「がくぽ様、ご無事ですか?!おまえたち、早く…」

「っ」

耶麻波屋主人と護衛が近づいて来て、がくぽは咄嗟に頬被りを相手の顔に掛ける。

「おとなしうしておけよ」

「…っ」

ひそりとささやき、体は押さえつけたまま、身を起こす。

大江戸噺-06-

「がくぽ様」

「決めたぞ」

「は?」

引き渡しを求めようとした耶麻波屋主人に、がくぽはにんまりと笑って見せた。

「今宵はこれで遊ぶ」

「…」

足を止めて目を見張る主人に、護衛たちが戸惑う顔を向ける。上位者はがくぽだが、彼らに実際に金を払うのは、耶麻波屋主人だ。

「がくぽ様」

「まさか番屋に突き出せはしまい?」

「それは…」

話を聞かれていた可能性がある以上、侵入者として番屋に突き出し、公的な裁きに掛けることは出来ない。闇に葬るしかないが――

「刻限が刻限ゆえ、この屋敷で過ごすしかないのだ。退屈の虫を治めてくれる、良い玩具が来てくれたものよ」

「がくぽ様………」

愉しげながくぽに、耶麻波屋主人はため息をついた。

気まぐれはこの若者の特性で、時として場合も考えないのもよくあることだ。

応えない主人に、がくぽはかわいらしく首を傾げた。

「………それとも、なんだそなたが俺と遊ぶか?」

微笑みはいっそ、無邪気なほどだった。

だが、下がってはいけない護衛たちの足が反射的に引き、耶麻波屋主人も踵を返しかける。

その様に構わず、がくぽは愉しそうに屈強な男たちを見やった。

「今宵の俺の無聊を慰めるために、ひとり、差し出すつもりはあるか?」

「…がくぽ様」

「俺から玩具を取り上げるのだ。生きたまま腕をもぎ、足をもぐだけでは済まぬぞましてやそれであっさり死なれては、ひとりでは足らぬな。ふたり三人と貰うが………」

がくぽの言葉に、護衛たちが青褪めて耶麻波屋主人を見つめる。

押さえつけた体がわずかに揺れて、がくぽは新たに力を入れ直した。

しっかりと関節を極めているから簡単には動けないだろうが、先までの体術を見ても、そうそう油断の出来る相手ではないとわかっている。

「………わかりました。がくぽ様、どうぞご随意に」

ややして答えた主人に、がくぽは軽く顎をしゃくった。

「ならば、下がれ。邪魔だ。今宵はもう、そなたら全員、この部屋に寄るなよ。如何なことがあっても、遊ぶ俺の気を散らすようなことをしたなら――」

「わかっております、重々に承知して御座います」

耶麻波屋主人の声は、わずかに悲鳴じみていた。そのまま、護衛たちを見回す。

「彼らにもよく言って聞かせます。今日は塀の外で張り番を置くだけに止めますゆえ」

「そうだな。無為に命を散らしても、始末が大変だ」

他人事のように言って、がくぽはもう一度顎をしゃくった。

耶麻波屋主人が護衛たちを促し、あからさまにほっとした顔の彼らとともに出て行く。

障子が閉められて足音が遠ざかるのを確認し、がくぽは体からわずかに力を抜いた。その瞬間、下に敷いていた体が跳ね起きる。

「ちっ!」

油断してはならじと思った矢先に油断した自分に舌打ちし、がくぽは素早く手を伸ばした。

「観念しろ、カイト!」

「っ」

鋭い声で名前を呼ぶと、侵入者――カイトは、びくりと震えた。

足が力を失って畳にへちゃんと尻をつき、潤んだ瞳でがくぽを見上げる。

それでも油断することなく、がくぽは着物の襟を掴んでカイトを畳に押し倒した。再びきっちりと関節を極めて押さえつけ、間近で顔を突き合わせる。

関節が軋んで痛いはずだが、カイトは悲鳴ひとつ上げない。ただ、ひたすらに悲しそうな瞳でがくぽを見つめる。

その髪に、昼間やったかんざしが挿してあるのを見て、がくぽは瞳を細めた。

「……………そなたには、よくよく驚かされる。娘かと思えば男で、なんの訳有りかと思えば今度は、斯様な姿で忍ぶ。しかもまさか、この俺と互角に戦うとは」

「………がくぽさま」

甘い声が、震えてがくぽを呼ぶ。耳が蕩けるような心地がして、がくぽは思わず、押さえつける力を強めた。

わずかに顔をしかめたものの、カイトのくちびるから悲鳴はこぼれない。

揺らぐ瞳で懸命にがくぽを見上げて、問いを放つ。

「がくぽさまこそ、どうして…………こんな、ところで、こんな………………っ」

「話を聞いておらなんだか」

逆に問われて、カイトのくちびるが震えた。ぐす、と洟を啜って、がくぽを気弱に見つめる。

「…………大家老、印胤家の御嫡子であられると………」

「聞いていたか」

「…………先の飢饉を予測して、物品の買い占めに走っていると」

「…」

がくぽの瞳が細められる。むしろうれしそうですらある笑みがその顔に浮かび、舌なめずりした。

「そうまで聞かれては、無事に帰してやれようはずもない。わかるな?」

「…」

黙るカイトの頬を撫で、がくぽはわずかに身を起こした。

「どこの間者だ」

「…」

「答えぬか。そうであろうな」

うれしそうに言いながら、がくぽの手がカイトの体を撫でる。

カイトの体がびくりと震えた。怯えてのものではない。

驚いたように見張られたカイトの瞳が、すぐに逸らされた。きつくくちびるを噛む。

「答えずとも構いやせぬ。こうして聞かれた以上、身元がわかろうとも解放しやせぬのだ」

ささやき、がくぽは身を伏せた。カイトの耳にくちびるを寄せ、やわらかなそこに齧りつく。

「ひぁっ」

びくりと震えた体に、がくぽは笑う。齧りついた耳を今度は舐めて、上機嫌な声を吹きこんだ。

「そなたは一生、俺の傍に置いておく。生涯、俺の虜だ」