしょうけど、カイトにだって害なのよ、そんなの。甘えられたからって、要望を叶えるだけが甘やかすってことじゃないし、それが愛情のある行為だと思っているなら、まったく間違いだわ。相手のことを思うなら、たまには撥ねつけることや、厳しくすることも大事なの」
「そーそーそー。めーちゃんみたいにねー」
「……………」
「……………」
言うなれば、最悪のタイミングで、最悪の混ぜっ返しが入った。
眠るカイトに縋りつかれていて、目を覚ましたものの布団に横になったまま、メイコの猛攻に晒されていたがくぽだ。
体勢が不利なところに、どうやら堪忍袋の緒が切れたらしいメイコの本気の説教。
そうでなくとも逃げ腰だったが、腕の中のカイトが吐き出した言葉に、思わず竦んだ。
がくぽはほとんど涙目になりかけながら、恐る恐るとメイコを窺う。
口を噤んだメイコは、しばらくじっとして、彫像のように動かなかった。
しかしふいに横を向くと、ふっと笑う。
がくぽは総毛立ち、襲い来る悪寒の分だけ、カイトを抱く腕に力をこめた。
「ん?ぃたた………」
カイトの小さな苦情は、誰の耳に入ることもなく――
***
――というような過程を経て、夜だ。
そうとはいえ日中は、いつもと変わったこともなかった。メイコが怒りを引きずることや、カイトが恨みがましさを時々に垣間見せることもなかったのだ。
これは旧型ゆえなのか、それとも二人の性格なのか――とかく一時的になにかあろうとも、メイコもカイトもあっさりさばさば流してしまい、後を引くことがない。
今回のことだけに因らない。すべてにおいて、そうだ。
時としてがくぽのみならず、周囲すべてが唖然とするほど、からっとしているのがメイコであり、そしてカイトだった。
だというのに、来ない。
「どうして………」
扉はぴくりとも動かず、廊下に響く足音はない。
未だ起きている家族が立てる生活雑音や声が、たまにかすかに届くが、その中にカイトのものはない。
だからきっと、がくぽと同じく夜更かしをする予定も特になく――
それでも、来ない。
来ない――
「………ん?」
ふとがくぽは、別の意味で眉をひそめた。
カイトが来ない。そうだ。『カイトが来ない』。
がくぽと寝るために――だがしかし、いったいどうして自分は、待っているのか?
「………っ」
不快さに曇っていた花色の瞳が、ようやく気がついたことに驚愕し、徐々に徐々に見開かれ、光を宿す。
がくぽとカイトが共に寝ることは、メイコの反応からもわかるように、規定されたものでも、強制されたものでもない。いわば、カイトの自由意思に基づく、勝手な行動だ。
がくぽが乞い求めたこともなく、初めは戸惑ったもののいつしか日常と化し、漫然と流れ、――がくぽはカイトを待つことに、馴れていた。
待っている意識もないまま、意識が及ぶほどに待たされることもなく、毎晩カイトはがくぽの部屋にやって来た。
抱き合って、同じ布団の中、共に眠るために。
だがしかし、そうだ。
どうして待っているのか。どうして、カイトの訪れを――
「ああ………」
呻いて、がくぽはそっと瞳を閉じた。
***
こここんと、ノックする扉。続く沈黙。
時間が時間で、もう部屋の主は眠っているかもしれない。
だとしても、相手の応えなしには開けない扉。
それほど待たされることもなく、部屋の中からばたばたと慌てる足音が響き、勢いよく扉が開かれた。
「………っ」
頬を上気させたカイトがわずかに潤む瞳で、廊下に立つがくぽを見つめる。
がくぽは微笑み、言葉にならずにくちびるを空転させるカイトへ、手を伸ばした。
「迎えに来た。………もう、寝る時間であろう?あまり故もなく、夜更かしするものでは、っ」
「ん………っ!」
皆まで聞くことなく、カイトは勢いよくがくぽに抱きついた。背に回った腕は痛いほどにきつく、縋りつかれているようだ。
がくぽの首元に顔を埋め、カイトは擦りつくようにこくりと頷いた。こくりこくりと。
「ん、ねる………っねる…………っっ!」
「………ああ」
感情が募り過ぎた結果、幼子のような拙い言葉を吐き出すカイトを抱き返し、がくぽは瞳を細めた。
この体が腕の中にある、安堵感。
この体が自分の腕の中にあるという、喩えようもなく、なににも代え難い安堵と――優越。
そして満たされる、独占欲。
――これは、俺のものだ。
思考に萌した言葉を、がくぽは静かに噛み締め、さらにきつくカイトを抱いた。