後ろ手に襖を閉め、カイトは軽く辺りを見渡す。

ひとに見られないように、片手に提げた男を棄てて、吉原から出なければならない。

ある程度の算段はしてあるが、いつでも予定外の出来事はある。

夢繚乱噺-11-

「無駄に重い。いっそ吊るそうか」

基本的にやさしく穏やかな性質のカイトだが、こときょうだいが絡むとひとが変わる。

いくら自ら望んで身を落した遊女とはいえ、妹を金で好き勝手しようとした男に感じるのは憤りと憎しみだけだから、つぶやくことに容赦がない。

不穏な気配を漂わせたまま、カイトは男の体を引きずって歩き出す。夜半も夜半だから、どの部屋もやっていることは同じだ。おいそれとひとなど出て来ないだろうが――

「おにぃちゃん」

「ん?」

物陰からこそっと呼ばれて、カイトは首を傾げた。ひょいと体を傾けて、廊下の暗がりを覗く。

「こっち、おにぃちゃん」

「………」

黄色頭の禿に手招かれて、カイトはますます首を傾げた。とはいえ、知らぬ顔でもない。

招かれるままに、男を引きずって傍に行った。

「案内するから、ついて来て」

「それはいーけど」

くるりと背を向けた禿に、カイトは不思議そうな声を上げる。

「なんで、リンちゃんじゃなくて、レンくんなの?」

「っっ」

禿はがっくりと膝をつきかけて、なんとか踏みとどまった。くるりと振り向いて、笑顔でカイトを見上げる。

「やだ、おにぃちゃんたら、もぉ」

かん高く甘い声は、間違いなく少女のものだ。

愛らしい笑顔の禿に、カイトは片手を伸ばし、やさしく頭を撫でてやった。

「ん、レンくんかわいーかわいー。それで、リンちゃんはどこでなにしてるの?」

「っくっ」

誤魔化されない兄に、禿――に変装したレンは、がっくりと項垂れた。

誰が見たとしても、今のレンを少年だとは見破れないはずだ。カイトとは違う。レンは骨格から、少女と区別がつかなかった。

だからこそ、双子の姉であるリンの影武者として育てられたレンだというのに――

昔から、この兄だけは騙されてくれない。

「レンくん?」

再度促されて、レンは気まずく視線を流した。

「……………近くの賭場に今、流れ賭博師リントが…………」

「……………相変わらず賭場狂いなんだね………」

ぼそっとつぶやかれた内容に、カイトは肩を落とした。

おそらくミクの手伝いとして駆り出されたリンとレンだが、リンのほうは賭博に走ってしまったらしい。

少女のリンが男装して流れ賭博師として賭場に行き、少年のレンが女装して遊郭にいる。

ついでに言うと、少女のミクは男装して客になりすまし、今、カイトは遊女に変装してここにいる。

いろいろなところがいろいろと間違っている一族だ。

「よくミク……お屋形さまが、赦したね」

「今回の場合、金が必要だって話でさ…………損益出したら逆さ天井の刑にするけど、稼ぐ分には七:三で手を打つって」

「しちさん………」

カイトはつぶやき、後にしてきた部屋を少しだけ振り返った。

内訳は、七がミク、三がリンだ。言われずともわかる。暴利も甚だしい。

しかし、リンは金を稼ぐことより、賭場で切った張ったしているのが好きらしいから、それくらい取られても文句は言わないだろう。

それにしても、なににそんなに金が、と考えて、カイトは頷いた。

「そっか、ルカちゃんの」

「吉原って、なんでこんなに高いんだよ?」

遊ぶにしろ、身請けにしろ、物を言うのは金だ。それも、莫大にして膨大な。

ぼやくレンに、カイトは曖昧に笑った。

カイトにしろ、レンにしろ、おそらくこんなことでもなければ、一生縁がない場所だ。

それはなにも、金があるとかないとかに関わらず――すぐ傍に、誰よりも愛するひとがいればこそ。

「お金はなんとかなりそうなの?」

「あ、にぃちゃん、そっちじゃなくて、こっち」

「ん?」

立ち話で時間を潰せる場合ではない。男を引きずって歩きだしたカイトに、レンは目星をつけておいた方向とは違う方向へ歩き出した。

カイトは首を傾げた。

とはいえ、レンのほうが下調べをする時間は多かったはずだ。いい道を知っているのだろうと考えて、素直に方向転換した。

カイトの先に立って歩き、レンはすっかり少年の所作に戻って、頭を掻いた。

「なんとかもなにも、かつかつだっつの。これまで二回通ったけど、それだけを捻出するのも必死だぜ。身請けなんて、遠い日の話としか思えねえ」

「やっぱり………」

つぶやいて、カイトは来た道を振り返った。

ミクは諦めない。

ルカはごく素直にミクを欲するが、おそらくそのルカ以上に、ミクがルカを欲している。

一度逃がしたものを、二度も三度も逃がすようなことはしないだろう――

「強硬手段、かな………」

「まあ、その線しかないだろ」

悄然とした兄のつぶやきに、レンのほうは平然と頷く。

迷いなく歩いていたが、ひとつの座敷の前で、ふいと立ち止まった。

「どうせ吉原なんて、叩けばいくらでも埃が出てくる。誰も心を痛めねえよ」

「レンくん…」

「それがくりねずみ一家だ」

「…」

きょうだいはしばし見合い、しかし、カイトのほうが先に目を逸らした。

「そうだね。それがくりねずみ一家だ」

頷く。

レンは肩を竦め、兄の手から男の体を受け取った。小さな体から考えられないような力でもって男を引きずってカイトから離し、廊下の片隅に置いて戻って来る。

「レンくん?」

「姐さん、旦那さんがお待ちでありんす」

「え?」

突如しゃなりと話した弟に、カイトはきょとんと瞳を見張った。しかも今、なにかものすごく聞き捨てならないことを言われたような。

反射でじり、と足を引いたカイトに、レンは精いっぱいかわいらしく微笑んだ。

兄が逃げ出す前に、からりと襖を開く。

「旦那さん、ご要望の相方、カイト姐さんをお連れしやんした」

「ああ、待ったぞ」

「ひ………っ」

座敷の真中に座した旦那さん、こと――本物の旦那様を見つけて、カイトは盛大に引きつった。

酒肴の乗った膳を前に煙管を吹かす旦那様――がくぽは、そんなカイトをにんまりと笑って見る。

「来い。今宵そなたを買ったは俺だ」

「か、買った、……って?!」

ひっくり返った声を上げて、カイトは傍らに立つ弟を見た。素直な弟は、ふい、と顔を逸らす。

カイトはあくまで極秘に潜入中で、見世に断っているわけでもない。買うもへったくれもないというのに、座敷には堂々とがくぽがいて、酒肴も揃えられている。

「……………六:四で、手を打つって」

「……っ」

ぼそりとこぼされた弟の言葉に、カイトはくらりと立ちくらみを覚えた。

ミクと見世とで話し合い、がくぽに座敷を供する代わりの報酬を、山分けしたのだ。もちろん、話し合いには金を出すがくぽも参加しているはずで、つまり。

「嵌められた………っっ」

吉原に行くなんて言ったら理由はどうでもがっくんに怒られるから内緒で、と耳打ちされたうえで、頼まれたのは、ルカの護衛だ。

それだけだが、くりねずみ一家のお屋形が抜け目ないことを忘れていた。恋に狂って理性を失くしているように見えても、そこはそれ。

やることはやるのだ…………。

「カイト」

「っ、がくぽ、さま………っ」

低い声で呼ばれて、カイトはびくりと固まる。

どう考えても。

「来いと言うておろうそれとも、拒むか?」

「ぅ…………っ」

にんまり笑って煙管を吹かすがくぽは、一見、機嫌が良さそうだ。

もちろん、見た目だけだとわかっている。こういうときの夫がろくなことを仕出かさないのは、学習済みだ。

「さ、姐さん。旦那さんを待たしたらいけません」

「れ、レンくん……っ」

背中を押されて座敷に押しこまれ、カイトは情けない顔で弟を見下ろした。

澄まし顔のレンだったが、ふいに思いきり表情を歪める。

「にぃちゃんの旦那は鬼の棟梁だ。これ以上は勘弁してくれ」

「ぅく………っ」

弟がなにをされたのかは知らないが、嫉妬に見境を失くしたがくぽが、まともなことをするとは思えない。

幼い身にこれ以上の負担を掛けるわけにもいかず、なにより、なんだかんだ言ってもがくぽは愛しい旦那様に違いはない。

カイトは蹌踉とした足取りで、座敷に進んだ。

「ごゆるりとどうぞ」

そんな言葉とともに、レンがぴしゃりと襖を閉める。

「……」

情けない顔で襖を振り返り、それからカイトはおそるおそるとがくぽの傍らに行った。へちゃんと座り、潤んだ瞳で上目遣いに、がくぽを見つめる。

「がくぽさま………あの」

「酌をしろ」

「ぅ………はい」

横柄に告げられて、カイトは膳から徳利を取り、猪口に酒を注いだ。

煙管を置いて猪口に持ち変えたがくぽは、ひと口で酒を空ける。

その手が落とすように猪口を置くと、傍らに座るカイトを引き寄せた。

「がく………んくっ」

小さな悲鳴を上げる口を己の口で塞ぎ、思う様に蹂躙する。

ややしてカイトの体からぐったりと力が抜けるとようやく離れ、がくぽはうっそりと笑った。

「高い金を払ったのだ。そなたには今宵、十全に奉仕して貰うぞ?」