セツブンセツプン-3/3-
確か自分は、カイトを口説き中だったはずだ。
――がくぽは最新型のロイドだ。芸能特化型であるため、華やかかつ軽いイメージが付きまとうが、実のところそれ以上に、情報処理能力の高さが売りのひとつとなっている。その一環で、非常に確かな分析力の持ち主だ。
が、とても不確かな心持ちで、がくぽは自分の現状を解析していた。
確か自分は、同居人であるカイトを口説き中の身であった。その『口説く』というのは、つまりカイトと自分は同じ男、同性同士ではあるが、感情的及び身体的、肉体的欲求を含んだ濃厚な関係を築きたいというものであり――
「理解出来たか」
明るい陽光の差しこむリビングだ。その明るさと空気の軽さに見合わぬ、重々しい風情のがくぽだった。
ぴんと伸ばした背に、陽光にも消せない暗雲めいたものを背負い、座椅子も座布団も使わず、床に直接、正座している。しかも手はきっちりと膝に置かれ、主君に対した中世の武士もかくやとばかりの気迫で態度だ。
対するカイトは、気負うものがなにもなく見えた。実のところがくぽに負けず劣らずの真面目さで、きちんと床に正座しているのだが、足を崩しているかのようにだらりと見えてしまう。
そしてがくぽが放った重々しい問いの答えは、姿の対比と同じく、対照的な軽い口調で返って来た。
「んや。全然。ひとっことも。なに言ってんの、がくぽ?ニホン語?それニホン語?それともまさか、ニッポン語?」
「然もあろうな……!」
不確かな心持ちで行った説明を、案の定できっぱり容赦なく理解不能と切って捨てられ、がくぽは床に手をついた。現在、床に直接正座している。そうやると、図らずも土下座状態だ。
よくよく考えると、カイトの答えも意味不明なのだ。ニホン語とニッポン語は、違うものなのか。例えば北京語と広東語のような――
だが、当家のがくぽはツッコミスキルがないに等しいほど低く、そして今は図らずも土下座状態となるほど、打ちのめされている最中だった。いつも以上に、ツッコミのツの字も出て来ない。
そもそも、説明しろと言うのが無理なのだ。
――と、がくぽは懲りることなく別方面から、再度アプローチを試みた。
理屈じゃないのよと、古今変わることなく詠まれうたわれ続けるのが、この系統のことだ。理屈ではない以上、言葉で説明することは無理だ。理屈として成り立たないということは、説明する言葉を作れないということであり、言葉で説明することが出来ない以上、口で説く、つまり口説くことなど無理――
「………だいじょーぶ、がくぽ?」
「論理……論理的帰結の罠が………っ」
「うん。なに言ってんのか相変わらずさっぱりだけど、たぶんダメっぽいね、がくぽ?」
土下座を通り越して、もはやがくぽは床にめりこみそうだった。
対して座ったカイトはとても憐れみ深い瞳で、そんながくぽを見下ろす。手を伸ばすと、めりこみかけの頭をよしよしと撫でてやった。
撫でられる犬の気分を味わい、がくぽは主人に尻尾を振るしあわせに浸った。もうそれでいいんじゃまいかと内なるなにかがささやき、うんそうね、しやわせってきっとこういうことなんだわと、やはり内なるなにかがささやいた。
「違うわっっ!!」
「んわっ!」
がばりと起き上がると、がくぽはぷるぷると頭を振った。
「弱気は厳禁だ。砕けてもいないうちから挫けるなぞ、カイトを口説く資格すら失う」
「あ、そーなの?」
「そーなの」
先の衝撃で、ちょっぴり仰け反ったままのカイトの口調に釣られて応えてから、がくぽはかっと目を見開いた。
「だから違うっっ!!」
己に喝を入れ、がくぽはきりりと表情を引き締めた。きょっとんぱちくりと、目を丸くして固まっているカイトを見据える。
「つまりカイト、訊きたいのはひとつだ。なにゆえそなた、俺とキスしたがる?俺の口説く言葉に答えは寄越さぬが、キスは強請る。これは答えのひとつか?それとも、肉体的快楽のみを訴求している結果か?俺はそれに付けこみ、いずれは心も付随するものと信じるべきなのか?」
口早に問い詰められ、カイトはぱちぱちぱちくりと、瞳を瞬かせた。がくぽの問いに合わせて折り曲げた指に目をやり、その手をぐーぱーぐーぱーと、開いて閉じてとやる。
ことんと、首を傾げた。
「それ、――ひとつ?」
非常に訝しげに訊いたカイトに、がくぽは重々しく頷いた。
「うむ。圧縮すると、ひとつだ」
「そっか……」
真面目に言われて、カイトもこくりと、真剣な顔で頷き返した。居住まいを正し、背筋をぴんと伸ばしてがくぽを見つめる。
「なに言ってんのか、ちょっともきっぱりわかんなかったから、圧縮したやつ言って」
「然もあらんな!」
カイト――KAITOシリーズを考えればまったく当然の要求に、がくぽは軽く天を仰いだ。
情報処理能力を売りにされている『がくぽ』に対し、旧型でもあり、諸々スペックが低いKAITOシリーズは、複雑な情報処理をいかに放り出すかに精力を注ぐ。結果として都市伝説に近いエピソードの数々を残しているが、そのほとんどが都市伝説ではなく日常茶飯事という。
一般に言うような、『頭が悪い』というのとは、違う。違うが――
とにかく、カイトに小難しい言葉を使って理屈を連ねても、通じない。気分がノリノリにならない限り、解析に乗り出してくれないのだ。
それは、相手への好意の度合いには、因らない。
これが、カイトからの拒絶の根拠には、ならない。
というわけで。
「色よい返事を寄越せと、要求している」
「いろよいへんじ」
腹を括って『圧縮』したがくぽに、カイトはぱちくりと、瞳を瞬かせた。きょとりと小首を傾げ、無邪気にくり返す。
「いろよいへんじって、つま…っふわっ?!」
答えを皆まで聞くことなく、がくぽは手を伸ばすと、常に無防備な体を抱き寄せた。膝の間に挟み入れて下半身の自由をそれとなく奪い、上半身も抱くふりで押さえて、うまく自分の懐に収める。
そのうえでカイトの顎を捉えると、視界も覚束なくなるような至近距離から覗きこんだ。
「がくぽ」
「俺はそなたと存分に口づけもしたいし、その先のこともしたい。望めるならということだが、もちろん、そなたの速度に合わせるよう、努力も怠らぬが――だが、したい。単なる同居人ではなく、もっと独占的な位置に行きたい。そなたにとって特別で、唯一の、特権的地位を占めたい。そなたはどうだ?どう思って俺にキスを強請り、でありながら、俺の言葉に答えない?」
「………」
抱きすくめる力は強く、縋られているようでもある。
だが、連ねられる言葉は静かにゆっくりと吐き出され、カイトの思考に隅々まで沁みこめと、希う想いまでもひしひしと伝わるようだった。先までの、表層の考えを無闇と口走っていたのとは、違う。
深く吐露される、飾り気もない本心。
ぱちぱちと瞳を瞬かせ、不思議そうにがくぽを見つめていたカイトだが、ややしてそっと、視線を外した。拗ねたようにも見えるその目元が、ふんわりと、薄紅を刷く。
「俺、………おれ、は、ね?…………俺は、………がくぽの、トクベツで、いたい」
視線を外したまま、カイトはこそりと吐き出した。いつもの彼らしくもない。言葉には覇気がなく、舌足らずというのとはまた違って、たどたどしかった。
声音と口調と――後ろめたい、感情が透けて見える。
「………『後ろめたい』?」
浮かんだ言葉に、がくぽは眉をひそめた。
がくぽが惚れこんだのは、後ろめたさを抱くこともない、オトコマエなカイトだ。常にひたと前を見据え、間違った道だろうが、障害物をなぎ倒して構わず突き進む――
「がくぽ、ね?俺のこと、口説くって……口説いて、くれてるでしょ?口説くのって、トクベツだよね?トクベツだから、口説くんだよね………だから、俺は、がくぽが口説いてくれる、トクベツな、――トクベツで、いたい。がくぽに口説かれてる……がくぽのトクベツのままで、いたい」
「………」
視線を外したままそこまで言ってから、カイトはちらりと、がくぽを見た。抱きこむ力は緩めないが、凝然と己に見入るだけのがくぽを。
尖ってもやわらかさを失わないカイトの瞳が、さらにとろりと熱を持って蕩けて潤み、風吹く湖面のように揺らぎながらがくぽを映した。
「でも、こたえちゃったら………がくぽもう、口説いてくれないでしょ?俺、がくぽのトクベツじゃ、なくなっちゃうでしょ?………だから、ガンバんの。がくぽがずっとずっと、口説いてくれるように……俺のこと、ずっとずっとトクベツだって、口説きたいって、思って、口説いてくれるように………」
「カイト………」
なにかが、齟齬だ。齟齬で、誤解だ。誤解というより、曲解というか――齟齬だ。
切れ長の瞳を徐々に徐々に見開いて驚愕を浮かべたがくぽは、困ったように口を噤んだカイトを抱く腕に、力を込めるのを堪えることが出来なかった。
あまり力を入れてしまえば、カイトが痛い。
痛い思いをさせたい相手ではない――愛おしみ、慈しみ、優しくしたい相手だ。そして同時に、どうしようもなく酷く勝手な衝動を抱く相手でもある。
矛盾を呑みこめと強いて強いられる相手でもあり、感情を乱高下させられる相手でもある。
たとえどうなったところで、カイトといる限り、穏やかに凪いで過ぎていく日常などというものは、ない――
「特別を望むというなら、答えを寄越してみろ、カイト。もっともっと、そなたが想像もしていなかったほどの、特別を遣る。口説くより、もっと深く濃く――キスより先、俺のすべてを呉れてやる」
ほとんど反射だった。
これまで以上に熱っぽく掻き口説いたがくぽを、カイトはじっと見る。大人しく抱えこまれたまま、ことりと首を傾げた。
「んと、つまり………ゴーカンレイプ性行為のキョウヨウ、的な?」
「違う」
逃げる素振りもなく言ったカイトだったが、がくぽは逃がすまいとするかのように、抱く腕に力を込めた。さすがに痛みを覚えたらしいカイトが、わずかに眉をひそめる。
それでも力を緩めることは出来ず、がくぽはカイトに顔を寄せた。
「俺がそなたと望むのは、和姦メイクラブ同意の上の性交渉だ。言ったろう。そなたの速度に合わせると」
吐息のようにささやいてから、がくぽは口を噤んだ。自分の発言を舌の上でくり返すと、多少力を失って、わずかに顔を離す。
「………まあ。出来ればそうありたいという。怠らず努力する気はあるという、努力義務の範囲だが」
後ろめたく視線を移ろわせて言い訳を吐いてから、ふとがくぽは気がついた。
――自分はこれまで、カイトを口説くと宣言して、実際口説いてきた。
つもりだったが、そもそもはっきりと己の望みを口に出したことが、あっただろうか。
いろいろな理屈を先に告げて、もしくは迂遠な望みを口にして――
そういえば、はっきりとした想いを、誤解しようのない言葉を、伝えていなかった気がする。
「……っ」
思い至った事柄に、がくぽはひどく焦って、己のログを漁った。いやいやいや、まさかそんなハハハハハ――という、否定する根拠、事実を探し、打ちのめされる。
言っていなかった。
口説くと宣言しながら、口説くと宣言しただけで、肝心要の言葉を。
具体的な表現で交わした会話といえば、するだのしないだの、したいだのしたくないだのといった、非常に即物的な。
それは――カイトにも、がくぽの真意が読み切れず、混乱して、意思の齟齬を起こすわけだ。いや、むしろ『カイト』だからこそ、あらぬ方に曲解した挙句、いつまで経っても平行線が解消されないという。
打ちのめされつつきちんと反省もしたがくぽは、気を取り直してカイトへ視線を戻した。
言うなら、つまり、今だ。
なぜといって、雰囲気がちょうどよく、そんな感じだ。
「かい、んっ?」
「がくぽ」
――しかし意を決したがくぽのくちびるは、言葉を吐き出すより先に、熱を持って潤むカイトのくちびるに塞がれた。
くちゅりと、ほのかな水音を立ててすぐに離れたくちびるは、見つめるがくぽの前で、嫣然と笑い、言葉を紡いだ。
「だいすき、がくぽ………がくぽのこと、トクベツに、いちばん………だいすき」
これまでに見たこともないほどの色香に溢れた笑みと、対照的に幼気なまでにたどたどしく吐き出された、告白の言葉と。
「だから、ね?おねがい……おれのこと、………がくぽの、いちばんの、トクベツに、して?」
甘くあまく乞われるおねだりを、がくぽは回路が焼き切れそうな幸福と興奮とともに味わった。
カイトはなんと愛らしくて、淫らがましくて、そして勇気に溢れて男らしく潔いのだろう。
欲しいと思い定めたものがあり、手に入れる方法が明示されたなら、がくぽのように迷い、迂遠な道を選ぶことはない。
まっすぐ、直通路を驀進する。玉砕覚悟という悲愴さもなく、当たって砕けるという自棄さもなく、己が手に入れるべきものを手に入れると、ひたむきに信じて。
ああこれぞカイト、俺が憧れ惚れこんだ、オトコの中のオトコ――未だ到達出来ぬ、見果てぬ目標。
なにかが明後日で夢見がちな感動の中にいるがくぽの首に、カイトは腕を掛けた。
「がくぽ」
強請るように急かすように名を呼ばれて、がくぽははっとする。
今度こそ――そうだ、今度こそ、きちんと、言わなければ。そもそも、自分がカイトをどう思って口説いているのかという、その基幹の感情を、根本の想いを。
「かい」
「だいすき♪」
――しかしどうあっても皆まで言うことはできず、がくぽのくちびるは、カイトのくちびるに塞がれた。
想いびとからの情熱的なしぐさに、これ以上逆らえるものではない。なぜなら、なんだかちょうどよく、そんな雰囲気だったからだ。
がくぽの舌先に乗っていた告白の言葉は唾液とともにカイトの咽喉に流し込まれ、こっくんと呑みこまれた。