大江戸夢噺-04-
裾丈の短い着物に、ぴったりとした下穿きは、どちらも闇に紛れる鴉色。
細い帯を締め、足袋を履くと、カイトは軽く太ももを叩いた。
「よっし、今日もがんばる!」
気合いを入れた直後に、膝が笑ってふらつく。
「………ほんと、がんばって欲しいもんだわ」
「めーちゃぁん…………っ」
同じような恰好をしたメイコが呆れたのを隠しもせずにつぶやいて、カイトは情けない声を上げた。
「結局、昼間は潰れちゃって使い物にならないし、夜くらいはがんばってもらわないと、あたしばっかり大変で」
「ぅうう…………ごめにゃさ…………っ」
疲れた、とばかりにこれ見よがしに肩を揉むメイコに、カイトは小さくなるしかない。
最後の一線は越えないものの、一度遊び出すとがくぽはしつこく長い。
弄り倒された下半身は歩くことすら覚束ず、結局昼間は部屋で倒れているしかなかった。
夜半になって、気合いを入れ直してやって来たのは、町外れにある廃寺だ。
悪党の恰好のたまり場となりそうなここには、今はカイトとメイコしかいない。
そして、闇に紛れる忍び装束――
まさに悪党か、というと。
身を竦ませるカイトに、メイコは厳しい顔を向ける。
「掟を忘れてないわよね?
闇に乗じて悪人どもから金品を強奪し貧者にばら撒く微迷惑無法慈善行為を生業とする、偽悪党ねずみ小僧一族、くりねずみ一家には、忘れてはいけないけど忘れがちな掟がごまんとあるんだからね!」
「めーちゃん………ツッコミどころ多過ぎるよ…………俺にどうしろっていうの………」
きりっとして告げられた内容に、カイトは肩を落とす。
そう、カイトとメイコは――まあ、悪党と言えば悪党だった。
一家の長である『お屋形様』が、こいつ悪党☆と、見定めた相手が溜めこんだ金銀財宝を盗み出し、貧民に配って歩く。
初代ねずみ小僧から派生した、微迷惑無法慈善行為を生業とするねずみ小僧一族の一派、くりねずみ一家の稼ぎ頭が、カイトとメイコの正体だった。
カイトもメイコも、昼間は普通の町人に紛れて暮らし、夜にこうして本来の姿へと戻って仕事をする。
とはいえ昼間にも重要な仕事はあって、それが盗みに入る家の下調べだ。
むしろこちらの仕事のほうが、重要度は高い。
下調べ如何によって、自分たちの手にお縄が掛けられるか掛けられないか、道が明確に分かれるのだ。
その重要な仕事である下調べを、ここ最近、カイトはメイコに任せきりだった。
理由は明らかで、朝方にがくぽに捕まって、その名残りで、解放されてからも昼間中、使いものにならないからだ。
「わかってるでしょうけどね、あたしは本来もう、里抜けして引退の身なのよ。こうやってあんたの手伝いをするのを里抜けの条件にはされてるけど、あくまで手伝いよ、て・つ・だ・い。遊ぶのもいいけど、ほどほどにしてもらわないと」
「遊びじゃないもん!!」
腐したメイコに、カイトは強い口調で返す。
きっとメイコを睨んで言い切ってから、悄然と肩を落とした。
「………遊び、じゃ、…………」
「ふうん」
カイトの手が、頭に行く。きちんと被り物をしたそこに、一か所、硬い感触がある。
富を平等に分ける、という観点に立って、奪ってきた金銀財宝の目利きもするカイトだ。
貰ったかんざしの価値がどれほどのものか、すぐにわかった。
少なくとも、長屋暮らしの町人が一生かけても、持てるものではない。
いや、武家だとしても、これほどのものを気軽にひとにやれるはずもない。
将軍家御用達、などの看板を掲げるような一流の職人の手になる逸品で、それが自分の頭にあるというのは、どう考えても違和感だ。
がくぽは気軽そうに挿したうえ、要らないなら折る、などと暴言まで吐いたが、そんなことが出来ようはずもない。
そんなものを贈ってくれる真意はまったく不明だが――
「つまり、遊ばれてる、の間違いだってことかしら?」
「……っがくぽさまはっ」
さらりと言われて、カイトは顔を上げた。
「そんな、遊ぶ、とか………っ」
「ふうん?じゃあ、本気なの?」
「……っ」
カイトの瞳が揺れる。
がくぽは常に、性が悪い。
脅すようなことばかり言うし、それを餌にすることに躊躇いもない。抵抗を封じて平気で笑うし、そもそも昼間からあんなことに付き合わせるなど、不健全極まりない。
けれど、ほんとはやさしいのだ。
カイトの体を散々に弄ぶけれど、駄目だと強く言ったことはしない。
いやだと本気で抵抗したことを、無理に押し切られたこともない。
そのうえ、なにくれとなく気を配ってくれて、カイトが窮地に立たされていると、さりげなく現れて助けてくれる。
朝、転ぶのを助けてくれただけではない。
男に絡まれて困っていたときにも、ふとしたことで正体がばれそうになったときにも、窮地を助けてくれるのはいつも、がくぽだ。
贈り物をされたのも初めてではない。
いかにも娘が好みそうな、きれいな布でつくられた巾着や、帯留め、お守り、それからそれから――
――そなたにと思うて求めたのだ。
さりげなく告げられる言葉に、いつも胸が締め付けられる。
どうして、と訊けばいいのだろうが、返される答えが怖くて訊けない。
カイトが男であることを面白がっているにしては、がくぽはやさし過ぎるし――
だからといって、本気だと思うには根拠が足らない。
それに、本気だったとして、どうなるというのだろう。
カイトは町人で、がくぽは武士だ。
これが大きな商家であれば、あの手この手で身分を買い取って嫁入りもさせたかもしれないが、カイトは身寄りもなく長屋に住まう貧乏人。
しかも、夜にはねずみ小僧として、悪党とはいえ他人様の財を盗む、無法者だ。
なにより、男だ――娘に変装していても、男に違いはない。
内縁の妻となることすら、不可能だ。
「…………………遊び、でも、いい…………」
「カイト」
ぐす、と洟を啜ってつぶやいたカイトに、メイコの声がやわらぐ。
「ううん。遊び、で、いい。いいから、……………少しだけ、でも、がくぽさまと居られたら………」
カイトのことを男と知る前から、がくぽはさりげなく、カイトを助けてくれた。
いいひとだ、と仄かな好意を抱いていたところに、男とばれて。
それから、それを餌に体を開かれて、少しだけ裏切られた気分にもなったけれど――やっぱり、やさしいから。
「がくぽ様のこと、好きなのね?」
「…………」
やさしい問いに、カイトは答えない。ぐす、と洟を啜って、メイコを見つめた。
「今だけ…………掟のこと、忘れてないよ。忘れてないから…掟は守るから………だから……里に、帰る、そのときまで………」
「…」
カイトの言葉に、今度はメイコが口を噤んだ。
首を傾げ、困ったようにカイトを見つめる。
揺らぐ瞳から一瞬だけ目を逸らして、町のほうへ顔を向けた。
そこには彼女が愛して、彼女を愛してくれたひとがいる。
里を抜ける覚悟を決めさせた、捨てられなかった恋。
顔を戻すと、メイコは笑った。
「そんなこと、出来るかしらね。好きになるって、すごく厄介だわ」
「めーちゃん」
「あんたはお屋形様からの大事な預かりものよ。あたしも負い目がある身だから、積極的にどうこうとは言えないけど」
揺らぐ瞳で見つめるカイトに手を伸ばし、メイコは小さい子でも相手にするように頭を撫でた。
「一族みんながあんたを愛してて、大事にしてるの。それだけは、覚えてて」
「そんなの」
疑ったこともない、と返すカイトに、メイコは笑う。
「…………そうね。疑いようもないわね」
「めーちゃん」
「さて、それじゃ、今日の仕事と行くわよ」
「…」
言いたい言葉を呑みこんだふうのメイコに、カイトは瞳を瞬かせる。
追求しようかどうしようか迷って、それから首を振った。
遊んでいる時間はない。夜は短く、やらねばならない仕事が控えているのだ。
「ん、行く」
気を引き締めて頷いたカイトに、メイコも笑顔を引っ込めて真剣な顔になった。
「今日の獲物は耶麻波屋よ。最近構えた別邸のほうに、ずいぶんと財を集めているみたいなの。なんだか、お姫さまみたいなきれいな女の子とか、どう考えても老中にしか見えない武士が出入りしてるとか…………結構、やばそうな物件よ」
「うん」
「昼間見た感じだけど、大分警備に力を入れてるわ。刀を差したのが、これみよがしに歩き回っているの。たぶん、一度も実戦を経験したことないような、形ばかり武士を集めたんじゃないわ。『斬った』ことあるわよ」
「………うん」
硬い顔になったカイトに、メイコは顔を寄せる。
「足腰ふらふらしてて、こなせる相手じゃないわ。無理なら……」
「大丈夫だよ!」
メイコの言葉を遮り、カイトはすっくと背を正す。胸に手を当てた。
「へまはしない。無理もしない。やばいってなったら、お宝捨てて逃げるのに徹するよ!」
一聴、情けないように聞こえる。
しかし、これは盗みに入るうえで最重要となる考えだった。
欲を出さない。欲を捨てる。
今日がだめでも、お縄が掛かっていない限り、何度でも機会はある。
お縄が掛かったら一巻の終わりなのだから、そうならないためにはみっともないくらいに逃げることに徹する。
それが出来ないうちは、一人前とは認められない。
そしてメイコにしろカイトにしろ、一人前と認められればこそ、『里』から江戸に出て、こうして暗躍しているのだ。
きっぱりと言い切ったカイトに、メイコは肩を竦め、しかし頷いた。
「わかってるならいいわ。それから、これ…………お互いがもし捕まったときには」
「……………自分が逃げるのに、徹する」
「恨みっこなし」
「助けには戻らない」
「よし!」
最後の確認を終えて、メイコは笑顔になった。
「それじゃ、行くわよ!微迷惑無法慈善行為!!」
気合い入れなのだろうが、その言葉にカイトはがっくりと肩を落とした。