セツブンセツプン-2/3-
喩えて言うなら、据え膳だ。
否、喩えて言うまでもなく、どうやったって据え膳にしか見えないのだ。定型に則って『これは据え膳ですか?』と問えば、十中八九、『はい、これは据え膳です』が模範解答となるだろう。
据え膳にしか見えないものは据え膳にしか見えないのだから、据え膳にしか見えない時点で据え膳にしか見えないものが悪く、ここまで据え膳に見えるなら、むしろこれは据え膳であると結論するべきだ。そうでないのが不自然で、非常識というものだ。
だからこれは据え膳だ。
というわけで据え膳なのだから、食べちゃったって問題ないだろう。いや、逆に食べないほうが問題であろう。どうしてこんな当然の結論を、やたら勿体ぶって出さなければならないのか、むしろそちらのほうが大問題だ。
という一連の思考と、がくぽは激しく戦っていた。戦闘は困難を極め、がくぽの旗色は悪かった。
なにしろ、突きつけられていることがことだ。
「ね、がくぽ………がくぽ。したい。………して?しよ?ね?」
「かい………っ」
もはやがくぽは息も絶え絶えで(*比喩)、腕の中にきつく抱きこんだ相手の名前すら、まともに呼べなかった。
いや、そうだ。そうなのだ。
だから、腕の中だ。腕の中の相手だ。
既視感も甚だしい、現在時刻は夜の11時、23時だ。今日も今日とて変わりなく、就寝時間。
和装と洋装という違いあれ、それぞれ寝間着に着替えたがくぽとカイトは、いつもと同じようにがくぽの部屋の、がくぽの布団――シングル、一人寝用だ――に、二人仲良く潜りこみ、きゅうっときつく、抱き合った。
がくぽは現在、『そういった』意味でカイトを口説き中だ。
しかしそれはそれのこれはこれの習慣で、曲げることも止めることも再検討の余地もなく、がくぽはカイトと同衾を続けていた。
一人寝用の布団に成人男性二人で収まり、はみ出さないようにという以上の意図を持って、互いにきゅうっときつく、抱き合って眠る。
いつも通りで変わり映えもない、異常を極めた日常。
――が、崩れたのは、布団に入ってすぐのことだった。
もそもそとしばらく身じろぎ、落ち着くところに嵌まったカイトは、視界も覚束なくなるほど近くにあるがくぽの瞳を、じじっと覗き込んだ。それはもう、たっぷりのおねだりを含んだ、熱っぽく潤んで甘ったれた目つきだった。
カイトが落ち着いたら明かりを消そうと、待機中だったがくぽはある意味で油断しきっていた。口説き中の相手がふいに見せた媚態に、目が離せなくなる。
そうでなくとも、腕の中に抱きこんで、しかもひとつ布団に収まっているのだ。辛うじて顔だけが接触していないと言ったほうが早いほど、体と体は密着して、相手の存在をいやでも意識させる。
そんな状態で、カイトはちょっぴり布団に潜り気味となってがくぽと目線をずらし、おねだりのときに特有の殊更な上目遣いとなっていた。
そして吐きこぼしたのが――
「がくぽ………キス、したい」
「っ?!」
危うくがくぽは、吹くところだった。なにと言って、魂とか目玉とか鼻血とか、そういった類のものだ。
いっそ吹けば良かったのだ。そうしたなら、相手がカイトとはいえさすがに雰囲気もぶち壊れて、これ以上に発展する要素もなく眠りにつけただろう。
しかし無為に堪え性の発達したがくぽは、雰囲気を壊せるものを吹くこともなく――
ひとつ布団で、きつく抱き合って眠る、口説き中の相手からのおねだり。
が、これ。
だから、据え膳だろう。
これを据え膳と言わないなら、世の中の据え膳の定義はずいぶんと難解だし、難易度も高い。
――そうやって言葉の定義へ逃避するがくぽに構わず、カイトは容赦なく畳みかけてくる。
「この前みたいなやつ………いっぱいとろとろで、ぐちゅぐちゅになる………キス。したい、がくぽ。ね?しよ………して?」
「かぃ………っ」
布団の中で、横たわっているのだが、がくぽの心中は土下座状態だった。
なにこのおねだり。
なにを強請られているのか。
今がいったいどういう時間で、どういう状況で、どういう立場なのか、カイトはわかっているのか。
いやきっと、わかっていないに違いない。
がくぽの土下座する心中は、反語もきれいに極めた。あまりにきれいに極まったので、ちょっとばかり感動までした。
そんな場合ではない。
呑気に反語を極めている暇があるなら、この危機的状況の回避策を、全力でもって考えなければならないはずだ。
形勢は不利で、戦況は非常に厳しく、旗色の悪さは言うまでもない。
口説き中の相手だ、カイトは。そういった意味で。
その相手と同衾し、だけでなくきつく抱き合い、そして強請られるキス。
デフォルトで挨拶のキスの習慣を持つカイトだが、今強請っているのはあからさまに、『おやすみなさいのちゅう』ではない。
もっと先に進んだ、むしろ『おやすみなさい』の時間をちょっとばかり遅らせるような、『ちゅう』だ。
古来より、据え膳食わぬは男の恥という。
がくぽは男だ――鋭意口説き中の相手、カイトもだが、そこはそれとして、がくぽは男だ。男なのだ。
容貌があまりに整っていることで、衣装によっては洒落にならず女性と見紛われることもあるがくぽ――『がくぽ』だが、間違いなく男だ。
ついているものもついているので、迷い多きがくぽといえど、こればかりは迷うことなく堂々と言い切れる。
男だ。
据え膳だ。
結論など決まっている。
「しない」
「がくぽ」
「しないぞ」
迷いに迷いを含んだ声音で、しかしはっきりと拒絶を言いきったがくぽを、カイトはぱっちりと見開いた瞳で凝視した。
がくぽの目は、おろおろ泳ぐ。拒絶を言い切ったものの、声音と同じく、心理的な踏ん切りが突ききっていない。
それでもカイトの凝視に耐え、前言を撤回するとは言い出さない。
拒絶。
迷いを含んでも折れない、絶対的で圧倒的な、拒絶の意志。
カイトは横になったまま可能な限りで、ちょこんと首を傾げた。
「………がくぽは、ヤだった?このまえの、おれと、キス………」
「厭なものか!!」
先に拒絶を吐いたときと比べものにならず、否を唱えたがくぽの声音も視線もきっぱりとした強さを備えていた。
珍しくもカイトが圧されて、わずかに身を引く。そうやったところで抱き合っていることに変わりはないし、なによりもがくぽが逃がさじとばかり、腰に回していた腕に力を込めた。
だから、軽く首が反った程度だったが――
「厭なものか、カイト。厭なものか――役得だった。棚ぼたであったとも。瓢箪から駒式に、思いもかけぬ僥倖であった」
「じゃあ」
「だが、カイト」
『しよう』と、即座に繋げようとしたカイトの背中を、がくぽは宥めるように撫でた。そう、少なくとも、がくぽは宥めようとした。
だが、撫でられたカイトはぶるりと大きく震え、くちびるを慄かせた。がくぽにしがみついていた手に瞬間的に力が込められ、縋るようなしぐさになる。
懊悩に囚われていたがくぽは気がつかず、カイトの背中から後頭部へと辿り、やわらかな髪に指を絡めると、やさしく梳いた。
「ああいったキスは、家族や、ましてや友人同士でするものではない。恋仲か情人か、なにかしらそういった、深い交誼を結んだ相手とやるものだ。俺はカイトを口説いているが、まだ回答を貰ったわけではない。だというのに堪えも利かずにやってしまったことは、俺の不徳もいいところだが………同じ過ちは、二度は犯さん。そなたが俺に応える覚悟が出来るまでは、もはや………」
「つまりさ?」
つっかえつっかえのどもりどもりで、懊悩も著しく吐き出すがくぽに、カイトはぴかぴかびかびかと光る目を向けた。
ぴかぴかびかびかだ。
「………『びかびか』?」
『ぴかぴか』までならともかく、『びかびか』は穏やかならぬ擬音だ。なにかが激しい。激情的と言おうか――
不穏さを察知して眉をひそめたがくぽに構うことなく、カイトは半身を起こした。共に起き上がることはなかったものの、がくぽはしつこく腰だけは抱いている。
行動の自由は制限されていたが、カイトは気にしない。二人で仲良く分けっこして使っていた枕の脇に手を置き、がくぽに伸し掛かるような体勢になった。
――あれこれ俺が押し倒された据え膳気分。
概略すると、大体そんなようなことをがくぽが閃いた、刹那。
「キスはイヤじゃないけど、がくぽからはしません勝つまでは。ってこと。だよね?」
「………ああ」
勝つまではというか、正確には、カイトから色よい返事を貰えるまでは、だ。
がくぽはことこれ系のことで、勝ち負けを言い出す性分ではなかった。そういうたぐいのものではないだろうと思うし、なにより『先に惚れたほうの負け』とは、よく言うことだ。
がくぽはカイトに負け続けなのだ。男として不甲斐ないとは思うが、容易く勝たせてはくれないカイトだからこそ、想い募ったとも言える。
―――というような繊細かつ煩雑で、七面倒な機微をどう説明すべきか。
押し倒された格好まま考え込んだがくぽに、伸し掛かるカイトはにっこり笑った。未だ消していなかった天井照明のせいで逆光に浮かぶ形となり、筆舌尽くし難い感情をがくぽに与える、それはそれはすばらしい笑みだった。
見入って動けないがくぽに、カイトは笑顔のままきっぱり告げた。
「だったら俺からする!からいい!!」
「かい………っっ!!」
――どうしてそう、結論がオトコマエなのか。
ああこれぞ俺のカイトと、がくぽは大体概略すると、そんなようなことを考えて胸をときめかせていた。
が、実際のところ、オトコマエというよりは短絡的である。そしてがくぽはいい加減、暢気にも過ぎた。
現状、がくぽは下された宣告どおり、カイトとキス中――もとい、『そういった』意味で鋭意口説き中の相手に、むちゅーーーーーっと、くちびるに吸いつかれている最中だったのだから。