がくぽが障子を開いて、ころんと転がった畳からも外の様子が眺められた。

日が高い。

「………きょぉも…………」

力の入らない体で、さらにがっくりと力を失って、カイトは小さくつぶやく。

大江戸噺-03-

今日も一日がんばる、と気合いを入れた直後にがくぽに捕まって――結局、昼過ぎまで散々に構い倒された。

体力がないわけではないが、泣かされて喘がされて、さらに精を絞られている。

最後の一線だけは越えないでいてくれるものの、がくぽは遊びだすとしつこく、長い。

それに付き合わされて、カイトはすでに一日の気力も体力も使い果たした。

――という日が、ここのところ連日、続いている。

今日もがんばる、のがんばるの意味が変わっている。

こんな関係が良くないことなど、百も承知なのに――

「…」

疼く心を持て余して、畳に転がったままぼんやりと外を眺めるカイトに、まったく疲れた様子のないがくぽがちらりと視線を投げる。

かり、と軽く頭を掻くと、放り出してある煙草盆から煙管を取った。煙草を詰めると火を入れ、吸う。

「けむり…」

ふ、と吐き出された煙に、カイトは意味もない声を上げる。

もうひとつ煙を吐き出すと、がくぽは煙管を咥えたまま箪笥へ行った。雑多に物が置かれた上を漁って桐の小箱を取ると、カイトの傍らに胡坐を掻いて座る。

無造作に箱を開くと、中身を取り出して、そのままカイトの頭へと手を伸ばした。

「………んっ?」

「やる」

「がくぽさま………?」

ぶっきらぼうな物言いに、カイトは撫でられた頭へ手をやる。固く冷たい感触が触れて、カイトはびくりと竦んだ。

「え………え?」

力の入らない体を懸命に起こして、慌てながらも慎重に髪を梳いてそれを取った。

「ふぁ、きれい…………!」

一目見て、まずそうこぼれた。

がくぽが髪に挿してくれたのは、黒漆に薄紅の桜が咲くかんざしだった。

描かれた桜は本物の桜を埋めこんだように華やかでありながら儚く美しく、それが艶やかに塗られた黒漆に鮮やかに浮かび上がる。

言葉も失って見入るカイトに、がくぽは煙管を咥えたまま小さく笑った。

「そうしていると、まるで本物の娘のようだ」

「っ」

からかうというにはやさしくつぶやかれた言葉に、しかしカイトははたと我に返る。

改めて渡されたかんざしを見つめ、今度は別の意味で震え上がった。

「これ………本漆じゃありませんか?!それに、金まで使って………一介の町人ごときが持てる品じゃないです。がくぽさま、こんな高いもの」

「要らぬというなら、折って捨てる」

「…っ」

言葉を先取りされ、しかも返された答えが答えだ。

かんざしを持って見つめるカイトを見ずに、がくぽは障子の外へと煙を吹きだす。

「そなたにやろうと思うて求めた品だ。そなたが要らぬなら、捨てるだけだ」

「がくぽさま………」

なんとも返せないカイトに、がくぽはちらりと視線を流す。煙草盆に煙管を置くと、名残りの煙を吐きだした。

手を伸ばすと、カイトの手から優雅にかんざしを取り上げる。

「がく、」

折らないで、と腰を浮かせるカイトの頭へ手をやり、再びかんざしを挿した。

「それくらい挿しておれ。さすれば斯様な短髪でも娘に見えよう」

「…」

カイトの瞳が揺らぐ。

がくぽの意図がさっぱりわからない。

ゆらゆらと揺らぐ瞳を見つめていたがくぽは、束の間瞳を逸らした。

戻ってきたときには、いつも通りの性の悪い笑みを浮かべて、カイトをしっかりと見返す。

「そのような目でほかの男を見るなよ。俺以外の男は、こうまでやさしうないぞ」

「……がくぽさま」

カイトの目元が赤く染まる。

泣き過ぎて腫れぼったいそこは、「やさしい」と自称するがくぽに「虐められた」証拠だ。

がくぽは愉しげに笑い、カイトの後頭部へ手を回す。

脅そうが脅すまいが、ことがくぽに対しては抵抗を知らないカイトは、おとなしく引き寄せられた。

「んん……っ」

熱のくすぶる体に火を灯すような口づけをされて、カイトは震えながらがくぽにしがみつく。

乱れたままの着物の中を探るようにがくぽは手を這わせ、むき出しのカイトの足を撫でた。

「ぁ………っ」

口づけたままのカイトが、小さく啼く。

がくぽは笑って、カイトを引き離した。

「………がくぽさま………」

「行け。そなたのような堅気の町人には、昼に遊ぶ暇などないだろう。それとも、最後までする覚悟でもついたか」

「……っ」

ふわ、と赤くなって、カイトは慌てて乱れた着物を掻き合わせた。

がくぽは呆れたような眼差しで、それを眺める。

「今さら……」

「だ、めです。しないです」

「…」

声は弱々しいながらも断固と主張されて、がくぽはくちびるを引き結ぶ。鼻を鳴らして、そっぽを向いた。

「手拭い、貸してくださいね」

「勝手にせい」

すでに勝手知ったるとなった、がくぽの家だ。

カイトは手拭いを取り出すと水で濡らし、心もち体を清めた。

乱れた着物を直し、髪を梳く。爪先にかちりと触れた固い感触に、寸暇、止まる。

しかし、物思いも長くはない。

「…………それじゃあ、これで」

「ああ。…いや」

覚束ない足で、それでも毅然と立って出て行こうとするカイトに、がくぽは自堕落に体を伸ばした。

着直された着物をさっと払うと、覗いた足にくちびるを寄せる。

「んゃっ、ぁ……っ」

太ももの付け根にきつく吸い付かれて、カイトはふらふらと頽れる。

白い肌に、浮かび上がる紅い花弁。

「………がくぽ、さまっ」

真っ赤になって涙目で見つめるカイトに、がくぽは素っ気なく手を振った。

「行け。もう用はない」

「………」

ぐす、と洟を啜り、カイトは力の入らない足で懸命に立ち上がる。

半ば這うように土間に下り、脱ぎ散らかされた草履に足を突っこんだ。

「………手拭い、洗ってお返ししますから……」

「別に良い」

がくぽはそっぽを向いたまま、煙管に新しい煙草を詰める。

しばらくじっとその姿を見つめ、カイトはぺこりとひとつ、頭を下げると出て行った。

遠ざかる足音を聞きながら、がくぽは煙管に火を入れる。咥えると、煙を吸いこんだ。

「…………ほんに、良いのにな。洗わずとも」

つぶやいてから、顔をしかめた。

そんなものですら縁としたい自分が、あまりに滑稽だ。