セツンセツ-1/3-

ふわりと、触れ合う。啄むように、宥めるように、穏やかでやわらかで、やさしく。

――という落ち着いた見た目とは裏腹に、がくぽの心の内は大荒れ、大嵐もいいところだった。大嵐も大嵐、惑乱のあまりについつい、これがオオアラシコウタロウというものかなどと、完璧なるおやぢギャグを真面目腐って納得したほどだ。逃避だ。

もちろん、おやぢギャグに逃げこんでいる場合ではない。

つまり問題は、『どうしてこうなった』かだ。

触れ合うのはくちびるとくちびるで、触れ合わせているのはがくぽとカイトだ。

カイト――KAITOシリーズにはデフォルトで、挨拶のキスの習慣がある。が、くちびる同士を触れ合わせるキスは、挨拶の範疇には入らない。

がくぽからすれば、タイミングやアイディア諸々の筋が常人とは一本違ってしまっているとしか思えないカイトの認識上でも、これはきちんと『キス』にカテゴライズされる――家族や友人でするものではなく、恋人や愛人、情人と交わす類の、特別なものだと。

しかしカイトだ。『カイト』なのだ。

先にも言ったが、あまりに突飛に過ぎて、がくぽにはその思考の筋道がきっぱりさっぱりがっくり読めない追えないわからない。

もちろん実際のところ、がくぽは他人のことをあれこれ言えた義理ではない。なにかしら唐突に腑に落ちてツボに嵌まった挙句、同居人である同性をいきなり、口説くと宣言したのだから。

思考回路の複雑さでは、引けを取らない。

――と、第三者なら言うが、がくぽは漫然と傍観している第三者ではなく、この事態の当事者だった。

そしてカイトだ。『カイト』だ――

現在、なにがどうしてこうなったのか、思いを通じ合わせたわけでもないのに、くちびるを重ねている相手。

「ん、ふぁ、ぁくぽ……んっ」

ちゅっちゅと触れ合う間に、カイトはとろりと蕩けた声で、熱っぽくがくぽを呼ぶ。窺う表情は、声と同じくとろんとろんに蕩けて甘く、揺らぐ瞳は熱に潤んで湖面のようにも見える。

がくぽが飽かずくちびるを寄せると、湖面の瞳は瞼に隠される。

ぼんやりと眺めていたときに思っていたより、睫毛が長い。ばさばさと音がしそうなほどというわけではないが、やはり芸能特化型ロイドだ。男としては睫毛の量は多いし、長さもあるだろう。

そんなものはきっと、がくぽも同じだ。がくぽもまた、カイトと同じ芸能特化型ロイドなのだ。なによりがくぽは芸能特化型の中でも特に、気合いの入った見た形だと称される。他人のことは言えない――

としても。

「んん………っ」

「………っっ」

カイトがこぼす鼻声はひたすらに甘く、これ以上なく気持ちいいとでも言われているようだ。がくぽは懸命に自制を唱え、やわらかに優しく、くちびるの表面を撫でるだけに留めているというのに。

だから、未だ想いは通じ合っていないのだ。

想いが通じ合ったわけでもないのに、これ以上の触れ合いになど発展させられようもないし、しかしくちびるを交わす相手は想う相手で、そして気持ちよさそうなのだ。とてもとても、非常に至極、気持ちよさそうなのだ。

イってもイくね?

――諸々の感情や状況に荒れに荒れるがくぽの心の内を、わかりやすくまとめればこうなる。大嵐中だが、いわゆるてへぺろ式だ。某菓子屋の看板娘のキメ顔が如く。

そうとはいえ、果たして一体、なにをどこにどう『イく』気なのかは、判然としないのだが。

そもそも問題は、どうしてこうなったのかだった。

時刻は夜の11時、23時を過ぎている。

家庭によりけれ、この家ではよほどの用事でもない限り、23時がロイドの就寝時間だった。

就寝時間なので、がくぽは髪を解き、寝間である浴衣に着替え、カイトを抱いて布団に入ろうとした。

第三者に言わせれば、すでにこの状況がおかしい。

がくぽはカイトを『そういう』意味で口説くと宣言しているのだ。宣言するだけでなく、それなりに行動にも起こしている。

その相手と同衾するとなれば、世間ではちょっとした一大イベントのはずだ。

が、がくぽにとってカイトと同衾するというのは、日常で常態で、いつものことだった。

口説くと宣言する前からずっとそうだったし、自分の都合でカイトの習慣を妨げたくもない。なによりがくぽは、カイトを抱いて寝ないと落ち着かない。

――紛らわしいので念のために註記しておくが、この場合の『抱く』というのは純粋に、腕に抱えこむとか、胸に抱きこむとか、そういった意味合いだ。互いに着ているものを脱いで生まれたままの姿となり、ちょっとばかり濃厚なスキンシップに励むという意味ではない。まったくない。欠片もない。

『そういう』意味で口説くと宣言し、宣言されていながら、だ。

がくぽはカイトとともに、成人男性二人では無理があり過ぎるシングル布団、一人寝用の布団に入り、きゅうっときつく抱き合って眠る。そして何事もなく朝を迎える。毎日。

マスターは両手の皺と皺を合わせて、『絶対に真似など不可能である以上に、真似をしたいと思いつく余地もない神業ぶり』とがくぽを拝んだ。拝んだがもちろん、褒めているのとは違う。

がくぽが枯れているとか淡白だとかいうわけでもない。じっと我慢の子だ。

カイトを口説くと宣言した折にマスターとも合意した、『強姦レイプ性行為の強要はしない』という、当然の倫理観に従って――従うこと、毎晩。我慢を重ねること、毎晩。毎晩まいばんまいばんまいばんまいばん以下エンドレス毎晩。

我慢はしていても、事態の異常さについては取り立てて疑問に思うこともなく続き、今日の今夜の今。

いつも通り、パジャマに着替えてからがくぽの部屋に寝にやって来たカイトは、そのままいつも通りにがくぽの腕に収まることはなかった。

待っていたがくぽと相対するように、布団の上でちょこんと正座した。

で、提案だ。

「してみない、がくぽ?」

ナニを?!

――と、即座にがくぽが問い返さなかったのは、機微に敏い新型だからだとか、そう言われても不自然ではない流れがあったからということではない。

衝撃のあまりに言葉を失っていただけだ。

口説くと宣言し、それなりに行動もしているものの、未だ『応』の返事は貰っていない相手だ。

それがいきなり『してみない?』と言い出せば、衝撃もいいところだ。が、問題はもうひとつあった。

カイトだ。つまり、『カイト』だということだ。

「ええと、だからね……」

真意を図りかねて応えられないがくぽに、カイトは片手を上げた。親指と人差し指の先を合わせて丸を作ると、その丸の中にもう片手の人差し指を入れては抜いてというジェスチュアをしてみせる。

「カイト………」

あまり上品とは言えない所作に、がくぽは頭痛を覚えた。ここ最近、癖になっている気がする頭痛だ。

もちろんカイトは、がくぽの繊細な機微に構ってくれる性質ではない。それこそがくぽが、『これぞ男の在るべき姿』と憧れたままに。

気にすることなくジェスチュアを続けつつ、カイトはこくりと首を傾げた。

「がくぽって俺に、ツっこみたいんだよね俺って男なんだけど。がくぽと同じ」

「それは」

「まあそれはいいんだけど」

――本来的にそこはあまり、『まあいい』で流す部分ではないはずだ。もともとカイトは、同性愛嗜好として設定されているわけではない。偏見はないとしても、多少の抵抗感は抱いても仕様がない。

でありながらのカイトのこの言いっぷりに、がくぽは途轍もなくときめいた。ただし、ツっこんでもいいのか?!という、即物的な期待感からではない。

――やはりカイト、俺が見込んだ男の中の男、男子斯く在るべきという手本。なんと潔いのか!

という、なにかしら非常に評価し難い、方向性が行方不明も甚だしい感動からだ。

憧れの相手が理想を崩すことなく、そこに在ってくれる奇跡とでも言えばいいのか、しかし。

「ってもいきなり、ヤってみるっていうのも………やっぱ、怖いし。だから、キス。んと、くちくち。………を、まず、ちょっと……して、みない俺、がんばるし」

「カイト」

うっかり感動の水たまりに嵌まっていたがくぽだが、我に返った。

『がんばる』ということは、実のところカイトはキスなどしてみたくない、はっきり言えばがくぽとのキスなど嫌だということではないのか。嫌だが、がくぽのために我慢してやると。

マスターとした『強姦レイプ性行為の強要はしない』という約束もあるが、そんなものはオマケだ。なによりもがくぽが、カイトに無理強いをしたくない。

自分の想いは、自分の勝手だ。カイトの都合を捻じ曲げて押し通すことではない。砕ければ傷つくだろうが、落ち込みもするだろうし、世を儚んだり愚連隊を探してみたり目指したりする予感もものすごくあるが、――

だとしても、カイトを曲げたいわけではない。カイトに曲がって欲しいわけでもない。

カイトそのままで――余地に、自分の想いが入れればいいなと。

自分という存在を受け入れて貰えたなら、歓びだと。

「済まぬ、カイト。しかし勘違いしないでくれぬか。もしも俺の態度や発言で追い込んだと………」

「したくない?」

「したい」

――我を押し通す気はない。無理強いなどしたくない。

と、主張するのはあくまでも理性であり、筋道だった思考だ。

感情と欲望は、据え膳食わねばと声高らかに主張している。

そして往々にして、こういった場合に強いのは感情であり、欲望であり、無意識域だ。

問われてうっかり本音をだだ漏らしてしまったがくぽは、思ってもみなかった己の素直さ発見に打ち震えた。

が、何度も言うが、がくぽの繊細な機微に構ってくれるカイトではない。

「じゃ、しよ」

あっさり言って、足を崩した。痛んだのか、軽く眉をしかめたものの、なにか言うことはない。がくぽが立ち直る前に、顔を寄せてきた。

ふわりと触れた先は、くちびるではなく頬だった。

「カイト」

キスってそういうことかと、重ね掛ける素直さで怪訝な目を向けたがくぽを、カイトはうっすらと頬を染めて見返した。

色気とはこういうことかと、色香に惑うとはこういうことかと――

「………して。がくぽ」

見入って動けなくなったがくぽに、カイトは常とは違う掠れた声で強請った。

→そして至る今。

初めは相対して座っていたが、キスに溺れこむうちに、カイトはがくぽに縋りつき、がくぽはカイトを己の胸の中へきつく抱き込んでいた。

やさしく触れて離れて、離れがたくてまた触れて、重ね、――

「ふ、ぁ………ん、ん………ん、がく、ぽぉ………」

我慢して、無理やりがくぽに合わせてくれているだけなら、こんな声は出さない。こんな顔はしない。こんな態度は取らない――熱に浮かされ、甘く蕩け、潤みながら先を強請るような。

そう、先だ。

がくぽは懸命に自制して、軽く触れて離れるだけのキスに終始している。フレンチという態の良い言葉もあるが、お子ちゃまキスだ。この年の男がやるものではない。

が、カイトだ。

気持ちよさそうだ。気持ちよさそうだがさらに、焦れているようにも見える――錯覚の可能性のほうが高いが、こうまでとろとろに蕩けた様子まで、都合よく錯覚するはずもない。多少の認識のずれはあれ、がくぽはそこまで夢見がちな性質ではなかった。

ということは、だから、つまり――

「がくぽ………」

「っっ」

「んっ、んっ?!………ぁっ、…………っっんーーーーーーー………っっ」

何度目とも知れず、とろりと潤んだ声に呼ばれた瞬間、神と謳われ拝まれたがくぽの理性もとうとう、崩壊した。

さらにきつくカイトを抱きこみ、ほんのりと開いたくちびるに舌を押しこむ。びくりと震えた体を逃がさないと追い、布団に転がしながら、惑うくちびるを餓鬼のように貪った。怯えて縮む舌を絡め取り、唾液ごと吸い上げて存分に味わう。

そうでなくとも体格差があるが、がくぽは伸し掛かる重みでカイトを押さえこみ、抵抗もままならない状態にしてくちびるを重ねた。

先には背を抱えていた腕が、びくびくと跳ねるカイトの体をパジャマの上から撫で、意味を持って探り出す。

「んっ、んちゅっ、ぁ、ぷぁ…………っんっ、ん………っ!」

びくんと、さらに大きく跳ねたカイトは、がくぽの首に回していた腕にきゅうっと力を込めた。瞬間的に苦しさに眉をひそめたがくぽだが、動きは止まらない。禁忌も倫理も忘れて、ただ、想い人の体を探る。

膝の間にがくぽの体を受け入れたカイトは、きゅうっときつく、腰を挟んだ。動きを止めるようでもあるし、煽って誘うようでもある。

都合のいいように受け取ろうとしたがくぽだが、次の瞬間には眉をひそめた。どこかに放り投げたはずの理性を慌てて拾うと、髪を引っ張る暴挙に出たカイトからわずかに体を起こして、離れる。

「………カイト」

「だめ……」

「………っ」

言葉は舌足らずに甘く蕩けて聞こえたが、単にがくぽに貪られ過ぎ、舌が痺れていただけのことかもしれない。

長い髪を掴んで容赦なく引っ張り、雄と化した男の暴走をなんとか止めたカイトの瞳は、今にもしずくがこぼれそうなほどに潤んでいた。

ぷるぷると小動物よろしく震えながら、伸し掛かる男を潤んだ瞳で懸命に見上げる。首を横に振った。

「これ、以上、は………も、だめ…………」

痺れて覚束ない口を開き、拒絶の言葉を吐き出す。

びくりと怯え震えて固まったがくぽの下で、カイトは陶然と目を細めた。押し出されて、涙がほろりと一筋、こぼれる。

「きもち、い………きもちい、すぎて………これ、以上、したら……キス、やめられなくなっちゃう………」

だから、だめ。

最後は吐息のようにこぼれた言葉が示すものと、そこから汲み取れる意味と――

がくぽは花色の瞳を見張って、陶然と震えるカイトに見入った。